プロローグ 時計塔と小鳥と彼
レイヴン伯爵領の領都クロックボーゲン。
かつてアーサー・レイヴンが、終の棲家として選んだこの町は、領主が住まいを移したことで『領都』と呼ばれるようになった。
そんなクロックボーゲンの中央には、この待ちで最も空に近い高さを持つ、時計塔が建っている。
領都の門から、真っ直ぐに続く時告げの大通りの真ん中。
ちょうど、町としても中央となるそこは、クロックボーゲンが領都となり、今のように大きくなる前からここに在り、人々の暮らしを見守り続けてきた。
変わらぬ姿で、変わりゆく人々の姿を、ずっとずっと見守り続けてきたのだ。
晩年のアーサー・レイヴンも、時計塔を見上げながら過ごしていたと言う。
そんな領都の、ランドマークとも言える時計塔の最上階。
展望台のようになっているそこに、一人の青年が、壁に背を預けてぐったりとした様子で床に座り、朝日を浴びていた。
歳は二十代半ばくらいだろう。
緩く波打つ金髪に、宝石のように美しい黒色の瞳。そして端正な顔立ちと、自然と人目を惹くような容姿をしているが、彼の表情や纏っている雰囲気はどこか無機質。
そのせいで、動かなければまるで人形と見紛いそうになる。
青年の名前はテオ。
海都レインリヒトで暗躍をしていた、カール・ベリウス星爵の、元従者である。
◇ ◇ ◇
「……朝か」
眩い光が目に入り、テオは億劫そうにゆっくりと顔を上げた。
白く澄んだ日差しが、東の空から領都を照らしている。
テオが領都へやって来たのは、昨日の夕方だ。
自分の居所を知られないように、宿を取らずにこんな場所で一晩を過ごしたせいで、眠りは浅く、体や目が痛い。
(いや、目が痛むのは……自業自得か)
海都での一件で、左目を代償にして無理な魔法を使ったため、後遺症が残ってしまったのだ。
視力は薄っすら見える程度に落ち、さらにじくじくとした痛みが今も続いている。
それでも、魔法を使った直後よりはマシになったので、時間が経てば、この痛みだけは治まるだろう。
(それでも、この結果か)
左目を犠牲にしたわりには、成果は思わしくなかった。
レイモンド・レイヴンは生き残り、ベリウス星爵の処分も失敗。
ベリウス星爵の持つアーデン側の情報が、レイヴン伯爵家へ流れてしまった。
とんでもない失態だ、どう責任を取るつもりだと、テオはアーデンの上層部から叱責された。
責任の取り方なんて一つだけだ。
しかし、それでもまだ使い道があると生かされていた。
裏切り者を処分しろ――それがテオに与えられた最後の命令だった。
そういった仕事は、本来は別の人間が担当していた。
しかし状況が変わった。
レイヴン伯爵領内が変化し、自分たちの思惑通りに計画が進まなくなり、人手が足りなくなったのだ。
だからテオにその仕事が回ってきた。ただ『命と引き換えにしてでも』と頭につくけれど。
「お前にはメレディスとヴァレリーの処分を任せる」
テオは上からそう命令を受けた。
あの二人は、領都で貴族たちが騒ぎを起こすように、裏で糸を引いていた。
しかし計画は失敗。
メレディスとヴァレリーはそのまま捕らえられ、今は領都の領騎士団の牢屋に入れられている。
二人から、アーデン側の情報が流出するのを危惧した上層部は、早い段階で二人の処分を決めていた。
けれど領騎士団の詰め所の警備が厳重で、建物自体も建て直された際に構造の見直しがされたらしく、手出しできなかったのである。
それなのに、何故今になってそんな命令が下ったのか――。
理由はメレディスとヴァレリーが、レイヴン伯爵家に仕えるようになったらしい、との情報が届いたからである。
二人が、どんな思惑でそう決めたのかテオには分からない。
事情も意図も、テオと彼女たちの考え方が違い過ぎるため、推測するのが難しいのだ。
テオと違って、メレディスとヴァレリーはいつも『渋々指示に従っている』という様子だった。
だからこそ上からの印象が悪く、信用もない。
そのためアーデンの上層部は、二人が『裏切った』として、早急に処分するためテオを向かわせたのだ。
(今の私では、共倒れが良いところだな)
