4話
数カ月ほど前のことである。
ダルマ・カルマは唐突に眠気に襲われた。
「ハル・ベル、ワタシ ハ 眠リタイ」
ダルマ・カルマは唸り声を絞り出して、目の前の老人に告げた。
ハル・ベルは山族の民で、ケヤキ村というところの冒険者ギルドの長を務めていた。
「おや、大師匠様、おやすみですかな」
ハル・ベルはちょっと驚いた様子で答えた。
なにせ、竜人は普段睡眠をとらないのだ。
ハル・ベルは微笑むと、彼と遊んでいたチェスの記録をとった。
「これは、また今度やりましょうか」
「ワタシ 二…ワタシ ハ? 面白カッタ」
竜人は爪の生えた指で頭をかいた。
「現代語 ハ 難シイ」
「お上手ですよ、大師匠様」
ハル・ベルがそういってダルマ・カルマを見ると、彼は大きなあくびを一つした。
「ワタシ 地下ノ間 二 行ク。神々 ガ 待ッテイル」
ダルマ・カルマはふわりと翼を広げて、そして霧に包まれて消えてしまった。
「これは口に合わなかったかな」
残されたハル・ベルは一口だけ飲まれたエールのジョッキを見て、ポツリとつぶやいた。
ダルマ・カルマは、地下の間に潜ったきり、ひと月は出てこなかった。
心配になったハル・ベルは地下の間に様子を見に行ったが、中からはなんの物音もしない。
「大師匠様、いらっしゃるのですか?」
ハル・ベルが声をかけても返事がない。
そこでハル・ベルは思い切って扉を開けて入ってみることにした。
「入りますよ!」
ハル・ベルはそういって、グイッと扉を押しあけようとした。
「あ、あれ」
扉は押しても引いてもびくともしない。
ハル・ベルが途方にくれて扉の前で突っ立っていると、ふっと扉の奥で何かが動く気配がした。
ハル・ベルはぱっと顔を明るくして声をかけた。
「大師匠様、いらっしゃるのですか?」
「如何シタ カ。ワタシ ハ ズットイル」
ダルマ・カルマは気だるげな唸り声を返した。
「大師匠様、お入りしても?」
ハル・ベルがおずおずと尋ねると、了解の唸り声が一つ返ってきた。
今度は開くだろう、そう思って、ハル・ベルは再び扉を押しあけようとした。
「あ、あれ」
扉は押しても引いてもびくともしない。
ハル・ベルが困惑した表情で扉を見つめていると、その奥から、クツクツと笑い声がした。
「ソレ ハ 横二」
ハル・ベルがようやく地下の間に入ると、ダルマ・カルマは祭壇の上で丸くなってくつろいでいた。
「ワタシ ハ 面白カッタ」
竜人が扉を指差すと、扉はふっと霧になって消えた。
「母 ハ 焦ル者ハ視野ガ狭クナル ト言ッテイタ」
ハル・ベルのほうは面白くなさそうに言った。
「皆が心配しておりましたよ、ひと月も出てこられないなんて」
「スマナイ、時ノ流レヲ 忘レタ」
「それで、いったい何があったのです?」
ハル・ベルが竜人に尋ねると、ダルマ・カルマは姿勢良く座りなおした。
「夢ノ中デ 古イ神 ハ 言ッタ。災厄ガ訪レル。古イ憎シミガ血ヲ呼ビ、島ハ火二沈ム」
「なんと…それは、一大事だ…大師匠様、私はどうしたら?」
ハル・ベルは驚愕し、焦る様子で聞くと、ダルマ・カルマは大きな尻尾をさっと振った。
「最後 マデ聞クガ良イ。古イ神 ハ コウモ言ッタ。間モナク 竜ノ炎ガ現レル、トナ」
「竜の炎、ですか」
「竜ノ炎、神ノ力。竜ノ炎 ハ 全テヲ焼キ尽クス」
ハル・ベルはぶるりと体を震わせた。
「島は火に沈む…、もしや、竜の炎がそれだと思いますか?」
「ドウダロウ ナ。竜ノ炎 ハ 神ノ力。神ガ 我々 滅ボス ナラ 回リクドイコト ハ シナイダロウ」
「では、災厄に対抗する力だと?」
「ワタシ ハ ソウ思ウ」
ダルマ・カルマはゆっくりと立ち上がった。
「探スガ 良イ」
ダルマ・カルマが再びさっとしっぽを振ると、霧の中から扉が現れた。
ハル・ベルが出て行きがけにダルマ・カルマを振り返ると、竜人はいたずらっぽくウインクをして見せた。
「チェス ノ 続キハ ソレカラ」
それから一週間後。
「竜の炎が見つかったかもしれない」。
ハル・ベルのもとに一件の連絡が入った。
話を届けた守衛によると、なんでも北山脈を横断中の人族の行商隊が、一人の少年を保護したらしい。
そこをたまたま通りかかったケヤキ村の青年、メラ・メルが、少年を見ると、なにやら只ならぬ力をその身に感じたのだとか。
「メラ・メルの魔眼、やはり良い力を持ったものだな」
ハル・ベルはなんとなしに呟いた。
メラ・メルは真面目な性格の青年だが、やや年よりくさいところが見え隠れするのが残念な、このケヤキ村出身の冒険者である。
彼は珍しい魔眼を持っていて、それは「魔力を見ることができる」というものだった。
しかしメラ・メル自身はそれにあまり気づいておらず、「自分は夜目がとてもよくきく」くらいの認識だったらしい。
おそらくそれは、空気中の魔力や物質が含む魔力がその眼に形として見えているのが理由なのだろう。
メラ・メルが最初に魔眼の正しい効力を知ったとき、彼はたいそう驚いていた。
今回少年から感じた「只ならぬ力」も、きっと魔力を感じ取ったのだろう。
ハル・ベルはそう思い、すぐにその話を大師匠ダルマ・カルマに伝えた。
ダルマ・カルマも納得したようで、「神々 モ 待ッテイル」と告げた。
「ソウ、扉ノコト ハ 内緒。ワタシ ハ 面白イ カラ」
ダルマ・カルマがひげを震わせて笑い声のような唸りを漏らすので、ハル・ベルは思わず彼に尋ねた。
「大師匠様は、災厄が訪れることを恐れていないのですか?」
すると、ダルマ・カルマは目を閉じて唸った。
「全テ ハ 古キ神ノ意思。神 ガ 力ヲ授ケラレル。 恐レルモノ ガ 何処二アル」
そういったあと、ダルマ・カルマは、ハル・ベルに向かって微笑んだ。
「ソレニ ワタシ ガ イルデハナイカ」
ハル・ベルが頷くのをみて、ダルマ・カルマは満足げに唸り声をあげた。
それからしばらくして、メラ・メル一行は、見事に扉の罠にひっかかった。
ダルマ・カルマが扉の奥で大笑いしているに違いない。
ハル・ベルはそう思うと、彼も笑いをこらえきれずに微笑んだ。
5話から主人公視点です。