第十二話 正反対
アナスタシア達が屋敷を発ったのは、十五時を過ぎた頃だった。
空までも夢魔の霧に覆われた領都には、明かりの一筋すら届かない。
ただ、はらはらと、雪が舞っているくらいだ。
静かだとアナスタシアは思った。領都の皆も眠ってしまっているからだろう。
酷く、静かだった。耳が痛いほどに。
自分達の足音だけが響く街中を、警戒しながら進んでいくと、思ったよりもあっさりと件の目的地に到着した。
薔薇屋敷、と呼ばれる無人の屋敷。一年中薔薇の花が咲いているため、その名で呼ばれるようになったらしい。今は白い薔薇が咲いていた。
出かける前に聞いた所、元はプリメラの家だったのだそうだ。
オーギュストがプリメラと共に駆け落ちする形でレイヴン伯爵家を出たため、彼女の実家であるローズ商会も領都で商売を続ける事が難しくなったらしい。
全員が屋敷を出て、領都を離れた結果、こうなったのだそう。
ただ権利自体はまだローズ商会が持っているため、残っているのだそうだ。
売却しなかったのか、それとも、『いつか』を願っていたのか。そこはアナスタシアには分からない。
けれどオーギュストがずっと薔薇の手入れをしていたと聞く限り、大事な場所である事は理解できた。
そんな薔薇屋敷は、暗い領都の中にあって、薄っすらと光を放っていた。
魔法陣の光によるものだろう。あの具合を見る限り、そこそこ大きめの魔法陣なのだろうとローランドは言っていた。
テレンスに気づかれないよう、離れた位置で様子を伺っていると、偵察に行っていたシズが戻って来た。
「テレンスがいました。玄関前です。魔法陣は、屋敷の前の庭に設置されています」
「待ち構えている、と考えて良いか。魔力を遮断した事は気づいているだろうからな」
ふむ、とローランドが顎に手を当てた。頭の中でシズの情報を元に作戦を組み立てているようだ。
「……引き付けて、魔法陣から離すか」
「その隙に魔法陣を消す、ですね」
アナスタシアの言葉に、ローランドは「そうだ」と頷く。
そしてローランドは続けて「魔法陣に関しては私が担当しよう」と言った。
今のメンバーの中で、一番魔法に詳しいのはローランドだ。彼曰く、死霊術を使うとなると難しいが、魔法陣を消すだけならば、大体の方法は一緒になるらしい。
なるほど、とアナスタシアが思っていると、
「それならばローランド殿、コシュタ・バワーの背にどうぞ。姿を消せます」
とホロウが言った。
「あ、ホロウさんとコシュタ・バワーさんがいつも使っているものですね!」
「そうですとも!」
フフ、とホロウが笑う。
ホロウ曰く、コシュタ・バワーの背に乗っていれば、一緒に透明になれるらしい。
単体では出来ないとの事だが、それは便利そうだなとアナスタシアが思っていると、ライヤーが「それでは」と話を続けた。
「監査官が魔法陣を消している間、俺とシズでテレンスを引き付けます」
「ああ、頼む。ホロウは姿を消して、アナスタシアの護衛についていてくれ。場合によっては奇襲を頼む事になるかもしれない」
「承知しました」
「それとオーギュストは……」
「アナスタシアが一人ぽつんとしていると怪しまれるだろう。僕も護衛役になるよ。それに、プリメラが暴れないようにも注意しておく」
オーギュストはにこりと笑ってそう言って、ローランドも頷く。
着々と、それぞれの役割が決まって行く。残ったのはアナスタシアだけだ。
とは言え、前に出て戦ったり、ローランドのように魔法陣を消したりなんて芸当は、アナスタシアには出来ない。
戦いの邪魔にならない範囲で、足を引っ張らず役に立てそうな事。
そう考えると、やはりこれだろうとアナスタシアは肩から下げた鞄を叩いた。
「では私は後ろからフォローしますね。お任せください、色々持ってきましたから!」
鞄の中には風の扇や、トリモチ。その他にも色々と使えるのでは、とアナスタシアが思ったものが入っている。