ぼんやりとそんなことを考えていると、すぐ近くで、チチ、とかわいらしい鳥のさえずりが聞こえた。
つられて顔を向ければ、展望台をぐるりと囲む、落下防止用の縁の上に、白い小鳥がとまっている。
小鳥は、せわしなく首や体を動かしながら、周りの様子を確認していた。
「……おいで」
テオは何となく右手を差し出して、ささやくように話しかける。
小鳥は何度か首を傾げた後、ぱたぱたと飛んで、その指にとまった。
チチチ、とさえずる小鳥を眺めながら、テオが目を細めた時、
『テオは本当に小鳥に好かれやすいですよねぇ』
同僚の言葉が、ふっと、頭の中に蘇った。
◇ ◇ ◇
あれは、もう何年前のことだっただろうか。
同僚のアレンジーナから言われた言葉だ。
当時から、アレンジーナは上層部の命令を、のらりくらりとかわしていた。
そんなことをすれば、いずれアレンジーナも処分されてしまうと、テオは危惧した。
テオは、アレンジーナと特別仲が良いわけではない。
けれど仲間の中では、よく話をする方だ。
だから心配になり、忠告しようとアレンジーナを呼び出した。
「アレンジーナ。あなたはどうして、指示に従わないのです。そのままでは、例えあなたであろうとも、いずれ処分されますよ」
「あはは。テオは真面目ですねぇ。もうちょっと柔軟な方が、人生楽ですよ」
「笑いごとではありません」
「いやぁ、あっはっはっ」
テオが軽く睨むが、アレンジーナは肩をすくめるだけだ。
そして、朗らかな笑顔を崩さずに、
「でもね、テオ。あたしはもう、選んだんですよ。フランツ坊っちゃんの成長を見守ろうって」
と言った。
「フランツ・レイヴン? 彼が領主になるということですか?」
レイヴン伯爵領の領主レイモンドと、第一夫人エレインワースの間に生まれた三番目の子。
武術が不得手で、騎士の領の領主一族らしい気概が感じられず、両親の顔色を窺う子供という印象が、テオの中にあった。
(確かに、初代領主と同じ髪と瞳の色をしていますが……)
容姿だけならば、見栄えは良い。
(ただ、それならば、第二夫人の子にも言えるが――……)
怪訝に思いながら、テオがそんなことを考えていると、アレンジーナは「そうじゃありませんよ」と首を横に振った。
「本気で領主を目指せば、可能性はあると思いますけどね。でも、そういう話じゃないんですよ。ただ、あたし自身が、坊ちゃんを見守りたいだけです」
「理解できません」
テオは間髪入れずにそう返した。
するとアレンジーナは「否定が早いなぁ」と苦笑する。
「そんなものが、何の役に立つと言うのです」
「役に立つか立たないかじゃないんですよねぇ。テオにもいつか分かりますよ。人生を変えるくらいの出会いをすれば、きっと」
「……そんなものは必要ありません。私の人生に、変えるべきものはない」
相変わらず、この人は何を言っているのかさっぱりだ。
テオが大きくため息を吐いた時、チチチ、と小鳥が鳴きながら、テオの頭の上に降り立った。
「ん……?」
「おや、かわいらしい」
「またですか……」
「また? 来る時にでもあったんです?」
「ありました。まったく、人を止まり木のように……」
「テオは本当に小鳥に好かれやすいですよねぇ」
アレンジーナがくすくす笑う。
テオは複雑な気持ちになったが、それでも小鳥を驚かせないように、目だけを上へ向ける。
「そんなはずないでしょう。ただの偶然ですよ」
「いやいや、こういう小さな生き物ってのはね、嫌な奴には懐かないもんですよ。良かったですねぇ」
そう言ってアレンジーナは、少々羨ましそうに笑っていた。
◇ ◇ ◇
「……人生を変えるくらいの出会い、か」
小鳥を見つめて、テオは小さくつぶやく。
あの時、自分は「そんなものは必要ない」とアレンジーナに答えた。
しかし何故か今は頭に、元主人のベリウス星爵夫妻が浮かぶ。
「…………」
どうしてだろうか。何故、こんな気持ちになるのだろうか。
胸に広がる苦さを堪えて、テオはぐっと目を閉じる。
そんなテオを、指先に止まった小鳥が、チチ、と相変わらずかわいらしい声で鳴きながら、不思議そうに見つめていたのだった。




