修行なのか、死闘なのか2
「それじゃあ、訓練を始めようか」
「はい」
直樹の言葉に、翔子は穏やかな気持ちで答えることが出来た。直樹や同じアパートの知人達に慣れたおかげだろう。
場所は、桜の荘の玄関前の庭だ。
広いこの場所は、戦闘訓練をするには確かにうってつけだった。
「けど、良いんですか? 通りすがりの人とかが見たら、超能力合戦だって大騒ぎになっちゃうんじゃ……」
「それは大丈夫。ここの周辺には、強い意思を持たなければ侵入できない結界が貼ってあるからね」
「結界、ですか」
「呪具を作る召喚術師もいるということさ」
「なるほど」
召喚術師の仕業ならば、それぐらいのことは出来るのかもしれない。
「それで、どのような訓練を?」
「君の召喚獣を、効率的に使う訓練だね。後は咄嗟の時の判断などを見させてもらう」
「木崎くんと戦う羽目になるんじゃないでしょうね……」
翔子は、やや身の竦む思いでそう言った。木崎零と髑髏丸は、今でも翔子にとっては畏怖の対象だ。
零に視線を向けると、喫煙所に座って興味なさげに空を見ている。彼に不意に視線を向けられて、翔子は思わず肩を強張らせた。
「……さんをつけろって言ったろ」
「はい、木崎さん」
零はそれだけでぶっきらぼうに頷くと、再び空を見始めた。その手は、ポケットの中に入ったり、出たりを繰り返している。煙草を吸いたいのかもしれない。
「それじゃあまず、召喚獣に名前をつけようか」
「名前、ですか」
「愛着をつけたほうが良い。結び付きが強くなる。召喚する際の負担が減る」
「負担は、あまり感じたことがありませんが」
「そうだね。君の召喚獣は小さくて非常に燃費が良い。けれども、やっておくにこしたことはないよ」
翔子は、しばし考えこんだ。
「桜が舞うから、桜舞で良いですかね?」
我ながら安直なネーミングだったが、直樹は満足したように微笑んでみせた。
「なら、簡単な戦闘訓練から始めようか。暴漢を取り押さえる訓練からやってみよう。僕を暴漢と思って取り押さえてみると良い」
翔子は目を丸くする。
「……攻撃して、良いんですか?」
「ああ、手加減はしてくれよ」
直樹は間違っても戦闘向きの人種には見えない。枯れ木を思わせる外見の男性だ。それに、人の骨をも折る桜舞をぶつけて良いものだろうか。
直樹は五メートル程の距離を取ると、翔子に向かって駆け始めた。
翔子はとりあえず、大量の桜舞を直樹の両手両足に向けて纏わりつかせた。直樹の動きが、止まる。
そして次の瞬間、直樹の両手は桜舞を振り払っていた。
手加減していたとはいえ、力づくで桜舞を振り払ったのだ。あの細腕の何処にそんな力があるのだろう。翔子は目を丸くした。
直樹は平然とした表情で、足の桜舞も振り払い始める。
「及第点だが、非効率だ。自分より上位の腕力を持った相手には通用しない」
駄目出しだが、彼らしい優しい口調だった。
「それでは、正解は?」
直樹は、人差し指を天に向けて立ててみせた。
「関節を狙うことだ」
「関節、ですか」
「そう。膝の後ろや足首なんかが効果的だね。不意をついて敵を転ばせるわけさ。そして固定する。倒れた状態から四肢を抑えられて立ち上がるには相当の腕力差が必要だ」
「なるほど、やってみます」
頷くと、直樹は再び距離を置いて、走り始めた。
その足元に、翔子は桜舞の一枚を配置する。直樹はそれに躓いて、見事に転んだ。翔子は続けざまに、桜舞の一枚一枚で直樹の四肢を固定していく。
直樹の右腕が、ゆっくりと桜舞を押し上げて持ち上げられる。そして、大地を掴んだそれを支柱に、彼は立ち上がろうとする。
その支柱を、横から桜舞の一枚がさらに襲って、すくった。直樹の体は再び地面に倒れ伏した。
直樹は動かなくなる。
やり過ぎだっただろうか。彼との関係が険悪になる可能性を考えて、翔子は少しだけ青ざめた。
「あの……大丈夫ですか?」
「いや。立派立派。今の調子だ」
「良かった」
直樹の褒め言葉に、翔子は安堵の息を吐いた。
「じゃあ、拘束を解いてくれるかな」
「はい!」
直樹は立ち上がって、服から地面の土をはらう。
「木村さん、本気出せばそんな拘束自力で抜け出せるでしょ」
零が、声をかけてくる。
確かに、桜舞に纏わりつかれても軽々と抜け出た彼だ。数枚で抑え切れたのは不自然だった。
「一般人相手と思えば、十分に合格点じゃあないかな。それじゃあ、次は超スピードで動き回る敵への反応を見よう」
「超スピードで動き回る敵、ですか」
「そう」
直樹がそう言った次の瞬間、翔子と彼の間の距離が消えていた。
