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10.ただいま、散歩日和です

 ゼファン医師が狐人族の里へ赴いてからはや三日。腕や足の包帯はすっかり取れ、海月の怪我は順調に治りつつあった。



「ん、ん~はぁ〜......今日もいい天気だなあ」



 ベッドから降り伸びをすれば気持ちも姿勢もしゃきっとする。朝食を食べ終えた海月はいつものように椅子を引っ張ってきて窓から外を眺め始めた。

 最近では見慣れてきた部屋の窓からの眺めだが毎日違った発見があってなかなかに面白い。

 このお屋敷は狼人族の長のお屋敷であることはゼファン先生から聞いていた。二階にある海月の部屋は東向きの部屋で窓からは広い庭が良く見える。日中にはお客人や小さな子供たちが庭に入ってくることもあり賑やかなものであった。中には二階の海月に気づいて会釈をしてくれる人もいるが、まあそういう人はたいてい驚いてすぐ庭を飛び出しちゃうか、そそくさと逃げて行ってしまうのだった。



 未だヴァンシュベルトとゼファン医師以外とまともに会話をしたことがない海月は正直ちょっと面白くない。ヴァンシュベルトは毎日海月の部屋を訪れてくれるが欲を言えば女の子ともお話ししたいのだ。メイドさんたちはお仕事で私の部屋に来てるから長居させては迷惑だろうし挨拶とお礼ぐらいしか言葉を交わせていない。まあずっとこのお屋敷でお世話になるわけにもいかないから、そのうち外には出るのだけど。

 そんなことをぼんやり考えていた海月だったが庭の向こうから心待ちにした人物がこちらに向かってくるのが見えて思わず立ち上がって名を呼んだ。



「ヴァンシュベルトさーん!」


 海月の声に軽く手を挙げて答えるヴァンシュベルトに海月も大きく手を振り返す。

 このお屋敷を出ることとか周りの人の反応とか考えることは沢山あるけど、今日のところは置いておこう。なんといっても今日は初お庭散歩デーなのだから!


「ヴァンシュベルトさん!早く早くー!」

「ふっ......わかった。急いでいこう」


 窓から乗り出して催促する海月に小さく笑みを漏らしたヴァンシュベルトに今は恥ずかしさも感じない。少しでも早く庭に出てみたくて仕方ない海月には些細なことなのだ。

 ここに来てからまだ一度も部屋の外に出られなかったのには訳がある。海月の怪我のことも勿論だが、さっきも言ったようにこのお屋敷は族長の屋敷である。屋敷には族長に会いに様々な来客で人の出入りが多かったため海月が庭に出るのは控えてほしいと言われたからだった。しかし、今日は来客の予定もヴァンシュベルトの用事もないため保護者ヴァンシュベルト)付きで庭へ行くことが許されたのだった。




 ヴァンシュベルトが屋敷の中へ入ったのを確認して海月はそそくさと椅子を片付け身なりを整える。明日は庭へ出てみようと言われた時から海月はずっとこの瞬間を楽しみにしていた。今まで眺めるだけだった景色をすぐそばで楽しめる喜びは言うまでもなく、ずっと部屋に籠りっぱなしなのは身体的にも精神的にも苦痛でしかない。更にはこれが初めての異世界散歩なのだ。ワクワクしないわけがない。

 準備は昨日から抜かりない。さあ、何時でも来いと扉の数歩前で待ち構える。待ちに待った人物が扉を開けさあ行こうかと言ったら出発の合図だ。もうスタート位置にはついている。扉を開けた人物に遅刻は許さないぞという気持ちを込めて「さあ、行きましょう!」と声をかければなんだかすごく残念な顔をされた。


「ハヤサカ殿、言いにくいのだが、その......」

「何ですか!今更なしなんて許しませんよ!!」

「服が前後ろ逆だ」


 待ち人の思いもよらぬ一言に初異世界散歩に数分遅刻したのは言うまでもない。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「ヴァンシュベルトさん!これは何ですか!?」

「それはロデスという花だ。今は黄色だが、昼を過ぎれば赤に変わるぞ」

「え、色が変わるんですか!?じゃあ、これは!?」

「カロックという花だ。歌を聴くと真似して歌う花だな」

「え~!花が歌うんですか!?」



 元の世界では考えられないような植物の性質にさっきから驚きが止まらない。性質だけでなく見た目も凄く見ごたえがある。どれもこれも色の濃い花弁に不思議な形をしていて見ていて全く飽きない。綺麗かと言われれば何とも言えないがそれでも今の海月には楽しいことには変わりない。スタートダッシュには出遅れたが異世界散歩を思う存分楽しんでいる海月であった。



