第十三話 口実とか、理由とか
その後のクロック劇場は、少々騒がしかった。
連絡を受けてローランドや領騎士団が調査にやって来たからである。
その光景を見て領都の住人達も、何だ何だと集まって来たが――まぁ、ここで何か異常が起きたのは二度目である。なので「また何かあったのか~」くらいの反応だった。
ただ唯一クロック劇場の支配人だけは、
「うちの、うちの劇場の評判が……!」
なんて泣きそうな顔で頭を抱えていたが。
支配人側に落ち度はないものの、さすがにこれはかわいそうだ。アナスタシアはそう思ったが、同時に、アーデン伯爵領の『声』の件が浮かぶ。
年代に違いがあったにせよ、ただ客として来ていただけにしては人数が多い気もする。
彼が、もしくは劇場の運営スタッフが、何かしらアーデンに関わっている可能性も多少はあるのだ。
(ただ、同じ場所で二度も騒ぎを起こすというのも……)
疑いの目を向けたいのか、それとも逸らしたいのか。
まだ判断が難しいところではあるが、以前に起きたクロック劇場氷漬けの事件でも、建物内は汲まなく調査されたが、怪しい物は見つからなかった。
そういう点から考えて、二度目の今はグレーよりの白、というところだろうか。
「アナスタシアちゃん、どったの? 難しい顔しているよ」
「いやぁ、白とか黒とか判断するのって難しいなって。真実を見極める目を育てるというのは大変ですねぇ」
「あ~、ケット・シーが言ってた奴?」
「はい。怪しいと思えば全部が怪しく見えますから」
「分かる分かる。ま、俺達の場合は、疑ってかかるのが仕事だから良いんだけどねぇ。それに、ほら。トリクシーちゃんも言ってたじゃない? 信じるために疑うのも大事な事だってさ」
そう言ってシズはウィンクをした。アナスタシアは目を瞬いて「そうですねぇ」と笑顔を返す。
確かにそうだ。そうだった。
よし、とアナスタシアは気合を入れて、頭の中のノートに疑問をどんどん並べて行く。
クロック劇場、パペットトッド、ヴィットーレ、そして旧アーデン伯爵領。
(――そう言えば)
そこまで浮かべていって、そこでふと、気になる事を思いついた。
「シズさん。クロック劇場のお客さんって、どういう方が多いのですか?」
「娯楽施設だから、お金に余裕がある人が多いかな。席によって値段も違うしね」
「貴族が多いとか?」
「ステージが見やすい良い席の方は、ほとんどが裕福層か貴族だと思うよ」
「なるほど、ありがとうごうざいます」
アナスタシアはふむふむ、と考えながら顎に指をあてる。
シズと話していて、メレディスの顔が頭に浮かんだ。
――仮定として。
旧アーデン伯爵領の関係者がレイヴン伯爵領に入り込んでいるとしたら――それは恐らく貴族ではないだろうか。
かつてホロウが怒りのままに槍を振って滅ぼしたのは、アーデン伯爵家とそれに連なる者達だ。つまり貴族である。
治める者がいなくなったアーデン伯爵領は周辺の領地に吸収された。その際にアーデン伯爵領の領民達は、問題なく受け入れられたと記録されている。
それに対する不満等はあったかもしれないが、国が介入して行われたため、極端に厳しい扱いをされたという話はない。
逆に強い不満を持っているのは生き残った貴族達だ。
例えば他領に嫁いだり、引っ越したりしたアーデン伯爵領の貴族だったり。そんな彼らが行動を起こしている――と考えるのが自然かもしれない。
アーデン伯爵領が滅んでから時間も経っているので、実際に動いているのは当時子供だった者や、彼らの子供達といったところだろうか。
(アーデン伯爵領の貴族達の記録を調べた方が良さそうですね)
恐らくローランドも調査しているだろうが、後で相談してみよう。
アナスタシアがそう思っていると、
「あれ~、これ何があったんですか~?」
なんて場違いなほどに明るい声が聞こえて来た。
顔を向けると赤髪の貴族――メレディスが目を丸くして立っていた。彼は腕に、パンパンに膨らんだ紙袋を抱えている。
彼にいち早く反応したのはレザンだ。レザンは小さく息を吐くとメレディスに近づく。
「少々トラブルがあっただけだ。問題はないよ」
「ああ、それは良かった。……というか、レザン様まで一緒にいらっしゃるなんて意外ですね」
「たまたま通り――かかったら騒がしくてね」
ほんの一瞬、レザンが言葉に詰まった。
(看板をじっと見てたんですよね)
(ユイルの活躍が嬉しかったんだろうねぇ)
それを見ながらアナスタシアとシズは、フフッ、と微笑む。
するとレザンがハッとこちらへ顔を向けた。向けていた視線に気づいたのだろう、嫌そうに顔を顰めている。
まぁ、それはともかく。
ちょうどメレディス・フィンチと会ったのだ。一度、ちゃんと顔を合わせておいた方が良いかもしれない。そう思ってアナスタシアはシズの方を見上げる。
「シズさん、ちょっと行きます」
「うん、分かった」
短く伝えると、シズもすぐに意図を理解してくれたようで頷いてくれた。
アナスタシアはそのままメレディスの方へ歩く。するとあちらも近づいてくる異に気付いたようで、アナスタシアを見て目を瞬いていた。
