修行なのか、死闘なのか4
(小泉の為に死んでやるのが良いのか、生きてやるのが良いのか)
零は自室で寝転がって考え始めた。いつも答えの出ない問いだ。
零が殺されれば理恵は犯罪者になる。
零が生きていれば理恵は苛立つ。
どちらに転んでも理恵に得はない。
(これじゃあゼロどころかマイナスだな、髑髏丸)
呟くが、手に握った短刀は何も言い返してはくれない。
どの道、自分はあの空間の中で浅ましくも願ってしまったのだ。
ゼロのまま、終わりたくないと。
ならば、やるべきことは決まっているかのように思えた。
ただ、詠月の駒となること。それ以外に、零に道はないのだ。
人の助けになる特別な才能。それだけが零の拠り所だった。
(なんて、浅ましい……)
心の中でぼやくしかなかった。
部屋の扉がノックされたのは、その時だった。
扉を開けると、そこには直樹が居た。
「ちょっと来たまえ」
「なんの用ですか?」
「良いから、おいで」
言われるがままに、零は部屋を出ると、先を歩く直樹の後を追った。
辿り着いた部屋には、鳥居というプレートがかかっている。直樹は躊躇わずにその扉を開けた。
中に入っても、反応はなかった。
ベッドの上で、翔子が寝ていた。荒い呼吸を繰り返していて、汗で額に髪がくっついている。
「熱が出ているそうだ。君と理恵くんの死闘を見て精神的に疲弊したんだろう」
「なるほど。で、どうしろと」
「先輩だろう? お金は出すから店へ行って何か飲み物と薬を買ってきてくれよ」
「……まあ、付き合いが長くなる分、恩は売っておくに限りますかね」
零は直樹の差し出した五千円を受け取ると、部屋の外へ向かって歩き出した。
「零くん」
直樹が言う。
「君は死に場所を探すほど生きちゃあいないよ」
その言葉は、けして表情には出さなかったが、零の言葉に染み入った。
「良いかい、自分の年齢を三で割るんだ。」
「その話は、もう聞きました」
零は、逃げるように部屋を後にした。話が長くなるのを嫌ったのだ。
スポーツドリンクと薬を買って戻ってくるのに、十分ほどかかった。
戻ると、直樹が困ったように言った。
「部屋の中が出来合いの商品ばかりだ。君も料理はしているかい?」
「ええ、してますよ。健康を保つのも仕事ですので」
「良いことだ。教えてあげると良い」
「仕事外のことはちょっと……」
その時のことだった。
「母さん……」
翔子が、呟くように言った。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
そう呟いたきり、彼女は再び寝息をたて始めた。
その頬に、涙が一筋こぼれ落ちた。
「母子家庭だったそうだよ」
直樹が呟くように言う。
「彼女は彼女なりに何かを抱えてこの場にいる。何かを犠牲にしてこの場所にいることを選んでいる。それを先輩である君はわかってあげるべきだ」
「わかってあげるべきと言われても……どうしろって言うんですかね」
零は翔子から視線を逸らして、頬をかく。
「教えてあげたまえ。色々なことを」
「……それも仕事のうちですか」
「君が教えた人間が人を助ける。これも罪滅ぼしになるんじゃないかな」
「……それを言われると、弱いですね」
「最低限で良いんだよ。僕もフォローする」
零は、しばし考えこんだ。
今更、人に親しく接する自分というのも考えづらかったのだ。
思えば、親友でもあった相棒をこの手にかけてから、人と距離を置いている自分がいる。
「……最低限は、やりますよ」
しぶしぶと、零はそう答えた。
その翌日、雨が降った。
雨に打たれながら、零は喫煙所へと駆けた。そして、その屋根の下に入ると、慣れた動作でポケットから煙草の箱を取り出し、煙草をさらに取り出し、ライターで火をつける。
しばらく無心に煙を吸っていると、雨の中を駆けてくる足音が聞こえた。
視線を向けると、翔子だった。
翔子は、喫煙所の屋根の下に入ると、零と少し距離をおいた位置に座る。
零は、煙草の切っ先を灰皿に押し付けた。
「昨日はありがとうございました。薬とスポーツドリンクを買ってきてくれたそうで」
「……木村さんの金だから、木村さんに礼を言うと良い」
「けど、買ってきてくれたのは木崎さんと聞きました」
翔子なりに、歩み寄ろうとしているのだろうか。だが、その声はやや強張っている。
「……良いよ、別に」
「ですかね」
「うん」
沈黙が場を包んだ。雨が喫煙所の屋根を叩く音だけが周囲に響いている。
「……流してくれれば良いのに」
呟くように、翔子が言った。
何をだ、とは零は聞かない。
