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12.ただいま、これからのことを考えています

少しシリアス入ります


 お庭を散歩した日から早三日が過ぎ、狐人族の里からゼファンが帰ってきた。戻って来たばかりで疲れているだろうに、海月の部屋を訪れて怪我の経過を見に来てくれたゼファンには本当に感謝しきれない。



 傷跡は綺麗サッパリ消えてなくなった。歳を重ねるにつれちょっとした傷でも消えにくくなってたから、跡が残るかもと少し心配していたがそんな心配はいらなかったらしい。これが若さゆえの回復力なのかはわからないがラッキーと思ってしまったのは確かだ。

 まあ自分の身体に何が起こっているのかわからない以上、大袈裟には喜べないのだけれど......。




 

 怪我が治ってしまえば次は今後の生活について考えなければならない。患者じゃなくなった以上、いつまでもお客さんでいる訳にはいかないのだ。それがいくらロルクロース家の恩人だとしても、その優しさに胡座をかけるほど私の肝は座っていない。



 呼びに来てくれたヴァンシュベルトとゼファン先生とともに自分の部屋を後にする。中庭の見える大きな客間が一階にあるから、そこで話そうと言われたのは今朝の朝食の時だ。だから今日は少しだけいつもより小綺麗な格好をしている。服装は胸元に青い色の小花があしらわれた白いワンピース。髪は編み込みを入れたハーフアップでワンピースと同じ青い花を髪に挿している。とはいえ服の準備も髪を結ってくれたのもメイドさんなので私は何も威張れないのだが。



 お茶やお菓子をつまみながら気軽に話し合いましょうということで、話し合いの席には双子ちゃんこそいないもののロルクロース家の人全員が参加する。それだけでなく、今後の自分の身の振り方や当面の生活を決める大事な話し合いだから実は今朝からかなり緊張している。硬く結んだ手のひらは気づいたら汗で少し湿っていた。



 ピカピカで綺麗な廊下とは裏腹に、歩みを進める海月の気持ちは少しずつ沈んでいった。

 ーー怖いのだ。自分が今、正常な判断ができているのかわからないから。

 言うまでもなく頼る術がここしかない以上、私が選べる選択肢というのは限りなく少ないのだろう。それが私のこれからの道を、私の知らぬ間に狭めているのではないかと思うと怖くて怖くて仕方ないのだ。

 

 もしこれが今の身体の通り精神も中・高生ぐらいだったなら、話はもっと単純だったかもしれない。元の世界に帰れなかったとしても、物語のような素敵な人生が待っているかもしれないと心躍らせ、果てには助けてくれたヴァンシュベルトの優しさにコロッと好きになったり......。


 緊張の面持ちで歩みを進めていた海月はその考えに思わず小さく笑みを漏らした。それはどこか自嘲的で、そして力の抜けた笑みだった。


「ふふっ......」

「?どうかしたか?ミヅキ」

「ああ、いいえ。なんでもないです」


 思わず漏れた笑い声に口を覆ったが、手のひらの下では口角はまだ上がったままだった。

 だって本当におかしい。私は子供の頃でさえ、物語のヒロインのように可愛らしい性格はしていなかった。もし本当に高校生あたりで異世界トリップしていたとしても用心深く他人を観察して、懐に入れていい人なのか悪い人なのか判断しようとしただろう。そこに可愛げも何もあったもんじゃない。


 ーーそういえば昔親友にこんなことを言われたっけ。

 それはもう随分前の記憶で、親友の何気ない一言から始まった会話だった。


『海月って行動は子供っぽいのに案外抜け目ないわよね。用心深いんだろうけど、まぁ私も最初はかなり苦労したわ』

『ん?ちーちゃんそれどういう意味?』

『だってくーちゃん、最初の頃はすごいガード硬かったわよ?話せば普通に楽しい会話ができるのに自分から寄ってきたりはしないし、学校の外で遊ぼうと誘っても来ようとしなかったじゃない』

