1話
「にしても、ここはいつきてもひどい雨でございますな…」
瞼に滴る雨粒をぬぐい、やれやれ、と老戦士が呟いた。
隣の若い戦士は布きれで顔をふき、
「いえてますねー」
と間の抜けた返事を返す。
「ロロ!もうちょいと気を引き締めぬか」
老戦士は厳しい声で言ったものの、幾度となく行き来したこの道、異常があれば真っ先に気付くのは紛れもなく、自分ではなくロロであると確信していた。
「わかってますよーテルガーさん」
肩をすくめたロロをよそ目に、テルガーは先の道のりを思いやる。
彼らは行商隊「ブラッド・キャラバン」の護衛で、森族と取引したキャラバンとともに帰り路についていた。
竜の眼の溶岩肌をやっとのりこえたと思えば、北山脈の土砂降りっぷりといったら、川の1つでもできないのが不思議なくらいであった。
せめて竜の眼を進む行程を省けたら、と思うが、何せそのふもとには血気の多い火族の連中がいて、とてもではないが通り抜けさせてなどもらえぬのだ。
彼らは度々山のほうにも攻め込んでくるので、山族に教えてもらった秘密の抜け道を通るほかない。
その秘密の抜け道とやらは、まるで整備されていないゴツゴツ道で、かつてマグマが通ったトンネルを重たい荷物を抱え、馬車を引きながら行くものだから、散々な疲労である。
そしてその後に、毎度土砂降りの雨にさらされなくてはならないのだ。
南の行路を通れば、火族のなわばりの傍を通らずに済むのだが、南山脈と東山脈を越えねばならぬし、距離は3倍以上にもなる。
効率を考えると、北行路のほうが圧倒的に良いのだ。
それでも南に行けば土砂降りは免れるな、とテルガーは重たい歩みを続けた。
「なぁグスタフさん、あそこのポイントで少し休みませんか」
ありがたい提案だ、テルガーは発言の主に感謝の眼差しを向けた。
発言の主、リードというメガネの男は、このキャラバンの財務を任されている人物である。
そして「グスタフさん」こそが、ブラッド・キャラバンのキャラバン長なのだ。
先頭の馬車に乗る大柄の男、グスタフはすぐに了解して、巨大な岩陰、通称「ポイント」に火をおこすように命じた。
ポイントは山の中にあるいくつかの休憩ポイントだが、北山脈にはこれが他と比べて断然少ない。
「助かったぁ」
テルガーの横をロロは駆け足ですり抜けていって、少しでも乾いた地面をつくろうと、岩陰の下に火魔法を撃っていく。
「いやはや、ロロ殿がいてくれて助かりますな。私も魔法を使えたら良いと思うのですがね」
そういいながらグスタフは乾いた布で、ぐしょぬれの頭をふいた。
すぐに使い物にならなくなった布をロロのおこしたたき火の傍に放ると、新しい布を探して馬車の中にもぐりこんだ。
「最近の若い者は、ほんとうに賢いものばかりであるよ。わしらの時代ときたら、ただ剣を奮うことしか脳になかった」
テルガーは目を細めていった。
少しばかり嫉妬も覚えるが、と老戦士が付け加えると、ロロは珍しく戦士の姿勢で向き合ってきた。
「テルガーさんは、今は引退って形をとっていますが、ルーデウス王国最強の近衛兵士団の団長を務めた方。あなたの剣にかなう人は、いやしませんよ」
テルガーはロロにむかって優しく微笑むと、肩をたたいてやってから、彼のおこしたたき火の傍に腰を下ろした。
「では期待の星よ、この老体にかわって、先に見張りを頼むよ」
ロロは少しはにかみながら、見張りに立とうと雨の中に足を踏み出した。
「…あれ?」
ロロの足がパタリと止まる。
「どうしたロロ」
テルガーが異常を察して立ち上がる。
だが、ロロの視線の先にあったのは、想像もつかぬものだった。
「人…の…こ、ども…?」
テルガーがぽつりとつぶやく。
同時にロロがかけよろうと足を踏み出した。
「待て!」
テルガーはさっとロロを引きとめた。
「火族の罠である可能性を忘れるな。私が行く。お主はキャラバンの者と」
ロロは黙って頷いたが、心配そうに子どもを見ていた。
テルガーは剣をひきぬき、警戒しつつ子どもの傍に寄っていく。
「このような雨の中、いったいどこから?」
ガタガタと寒さで震えるその子ども、少年は、見た目10歳ほどで、どうやら意識はないように見えた。
罠の類はないと判断し、テルガーはそっと子どもを抱き上げる。
ガリガリに痩せているわけでもなく、いたってまともな生活はしてきていたようだ。
雨の中から戻ると、すっかり頭の乾いたグスタフとロロが出迎えた。
他のメンバーも興味深げにこちらをうかがっている。
「ふむ、少年か…。すぐに体を温めてやらぬとな」
グスタフは目をぐっと細めた。
「いったい誰がこんなところに…」
「捨てられた、そう思いますかな?」
テルガーがグスタフに問うと、グスタフは難しそうな顔で目を閉じた。
「この少年が、目を覚ませばわかるだろう」
メガネの男、リードが毛布を抱えてやってきて、皆がたき火の傍に戻ったので、ロロは再び雨の中の見張りに向かった。
「ふむ、うちの息子と同じくらいの年ですかねぇ」
リードがメガネを押し上げて言った。
「少なくとも私の町の子ではないですね」
「迷い込んだ可能性もなくはないが、国を出るのにも、山族の領地に入るのにも、役所の許可が必要だ」
グスタフは唸って、たき火で温めた酒を一口飲んだ。
「ひとまず、山族の者にお話を聞いたほうが良いのでは?」
テルガーはグスタフからまわされた酒を断りつつ言った。
リードは酒を受け取って、一口あおってグスタフに返した。
「そうだな、森族からの品の納期もそう差し迫っているわけではないし、いったん寄り道をして、竜の眼の冒険者ギルドにでも寄ろうか」
そういってグスタフはソーセージを取り出し、テルガーに放ってよこした。
「その間に彼が眼を覚ましてくれると、良いのですが」
テルガーは適当な木の枝を串代わりにソーセージに突き刺しながら呟いた。
たき火で炙りはじめると、少しして肉の良い香りが漂い始める。
傍に横たわる少年にちらりと目をやるが、震えたまま顔色も悪く、目を覚ますかどうかも分からない様子であった。
「王都で務めていたころに耳に挟んだのですが、山族の者の中には、治癒魔法が使える魔道士がいると聞いたことがあります」
テルガーがそういうと、グスタフも頷いた。
「探してみる価値はあると思いますな」
今後の方針が固まったころ、ソーセージも食べごろになって、一同はようやく食事にありついた。
「これを食べてしまったら、出発しようか。ロロ殿には申し訳ないがね」
グスタフはそういって、大きく伸びをした。
「ロロを呼んできましょう」
テルガーは手をつけていないソーセージを2本、若戦士への手土産に立ち上がった。