第三話 ヴァルテール孤児院
外壁を左手に伝ってしばらく歩くと、領都の一番外れに辿りついた。
この辺りになると、門付近に敷き詰められていた石畳もなくなり、土の地面が見える。
質素な雰囲気の建物が多く立ち並ぶその場所から少し離れた位置に、赤い屋根が綺麗な二階建ての家屋があった。
周りには建物を守るように壁もあり、その向こうから子供の笑い声がしている。
シズが「ここがヴァルテール孤児院だよ」と教えてくれた。
門のようになっている所には、シズが言った通り、ヴァルテール孤児院と書かれたプレートがかけられている。
アナスタシアはそれを見て、シズの名前はこういう綴りなんだな、と思った。
門を通り過ぎて中に入ると、とたんに「兄ちゃん!」と明るい声が響いてきた。
声につられて顔を向けると、子供が数人、こちらに向かって駆けてくるのが見えた。歳はアナスタシアと同じくらいか、もう少し下だろうか。
そんな彼ら見てシズは満面の笑顔になった。
「よーう! トール、マリン、クラレット、ジェーン!」
そうして一人ひとり呼びかけながら両手を開く。
子供達はきゃいきゃいと笑いながら、腕の中に飛び込んで行く。
「兄ちゃんだー!」
「はーい! シズ兄ちゃんだよー! お前ら、元気だったかー?」
「元気だったー!」
「僕たち若いからー!」
「若さが心を抉って来る!」
普段シズはどんな目で見られているのだろうか。
なんてことをアナスタシアは思ったが、その遠慮のないやり取りを出来るくらい、仲が良いのは分かった。
(家族って、こんな感じだったなぁ)
シズたちを見ていてアナスタシアは自分の母親を思い出した。
優しい母だった。大らかで、些細なことにはへこたれない、アナスタシアとよく似た図太い性格の母だった。
――――ねぇ、ナーシャ。人はね、誰しもが良いところを、一つは持っているものなの。
母はよく、アナスタシアを抱きしめたり、頭を撫でたりしながら、そう言っていた。
それが第一夫人のエレインワース達のことを言っていたのか、単に例として挙げただけなのかは分からない。けれど、そう話しながら自分に触れた手の温かさが嬉しくて、印象的で、アナスタシアはその言葉を今も覚えている。
(――――そう言えば)
そう言えば父には撫でられたことも、抱きしめられたこともなかったなとアナスタシアは思った。
アナスタシアの父は、母が亡くなってから、めっきり姿も見なくなった。屋敷へ帰ってこないのだから当然でもあるが、手紙の一つも貰ったことはない。
ローランド達は「届いた分は捨てられたのだろう」と話してくれたが、たぶん、本当はなかったのだろうなとアナスタシアは思っている。
母が亡くなってからアナスタシアは、自分が父親にとって母親のおまけのようなものではないか、そんな風に思うようになった。
実のところ、それが不満というわけではない。母は自分を愛してくれていて、母が生きているときは父も顔を見せて優しく接してくれた。
事実がどうであれ、それはアナスタシアにとって真実だ。
もちろんさみしくは思ったけれど。
でも、同時に思うのだ。
自分はまだ良い。けれど、それならば――第一夫人のエレインワースや、彼女の子供たちは自分の比ではないくらい、さみしかったのではないかと。
『アナスタシア、だいじょうぶ?』
シズたちを見ながら考えに没頭していたら、不意にユニにそう声をかけられた。
ハッとしてアナスタシアは顔を上げ、ユニを見て笑う。
「ちょっとぼうっとしていました。大丈夫です」
『ぼうっと?』
「はい。――――あったかいなぁって」
まぶしいものを見るようにアナスタシアが目を細めていると、ふと子供の一人がこちらに気が付いた。
くりくりとした目を丸くして、アナスタシアを見る子供たち。
「シズ兄ちゃん、この女の子、だぁれ? お馬さんもきれい!」
「貴族のお嬢さんで名前はアナスタシアちゃんって言うんだ。お馬さんはユニコーンのユニちゃん。みんな、仲良くね!」
「はーい!」
シズの紹介に、アナスタシアはこれが名乗るタイミング! と気合を入れてスカートの裾を摘まむ。
「アナスタシアです、よろしくお願い致します」
そしてローランドから再度叩き込まれた見事なカーテシーを披露した。
ユニもアナスタシアに続いてゆっくり頭を下げる。
「お嬢様っぽい!」
「すごい!」
「ユニコーンきれい!」
「それじゃあ、兄ちゃんのこと駄犬って呼んでるの?」
「そこはこう、良いと悪いの兼ね合いが取れず……」
「駄犬って深い……」
「よーし、その話題から離れよう! 俺が院長先生と監査官と隊長にどやされるから! ねっ! ねっ!」
駄犬の話題は以前に自分が言い出したものだが、あの後しっかり説教でもされたのか、シズは大慌てだ。
ローランドとライヤーは分かったが、院長先生とは初めて聞く名前だなとアナスタシアが思っていると、
「誰にどやされるって、シズ?」
と、女性の声がした。
ぎくーん、と肩を跳ねるシズ。
声の方に顔を向けると、そこには五十代くらいの、丸眼鏡の迫力美人が立っていた。
「い、いやー、先生! ただいま~」
「おかえり、シズ。騎士をクビにでもなったのかい?」
「ひどい! 違う違う、仕事で近くに来たから、ちょっと寄ってみたんだよ」
「仕事? おや、そちらのお嬢さんは……」
「アナスタシア・レイヴンと申します。よろしくお願い致します。横の子はユニコーンのユニちゃんです」
カーテシーも慣れたものだ。アナスタシアが挨拶をすると、カサンドラは目を瞬いたあと、笑顔になる。
「レイヴン伯爵のお嬢様でしたか。ようこそおいで下さいました、アナスタシアお嬢さん、それからユニちゃん。この孤児院の院長を務めております、カサンドラ・ヴァルテールと申します。どうぞよろしくお願い致します」
丁寧に礼をするカサンドラ。だがその直ぐ後に、
「――何て、ちょいとかしこまり過ぎちまいましたかね?」
そう茶目っ気たっぷりに言うものだから、アナスタシアもにこにこ笑う。
「フフ。良かったら、普段通りに接して頂けたら嬉しいです」
「あっはっは。それではお言葉に甘えて。――シズ、手紙で聞いていたよりずっと礼儀正しいお嬢さんじゃないか。迷惑かけてないかい?」
「かけてません! ……あ、いや、若干不安だけどかけてませんよ! ね、アナスタシアちゃん!」
『どうだろう』
「ユニちゃん!」
ユニのツッコミにシズ頭を抱える。
しかしカサンドラや子供達にはユニの言葉は分からないので、頭の上に疑問符を浮かべていた。
アナスタシアは楽しそうに笑うと、
「ええ、もちろんです。シズさんにはいつもお世話になっています。だからこそ駄犬とお呼びすることができないのが心苦しいですが」
「ああ、あたしが呼んでおくから安心して良いよ」
「なんと!」
「ええ……先生から呼ばれても嬉しくない……」
シズがそんなことをいうものだから、アナスタシアたちは笑い出す。
「――――おやおや、何だか楽しそうですね」
すると、賑やかさにつられてか、孤児院の中から、帽子をかぶった糸目の男が出てきた。




