修行なのか、死闘なのか3
「攻防一体の髑髏丸にも弱点はある。その巨躯だ」
直樹は静かな口調で説明する。
「相手の攻撃力より勝る時、それは背後をも守る鉄壁の壁となるが、相手の攻撃力が勝る場合、それは大きな的となる」
「それよりも、どういうことですか? 小泉さん、完全に木崎さんを狙っているように見えるんですけれど……」
翔子は怯えていた。目の前で殺し合いが行われているという事実に、この場から逃げ出したくなった。
「狙っているね」
直樹の声には、何処か諦めが篭っていた。
「理恵くんとしては、戦闘中の事故ということにしたいのだろう。けれども、本体狙いが見え見えだ」
「止めてくださいよ。管理人でしょう?」
「下手に止めれば、目の届かぬ所でやるようになる。それは困るんだ」
直樹は、首を横に振って、大きく溜息を吐いた。
「どうしてですか。仲が悪いからって、殺すことなんてないじゃないですか……」
直樹はしばし黙りこんだ。
髑髏丸の肩の甲冑が、ランスに貫かれてヒビ割れた。
髑髏丸は防戦一方で、ランスローに反撃する糸口すら見えない。
「君は後輩だから、知っておくべきかもしれないな……」
直樹が呟くように言う。
そして、次に喋り始めるまで、考えこむようなしばしの間があった。
「零くんは、理恵くんにとっては仇なんだよ」
「仇?」
「そう、仇だ。昔、悪党を懲らしめて金を巻き上げる二人組が居た。零くんはその一人だった」
「木崎さんが……?」
まるでテレビの登場人物のようだ。
ぶっきらぼうな零に、そんな姿はとても似合わない。
「零くんは自分は正義の味方だと思っていたんだろう。巻き上げた金も、被害者に返っているものだと思っていた」
「それは、正義の味方ではないんですか?」
「その悪党が殺されていたとしても、金が着服されていたとしても、そう言い切れるのかな?」
翔子は黙りこむ。返事が思いつかなかったのだ。
「個人が悪を決めて勝手に裁くことほど醜悪なことはない。零くんの台詞だよ」
「木崎さんは、人を、殺して……?」
髑髏丸の巨大な刀に、首を挟まれた時のことを思い出す。あの恐怖を、多くの人が味わったというのだろうか。
「いや。彼は悪人とみなした相手を殺してはいなかった。殺していないつもりだった。殺していたのは、彼の相棒だ。何人もの人間が、彼の知らない所で、彼も責任を負う形で犠牲になっていた。だからそれを知った直後、彼は相棒だった人間を殺害している。捜査に当たっていた詠月の人間を救う形でね。そして、様々な事情を考慮され、詠月に入ることを許された」
翔子は何も言えなかった。
髑髏丸とランスローは戦い続けている。
髑髏丸は防戦一方だ。
翔子はふと気がつく。髑髏丸が腕を伸ばせば、本体である理恵を弾き飛ばせるだろうことに。
しかし、髑髏丸はそれをしない。
ただ、攻撃を避け続けている。
「彼は背負っているんだよ。自分と相棒だった人間、二人分の罪を」
ぶっきらぼうな零。その性格を形成した事件を、知った気がした翔子だった。
「だから、本体を狙わないんですか?」
「皮肉なものだよ。訓練と称して消耗したほうが、不意打ちもし辛くなる。そして、二人の召喚獣を維持出来る戦闘継続時間も伸び続けている。彼らにとって、殺し合いが修行になっているんだ」
また、髑髏丸の甲冑が削れる。
翔子は、焦り始めていた。目の前で人が死ぬのは見たくない。
「やっぱり、止めてくださいよ」
「さっきも言ったけれど、止めれないよ。止めれば理恵くんは不意打ちに方針を変えるだけだ。そのほうがよほど危険だ。それに、零くんもそれを望まない。そうなれば、二人は僕の目の届かぬ所で戦い続けるだろう」
「木崎さんが、望まない?」
「怒りを受け止めようとしているのかもしれないな、彼は」
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「本体ががら空きだぜ、倒して楽になっちまえよ」
(五月蝿い、集中を乱すな)
髑髏丸の声に、零は心の中の罵倒で答える。
ランスローの動きは俊敏だ。次の瞬間にいつ死が来てもおかしくはない。零は綱渡りのような戦闘を行っていた。
「確かに、私の父は善い人間ではなかった」
理恵が、呟くように言う。
「影で悪どいこともしていたんだろうと思う」
(ああ、そうだよ。悪どかった)
「けれども、燃やされて苦みながら殺されて良い人間ではなかった!」
(ああ、その通りだ)
理恵の眉間に、皺が寄る。
そして、叫ぶように言った。
「絶対に打ち倒せ、ランスロー!」
ランスローが突進する。しかし、髑髏丸の剣はそれを通さない。
その次の瞬間、ランスローが距離を取って、立ち止まった。そして、ランスを構えて静止する。
零は次の攻撃に備えて、剣を構える。
その時、理恵の唇の端が持ち上がったのが見えた。
「かかった」
理恵が呟いた次の瞬間、黒い円が零の前で広がっていった。そしてそれは、逃げる間もなく零を包み込んでいた。
気が付くと、零は黒い闇の中にいた。周囲には何も見えない、光すら届かない世界。
これが理恵の作った空間なのだと、零はおぼろげに感じ取っていた。
