第三話 ヴィットーレとテオ
カフェを出たヴィットーレは、領都クロックボーゲンをぶらついていた。
先ほど、アナスタシアたちには「休日です」と答えたが、これは嘘ではない。実際に、珍しく休みだったのだ。
それならば領都の様子でも見ようかと、古都アーチボルトから足を延ばしたのである。
(それにしてもあのお二人、面白い顔をしていましたねぇ。特にアナスタシアお嬢様は、いやはや本当に、昔と変わったものです)
思い出すと、思わず口の端が上がってしまう。
以前の彼女は表情の変化が薄い――というか、どんなことをされても涼しい顔をしていた。
それが今では、喜怒哀楽の感情表現が、実に豊かになったものだ。
くすくすと笑いながら歩いていると、
「ヴィットーレ、あなたは一体、何を遊んでいるのです」
と声をかけられた。
顔を向けると、そこには顔色の悪い知り合いがいた。
「おや、これはまた……盗み聞きとは趣味が悪いですよ」
「あなたが言いますか?」
「ええ、言いますとも。珍しいところで会いましたね、テオ」
彼のいる薄暗い路地に近付いて、ヴィットーレは返事をする。
「ずいぶん顔色が悪いですね。この間、無茶をしたのが尾を引いているのでしょう? 少し体を休めては?」
「私のことは良いのです、ヴィットーレ。上から指示が届いているでしょう」
「おやおや。今日の私はオフですよ。お休みです。たまにしかないんですから、仕事の話なんてよしてくださいよ」
両手を軽く開いて、わざとらしく肩をすくめてみせる。
するとテオの目が、若干不快そうに細くなった。
「……アレンジーナのようなことを言う」
その言葉にヴィットーレは、おや、と目を丸くした
アレンジーナ・スミス。
レイヴン伯爵家に仕える同僚で、別の意味でもそういう人物だ。
(似ていましたかね?)
ふむ、と心の中でつぶやいて、自分の言動を考える。
アレンジーナとは馬が合わないので、似ていると言われると、あまり好ましいとは思えないが――まぁ良いか、とヴィットーレは笑って、
「あれは特別ですからね。あそこまで命令を無視して生きていられるなんて、口うるさい上の方々は、本当に血筋というものが大事なようだ。……ま、それでもそろそろ、危ないかもしれませんが」
と、返しておいた。
「それを言うならばテオ、あなたもそうですよ。失態にもほどがある。他人のことをとやかく言う前に、ご自分の心配をしたらいかがです?」
海都レインリヒトの件だ。
テオに与えられた仕事は、カール・ベリウス星爵と共に、海都の動向を逐一報告することと、療養中のレイモンド・レイヴンや、エレインワース・レイヴンが、本来の正常な思考に戻らないように、働きかけることである。
(カール・ベリウスは、完全に裏切りましたけれど)
ヴィットーレは、ベリウス星爵との付き合いはほとんどない。
テオの報告によれば、子が出来たことがきっかけらしいが、恐らくそうではないだろう。
彼がどのような人物かは、さほど詳しく知っているわけではないが、アナスタシアが来た時に裏切ったならば、前々から計画を企てていたはずだ。
あの男は、ただ、タイミングを計っていただけだ。家族の安全を守るために、もっとも良いタイミングを。
誠実そうな顔をしているが、やはり彼も貴族の端くれということだろう。食えない男である。
「それで、今はどんな命令がきているんです?」
「ヴァレリー様とメレディスの処分です。あの二人から情報が漏れる危険があるからと」
「はぁ……?」
思わず、うんざりしたため息が零れた。
「お偉い方々は、そうやってすぐに人を使い捨てる。人材は無限ではないのですから……まったく嫌になりますねぇ」
ただでさえ、上の教育方針で、自分の命を大事にしない同胞が多いのだ。せっかく育った戦力を、こうも簡単に減らそうなんて浅慮が過ぎる。
どうせなら、もっと上手く使ってからの方が良いだろうに。
そう思いながら、ヴィットーレはテオの目をじっと見つめる。
「では、その仕事をこなせば、あなたは延命出来ると?」
「いいえ、今回の件が終われば、私に使い道はもうないでしょう。私は役に立つか立たないかで存在しているだけです。役に立たなくなったら生きている価値はありません」
「…………」
これが、上の人間の教育の結果だ。
不快に思いつつ、それを表情に出さずにヴィットーレは、薄ら笑いを浮かべた。
「相変わらず人形のようですね、あなた」
皮肉を込めて言っても、テオは表情を変えることはなかった。
昔から、この男はずっとこうだ。こうしかなれなかったのだ。
ある意味で憐れだとヴィットーレは思う。
小さくため息を吐くと、
「レルナーの方はどうなっていますか?」
情報が漏れる心配をするならば、もう一人いたなと思い出し、そちらは処分の指示がないのかと、ヴィットーレは訊ねる。
テオは首を横に振ると、
「気の小さく、アーデンのために、覚悟を決められないような男です。放置しておけば問題ないとの判断でした。レルナーはずっと怯えるだけで、何も話せないだろうからと」
と答えた。
なるほど、それは確かにそうだ、とヴィットーレは頷く。
「しかし、あの二人を相手にするのは、あなたには少々荷が勝つのでは? 良ければ手伝いましょうか?」
「結構です。あなたにはあなたの仕事はあるでしょう」
「まぁ、そうですね」
「では、私はこれで失礼します」
「ええ、はい」
テオはそれだけ言うと、路地裏の方へと歩いて行った。
その足取りは、やや、ふらついている。休養を取らなければ、それこそあっと言う間に死んでしまうだろう。
「……まったく、テオは本当に、アーデンの理想の子供ですねぇ。彼の親はさぞ褒められたでしょうね。教育係として素晴らしいと」
人形のように従順で、アーデンに忠実な子供。
そうやって、アーデンの血を引く子供たちは育てられた。ヴィットーレもだ。
若い世代には、そのことに疑問を抱く者も増えてきたが、ひと昔前はテオのような人間ばかりだった。アーデンのために生きることを至上の喜びとするような、そんな人間だ。
(滑稽ですね、我々は)
ヴィットーレは、遠ざかって行くテオの背中を眺めながら、
「あー、反吐が出る」
感情のない声で、ぽつんとつぶやいたのだった。