「雨が、過去も、罪も、流してくれれば良いのに」
(現実逃避だな)
零は、心の中で呟く。けれども、同意したい気持ちもあった。翔子と零は同じなのだ。重さは違えど、罪を背負って生きている。そんな実感が、今更ながらに沸いてきた。
それは、肯定の言葉となって口から出た。
「そうだな」
「まあ、そう上手く行かないのはわかってますけれど。たまに、肩が重くなります」
「俺達は背負ってくことしか出来ねえよ。取り返しのつくって言葉があるが、あれは補填が出来るという意味でしかない。過去から未来に時間が進んでいる以上、やってしまったことは変えられない」
「木崎さんは……」
「くんで良いよ」
「え?」
翔子が、戸惑ったような表情になる。
「くん付けで良い。ただ、面倒臭いことは訊くな。俺も、面倒臭いことは訊かん。俺とお前はここにいて、仕事をする。それだけだ」
「……訓練とかについては訊いて良いのでしょうか?」
「それは仕事のうちだから良しとする。どの道今日は雨だから訓練なんかしたくないけどな」
「はい」
翔子が、弾んだ声で答えた。
「木崎くん」
「なんだ。呼んでみただけ、とでも言ったら全力でぶん殴るぞ」
「いえ。これから、お世話になります」
そう言って、翔子は軽く頭を下げた。
零は、少し意表を突かれたような思いになって、返事が遅れた。
「……ああ。よろしく頼む」
雨が振り続けていた。
二人はそれを、ぼんやりと眺め続けた。
多分、各々思うところがあったのだろう。
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それから零と理恵がどうなったかというと、こんなことがあった。
その日、翔子はいつもの庭で、直樹に召喚獣の訓練を受けていた。
「桜舞はまだまだ伸びる召喚獣だと僕は思っているんだ」
直樹は言う。
翔子は、体全体から汗が流れるのを感じていた。翔子の上空には、桜の木がそこにあるかのような桜の花びらの塊がある。
それが現在、翔子が展開できる桜舞の限界枚数だった。
「全部展開し切ると、厳しいですね」
「その状態をあと三十分は保とうか。桜舞は展開できる枚数が多ければ多いほど強固な壁になる。最大展開枚数を増やす努力をしよう」
「はい」
「あと、同時に視れる景色についても増やしていこう。諜報能力を買われて詠月に採用されたわけだからね」
「はい、わかりました」
集中力が、既に乱れ始めている。思えば、桜舞を限界まで展開したことは数えるほどしかなかった。それも、瞬間的に展開しただけだ。それを維持することがこんなに困難だとは、思っていなかった。
喫煙所に座っている零に視線を向けると、彼は彼で、横に重ねた武術書の一冊を読みながらノートに何やら書き込んでいる。
それが、翔子の修行に関することだということは明らかだった。
これは想像以上に大変な道に足を踏み入れてしまったかもしれない。翔子がそう思った時のことだった。
足音がした。
理恵が、玄関前まで出てきていた。彼女は腕組をして、零に視線を向けている。
零も、いつものぶっきらぼうな表情を理恵に向ける。
二人は、そのまま見つめ合っていた。緊迫した空気が、周囲に流れた。
理恵はそのうち、飽きたように零を見つめるのをやめると、アパートの中へと引き返していった。
零も、何事もなかったように、再びノートに視線を落とした。
「二人の決着はついたんでしょうか?」
翔子は、小声で直樹に話しかける。
直樹も、小声で答える。
「殺しきれない自分に気がついて、心境の変化はあったんだと思う。けれども、因縁は切れたわけじゃない。いつ何時、戦いが再発するかは僕らにはわからない」
「……そうでしょうね。簡単に納得できる、事情じゃない」
「結局、零くんは理恵くんにとってグレーな存在のままなんだ。許せるか許せないかの境界のね。彼ら二人は、過去を向いて今を生きている」
翔子は黙りこむ。これでは、二人共苦しみ続けるだけのように思えてならなかった。
「解決、出来る問題じゃないんでしょうね」
「けどね。僕はグレーな雲をかき分けて、いつか青い空が差し込むと信じているよ」
直樹は、翔子を励ますようにそう言った。それは、建前かも知れなかったが。
「だから二人には、未来に繋がる生きがいを見つけるように言っているのに、中々聞いちゃくれないんだな、これが」
直樹が、まいったとばかりに後頭部に手をやった。
零と理恵の因縁、加害者側と被害者側の因縁は消えはしない。けれども、争いは小康状態へと入ったようだった。
次回、海に行こうよ
その前に短い話を挟むかもしれません