彼の顔は翔子の肩の上にあり、彼の手が翔子の首を掴んでいる。
翔子ははっとして、慌てて後ずさった。
「今のが敵なら、君は一度死んでいる」
直樹は穏やかな声で言うが、翔子の背中には冷や汗が流れていた。
この男は一体何者なのだろう。一枚で人の体を骨折させる桜舞を跳ね除ける腕力。一瞬で距離を詰める移動速度。
流石は召喚術師達が住むアパートの管理人。只者ではない。
得体の知れないものを感じて、翔子は怖気づいた。
その時のことだった。
「訓練してると聞いて、お邪魔しに来ました」
振り返ると、そこには理恵がいた。見学でもしに来たのだろうか。そう思ったが、彼女は零に向かって一直線に歩いて行った。
「今日もご教授願えるかしら?」
翔子ははっとした。この二人は、会えば部屋が壊れるような喧嘩をしかねない犬猿の仲だと小百合が言っていた。
「良いぜ。準備運動は済ませてある」
零は、ぶっきらぼうにそう言って立ち上がった。そして、理恵に体を向けながら相手と距離を置く。
なんだ、仲が良いではないか。翔子は拍子抜けしたような気分になった。
「二人共、あくまでも訓練と言うことで良いね?」
直樹が、二人に問いかける。いつになく、厳しい口調だった。
「かまいません」
理恵が、片方の目だけを直樹に向けて頷く。そして、前を向いて零と対峙した。
その眼前に、銀色の甲冑を着た騎士が現れる。その手には、ランスが握られていた。
「理恵くんの召喚獣、ランスローだ」
いつの間にか翔子の隣に立っていた直樹が、解説してくれた。
対する零も、髑髏丸を展開する。甲冑を着た三メートルはある上半身だけの骸骨は、召喚術師を飲み込むように包み込んだ。その周辺に、人を軽々と両断するであろう巨大な刀が現れる。
肌を刺すような緊迫した空気が、周囲に立ち込めていた。その空気に、翔子は戸惑うしかない。まるで、真剣勝負を前にしているかのようだ。
髑髏丸は剣に手を添えて、ランスローはランスを構えて、微動だにせず相手の動きを伺っている。
次の瞬間、ランスローの目の前に、真っ黒な円形の何かが現れた。それに飛び込んだ次の瞬間、ランスローは髑髏丸の目の前に居た。その手に握られたランスが、髑髏丸の中央を抉らんと突き出される。
それを、髑髏丸は素早い動きで回避していた。
「瞬間移動?」
翔子のつぶやきを、直樹は否定する。
「いや、空間を作ったんだ。二人の距離を無にするルートを新たに作りだしたんだよ」
空間を作る召喚獣。なるほど、このアパートの中だけでも、信じられないような召喚獣がたくさんいるようだ。
翔子は素直に感心してしまった。
「……桜舞とは相性が悪いですね。防御網を突破して一気に本体を狙われてしまう」
「ああ。そして彼女のあの槍は、髑髏丸の甲冑を貫き得る」
翔子は驚きのあまり握っていた手を開いてしまった。
「けれども、さっきランスローは髑髏丸の中心を狙っていませんでした?」
そこには、木崎零という術者が居たはずだ。
直樹は、真剣な表情をして答えない。
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零は神経を集中させていた。
回避行動を続けつつも、ランスローの動く先を視線で追い続ける。
避ける、視る、避ける、視る、避ける、視る、それを繰り返す。
ランスローの空間転移の弱点は、直進しか出来ないことだ。黒い円が現れたその直線上にしか、新たなルートは生まれない。
彼女が香車と呼ばれる所以だ。
また、背後に転移されても相手が反転するまでの一瞬のタイムラグが起きる。
だから、ランスローから視線さえ切らなければ、相手の攻撃が直撃することは避けられる。
不意打ちにはこれ以上なく適した召喚獣。例え人質を抱えた犯人が居ても、スタンガンでも持たせて突っ込ませれば、一瞬で無力化してくれるだろう。
ただし、細身で身を盾に出来ない分、多数の人質を守るようなシチュエーションには弱いが。
その時、ランスローが予測よりもさらに奥へと着地した。
一瞬、視線が切れた。
その瞬間、零はランスローの姿を完全に見失っていた。
前から来るか、後ろから来るか。下からか、上からか。
彼女なら背後から襲う。零はそう考えて、振り向いた。髑髏丸もそれに合わせて、俊敏に振り返る。
そして、髑髏丸の巨大な剣が、ランスローのランスを防いでいた。
狙ったのは下。その甲冑の奥にいる木崎零そのもの。
やはり、殺しにかかっているな。零は苦い顔をするしかない。
理恵は零を殺す気でいるのだ。それは、今に始まったことではなかった。