「おいおい、ざまあねえな。世紀の犯罪者の末路がこれか。仇討で殺されるとか江戸時代じゃねーんだからよ」
髑髏丸が軽口を叩く。
「まあそう言うな、髑髏丸。俺も少々、疲れた」
「小泉の嬢ちゃんはこれで犯罪者の仲間入りだぜ。それで良いのか?」
「俺達に空間をどうにか出来る力はないよ。ここまでだ」
「だから、本体を早く狙えば良かったんだ」
「今更言ってもせんないことだ」
零はその場に座り込んだ。
これこそが自分の死に相応しいのかもしれない。そう思ったのだ。
沢山の人を死に追いやってきた。その末路が仇討による死というのならば、それも相応しいかと思ったのだ。
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黒い巨大な球体が、庭に存在していた。
理恵がそれを維持しているらしい。呼吸が乱れているのか、その肩は大きく上下に揺れている。
まるで底のない闇のようだ。翔子はそれを見て、背筋が寒くなった。
「理恵くん、零くんを開放しなさい」
直樹が、静かな声で言った。
「嫌です」
理恵は、淡々と言い返す。黒い球体を見ている彼女の、その表情は見えない。
「これでは事故に見せかけるという計画も水泡に帰すよ」
「元々、故意ということはわかっていたでしょう?」
「君の父親を殺したのは、零くんではない。彼は何も知らなかったんだ」
「それじゃあ……」
理恵が大きく息を吸った。
「私の父親の受けた恐怖や、苦しみは、誰に返せば良いんですか!」
それは、悲鳴のような声だった。
翔子は何も言えなかった。父親を無残に殺されたならば、翔子とて犯人の仲間を恨むだろう。それは仕方のないことのように思えた。
「君は、事故に見せかけることに拘ってきたね。不意打ちも出来るのにしなかった」
理恵は、答えない。
「君自身にも、迷いがあるんじゃないか? 本当は振り上げた拳の下ろしどころに困っているんじゃないか?」
「……違う」
理恵の声は、小さかった。
「そのまま相手を殺せば、君は絶対に後悔する」
「……違う!」
理恵の声は、刺すような怒鳴り声となった。
沈黙が場を漂う。
「殺すことで解放されるの。私は、この思いから」
「今の心境のまま殺しても、次に待っているのは罪悪感だよ。その重さは、零くんを見ている君が良くわかっているんじゃないのか?」
理恵は、答えない。
「罪を背負い、檻に入れられ、そんな人生を君は望むのか?」
理恵は、やはり答えない。
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零は、呼吸が苦しくなっているのを感じていた。
「空間内の酸素が切れかけてるな、こりゃあ」
髑髏丸が、投げやりに言った。
「ああ、そうだな……」
「このまま、終わって良いのか?」
「何がだ」
「お前の人生はゼロから始まった。何の祝福もない、ゼロからだ。」
そうだ。ゼロであることを望まれた人生だった。
「ゼロのまま、終わって良いのか?」
零は、しばし考えこんだ。それは、嫌だった。しかし、現実という壁が目の前にある。
「そう言われても、これはどうにもならんだろう」
目眩と頭痛に襲われて、零は倒れこんだ。
「ゼロのまま、終わるのか?」
(繰り返すな)
零は、心の中で呟いた。
しかし、心の中では強い抵抗感がある。
(ゼロのまま、死ぬのは嫌だ……)
朦朧とする意識の中で、零はそんなことを思った。
(俺のせいで死んだ人間だって、死にたくはなかった。やりたいことがあった)
そう反論する零も、零自身の中にいる。
零の中で、二つの気持ちがせめぎ合っていた。
その時、闇の中に光が見えた。
「どうする? 光だぞ? そのまま悩んでおっ死ぬか?」
外の景色が見える。そこから、桜の荘の庭が見えた。
零の手が、無意識のうちに前へと伸びていた。
(生きたいのか……? 罪を背負いながら、浅ましくも、まだ生きたいのか……?)
零は這いずるように、前へと進んで行く。
(そうだ、俺は、ゼロのまま死にたくないんだ。ゼロじゃなく、プラスの何かになりたいんだ)
エゴイズムだ、と零は思う。だが、それは紛れも無い零の本心だった。
その時、零の体に力が宿った。
気が付くと、髑髏丸が消えていた。その代わり、体がとても軽く感じられた。
零は勢い良く這いずっていく。光が広がっていく。
次の瞬間、零は桜の荘の庭へと飛び出していた。
座り込んで、目一杯呼吸をする。目眩と頭痛が徐々に治まってくる。
そしてふと気が付くと、目の前に理恵の姿があった。
ランスローのランスが、零の首に突きつけられている。
理恵がしゃがみ込んで、零の顔を睨みつけていた。
零はただぶっきらぼうに、それを見つめ返すことしか出来ない。
「……どうして」
理恵の口が、開いた。
「どうして、私の親の仇を貴方が殺したのよ……。私の怒りは、どうすれば良いのよ」
そう言って、理恵は泣き出した。
ランスローが消えていく。
「……すまん」
零は、そう言って謝るしかなかった。
理恵の泣き声だけが、その場に響き続けていた。