09.ただいま、拒否権はなさそうです
部屋に残された海月とヴァンシュベルトの間には何とも言えないきまずい雰囲気が流れていた。いや、もしかしたらそれを気にしているのは海月だけかもしれないがとにかく突然の展開に頭が追い付いていないのだ。そもそも怪我をした原因がお前だからって言って看病を任せるのはどうかと思うのですよ、ゼファン先生。
もう既にいない人物に愚痴を言っても仕方ない。軽く咳ばらいをしながら姿勢を整え件の人物に向き合う。なぜかゼファン先生の言いつけを快く承諾したその人物はさっきから一向に海月の看病をすると言ってきいてくれないのだ。
「あ、あのヴァンシュベルトさん......ゼファン先生の言っていたことは気にしないでください。私はヴァンシュベルトさんのせいだなんて微塵も思ってませんし、そもそも看病してもらうような怪我でもないですから......」
そうそう、あなたは全く気にしなくていいんですよ?だからどうかそのご飯をこちらに渡して下さい。なぜ貴方がスプーンを持つんです?いい加減腹の虫がクーデターを起こしそうなので早く食べたいんですけど??
海月の気持ちを一切合切汲んではくれないヴァンシュベルトは不機嫌そうなのにやっぱり美人だ。いったい何がご不満なのかさっぱりわからないが美人は何をしても美人なことだけはよくわかった。世の中大抵不公平だ。
「ハヤサカ殿は私が叔父上の代わりに看病をするのがお嫌なのだろうか」
「は......いや、お嫌というか」
「そうでないのであれば俺に任せてはくれないか。貴方の怪我の原因が俺にあるのは間違いないのだから、看病をするのは当然のことだ」
「そ、それはですからさっきも言った通り、私は看病されるほど重症な訳では」
「いいや、我らであればその日のうちに直すものをこうまで長引かせているのだから、何か大事があってはいけない。用心に越したことはないだろう」
用心って一体何がそんなに心配なんですか......。たかだか擦り傷と打撲で何かなるわけでもあるまいし。
胡乱げな表情で見つめる海月にヴァンシュベルトはそういえば、と言葉を続ける。
「あの辺りは毒を持つ動植物も多々いる。貴方が気絶しているうちに触れでもしていたらどうなることか......我々には無害でも貴方にも無害であるとは断言できないが」
「ぜひそばにいて下さい」
気付かないうちに毒が回って死んでましたなんてそんなの絶対嫌だ......!
最悪の事態を想像して顔を引きつらせる海月は小さく笑うヴァンシュベルトに気づかない。そもそも倒れた海月をゼファンの元まで運んだのはヴァンシュベルトなのだ。万が一などないのは彼が一番よくわかっているのだが、海月の知るところではない。
「では決まりだな」
「はい......宜しくお願いします」
どこか楽しげなヴァンシュベルトと半ば強制的に折らされた海月はようやく食事に手をつけるのだった。
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「......ヴァンシュベルトさん、それはだめです」
「何がだ?」
心底わからないという風に首を傾げるヴァンシュバルトに海月は頭を抱えていた。というのも、ヴァンシュべルトの手には温かい料理がのせられた皿とスプーンが握られているのだが、それはどちらも海月のためにメイドが持ってきてくれたものであった。
......ここで問題なのはヴァンシュべルトが海月のご飯を横取りしたとかそういうことではなく、(いやむしろそちらの方が幾分か怒りやすかったのだが)その料理を海月が一人で食べることができないという点にある。つまりヴァンシュべルトが海月に食べさせてあげたいというのだ。
「何が問題なのだ?ハヤサカ殿は先ほど俺が看病をすることに了承してくれたと思ったのだが」
「看病することは確かにお願いしました!しましたが!なにもアーンして食べさせてほしいなんて一言も言っていません!!」
そうなのだ。ヴァンシュバルトは頑なに海月に自分でスプーンを持たせようとせず、あろうことかその口元にスプーンを持ってきて手ずから食べさせようとするのである。悪意やからかいの種なら海月も怒るところだが本人はいたって真面目だからどうしようもない。
「ううう~~!どうしたら一人で食べさせてくれるんですか......!」
「怪我が治らぬうちは俺が食べさせたい。それに何をそんなに嫌がるのだ?」
「羞恥心の問題です!!」
こちとらあんたよりも10歳弱は年上なんだよ!アーンなんてされようものなら胸のときめきの前に介護生活を想像して心臓を止めたくなるわ!!
「ううう......お腹が減りました~」
キュルキュルとなるお腹を擦りながら半べそをかきながら海月は言う。起きては気絶しまた起きては気絶を繰り返し、まともにご飯を食べていないのだ。よくここまでもったものだと思うが、目の前にあたたかいご飯を出されればもう我慢などきかない。
もう正直若い人に食べさせてもらうとかどうでもいい。だって今の私は子供の姿だし、はたから見てもそんなに違和感はないだろう。そもそもこの部屋には私とヴァンシュベルトさんしかいないわけだし......ええい、ままよ!!
ぱかっと開けた口にヴァンシュベルトが心得たようにスプーンを近づける。近づけられたスプーンには温かなスープと米のような麦のような雑穀がのせられていた。見た感じは雑炊みたいにも見えるが、きっと胃に負担がかからないように柔らかくさっぱりとしているのだろう。
口に入れる前にスンスンとにおいをかぐとコンソメによく似た匂いが香ってきて海月は差し出されるままそれを口に入れた。
「はぐっ......もぐもぐもぐ、ごくん」
「ハヤサカ殿、味はどうだろうか......もし口に合わないなら別の物を」
「いいえっ!別の物なんてとんでもない!!とってもおいしいです~!」
キラキラと目を輝かせる海月にヴァンシュベルトは内心ほっと息を吐く。久しぶりの食事をする海月には当然のことだが、今海月に出した料理は狼人族の一般的な病人食だ。柔らかく煮込んだコルトという実を香辛料とともにスープで長時間煮込んだものだが、歯ごたえはないし味も薄くてあまり好んで食べる人はいない。だから海月がもしおいしくないと言ったらどうしようかという不安もあったのだが、どうやら杞憂であったようだ。
「それはよかった」
「はい!プチプチとした触感が雑穀米みたいでおいしいです!」
「ぷちぷち......まあおいしいなら問題ないな」
にこにことしながら食べる海月はもはやヴァンシュベルトに食べさせてもらうことに抵抗はない。おいしさの前に羞恥心などかけらも役には立たなかったということだ。しかし後にこの触感というか味覚の違いに二人は大いに悩まされることとなる。
人間の姿を持つがヴァンシュベルトたちは肉食系獣人。ただの人である海月とは食事に違いが出るのは必然であるのだが、今はまだ二人のあずかり知らぬところである。