「本当に不思議なことばっかり......!」

「楽しいか?」

「はいっ!連れてきてくれてありがとうございます、ヴァンシュベルトさん!」



 海月のはち切れんばかりの笑顔にヴァンシュベルトも目元を和らげる。世話になっている身でわがままは言うまいと海月が我慢をしているのは知っていたからこそ、今日外に連れ出してあげられてよかったとヴァンシュベルトは思うのだ。




 

 それにしても凄いファンタジーというかおかしなものでいっぱいだなぁ。これがこの世界の普通なんだよね、庭にあるくらいだし。私あんまりファンタジーな物語って見たことないから向こうのファンタジーな物語の世界でもこれが驚きなのかわかんないな。小さい頃はプリンセスとかの可愛らしい絵本より日本昔話の方が好きだったし。

 視線も思考もあっちこっちに言ってるから会話のネタも定まらない。ごめんヴァンシュベルトさん、もう少し付き合ってください。



「あ、そういえばゼファン先生はいつ頃戻られるのですか?」

「叔父上か。そうだなあと二、三日で戻られると思うぞ」

「そうですか!先生の薬ですっかり良くなったので、早くお礼が言いたいです」


 痕も残らず思ってたよりも早く治ったのはひとえにゼファン先生が置いて行ってくれた薬のおかげだ。しばらく見ていない顔を思い出し海月は小さく笑みを漏らした。

けれども看病をしてくれたヴァンシュベルトにお礼を言わないのはなんて失礼なんだと思い立って勢いよく振り返る。こちらからお願いしたことではないが、ご飯を持ってきてくれたり、暇なときはいろんな話をしてくれたり、本当に沢山お世話になったのだ。

 勢いよく振り返ったから長い髪がベシッと頬に当たったが気にしない。髪も大いに乱れたが気にしない。これから深く頭を下げて更に悪化する予定だから問題ないだろう。


「ヴァンシュベルトさんも、本当にいろいろありがとうございます!包帯をかえてくださったり、今日も庭を案内してくださって」

「いや、礼はいい。俺が好きでやっていることだからな」

「でも、感謝の気持ちを何か他の形でも示したいと思うんですけど、今はお金もないし、高価なものは無理ですけど、その......何か私にできることで、うーん」


 何かいい方法はないかな......私にできることで、ヴァンシュベルトさんが得することとか嬉しいって思ってくれることは......というか私ヴァンシュベルトさんの好みも趣味も知らないや。気を失ってた頃も合わせてまだ7日しかたってないし当然と言えば当然なんだけど。

 うんうんと唸る海月をじっと見ていたヴァンシュベルトは一つ提案を持ち掛けた。


「では、一つ願いを言ってもいいだろうか」

「はい?お願いですか?」

「ああ。ハヤサカ殿ではなく、ミヅキ殿と呼んでもいいだろうか......」


 ヴァンシュベルトからの思わぬ申し出に目が点になる海月。しばらくの間二人の間に沈黙がおとずれ、居たたまれなくなったヴァンシュベルトが訂正を申し出る前に、海月の笑い声が沈黙をかき消した。


「あはは!殿なんてつけないでいいですよ。実はずっとハヤサカ殿って呼ばれるの気恥しかったんです。海月でいいですよ、ヴァンシュベルトさん。そっちの方がずっと嬉しいです」


 にこにこと笑いながらそう告げる海月にヴァンシュベルトはいつもの無表情にちょっとだけ安堵を浮かべる。自分から女性に名前で呼んでいいかと聞くのは初めてのことだったのだ。知らず知らずのうちにしていた緊張は海月の快い返事でなくなった。


「ミヅキか......では、俺はヴァンと呼んでくれ。親しい人は皆そう呼ぶ」

「え!?わ、私はその......呼び捨ては、お世話になったし、その……」


 そう言うと心なしかちょっとしょんぼりしているようにも見えるヴァンシュベルトに海月はう、と口ごもる。年齢的には年下とはいえ、今までのヴァンシュベルトの立ち居振る舞いから呼び捨てにするのははばかられたのだ。

 しかし、せっかくの提案をむげにしてヴァンシュベルトに恥をかかせるわけにもいかないので海月は小さく名を呼んでみる。


「ヴぁ、ヴァン」

「...ああ」


 海月の小さな呼びかけにヴァンシュベルトが小さく小さく口角を上げるのを見てまあいいかと思うのであった。名前を呼び捨てで呼び合うことで前より少し距離を縮められたかなと思う海月なのであった。



「口調も砕けてくれていいのだが」

「それはちょっとまだ無理です!」



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