『......自分のテリトリーに入れていい人なのか考えてたのよ』

『己は獣か!!』



 一番の親友の的確なツッコミを思い出しまた口角が上がってしまった。きっとあの子は今ウダウダ悩んでる私を見ても『何を今更』と笑うのだろう。


『まぁね。なんとなく信用されてないんだろうなーってのはわかってたのよ。ある程度距離を置かれてるのは感じてたからさ。けど私はあんたと友達になりたかったから、そりゃあもう頑張ったわけよ』

『......なんでそんなに私と友達になりたいと思ったわけ?』


 今考えればちょっと嫌な質問だったけれど親友はなんて事ないように笑ってこう言ったのだ。


『私、あんたに救われたのよ。あんたにとってはどうってことない些細なことだったかもしれないけど、私には大事なことだったのよ』


 思わず同じ女に猛アタックしちゃうくらいにはね!そう言ってケラケラと笑いながら親友は言葉を続けた。


『きっかけはどうであれ、あんたはいい奴だった。他人を簡単に信用できない臆病な所があるくせに、困っている人を見るとどうにも無視できない。そんな所が気に入ったの』

『自分で言うのもなんだけど私かなり面倒臭くない?今だから言うけどかなりちーちゃんのこと警戒してたから、疑うような目を向けたのも一度や二度じゃないでしょう?』


 そう言えば親友はまた豪快に笑い出した。

 ブハッとおよそ普段の彼女からは想像できない笑い方が見慣れてもう数年経つ。私だからこそ見せる笑みだとわかったときはかなり驚いたものだったが、思えば本当に長い間この子と一緒にいる。

 もう一度しっかり私の目を見た親友は口元に笑みを浮かべて話し出す。それは酷く楽しげで困ったような笑みだった。


『信じたいと思ったんだから仕方ない。そう思わせたのがあんただったんだから、追いかけずにはいられなかったのよ』


 そのままスッと立ち上がって窓の外に視線をやった親友は暫くして首だけこちらに向けた。座っている私より位置が高くなるから目線は自然と高くなる。見上げた彼女はいつも通り綺麗で、けれど出会った当初のような幼さを残した表情で海月を見て言った。


『私はあんたを信じたいと思った自分を信じたの。ただ、それだけよ』


 それだけ言ってまた視線を外に戻すから私は彼女の表情を伺い知ることはできなかった。けれども機嫌良さげに揺れる足とコツコツと靴底が奏でる音に、およそどんな表情をしているか想像するのは難くない。それだけの月日を共に過ごしたのだとわかって海月は親友の肩を抱いて応えた。


『私も、あんたのそのちょっと下品な笑い方が好きよ?お嬢様っぽくなくて』

『ちょっと待ちなさい。下品だなんて思ってるなんて初耳なんですけど?』

『あはは。初めて言ったもの』


 勢いよく振り返った親友とこの後馬鹿みたいに笑いあった。その記憶を私はきっとこれからもずっと忘れられない。

 信じられるものは元の世界でも少なかったようだと、苦笑しながら下ろした手はもう固く握られてはいなかった。だけど、あの時が過去になり思い出になろうとも、私は今を生きなければならないのだ。


 思い返せば社会に出て十年弱、一通りの荒波にもまれたことで愛想笑いもおべっかもお手の物だ。表現は悪いがこれも立派な私の武器だと今になって強く思う。

 選択肢は多くはない。けど、道が途切れたわけではないのだ。砂利道だって砂浜だって、歩きにくいけど歩けないわけじゃない。歩くための術や武器は、まだ私の中で生きている。

 --生きているなら、活かさなければ。


 苦しいほど恋しい日常は、もうどこにもない。

 私は数分先もどうなるかわからないこの世界で、新しい日常を探すのだ。

 そう思えばなんだか、いつもの()()()私に戻れた気がした。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 円形のテーブルには既に長であるゼネストスと奥方のラティアナ、長男のギルファデルが座っていた。

海月を迎えに来てくれたヴァンシュベルトとゼファンとともに席に着くとメイドさんたちが香りのよいお茶を淹れてくれた。テーブルの真ん中にはおいしそうな焼き菓子もあり、どうやら本当にお茶を飲みながらの話し合いらしい。




