茄子と幼子と兄
その報せは茗将軍が城に帰還するなり、皇帝である生に齎された。
――曰く
第四皇女は名が茄海が奇術を使い、茗将軍の目の前から姿を掻き消したと言う。
「で?そのまま帰ってきたとは言うまいな?将軍」
玉座の肘掛に肘をつき、頬を手で支えるようにして見下ろす眼差しは、とても20過ぎの若い皇帝とは思えぬほどの威厳と圧力があり、第四皇女の追放に関わった官は震えあがり、皇女擁護派の官らは、悲壮感を深めた。
第四皇女は皇帝の異父妹であり、皇太后の不貞の証であり、幼き頃より奇病を患い、遂には皇太后を毒殺した気狂いの皇女であると言うのが、今現在の皇国での公式見解である。
って、そんなヤバい立場なの?
私というか、私が憑依しているこのお姫様。
そろり、そろりと多分皇帝であり、兄❓でもある人が座る玉座の裏で目を覚ました私は、愛しの茄子を片手に困惑している。
自分は確か、お昼ごはんを作ろうと冷蔵庫を開けて挽肉と茄子を手に取ったはずだ。そして炒め合わせるだけの某メーカーの中華の素を探していたはずである。
だのになぜ、こんな怖い所にいるのか。
四つん這いになり、とりあえずこの不穏な空気に満ちている空間から逃れようと、こそこそと移動を開始する。
勿論、大切な食料である茄子はなんとも防備力が頼りない上着の合わせ目に突っ込んでおくことは忘れない。
幸いなことに皇帝さんの玉座は紗みたいなものと、教科書で見た平安時代の寝殿造りの御簾みたいなもので遮られていたようで、他の人に見咎められることなく逃げ出すことが出来た。
さすがは普段は目立たないと言われているだけあるわ、私!!!
そんな私の存在に気付かない、多分きっと偉いんだろうと思われる人たちは、未だにお葬式みたいな雰囲気を垂れ流したり、血気盛んに叫んで唾を飛ばしてたり(やだー、汚い)、むっつりと黙ってたり、ってあれ?あの髭モジャだけは、なんか視たことある様な?と、立ち上がり、膝の部分を叩き払っていた私は、とある人物と視線がバッチリと合った。
「おねえさん、だぁれ?」
みずらみたいな髪型に、小さい花の飾りを付けた、桃色の上衣に黄色の下裙姿の多分女の子。
瞳は綺麗な蒼色。両手には毬みたいなものを抱えるように持っていて、首を傾げ、私をじぃーっと見ている。
圧倒的にかわいい。
可愛過ぎて攫ってしまいたいけど、その前に腹ごしらえしたい。
欲望に忠実な私は、かわいい幼子の手を無言で握り、くんかくんか、と鼻を動かし、匂いをもとにとてつもなく大きな厨房に辿り着いた。
そこでは大勢の人達が忙しそうに立ち働き、声を掛け合って多くの食事を作っていたのだが、私の気分は茄子の挽肉炒めだった。
ズカズカと勝手に厨房に入り、山となっている野菜を見ても何処にもあの魅力的な紫色が見当たらない。
艶々でピカピカなあのお姿が見当たらない。
私は仕方ないと、溜息を吐き、懐からソレを取り出し、空いている空間で包丁を持ち、タタタッと刻み、勝手に山盛りの野菜の中からくすねた生姜を刻み、肉を細切れにしたのち、鍋で炒め、これまた勝手に拝借した調味料で味を付け、白い陶器の皿に盛り付け、白湯仕立ての粥を貰い、厨房の片隅でハフハフと息をしながらお腹を満たしていると。
「おねえさん、それおいしいの?」
とことこと厨房に入ってきた幼子が私の前にしゃがみ、食べている魅惑の茄子炒めを見てきょとりとしている。
かわいそう。
こんなに美味しいのに味を知らないなんて、かわいそう。
でも、どうやって説明すれば...と悩んだのもすぐに止め。
説明するのも面倒だな。ヨシ、食べさせよう。
箸で茄子と細裂いた肉を挟み、子供の口の前まで持って行き。
「はい、あーん」
どうせ、誰も止めないだろうと少し大胆な思考に陥りかけていた時。
「姫様!!!」
真っ青な顔色でこちらに駆けてくる綺麗な女の人を見たなと能天気に認識した時、パクリと目の前で子供が私が持ち上げていた炒め物を口にした瞬間、私は白い光に包まれ。
「なこちゃん?こんなところでお昼寝?最近頑張ってたもんね。今日はママが作ってあげるわ」
底抜けに明るい母の声で目覚め、体を起こした拍子に落したのか、レポートが床に散乱していた。
スマホで時間を確認してみれば午後の一時を少し過ぎた所で。
「お腹すいた…」
夢の中でとてもおいしいモノを食べた気がすると、呟いた私に、夫婦で近況を知らせに来ていた異母兄が。
「それはそうだろう。涎を垂らして笑ってたからな。寝ていたのに器用なことだ」
「うーん、何を食べてたんだろ、から揚げかな」
「お前のことだ。どうせ茄子かなんかだろうよ」
義姉の剥いたリンゴをしゃくしゃくと咀嚼しながらツッコミを入れてくる兄に意識を奪われ、私は薄れゆく夢を記憶に留めることなく、記憶の彼方へ放り投げてしまった。
まさか、私が目の前で消えたことにより、小さな女の子に混乱を植え付けていたなどとも知らずに。
そして、毒と思われていたものを食べさせられたと思われる子が、その毒を食べても何事もないことに、深い謎を与えてしまったとも知らずに。