第七話 イリュージョン・ポップ
旧ローズ邸を後にしたアナスタシアとシズは、その足でクロック劇場へと向かった。
劇の手伝いをしに来たのだ。
最初はミステル一座からは「いやいや、そういうわけには」と遠慮されていたのだが、今回の勝負はアナスタシア達にも関わりが深い。
今回の結果次第で領都の仕事の進み具合が変わって来るのだ。
となれば協力するのは必然である――という話を力説し、アナスタシアは手伝いをする権利を勝ち取ったのである。
ちなみに手伝っているのはアナスタシアやシズだけではない。
フランツやアレンジーナ、仕事の合間を見てライヤーも手伝ってくれていた。まぁライヤーの場合はローランドから進捗具合の確認を頼まれているのも理由の一つだが。
さて、そんな中、アナスタシアは何を手伝っているかと言うと、そこはお得意の魔法道具である。
今回の劇に合わせて、舞台映えしそうな魔法道具を作っているのだ。
こういう、誰かの役に立てる魔法道具を作るのは楽しい。思わず歌でも口ずさみそうになった時、別の人物のそれが耳に届いた。
ごくごく小さな歌声だが、近くにいたから聞こえたようだ。
声の方へ顔を向けると、楽しそうに作業をしているフランツがいた。
彼が今やっているのは舞台用の背景作りだ。大きな板に、刷毛を使って海都の街並みを描いている。
フランツの描く絵からは温かくて、優しいイメージが伝わって来る。そしてまるでそこから人の声が聞こえてくるような、そんな絵だった。
「兄様、素敵な絵ですね。私、好きです」
「そ、そうか?」
「はい! 私も負けていられませんねぇ」
アナスタシアが褒めると、フランツは嬉しそうに笑った。
「アナスタシアは何を作っているんだ?」
「これは花火みたいに光の花が出る幻花火です」
そう言ってアナスタシアは手に持っていたガラス玉を持ち上げた。
これは海都で見せて貰った水花火を参考にして作ったものだ。
水花火とは、これと同じ丸いガラス玉のような形で、水の中に放り込むと弾けるタイプの花火である。
それの地上バージョンが幻花火だ。一定の衝撃を与えると、弾けるように作ってある。
「どんな風になるのか、後で見せますね」
「ああっ!」
アナスタシアがそう言えば、フランツはウキウキと頷いた。
「お~お前さんら、すげぇ働くなぁ」
「うふふ、負けられないわね、ウィル!」
そんな話をしていると、機材を運んでいたウィリアムとトリクシーに褒められてしまった。
えへへ、と二人揃って笑って返す。
しかし働くと言うならばウィリアムとトリクシーもそうだ。体格の良いウィリアムは見た目通り体力がありそうだが、トリクシーも意外とそうだった。
加えて言うと息もピッタリである。お互いの考えている事が分かるのか、片方の何かが足りなくなると、もう片方がスッと用意していた。
「お二人みたいなのを何て言うんでしたっけ……」
「騎士馬の呼吸だよ」
ウィリアムとトリクシーを見ながらそう呟いたら、いつの間にかやって来ていたライヤーがそう教えてくれた。
彼は「よっ」と爽やかに笑うと、持っていたものをアナスタシアに差し出す。
魔法列車の試作品だ。
「アナスタシアお嬢さん、頼まれたものだけど、これで良いかい?」
「ありがとうございます、ライヤーさん!」
アナスタシアは立ち上がりお礼を言う。それを見てフランツが「え?」と首を傾げた。
「魔法列車の試作品? これをどうするのだ?」
「それはですね……」
フランツの疑問に、アナスタシアは少し企むようにフフフと笑う。
それからぐるりと舞台を見回して、
「劇場の観客席の端にレールを敷いて動かしてみようと思いまして」
「レール? ここで動かすのか?」
不思議そうなフランツに、アナスタシアは「そうです!」と頷く。
「はい。幻花火を等間隔に配置して、魔法列車で衝撃を与えながら、祝祭の火のシーンで上げたら綺麗かなと思いまして。あ、ヒンメル座長とも相談済みです」
そう言った後、アナスタシアは手に持っていた幻花火を少し強めに叩く。
するとガラス玉の中がキラリと煌めき、そこから光がポンッと弾けた。
光はちょうど、シズが両手を広げたくらいの大きさで、キラキラと輝く。
