序説
こんにちは、この世界のフレンドたち。
ご存知ですか?
君らは今も、異世界から観察されているんですよ?
こんな感じのレポートを書くためにね。
我々が空想としていたフィクション、現実ではないものとしていたものだが、これが曖昧になって久しい。何故なら、それが現実にないことが証明しづらくなったからだ。
古典SF以前から、仮定の選択を前提とした仮想の歴史はあった。広く取れば、空想の物語自体がそれだろう。狭くば、白人の大航海時代が興らず、アメリカもオーストラリアも開拓され植民地にならなければどうだったか、等である。事によるとその世界では、数代前のご先祖が口説けずに生涯未婚であったために、以後の血筋が途絶え自分がいない世界かもしれない。或いは、先祖の誰かが打った刀で、その孫が斬られて家系が途絶えたかもしれない。
逆に、研究開発を断念しなかったからこそ発明された物が、その後大いに文化を社会を変えることになるかもしれない。羅針盤とか火薬電気電灯がそうだろう。計算機やインターネットも、その有無が大きな分岐点になる。
その分岐点で、異なった選択をして続いている世界は、その後どうなっただろうか?
分岐点で誤った選択をしていたとしたら、そうだとわかってしまったのなら、今からでも取り戻せないだろうか?
異なった選択をした世界の実在を認識し、その観察手段を確立した世界で、異なる世界を比較することで、相違点について好ましいなら今からでも取り込み、そうでないならこのまま回避し続けるべく、評価し精査するのが比較異世界学なる学問として成立している。
より学術的な内容を咀嚼し、誤解を恐れずエンターテイメント寄りに柔らかめに鹹味を加えたのが本作である。
プライバシーとかの極私的なことには触れませんし、個人など特定できる様にはレポートしませんが、気になればご連絡下さい。