第二十話 原価なら何となく分かりますが
「ひとまず先に夢魔の霧の対処をしてしまおうか。あのまま放っておくと身体にも染み込んで、魔性を引き寄せる体質になりかねない。ローランド君、今から書き出すものを用意してほしいのだが、良いかね?」
「分かった。他に手伝う事はあるか?」
「出来れば血縁者を連れて来て貰えるとありがたいね。結局は魂が消耗し過ぎているから、何とか元の形に戻そうとしてああなっているんだ。近い魔力で補えば、似たような事はならないと思うよ」
領騎士団の詰所を出て、真っ直ぐにレイヴン伯爵邸に戻って来ると、ガブリエラはそう言った。
領都のあちこちで発生している『靄』の対処を最優先にすべきだと考えてくれたようだ。
懐からペンと手帳を取り出してサラサラと何かを書いている。
しかし、血縁者となると。
(ワーズワース侯爵家の方ですよねぇ)
あちらにはローランドがテレンスの事で問い合わせを送っていると聞いたが、果たして本人は来てくれるのだろうか。来てくれても協力してくれるかどうかは別の話になるが。
そう考えながらナスタシアがローランドを見上げると、
「血縁者か……ちょうど良いか」
と言った。
「ローランドさん、もしかして」
「ああ。ワーズワース公爵から返事が来た。謝罪と、直ぐにこちらへ来たい、という話だ。その事も含めてもう一度手紙を出しておく」
「そうか、ちょうど良いタイミングだね」
「しかし魔力に関しては断られる可能性はあるので、そこは理解してくれ」
「ああ。まぁ、無理でも他にやりようはあるけれど……」
「と言いますと?」
おや、と思ってアナスタシアが聞き返せば、彼女はニッと笑う。
そして人差し指を立てると、
「テレンス君の魔力とこちらの魔力を無理矢理混ぜて代用する。直接魔力をぶつけるか、身体に取り入れて変換するかの二種類があるね! 後者の方がしんどいけどわりとスムーズだ」
なんて言い出した。そんな事が出来るのかとアナスタシアが感心していると、ローランドがぎょっと目を剥く。
「待てガブリエラ、どちらにせよ力技過ぎる。血縁関係がなければ魔力同士の反発が強いし、例え出来たとしてもまともに利用できる量は少ないぞ」
「フフ、なに、魔力がたくさんあれば平気さ! 期待しているぞ、ローランド君!」
「君はそういう……」
豪快に言いながら背中を叩くガブリエラにローランドがため息を吐いた。
それならばと自分も協力できそうだとアナスタシアも手を挙げる。
「私も! 私もお手伝いします!」
「君は魔力の扱いの勉強から……いや、扱いは出来ていたか」
「はい!」
力強く頷くと、ローランドは何とも言えない表情を浮かべ、
「……もしもの時は頼む」
と言ったのだった。
◇ ◇ ◇
テレンスの魂に混ざった夢魔の霧に対処するために、ローランド達が諸々の準備に取り掛かった後。
アナスタシアは一人とぼとぼと屋敷の廊下を歩いていた。
先ほどまでの元気はどこへ行ったのか、その表情は黄昏ている。
何でまたこんな様子なのかと言うと、実はつい先ほど戦力外通告――のようなもの――を受けたばかりなのである。
皆が忙しそうに動き始めたのを見たアナスタシアは、これは自分もお仕事を貰えるチャンスだと思った。
しかし。
「君はひとまず自由にしていてくれ」
とローランドから言われてしまった。
期待でワクワクしていた気持ちから一転、
ガーン、
と軽くショックを受けてしまった、というわけである。
たぶんローランドも他意はないんだろうなというのはアナスタシアも分かる。
単純に今やる事がないので自由にしていてくれて構わない、みたいなニュアンスだったのだと思う。
しかし。
「春の優しい日差しが目に沁みる……」
アナスタシアはぽつりとそう呟いた。そう言えば何か前にもこういう事があったな……なんて、海都の事を思い出す。
所変わっても人生とは世知辛いものである。
さて、そんな調子でとりあえず自由にと言われたアナスタシア。