その光に気付いて、周囲で作業をしていた者達の視線がこちらに向けられ「わあ!」と歓声が上がる。
「……すごいな。当たっても、熱さや衝撃を感じないな。本当に光だけだ」
手のひらを上に向けライヤーは呟く。
そこにふわりと光の粒が下りて消えた。
「いやぁ、お嬢さんは本当に面白い事を思いつくなぁ」
「やったー褒められました!」
アナスタシアは両手を挙げて喜ぶ。
そしてほんの少しだけ間をあけて、
「……でもね、ライヤーさん。たぶん、一人ならこれは出来なかったと思います」
と、手に抱えた幻花火を見ながら続けた。
ライヤーは軽く首を傾げる。
「馬小屋は私のフィールドです。あそこなら負け知らずです。でも、外に出たら、知らない事ばかりでした」
「…………」
「知らないに触れて、知ろうと思えたから、色んな事が浮かぶようになったんです。人と関わるようになって、私はそれを知りました」
以前のアナスタシアだったら。
馬小屋で、馬とだけ関わって暮らしていたアナスタシアだったら、きっとこれは出来なかった。
魔法列車だってそうだ。考えもしなかっただろう。
アナスタシアにとって、馬が一番信頼できる相手なのは今も変わらない。
けれども、馬と同じくらい信頼できる相手が出来た。
それも全部、馬小屋の外から「おいで」と手を差し出してくれる人たちがいたからだ。
アナスタシアがそう話せば、ライヤーは目を丸くした後で笑って、
「……そっか」
と、慈しむような、そして嬉しそうな声でそう言ったのだった。
◇ ◇ ◇
それから少し後の事。
クロック劇場の外では赤髪の青年が、楽しそうな顔で歌を口ずさんでいた。
服装は平民が着るようなそれ。しかし中身は貴族のメレディス・フィンチだった。
「トッド、トッド、パペット・トッド~っと」
彼は機嫌良く歌いながら、クロック劇場を見上げている。
「なかなかうま~く溶け込んでるっすねぇ。ひとまずまだバレてはいなさそう、さっすが俺! ……っていうか本当に存在感ないけど、マジでちゃんといる? 大丈夫?」
自画自賛していたものの、だんだんと心配になってきたのか、メレディスの声に不安が混ざる。
あれはちゃんと場所を指定したし、外に出ないように厳重に縛った――はずだ。
「この間のあいつみたいに、全部を巻き添えにしちまえば楽なんすけどねぇ……さすがにあんな事したら、命がいくつあっても足りねぇけど」
ぶつぶつと呟きながら、メレディスはその場から離れようと踵を返す。
その瞬間、誰かとぶつかった。
「わあっ!」
「うわっ?」
小さな声が聞こえた。
何にぶつかったのかと相手を探すと、そこには短い黒髪の少女がいた。歳は十歳くらいだろうか。手にバスケットを抱えている。
少女はどこか良いところの家で働いているようで、質の良い使用人服を着ていた。
「あっごめんごめん。、怪我してないっすか?」
「大丈夫。うちこそごめん、ちゃんと見ていなくて」
メレディスがしゃがんで声を掛けると、少女はそう答えた。
ぶつかったが、お互いにそんなに勢いがなかったため、転ばせたりはしなかったようだ。
さすがに子供に怪我をさせるのは気分が良くない。
メレディスはそう思ってホッとしたものの、
(――いや、でも、そうなる可能性もあるか)
これから起こるであろう事態を思い出して、メレディスは少し自分が嫌になった。
我ながら矛盾している。
そう思いながら、メレディスは服のポケットから飴を一つ取り出して、少女に差し出した。
「ぶつかったお詫び。レモン味。好き?」
「好きだけど、いいの?」
「うん、いいよいいよ」
「ありがと、兄ちゃん! じゃあ、うちからも!」
少女は笑顔で飴を受け取ると、バスケットの中からマフィンを取り出して渡してくれた。
そしてニコッと笑って「じゃあね!」と言って、クロック劇場の中へ入って行く。
少しして「ナーシャお嬢さん、差し入れだよー!」と聞こえて来たので、なるほど、とメレディスは思った。
「あそこの関係者かぁ……それなら関わらない方が良かったっすかねぇ」
同時に、そんな風には思ったものの。
貰ったマフィンを見て、フッと穏やかに微笑んで、メレディスは「ま、いっか~」とその場を後にした。