カシャン、と小さく音を立てた鞄を見て、ホロウは「アナスタシア殿は、歩く魔法道具屋のようですなぁ」と言った。
それは面白そうな話だ。事態が落ち着いたらぜひやってみたいものである。
――――なんて言ったら、ローランドまで「む、それは私も興味があるな」と言い出して、ライヤーが額に手を当てていた。
さて、そんなやり取りを終え、役割が決まったら、作戦開始である。
ローランドがコシュタ・バワーの背に乗り、ホロウと共に姿を消したのを確認して、アナスタシア達は薔薇屋敷へ向かい、門をくぐった。
先頭をシズとライヤー、少し離れてアナスタシアとオーギュスト、ナイトメアだ。
カツ、と足音が響く。すると玄関先に座っていたテレンスが顔を上げた。
「……あん? ああ、意外と早かったなぁ。いやはや、オーギュスト様まで来ましたか」
彼はアナスタシア達の姿を確認すると、へらりと笑い、立ち上がる。
魔法陣は彼の前に広がっている。それ自体が熱を発しているのか、魔法陣の上にだけは、雪が積もっていなかった。
シズと共に剣を抜いたライヤーが「今度は本物のテレンスか?」と問いかけると、
「さて、どうかねぇ? ああ、斬ってみたら分かるから、チャレンジしてみたら?」
と、テレンスはおどけたように軽く手を開いた。
「つーか、こんなに起きてたのかよ。あーあ。もうちょっと時間稼げると思ったのになぁ。やっぱ数こなさないと、学んだばかりの魔法ってのは難しいわ」
「せっかく学んだのを、こんな事に使うなよ」
「ハ、こんな事も何も、ちゃあんとお仕事してんのよ、俺はさ」
挑発するように軽薄な口調で言うテレンスだが、目だけは笑っておらず、ギラギラと光っている。
「――――理由が、聞きてぇかい?」
「いいや」
シズは首を横に振る。
一度目を閉じ、すうと深く息を吸う。
そして。
「後で聞く」
目を開いた次の瞬間、シズは地を蹴りテレンスの目の前まで飛ぶと、剣で薙ぐ。
「――――くっそッ!」
テレンスが顔色を変え、剣を抜いて、ギリギリのところでそれを防ぐ。
「ハハ! おいおい、トモダチ相手にそこまで殺気立つなって!」
「俺の友達だった男は、ここまで馬鹿じゃなかったよ」
静かにそう言うと、シズは間髪入れずに次の一撃を叩き込む。
その剣には一切の迷いはない。
腕の一本、足の一本。潰してでも止めようとするように。
それくらいの勢いで、剣幕で、シズは攻撃の手を緩めない。
シズが怒っている。アナスタシアにもそれが分かった。
穏やかで、明るくて、優しいシズが、ここまで怒りを露にする姿を、アナスタシアは初めて見た。
ガァン、
と剣同士が激しくぶつかる音を立てて、シズは力任せにテレンスを、屋敷の左――――庭の方へと弾き飛ばす。
「シズ、冷静に」
そんな彼に並んで、視線はテレンスへ向けたまま、ライヤーが声をかける。
静かだが鋭い一言だ。シズは「すみません」と小さく謝った。
「あー、おっも。あの頃と比べて、一撃がだいぶ重くなったじゃねぇか」
「騎士学校を卒業して何年経っていると思っているんだ」
「さてね。それこそ忘れちまったよ、何年も経ってるからな」
言いながら、テレンスはくるくると剣を回転させ、地面に突き刺す。
そしてもう片方の手を、横へ真っ直ぐ伸ばした。
「いいよな、シズ。お前は、誰からも必要とされてさ」
「何を……」
「――――俺とは正反対だよ」
自嘲するようにテレンスは言うと、表情から笑顔が消えた。
そしてそのまま、カッと目を見開く。
すると伸ばした腕が、黒く変色し始めたのではないか!
しかもそれだけではなく、腕から黒いどろりとした液体のようなものが垂れ、ぽたぽたと地面に滴り落ち、水たまりを作る。
見覚えがある。先ほどテレンスが見せた囮魔法の反応と似ている。
まさか、と思ったとたん。
地面に出来た黒色の水たまりから、一体、また一体と。
テレンスの姿をした囮魔法が出現し始めた。