どうしようかなと考えて、やっぱり魔法道具かなと決めたところだ。
先ほどのガブリエラの話を聞いていて、一つ思いついたものがあるのだ。それを形にしてみよう、と思いながら歩いていると、
「やっぱりこれ、ダニエラ・ダクマーの花瓶……ッ! 何で普通に花が活けられているんだ!?」
近くの部屋からガースの声が聞こえてきた。
きょろきょろと声のした方を探せば、書庫の扉が少し開いていた。
おや、と思いながら近づいて覗いてみれば、彼は白い釣鐘型の花が活けられた花瓶の前に立っている。
何やら慄いている様子だが、花瓶に何で花が活けられているのかとはこれいかに。
花を活けるから花瓶なのではと首を傾げながら、アナスタシアはガースに声をかけた。
「ガースさん、どうしたんですか?」
「あっお嬢様! 見てくださいよ、これ! この花瓶を!」
するとガースはバッと振り返り、真剣な顔で花瓶を指さした。
「花瓶ですね」
「クッソ普通の反応が返って来た……」
見たままにアナスタシアが答えると、ガースに殊更残念なものを見るような眼差しを向けられた。
解せぬ、と思いながらもアナスタシアは聞き返す。
「その花瓶がどうしたんですか?」
「これめちゃくちゃ高い奴なんですよ」
「はあ。原価は何となく想像出来ますが、販売価格についてはちょっと」
「クッソ普通にあり得ない反応が返って来た……」
アナスタシアが手を横に振って「分からない」と言うと、ガースは半眼になった。
この商人、口の悪さは元からだが、どんどん猫を被らなくなって来ている気がする。もっともアナスタシアからするとそちらの方が嬉しいのだけれど。
そんな事を思っていると、ガースはハァ、とため息を吐いた。
「めちゃくちゃ高い花瓶に花を普通に活けられる、その度胸が私は信じられないんですよ」
「あー、なるほど。そちらでしたか」
ようやくガースが言っていた言葉に合点がいって、アナスタシアは頷いた。
どうやら花瓶の価値でガースは騒いでいたらしい。割と大胆な発言をするわりに、こういう所で気が小さい男である。
しかしまぁ、それはともかくとして。アナスタシアは再び花瓶に目を向けた。
天馬と女性の絵が宝石を並べて作られた美しいデザインの花瓶である。
この花瓶が誰の作品であるかはアナスタシアは知らないが、昔から応接間に飾られているものだ。
(私もそんなに何度も見たことはないのだけど)
綺麗だな、好きだなと思ってはいたが、馬小屋で暮らしていたために、目にする機会は少なかった。
確かこの花瓶は、祖父であるベネディクトが気に入って購入したものらしい、というのをアナスタシアは父から聞いたことがあった。
(でもフランツ兄様のお話では、芸術はあまりお好きではないような)
絵を描くのはあまり褒められた事ではないだとか。
領主一族として、そんなものは必要がない、上達した所で意味がないだとか。
そういう事を言われたとフランツから聞いた。
で、あれば、気にいって購入したとは奇妙な話である。図書館の天井彫刻といい、ベネディクトの本心が謎だ。
奇妙と言えば花瓶もそうだ。この美しい花瓶も一点だけ奇妙な点があった。
装飾に使われている宝石だ。花瓶に使われている宝石の品質がバラバラなのだ。
とても良い品質の物からほどほどの物まで、使われている品質に統一感がない。見る人が見ればひと目で違いが分かる。
けれどそれらを上手く配置しているため、一つの作品としてのバランスは見事に保たれている。
たぶん意図的に行われているものなのだろうなとアナスタシアは思った。
「おや、二人共。どうしたんだい、賑やかでいいねぇ」
しげしげと花瓶を見ながらそんな事を考えていると、開いたドアから誰かが顔を覗かせた。
伯父のオーギュストだ。
「あ、オーギュスト伯父様」
「オーギュスト様、いい所に! 聞いて下さいよ! この花瓶に花が!」
「うん、美しい花瓶に美しい花が活けられているねぇ」
