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その2

「京谷さん!」

徳海の姿が見えたとたんに、女性は輝かんばかりの笑顔で手を振った。それはまるで恋人に向ける態度のようだ。

 ――え、この人ヘッドハンティングの人なんだよね?

 いろいろ気になるが、この香水臭さが弘美の思考回路を遮断する。徳海はどうやら買い物に出ていたようで、片手にコンビニの袋を下げている。弘美はどうやらどこかで徳海とすれ違っていたようだ。

 徳海が一瞬逃げようというそぶりを見せたが、女性が追いかけるのが早かった。

「さ、今のうち」

草野が弘美の手を引いて、さっさと研究棟に入った。こうすれば、女性は勝手に入れない。


 弘美は研究棟の中の空調の効いた空気を胸いっぱいに吸い込んだ。実に生き返った心地がする。

 ――あの人が来るのが、あと五分ずれてくれればいいのに!

 そうすれば少なくとも、弘美はこの場にいなかった。三角関係に巻き込まれることもなかっただろうに。今日はツイてない。しばし鼻の中に残っているように感じる香水臭さを追い出そうと奮闘していると、外の徳海と女性の声が聞こえる。

「ねぇ京谷さん、もう素直になりましょうよ」

「邪魔だ、散れ」

なんだか声だけ聴いていると、愛人に迫られている浮気男の図に思えなくもない。

 草野が気遣うように弘美を見た。

「徳海から聞いた? 彼女は藤沢さんといってね。ヘッドハンティング会社の人だよ」

「はあ、だいたいのあらましは聞きましたよ」

弘美はスーハースーハと深呼吸をしつつ、草野の問いかけに答える。

「いつだったか、徳海さんがすっごいマジ切れしていた相手さんですよね」

「ああ、君が誤解してなければいいんだけどさ」

草野がなにやら微妙な顔をしているが、今弘美は深呼吸で忙しい。あの香水に鼻が汚染されている気がする。


 草野もなにかの作業中だったらしく、弘美にずっと付き添ってはいられないらしい。弘美とて、もういい歳なのだから、一人でも時間は潰せる。というわけで、草野と別れて徳海の資料室へと向かった。だが徳海は外出するので鍵を掛けたらしく、彼の資料室には入れない。そして徳海はまだあの藤沢という女性から解放されないようだ。

 長くなりそうなので弘美が廊下で暇を持て余していると、徳海の隣の部屋から、白衣の女性が出てきた。

「徳海くんはまたやられているらしいわね。窓から声が丸聞こえ」

髪をショートカットにしており、服装もデニムにポロシャツというボーイッシュな恰好の女性だった。

「ほら、そんなとこにいても暇でしょ? こっちにいらっしゃい」

弘美は彼女に手招きされるまま、隣の資料室へと招待されることになった。

 隣の資料室は、とても綺麗に整理整頓されていた。ソファの上にも本がない。徳海の資料室は、時間ができたら片付けると言っていながら、ずっとあのままだ。弘美が隣との違いに関心していると、彼女が簡易冷蔵庫から冷たいお茶を出してくれた。


「ここの研究員の綾川弥生あやかわやよいよ、一応徳海くんの先輩ね」

「どうも、文学部一年の但野弘美です」

弘美は中学生に間違われる前にきっちりと自己紹介をした後、ありがたくお茶をいただく。香水臭さが洗い流されるようだ。弘美がお茶を飲んで和んでいると、綾川が興味深そうな顔で問いかけた。

「あなた最近、よく隣に来る子でしょう?」

「はあ、えっと。ちょっとした縁ができまして」

弘美はちょっと驚いて、言葉を濁した。

 研究棟の人たちは基本自分の研究室や資料室に籠っている。なので弘美がいつも廊下を歩いていて、誰かとすれ違うことはない。これまでに二度あったくらいだ。それも研究のことで頭が一杯なのか、ちらりとも見られなかった。なので草野とインターフォンをとる人以外に、自分の行動が把握されていたとは思わなかった。

「あの男が小さな子を後ろに従えて歩いているから、隠し子かって言われてたのよ?」

 ――なんですと!?

 弘美のことがそんな噂になっていたとは驚きだ。ここの研究員は興味のないふりをしながらも、興味深々だったらしい。騙された。


「あの男は研究馬鹿で、つまらないでしょう?」

そう言って徳海との接点を聞きたがった綾川に、弘美は徳海とのお間抜けな出会いの話を聞かせることになった。

「ああ、あのコーヒーね。私も友人のために、たまに買って帰るのよ」

「美味しいですよね、あれ」

弘美が理学部購買を探して研究棟へと行きついたと聞いて、綾川は楽しそうに笑った。そうして行き倒れた弘美を救ってくれたのが、たまたま外で休憩していた徳海だと言うと、綾川は目を丸くした。

「へえ、徳海くんも優しいところがあるのねぇ」

弘美は徳海の先輩だという綾川に、せっかくなので気になっていたことを聞いてみることにした。

「徳海さんは、なんでヘッドハンティングの話を受けないんですかね?」

弘美は資料室の隣の研究室には入ったことがないので、徳海がどんな研究をしているのかなんて知らない。けれど余所から才能を認められるというのは、とてもいいことなのではないだろうか。この疑問に、綾川は苦笑した。


「普通はそうなんでしょうね。でも徳海くんは、ちょっと飽きっぽいのよね」

一つの研究で自分が満足できる結論が出ると、もうその研究に興味をなくすのだそうだ。そして新しい研究に着手する。それの繰り返しなのだとか。

「才能のある男だから、発表すれば注目される論文を書くのだけれどね。一つの分野を突き詰めていくには、ちょっと向かないのよね」

同じ分野のことをずっと研究するような場所には不向きな人材なのだそうだ。今徳海が助手を務めている教授は、そんな徳海の性格を理解しているため、彼の好きにさせているのだとか。

「そのあたりの自由さが、彼の才能を発揮するために必要なことでしょうね。閉じ込められれば潰れるタイプね、あれは」

「わがままなのか繊細なのか、微妙な人ですね」

弘美の正直な感想に、綾川が笑った。

「ええ、本当に」


綾川とそんな話をしていると、どうやら徳海が帰ってきたようである。ドアを乱暴に閉める音がした。

「徳海くん、ようやく解放されたようね」

目的の人物は帰って来たことだし、綾川の研究の邪魔をしてはいけない。弘美はすぐに立ち上がった。

「ありがとうございました」

「こちらこそ、いい気分転換になったわ」

頭を下げる弘美に、綾川がひらひらと手を振った。

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