 前回は登場も行動もインパクトが強すぎて気づかなかったが、こうやって落ち着いて見ればゼファン先生と族長のゼネストスは顔立ちがとてもよく似ている。二人とも綺麗な銀髪で目は青、色合いだけは非常によく似ている兄弟だ。奥方のラティアナさんは赤茶色の髪を綺麗に結い上げている。ギルファデルはラティアナさんに、ヴァンシュベルトはゼネストスに似たようだ。


「やあ、今日は集まってくれてありがとう。ゼファンは帰って来たばかりなのにすまないね」

「いいや、兄上。むしろ俺だけ呼んでくださらなかったら腹を立ててるところだよ」

「ははは、お前だけ仲間外れになんてしないよ......そんなことをしたら私の薬が苦くなるだけだ」

「よくわかっておいでのようで」


 二人の軽口に場が和み、お茶やお菓子を楽しみながら話し合いは穏やかに始まった。


「さて、ミヅキ。怪我が治って早々悪いんだが君も今後のことが気になるだろうと思ってね。この世界についてゼファンからも少しは聞いていると思うが、我々が今取り組んでいる祭りについてはもう知っているかな?」

「いいえ、今は里に人間が入ってはいけない時期だってことしか......お祭りがあるんですか?」

「ああ。狼人族だけでなく、獣人は全て王都を出てそれぞれの里に帰り祭りの準備をしているんだ」


 へー。まさか国を挙げてのお祭り準備期間中だったとは。でも種族を分けてまで行われる祭りって一体どんな祭りなんだろう?

 ゼネストスが海月の疑問に答えるように言葉を続ける。


「この世界ではな、10年に一度月が黄金に輝く日がやってくるんだ。我らはその日を祈月の日(オラシオン・モーネ)と呼び、古くからの習わしにならってそれぞれの里に帰り祭りの準備を行うんだ」

「月がですか」


 今度はラティアナが優雅にカップを置いて話し始めた。


「ええ、そうなの。普段は夜でも緑や青の明かりが漂ってそこまで暗くはないでしょう?だけど祈月の日だけは完全な闇がおとずれる。神話では......詳しくは今度話すけど、この闇を払い人々を照らしたのがこの世界を作った三神の一人、月の女神だと言われているの。そしてその夜だけ、月は柔らかな黄金色の光を地上に降らすのよ。それはそれは素敵な夜でね、きっとミヅキも気にいるわ」


 夫人がうっとりとしながら言うその言葉に海月はこの世界で見た月を思い浮かべた。月の輝きだと思っていたあの青やら緑の光はどうやら月の光ではないらしい。厳密にいうと、太陽が沈み切った後もある程度明るく感じるのは空そのものが微弱であるが光を持っているからなのだそうだ。その空の光が完全に消え本当の闇がおとずれた時のみ月は光輝くのだそうだ。

 元居た世界では空や太陽の色は光の波長によるものだから、空そのものが光っているという概念に頭を捻りたくなる気持ちもあるが異世界ということで全て丸め込んだ。私は学者じゃないので詳しいことはわかりません。とりあえず自然の力は偉大なんだなってことだけで凡人には十分だ。

 けれども、もしかしたらその黄金色に輝く月は海月がよく知る月と同じ輝きを見せるかもしれない。それだけはとても楽しみなのであった。




「祭りでは三神へ捧げる舞と初代渡り人へ贈る舞の二つが行われる。どちらも神聖なもので協会の監修のもと、里の若い者たちの中から選ばれて舞を踊るんだ。かつては種族を超えて皆で祝った祭りだったらしいけど数が増えてそれも難しくなったのか、数百年前からそれぞれの種族に分かれて行われることになった。人間は王都で、僕らは僕らの里でね」


 あれ?でも、人間と獣人で分かれて祭りをするならハーフの子達はどうするんだろう?