「またクッソ普通の返答が返って来た……血筋か……」
「血筋と言うか、今のはガースさんの言葉が足りないからでは?」
確かに血筋という可能性も否めないが。
それはともかく、アナスタシアも花瓶については気になったので、オーギュストに聞いてみる事にした。
「オーギュスト伯父様、この花瓶の事をご存じですか?」
「ああ、これはダニエラ・ダクマーの花瓶だね。ワーズワース侯爵領出身の、有名な陶芸家の作品だよ」
おや、とアナスタシアは目を瞬いた。
タイミングが良いというか。こんなに早く、そして近くでその名前を聞くとは思わなかった。
「あそこは芸術家の支援に力を入れている領地でね。領地の内外問わず、様々な芸術家が集まっているんだよ」
オーギュストはそうも教えてくれた。
なるほど、とアナスタシアは頷く。物作りが好きなアナスタシアにとって、興味のある話だ。機会があれば一度行ってみたいなぁなんて思いながら、
「なるほど……。ちなみになんですが、こちらの花瓶のお値段ってどのくらいなんでしょう?」
と聞いた。純粋な興味だ。先ほどからガースが高い高いと言っているので気になったのである。
オーギュストは顎に手をあて、しげしげと花瓶を見てから、
「うーん、僕の見立てだと……下手すると王都で一番高い宿に半年泊まれるかなぁ」
と言った。それは大変お高いものだと思わず目を見開く。そして同時に、ピーン、と頭の中に名案が浮かんだ。
貴族という色眼鏡のせいで往々にして忘れられがちだが、レイヴン伯爵家はまだまだ金欠である。
ローランドのおかげで持ち直しているが、それでも胸を張って余裕がある、とは言い辛い状況だった。
なので。
「諸々の資金……」
「これを売るなんてとんでもないですよ!?」
そして食い気味にガースにツッコミを入れられた。
「冗談です」
「本気の顔をしていたでしょうが」
ガースにジト目でにらまれて、アナスタシアは「オホホ」と形だけ上品に笑って誤魔化した。
そんな二人のやり取りを聞いていたオーギュストは、思わずと言った様子で噴き出す。
「ハハハ。いやー、君達は会話に遠慮がないねぇ。この花瓶のテーマみたいだよ」
「遠慮会釈です?」
「アナスタシアはそんな言葉をどこで覚えてくるんだい」
「馬の皆に聞きました!」
「馬が博識すぎる……」
アナスタシアが、えへん、と胸を張ると、ガースがぎょっと目を剥き、オーギュストが苦笑する。
「まぁ遠慮会釈とは少し違うけれど。身分や立場に関係なく、ちゃんと話ができるって辺りだね」
それからオーギュストは件の花瓶に目を向けた。
「ダニエラ・ダクマーの作品は、人と人との関りをテーマにしたものが多い。確かこれは『寄り添い』だったかな。貴族と平民をモチーフにしているらしいよ」
「貴族と平民……。あ、もしかして宝石の品質を変えているのは、そこが理由だったりしますか?」
「お、さすが。良い目をしているね。うん、そうだよ。見た目でそれを表現すると貴族から難癖をつけられるから、あえて宝石で示したそうだよ。……ま、どちらがどちらを示しているのかは、作り手に聞いてみないと分からないけどねぇ」
そう言ってオーギュストは軽く手を開く。
するとガースが怪訝そうな顔になった。
「いや、どちらかって、質が良い方が貴族でしょう?」
「いやいや。質が悪い貴族だって、そこそこいるからさ」
「あー……そういう」
オーギュストの言葉に、ガースが納得顔で数回小さく頷いた。
それは確かにとアナスタシアも思う。
身分や立場のある人間でも、中身がどういうものであるかは、フタを開けてみないと分からない。
性根の良し悪し――つまりは人の質に、それらは関係がないのだ。
あの宝石にはきっと、そういう意味も込められているのだろう。
芸術とは深いものだ。
「寄り添いかぁ」
レイヴン伯爵家の家族の形がもしそうだったら、どうなっていただろう。
そんな事を考えながら、アナスタシアはぽつりと呟いた。