「こんにちは、フィンチ星爵家の方ですね」
「はい、メレディス・フィンチと申します、アナスタシア様。この間はご挨拶もせずに申し訳ありません」
メレディスはそう言ってにこやかに挨拶をしてくれた。
挨拶出来るような状況ではなかったが、とりあえずこちらの事は知っているようだ。
「お買い物の帰りですか? 良い香りですね」
「でしょう? ここの近くにある、カフェの持ち帰りメニューなんですよ。色んなパンの詰め合わせです」
「おや、パンですか」
「ええ。私の義姉が食べたいと駄々をこねていましてねぇ」
困ったものですよ、とメレディスは笑う。
駄々を――というのは、それなりの年齢の姉に使う言葉ではない気もするが、声の雰囲気からは親しそうなものが感じられた。
義姉と言うなら恐らく、フィンチ星爵と前妻の子だろう。
「メレディスさんは近くにお住まいなのですか?」
「いえ、そこそこ歩きますね。なぜですか?」
「荷物が多いので馬車でいらっしゃったかと思いまして。馬にお会いしたかったなぁと」
「馬に?」
「馬に」
こくり、とアナスタシアは頷いた。まぁ本音でもある。
そんな言葉を返したら、短い間ではあったがアナスタシアがどういう人間なのか多少分かってきたらしいレザンは、シズへもの言いたげな視線を向けた。シズは神妙な顔で頷いている。
……何だかちょっと疎外感。自分もそれをやりたい。
アナスタシアが軽くショックを受けていると、メレディスは何とも言えない顔になって「そ、そっすか……」と呟いた。
(おや、言葉が少し崩れた)
あまり聞かない言葉遣いだったから、何となく耳に残った。
じっと見上げていると、メレディスは「んー……」と困ったように――多少取り繕うように――笑うと、
「実はこれ、他の家族には内緒なんですよ。義姉から『こっそり買ってきて欲しい』と頼まれまして……だから馬車が使えないんです」
「ああ……そう言えば、パンや菓子類を食べすぎて体調を崩した事があるのだったか」
思い出したようにレザンは言った。メレディスが苦笑して「そうなんですよ~。それで禁止されていて……」と頷く。
レザンも言うのだから、その辺りは一応は真実であるのだろう。
「パンを口実にって思いました?」
するとメレディスがそんな事を言い出した。
アナスタシアは軽く首を傾げる。
「口実とは?」
「ほら、ストライキを起こしている側の人間が、呑気に顔を覗かせるなんて変でしょう? 何か細工をしに来たんじゃないかって思われると思いまして……」
「…………」
メレディスの言葉に、アナスタシアとシズはもう一度レザンへ視線を向けた。彼はバツが悪そうに、サッと顔を逸らす。
同じようなやり取りをついさっきした気がする。
三人の様子を見てメレディスがぎょっとした顔になった。
「えっ、もしかして何かしちゃったんですか!?」
「人聞きの悪い事を言うんじゃないっ! 通りかかっただけだっ!」
「でも今のお二人の反応……」
「いえ、オイレ星爵は何もなさっていませんよ。少し意味が違うのでご安心を」
「意味……?」
アナスタシアがフォローをしたが、メレディスは怪訝そうな顔になった。
まぁさすがに、看板を見に来たら巻き込まれましたーーというのは言い辛いだろう。
レザンの気持ちを汲んで、多少伏せつつアナスタシアが説明すると、メレディスはとりあえず納得したようだ。
「でも、大変ですね。明日の勝負、延期した方が良いのではないですか?」
「いえいえ。とりあえず問題はなさそうなので、大丈夫ですよ」
「えっ?」
アナスタシアが答えると、メレディスは意外そうな顔になった。
「問題ない?」
「はい、何も。明日の勝負には問題なく」
ゆっくり、そしてしっかりアナスタシアが答えるとメレディスは僅かに間を空けた後「そうですか、それは良かったです」と笑う。
今の反応は少し……とアナスタシアが思っていると、
「……それでは、そろそろ私は失礼しますね。義姉が待っていますので」
と言ってメレディスはその場から離れて行った。
話を逸らしたようにも見えたなと考えながら、アナスタシアはその背を見送る。
そんな事を考えているとレザンから「アナスタシア様」と呼びかけられた。
「はい、何でしょう?」
「先ほどは、その……ありがとうございます」
「先ほどと言いますと……」
「誤魔化してくださったことです」
「いえいえ。私達も視線を向けましたので」
「で、あっても。……ありがとうございます」
そう言ってレザンからお礼を言われた。
思っていたよりも律儀な男なのかもしれない。
アナスタシアは「いえ」と軽く首を振って、それからクロック劇場を見上げた。
「明日、楽しみですね。ミステル一座の皆さんが、とても張り切ってくれています」
「特にユイルは気合の入り方が違いましたよ」
「そう、ですか。それは……ええ、楽しみです」
アナスタシアとシズがそう言えば、レザンは軽く目を見開いた後。
ほんの少し微笑んで、そう言ったのだった。