 頭を捻る海月にゼファンがどうかしたかい?と声をかけてくれた。


「あの、確か人間と他の種族の間に生まれる子供は殆ど人間だっておっしゃってましたよね。その場合はどちらかの人間の親の方についていくんですか?」

「そうだよ。母親が獣人で子供がまだ乳飲み子である場合を除いて人間の子は皆王都で片親と暮らすことになる。まあ祭りの準備は長いようで短いから」


 へー......片親だけで子供を育てるなんて大変だと思うんだけど、どうやら本人たちはあまり気にしていないみたい。お祭りの準備期間って確かに長いようであっという間だもんね。忙しいより楽しいって気持ちの方が勝っちゃうのかもしれないな。

 そういうものかもと半ば他人事のように話を聞いている海月に隣に座っているヴァンシュベルトが話しかける。お茶を嗜む姿はとても絵になっているが、相変わらずの無表情が少し勿体無いように感じられた。


「祈月の祭りは二日かけて行われる。一日目は舞などの神聖な儀式が主だが、二日目は屋台や出店も出て賑やかだし、あちこちでお祭り騒ぎだからきっとミヅキも楽しめる」

「あれ、でも月が黄金色になるのは一日だけなんですよね?」

「ああ、だから二日目は本当にただのお祭りなんだ。大人も子供も飲んだり食べたり踊ったり、とにかく一日中賑やかだ。まあ十年に一度だから俺も今年が二回目なんだが」

「わあ!じゃあすっごく楽しみなんじゃないですか?十年前だったらヴァンシュベルトさんはまだ双子ちゃんくらいだろうし、今はもうお酒も飲めますしね。私もよく家族とお祭り行ったなー」


 とはいえ元の世界で家族と行ったのは大体夕方からとかの半日だけのお祭りだ。一日中町中がお祭り騒ぎってどんな感じなんだろうと胸を躍らせている海月に、カップを置いたヴァンシュベルトが向き直る。その顔が少しだけいつもの無表情ではないことに海月以外のこの場にいる全員が気づいていた。


「ミヅキ」

「はい?どうかしましたか?」

「その、よかったら一緒に行かないか。祭りに、俺と一緒に」


 唐突で、あまりにも突飛な申し出に部屋の中が水を打ったように静かになった。しかしその部屋の状況とは裏腹に海月の頭はそれこそ祭りのような騒がしさを見せていた。


 ......え、ええ!?待ってそれ今言うの?お父さんもお母さんも叔父さんもお兄さんも見てるけどいいの?え?恥ずかしいの私だけ??


 と、とりあえずと、持っていたカップを静かに置いた海月はハッとなって辺りを見渡す。そこには返事はどうするんだと突き刺さる視線がヴァンシュベルトのものも入れて五つ。

 待って、こんなに視線が集まる中で返事をしなきゃいけないことなの?え?大丈夫?私今身体中に穴空いてないかな??



「ヴァ、ヴァンシュベルトさん。折角のお祭りなんですからそんな時までご迷惑をお掛けする訳には......あの、なんでむくれてるんですか?」


 ご両親の手前丁寧に、慎重に話す海月の目の前には面白くなさそうに拗ねているヴァンシュベルトがいた。普段無表情で、それ故に大人びて見えるヴァンシュベルトの始めて見た年相応の仕草だった。


「......ミヅキ」

「は、はい?」

「先ほども思ったのだがどうしてまたさん付けに戻っているんだ?人前で愛称で呼びたくない理由でもあるのだろうか?」

「カ、カルチャーショック!!」

「?」


 い、いやいやどうしてくれようこの人は!!確かにさん付けは意図的に戻したけども、それは礼儀というものであって......って、ああ!お母様達の視線がさらにニヤニヤと......!


