5話
「神々ガ 待ッテ イル」
暗闇の奥で、不思議な声がした。
「誰かいるの」
少年は、そっと暗闇に向かって声をかけた。
「神々ガ 待ッテ イル」
暗闇の奥で、不思議な声は繰り返した。
声の主は、どこか懐かしい雰囲気がしたような、そんな気がした。
「目覚メル ガ 良イ」
待って
そう言おうとしたが、かなわなかった。
意識は薄れ、暗闇の中から光の波が襲ってきて、あまりの眩しさに、少年は思わず目を「閉じた」。
「目を覚まされたか!」
そういって自分の顔を覗き込んでいるのは、白髪の黄色い眼の男であった。
隣には茶色の髪の男もいて、心配そうにこちらを見ている。
「ねー、大丈夫なの」
茶色の髪の男がいった。
「君、北山脈で倒れてたんだよ。覚えてる?」
北山脈、なにそれ。少年はぼんやりと考えた。
「僕の言ってる言葉わかる?」
そういえば、何してたんだっけ。
「まいったであるな」
というか、あれ?
「寝起きだから、混乱してるであるか?」
あ…れ?
二人がなにやら言っているが、少年の耳には入ってこなかった。
何も思い出せない。
目を覚ます前、強い光が見えたこと以外。
目を閉じてみても、なにも思い出せなかった。
頭の中はまるで空白だった。
何も、覚えていない。
ここは、どこなんだろう。
この人たちは、誰なんだろう。
それで、僕は―
「僕は誰ですか」
少年はか細い声を絞り出して、そう言った。
「も、もしかして、覚えてないの?」
茶髪の男がそういったので、少年は小さく頷いた。
ところが二人はさほど驚いた様子もなく、顔を見合わせただけだった。
「そっか…。でも安心していいよ。僕らは君の味方だから」
茶髪の男はそういって手を差し出した。
「ロロといいます。人族、ルーデウス王国の冒険者」
ロロ、人族、ルーデウス王国、冒険者。
少年は頭の中で繰り返した。
それで、差し出された手をどうしたら良いのかわからずに、ロロを見上げた。
「あー、握手。挨拶をするときとかに、やるの」
ロロは差し出した手を引っ込めて、恥ずかしそうに頭をかいた。
少年はなんだかばつが悪くなって、小さい声で謝った。
「我は、メラ・メル。ここ、山族のケヤキ村の冒険者であるよ」
今度は、白髪の男が名乗った。
いろいろ、疑問だらけだ。
少年は、黙ったまま、ただ頷いた。
「それで、君は名前、わかんないんだよね」
少年はまた頷いた。
「大師匠がおっしゃっていた通りである…」
そういってメラ・メルは、大師匠の言葉を呟いた。
「過去ガ失ワレテイル、であったか。記憶喪失は、どんな治癒魔法でも治せないであるからな」
メラ・メルとロロが突然難しい表情になったので、少年は不安になって二人を見つめた。
僕は一生このまま、何もわからずにいるのだろうか。
すると視線に気づいたロロが、なんともいえない崩れた表情をした。
「あ、あのね?!心配しなくてもいいから!」
少年が首をかしげると、彼は付け加えた。
「僕は、ある行商隊の護衛をやってるんだ。君のことはそこで面倒を見るし、わからないことは教える。行商隊はね、この世界中を巡って各地の物を流通させる職業なんだ。そうやって世界を渡り歩けば、そのうち君のことを知る人が現れるかもしれないし、君も何かを思い出すかもしれない」
行商隊か。確かに、理にかなっているかもしれない。
少年はそう考え、頷いた。
「とはいえすぐには無理である。しばらくここで、体を休めるがいいである」
メラ・メルはそういって、自分の後ろのほうを指差した。
「我は、そこのドアの裏にいるから、何かあったら呼ぶであるよ」
「僕は、他の仲間に、君が目を覚ましたことを伝えてくるよ」
メラ・メルとロロは、そう言い残して部屋を出て行ってしまった。
少年はふぅっと溜息をついた。
「ロロ、人族、ルーデウス王国。メラ・メル、山族、ケヤキ村」
彼らの言っていた言葉を繰り返してみる。
「見た目は一緒だけど、何か違うのかな」
そう一人でつぶやいた。
それに、行商隊だっけ。
知らなくちゃいけないことが山ほどありそうだ。
自分が何者かもしらずに。
何が待ち受けているのか、不安でしかたなかった。
まるで、暗闇にいるかのような気分になり、少年は先の道を思って、また溜息をついた。
そして欠伸をひとつして、眠気にしたがって目を閉じた。
目覚めた少年を待っていたのは、またしても知らない男であった。
背の高くてがっしりしたその男は、柔らかい口調で言った。
「名前が、必要ですね」
「…誰ですか」
口をついて出た言葉に、男の後ろから部屋に入ってきたロロがふきだした。
「失敬、私は、ブラッド・キャラバンという行商隊のキャラバン長、グスタフといいます」
そういってグスタフは手を差し出してきた。
少年がぎこちない動作で握手に応じると、グスタフの肩越しでロロがウインクしてみせた。
グスタフがいうには、キャラバンには他にもメンバーがいるが、一度にあっても疲れてしまうだろうから、といった。
今後少年が体力を取り戻すまではここに滞在するから、そのうち覚えればいい、と彼は言った。
「ゴホン、それでだね。名前が必要だといったがね、実はある人から助言をいただいてね」
ある人?誰ですか。少年はその言葉を飲み込んだ。
口をはさんじゃいけない気がしたからだ。
「君の名前は、ブレイズ。そう呼ばせてもらいます」
「ブレイズ」
少年―ブレイズは繰り返した。
「この地に伝わる古い神の言葉で、炎を指す言葉らしいのですが、「道標」の意味もあるとか」
グスタフは目を細めた。
「君の名前が、君の記憶の道標になることを祈っています」
ブレイズ。
うん、悪くないな。
「気に入ってくれたようで何よりです」
グスタフはブレイズの表情を見てそういった。
この男は見た目は厳ついが、温和な性格らしい。
「さて、私は、少し仕事がありますので、戻ります。何か用があれば、ロロ殿に」
グスタフはそういうと、流れるような動作でお辞儀をして出て行った。
残ったロロは、ブレイズの質問にいろいろと答えてくれた。
この世界は竜頭島という、伝説の生き物の頭の形をした島らしい。
ロロは一枚の地図を広げ、指差しながら説明してくれた。
「ここ、ちょうど眼のようになっていることから、「竜の眼」って呼ばれてるの。僕らがいるケヤキ村は、このあたり」
「それじゃ、この山にはもっと上があるんですか」
ブレイズがそう聞くと、ロロはうーんとつぶやいた。
「聞いた話だけど、なんでも山の上のほうは神聖な領域で、普通に上ろうとしても迷ってしまうらしい。僕らの国から見ても、上のほうはいつも雲がかかっていて見えないんだ」
他にも彼は、人族の国のこととか、自分の故郷のことも話してくれた。
「早く外に出てみたいです」
ブレイズがそういうと、ロロは笑って少年の頭に手を置いた。
「世界中を見て回れるさ」
再び眠気がやってきたとき、不思議と未来への不安は消えていた。