03.ただいま、おはようが言えません
ピチチ...
鳥の鳴き声で目が覚めるなんていつぶりだろう。いつもはそんなことに気を回している余裕なんてないからすごく晴れやかな気分だ。
ふあーっと大きな欠伸とともにごしごしと目元を擦る。なんだかすごく変な夢を見てしまったが、終わってしまえばなんてことないものだ。
そうだよね、子供の頭に獣耳が生えたり、ダチョウ級の鶏もどきが突進してきたり、あの銀色の狼に食べられそうになったのも夢だったんだよね。あーあーどうせ夢をみるならもっと楽しい夢にしてほしかったなー。
ごろりと寝返りを打ちながらそんなことを思った海月だったが、突然の身体の痛みに息をのむ。身に覚えのない痛みにギュッと目を瞑ったが、頭をよぎった考えに顔をひきつらせた。そういえば、坂道をゴロゴロ転げまわったんじゃなかったか......岩にぶつかって、いやいやあれは夢のはずではと痛む身体を見ようと目線を下に下げる。着ていた寝間着は身に覚えのない服に代わっており、肌の出る部分には包帯が巻かれていた。
現実逃避するには無理のある状況に海月は目を見張る。夢でけがをしたと思ったが、まさかあれは夢ではなかったのだろうか。もし夢でなかったのであればあの子供たちは?私は狼に食べられたのではなかったのか??
答えの出ない問に不安を覚え痛む身体を無理やり起こしたところでガチャリと扉の開く音がした。そこで初めて海月は自分のいる部屋に視線を向ける。
白を基調とした部屋に海月のいるベッドと小さなテーブルとイス。薄緑色のカーテンのようなもので区切られている反対側には窓がある。窓というよりもベランダと言ってもいいぐらいの大きな窓はきっと海月が立ち上がっても頭をぶつけないくらいには高い。
風通しのためか開けたままになっているのを見つけて海月は急いで窓に手をかけた。
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珍しい患者のもとへ通うようになってもう三日になる。狼人族をはじめ、どの一族も丈夫であまり医者は必要としないのだが、それでもこの職が少しでも役に立つときがあるのだからまだまだ現役を退くわけにはいかないと自負している。
まあ普段はふざけてとんでもないものを食べて腹を壊した狐人族とか、バカ騒ぎして角が取れた鹿人族とかそういう馬鹿な患者ばかり相手にしてるから今回は少し特別だ。打撲からくる熱もそうだが、擦り傷と打撲だらけの身体は普通の獣人よりもはるかに治りが遅い。いや人間より弱いかもしれない。
そんな中、後ろから若い男に呼び止められた。よく知ったその人物は自分の甥であり、そしてここ数日自分と同じように患者のもとへ通っているものでもあった。
「叔父上、手伝いましょう。今日も凄い荷物ですね」
「ん?ああ、ヴァン。ありがとう、助かるよ」
自分からヒョイと軽々荷物を受け取った甥はここ最近で背がグンと伸びた。自分もかなり長身な方だがもしかしたらそれを越すかもしれないと甥の成長に目を細める。兄の子とは思えないほど冷静であまり表情が表に出ない子ではあったが、それを差し引いても身体能力と頭脳は一族の中でも群を抜いていた。それゆえに一族の雌、ひいては他族の雌から多くの羨望の眼差しを向けられているのだが、本人は気づいているのかいないのか見向きもしない。........単純に興味がないのかもしれないが、男としてはなんとも残念な甥であった。
再び歩き出した二人だったが、不意に甥が口を開いた。口数の少ない甥には珍しいことだが、きっと責任を感じてのことだろう。患者の怪我の原因が自分にあると思っているのだから。
「随分荷物が多いように感じますが、これらはすべて治療に使う薬草が入っているのですか?」
「そうだよ。実はどれもあまり効きがよくなくてね。少しずつ調合を変えながら様子を見なければならないんだよ。そのための器具も入っているから少々大荷物だね」
「そうですか........話に聞けば坂を転げただけと言っていましたが、人間とはそんなにも弱い種族だったでしょうか。そうじゃなくとも、なぜ今この時期に里の端に人間がいたのでしょう。今は皆王都にいなければいけないのが習わしでは?」
「うーん、そのことなんだけどね......」
自分の考えを伝えれば甥は驚いたように目を見開いた。全くありえない話ではないが、それはあまりにも日常とはかけ離れたことなのでまだ断定できないのだった。
なんとなしに無言になってしまった二人であったが、患者の部屋にたどり着きそれも気にならなくなった。今はなによりけがを治すのが優先だ。幸い死ぬほどまでのけがではないのだから、怪我が治ってから話し合えばそれでいいと思ったのだ。
よもや翻るカーテンの先でその彼女が窓に足をかけていなければ。
「な!こら危ないでしょう!どこへ行くつもりですか!?」
自分の言葉にびくりと身体を揺らした彼女は更に慌てたように窓から身を乗り出す。それを見て甥が慌てて荷物を放り投げ彼女の身体を部屋の中に引っ張り込んだ。今でこそ傷だらけなのに窓から飛び降りるなんて正気の沙汰ではない。カッと頭に血が上った甥は叱りつけるように声を荒げた。
「一体何を考えている!これ以上傷を作ってどうするつもりだ!!」
思わず甥が耳と牙が出てしまったのに気づいたときにはもう遅く、顔面蒼白の彼女が再び意識を失うのは早かった。力の抜けた身体を抱き直し、少しの後悔を感じながら甥は再び彼女をベッドへ横たえる。
自分達なら一日で治すような傷に熱まで出す者だ。これ以上怪我をしたらいけないという思いあっての行動であることは叔父である自分がよくわかっている。青い顔のまま意識を失った彼女を自分に預け、甥は床に放り投げた荷物を拾いに行った。
再び眠りについた患者の顔を眺めながら、願わくば、このどれかの薬草が少しでも彼女の痛みを和らげることを願って、私は怪我の経過を確認し始めるのだった。