「い、いえ、ご家族の前なのでさん付けに戻しただけです。元の世界ではそれが礼儀でしたから」

「そうか」

「そ、それでですね?お祭りはきっとヴァンシュベルトさんなら沢山お誘いがあるんだろうなと思って!」

「友人からは誘われていない。そのほかはまぁ、もう先に断ったから大丈夫だ」


 そのほかってもしかして女の子じゃなかろうな!こんなパッとしない女じゃなくて可愛い気のある若い女の子とお祭りデートでもしろよ!なんだよいい女ばっかりじゃ飽きたからたまにはゲテモノに手を出そうかなってか?!......いや落ち着こう。お兄様方のこのニヤニヤ具合からいってそんな感じではない。というかはばからないなこの家族は!!


「ん゛んっ!......えーっと、でも私とお祭りを見て回ってもつまらないと思いますよ。共通の話題がある訳でもないんですから......」

「?君といてつまらないと思ったことは記憶にない。むしろ、そうだな......知らない自分を知るようで君と話すのはとても楽しい。話だけじゃなく、もっと君を知りたいと思ったから誘ったんだ。それに、」

「ス、ストップ!ストップ!!」

「すとっぷとはなんだ?」


 嘘でしょう?私なんでこんなに興味持たれてるの?異世界人?異世界人だからなの??

 飾らないどこまでも真っ直ぐな口調にアラサー女は瀕死の重症です......頼むからニヤニヤしてないで誰か助けてくれ。ゼファン先生、よく言った!みたいな顔で頷かないで下さい。何もよくありません......!


「まだ何か気になることはあるか?」


 コテリと首を傾げながらもどこか強気な物言いに海月はとうとう白旗を上げることにした。


「......いいえ、ございません」



 それを聞いて短く「そうか」と答えたヴァンシュベルトは満足気に小さく笑いそのまま優雅にお茶を飲み干した。

 満身創痍の海月と満足気なヴァンシュベルト。あとに残ったのはヴァンシュベルトが大好きなのであろう親バカ叔父バカ兄バカばかりであった。


 あ、ちょっ、やめて!頼むからスターディングオベーションはやめて!!!家族の行動が嬉しいのはわかったから座って!お願いだから座ってぇ~!!!




「ンンッ!......さて、話が逸れたがそろそろ本題に戻ろうか」


 ええ、ぜひそうして下さい......。


 どこかグッタリとした海月にジトリと視線を向けられたものだからゼネストスはもう一度大きく咳払いをした。


「き、祈月の日まであと二か月はあるが、祭りが終わったあとの話もしておかなくてはな!」


 わははははと誤魔化したような笑いが部屋に響き渡り海月も気持ちを切り替えるためにお菓子を口にした。どちらかと言えば今はバリッバリッのお煎餅が食べたい気分なのだがないものはしょうがない。

 ポリポリとクッキーのようなパンのようなお菓子を食べながら海月は耳を傾けた。


「祭りが終われば狼人だけじゃなく沢山の獣人が王都へ戻ってくる。我々も王都にある屋敷へ戻ることになるが、その時はミヅキも一緒に来なさい。里に残る者もいるが人間の君には里での暮らしは難しいだろうからな」


 毎日の食事を自分で狩ってこれるなら話は別だが、と冗談めかして言う長に海月は慌てて首を横に振って否定した。狩りなんてしたことないし、そもそも魚をさばける自身もない。それにファリールとかいう食用の鳥も規格外に大きかったから、この世界の動物は総じて元の世界の動物よりも大きいのだろう。どれだけ私が訓練しても一人で食料調達なんて無理に決まっている。

 顔を引きつらせる海月にラティアナさんがゼネストスを肘でつつきながら声をかけてくれた。


「大丈夫よミヅキ。怪我が治ったからと言ってあなたをその辺に放り投げたりしないから。それは祭りが終わっても一緒よ」


 安心して、とほほ笑んでくれて海月はほっと肩を下ろした。けれども続く長の言葉にまたもや身体を強張らせる羽目になる。


「なんにせよ、一度は王城へ行かねばならんだろう。ミヅキの前に来た渡り人は確か100年ほど前に魚人の国に来たきりだし、我が国に最後に渡り人が来たのは300年も前のことだ。既に王には文を出しミヅキの存在はお伝えしてある。今は祭りの期間中で里と王都への行き来は限られているが、祭りが終わり王都へ戻れば王との謁見の場が設けられるやもしれん」


 思いもよらない言葉に海月はごくりと唾を飲み込む。

 異世界人がこの世界に大きな意味を持っている以上、平凡な日常になるとは思っていなかったが初っ端から王様と来ましたか......。私偉い人って言ったら校長先生と会社の社長くらいとしか会話したことないんだけど。もういっそのこと子供だって言って色々誤魔化そうかな。


 明らかに嫌だと顔に浮かべるものだからゼファンが苦笑しながら声をかけた。


「ミヅキ、何も今すぐに会うわけじゃないんだから大丈夫だよ。それに渡り人の存在は国中に広がるだろうけど、海月自身が渡り人だって大々的に国中に知らせるわけじゃない。過去の渡り人達だってこの世界の人間に交じって暮らしていたし、今ではこの国の半数は人間だし獣人だって耳や尻尾を隠して生活しているものもいるからその後の生活は心配いらないよ」

 

 つまり無駄に注目を集めることはないということか......。それは確かに有難いかも。一生客寄せパンダなんて平凡な日常には程遠い。

 けれども自分の価値が低いとは思っていない。それは私が異世界人故に付加される価値がこの世界ではとても重要なものなのだということを少なからず感じ取っているからだ。言葉に出されずともそれに釣り合う人物でないこともわかっている海月は今言わなければならないことがある。


 あの、と声をかければ自然と視線は海月に集まった。


「お世話になっている文罪で出過ぎたことを言うようですが、私は王様やましてや国に何か利益を生むようなできた人間ではありません。元の世界では成人もしていましたし、働いたり一通りのことは経験してきたつもりですが、学者だったわけではないですし頭がいいわけでもないですから何かを教えたり残したりすることは難しいと思います。ですから過剰なまでの期待をされても正直お役に立てるとは到底思えません」


 申し訳なさそうに、けれどもきっぱりと言い切った海月に長は心得ているというように深く頷く。その表情はなんだか満足気に綻んでいて、それが少し意外で海月は目を見開いた。


「君はやはり賢い子だね。まだこの世界で数人としか関わっていないのに自分の価値を感じ取っている」


 そこで一旦言葉を区切った長は真剣な表情に戻して言葉を続けた。


「君が神話にも登場する異世界からの渡り人であることは、人々の注目を集めるのに十分な理由だ。だけどそれだけじゃない。君の中にある元の世界の知識や産物を求め手を伸ばしてくる者もいるはずだ。過去の渡り人もそれによりこの世界に大きな改革をもたらしたし、その威光を知ってるからこそ君が渡り人だと知れば近づいてくるものも多いだろう。君の知識や価値観、考え方さえもこの世界では何に転じるかわからない。君そのものがまさに金のなる木、もしくは動乱の種に成り得るだろう」

「......はい」


 やはり私がこの世界で生きていくのは容易ではない。覚悟はしていたが、ゼネストスの言葉が重くて下を向いてしまいそうになる。

 思わず長から視線を逸らした直後、だが、と続く言葉に海月は再び顔を上げた。


「だが、その君を悪戯に祭り上げ利用しようとするものから守ると誓おう。それが家族を救ってくれた一人の父親として君にできる償いと礼だと思っている」

「......え?」


 まさかそんなことを言われるとは思ってもみなくて、口から出た声は耳の良い彼らでなければ聞き取れないほど小さなものだった。

 確かに感謝されているとは思った。後ろ盾もない現状に、彼らのその気持ちが好都合だとも。 


「あなたが私の娘たちを救ってくれたのも何かの縁。困ったことや助けてほしいことがあったら私を母親だと思って頼って頂戴ね。もう貴方は私の娘のようなものですもの」


 柔らかな笑みを浮かべながら綺麗な女性はそう告げた。たった一度彼女の子供を助けたーー救ったと言うには烏滸がましいくらい不恰好な形ではあったが、彼女にはなくてはならない助けだったのだろう。だから手当てをしてくれて、食事まで与えてくれたのだ。それでもう十分なのに、なぜまだ私に与えようとしてくれるのかわからなくて海月は満足に頷くことすら出来ない。


 海月はずっとお世話になっているこの一家に感謝しつつも、何か自分を助けて都合のいいことがあるのだろうなと思っていたのだ。それは自分のこの世界での価値を知ってしまえば至極当然のことで、嫌でもその優しさの裏に何かあるのだろうかと探ってしまう。だから不安を覚えつつも一人で立とうと気を奮い立たせた。

 なのに、どうして......


「おや、なら私はまた姪が一人増えるね」

「妹が増えるのは大歓迎だよ。ヴァンは最近大人びちゃってめっきり可愛げがなくなってきちゃったからね」

「二十歳を過ぎた男に可愛いはないだろう、兄上」


 どうして、この人達はそんな私の価値なんて要らないとでもいうように笑うのだろうか。


 笑い合う輪には入らず海月はそっと視線を下に下ろす。居心地が悪いと思ったのは罪悪感故だろうか。それでも、あーだこーだと優しさに理由をつけて、どうやってその好意を清算しようか考えていた自分を悪いとは思わない。この疑い癖は確かに自分を守ってきたものだし、今も、そうしなければならない状況だったというだけだ。なのに、それとは全く正反対のことを考えている自分もいて頭がクラクラしてきた時ふと、親友のあの言葉が頭に浮かんだ。


『信じたいと思った自分を信じたの。ただ、それだけのことよ』


 それを思い出して自分の気持ちに合点がいった。私は信じてみたいのだ、この家族のことを。利用価値のある人間だからではなく私自身を助けようとしてくれているのだと、信じたいのだ。


 そろりと上げた視線の先には海月になんの見返りも求めていない目がこちらを見ていた。自分を母と思ってくれと言った人物は私を見て、わざわざ席を立ってそばまで来てくれた。冷めてしまったお茶を淹れ直して、温かなカップを手渡してくれる。カップの中に映る自分を見ようと覗き込めば、何かが水面に落ちたせいで波紋が広がり見ることはできなかった。不思議に思い首を傾げると隣から男性らしい武骨な手が伸びてきて驚いてその人の顔を見た。


 いつも通りの無表情をほんの少しだけ崩したその人の目を今初めてちゃんと見た気がする。濃い青だと思っていた瞳には薄っすらと緑が沈んでいて、なんだか困ったような焦ったような表情をしていた。そんな人がその手には似合わない白いレースのハンカチを私の顔に伸ばすものだからなんだかおかしく笑ってしまった。可笑しくて、嬉しくて、笑ってしまった。



 庭へ続く扉は開け放たれていて、爽やかな風がふわりと海月の頬を撫でた。決して捕まえることのできない風に向けて海月は心の中で言葉を紡ぐ。その言葉ごと、どうか遠い遠い私の故郷まで運んでくれと願いながら。


 ーーあぁ、今はいないたった一人の私の親友。

 昔あなたが教えてくれたように、私にもできるだろうか。できると信じていいのだろうか。

 優しい人達に巡り会えたんだ。これっきりの縁で終わるのではなく、私とあなたが唯一無二の友になり上辺だけじゃなく長く続く付き合いを望んだように、この家族ともそういう絆を築いていけるのだと信じていいのだろうか。



 問いかけた言葉に返事はない。

 それでも私の中で生きている記憶の中の彼女が、引き攣る喉からでる音をかき消すように、あの懐かしい笑い声を響かせていた。


 


ー昔の話


「ねえ海月、お互いのニックネームを考えましょう」

「いいけど……また随分と急だね」

「いいから、早く早く!」

「ん〜知世だから……じゃあちーちゃんね」

「あら、随分可愛いあだ名。海月はじゃあ……みーちゃん?」

「「……なんか違うわね」」

「あー……ならくーちゃんね。うんこれがいいわ」

「?くーはどっからきたのよ?」

「海月ってクラゲとも読むでしょ。だから頭文字をとってくーちゃん。ね?」

「獣の次はクラゲかい!」



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