修行なのか、死闘なのか1
修行なのか、死闘なのかは今日中にアップし終えます。
次回は海へ行こうよ、になる予定。
「桜の荘へようこそ」
鳥居翔子が木村直樹にそう言われて迎え入れられたのは、鉄筋の大きなアパートだった。部屋が数十はあるだろうそれは、アパートというよりは、マンションと称したほうが似合う気がするのだが、直樹曰くアパートなので翔子は特にそれについて細かく考えたことはない。
「桜の召喚獣を扱う君と桜の荘。何か縁があるのかもしれないね」
翔子は曖昧に微笑んで返事をする。
嫌な縁だな、と思ったが、それは心のなかにしまっておいた。
それから二週間。アパートの生活にも慣れた。
食事はもっぱらコンビニの商品やスーパーの惣菜になったが、健康のバランスを損ねないようにそれなりに配慮している。
昼になると、直樹にお茶会に誘われることが多い。
直樹の部屋には色々な人が出入りしていた。管理人ということもあって、人望が厚いのだろう。
「今日はチーズのパウンドケーキを仕入れました」
そう言って直樹がパウンドケーキを振る舞う。
集まっている面々は、ほとんどが学生のような年頃の人間か女性だ。翔子が馴染みやすいように気を使ってくれているのだろう。
「紅茶、出来ました」
そう言って、東雲小百合が紅茶の入ったティーカップをテーブルの上に並べていく。古書の多い直樹の部屋で飲むお茶は、なんだか日常と違った雰囲気を翔子に感じさせてくれる。
「悪いね、小百合くん」
直樹が小百合に軽く頭を下げる。
小百合は左手に持った紅茶のティーカップが揺れる勢いで右手を振った。
「いえ、冬か火事場でしか役に立たない私みたいな召喚術師、これぐらいしないと。雑用は全然任せてくれてオッケーです」
「じゃあ、夏には草むしりを手伝ってもらおうかな」
「もちろんです!」
小百合ははっきりとした声で言う。
(冬にしか役に立たない?)
召喚術という便利な術を扱えるというのに、それは不自然なことのように思えた。
しかし、それを訊ねられるほど翔子は小百合と親しくはない。腰の低い穏やかな人ということはなんとなく分かる。年の頃は二十代前半といったところだろうか。
翔子の考えを表情から察したのだろうか。直樹は苦笑してみせた。
「小百合くんの召喚獣は殺傷能力が高くてね。出番が中々ないんだ。それは大きな防御能力にもなる。いざという時に頼りになる存在としてここに居てもらっている」
「またまた、お情け採用ですよ」
小百合は直樹の言葉をそんな風に笑い飛ばす。
「出番が無いのは俺も一緒だよ」
僕も僕も、と言わんばかりの元気さで、少年が声を上げる。
「友里くんの召喚術はレアだからね。ここに居るのは、身を守るためと、召喚術師の存在に慣れるための訓練だ」
友里はまだ幼いとも言える少年だ。そんな少年が希少な能力を身に着けているらしい。
日常には慣れたが、まだまだわからないことだらけだな、と翔子は思う。
「鳥居さん驚くよー。俺の能力を見たら」
友里は元気一杯に翔子に声をかけてくる。周囲の面々も、穏やかに微笑んで頷いてみせる。
「どんな能力なの?」
「秘密。見る時までのお楽しみ」
「意地悪だなあ」
翔子は、誇らしげな少年に苦笑するしかない。
「そうだ、翔子くん」
直樹が、ふと気がついたように言った。
「零くんを誘ってくれないかな。それで断られたら、理恵くんを」
その言葉に、場の人間が少しだけ強張った表情になった。
空気の変化に、翔子は戸惑うしかない。
翔子も零は苦手だ。しかしそれは、対戦した時に恐怖を味合わされたからという勝手な理由でしかない。
「木崎くんと、理恵さん、ですか?」
「場所わかんないでしょ、私が案内してあげるよ」
そう言って、紅茶を配り終えて座っていた小百合が腰を上げる。
「そうだね。零くんに関しては、直属の先輩に当たる人の部屋だから、覚えておいたほうが良い」
直樹の言うことももっともだったので、翔子は小百合とともに部屋を出た。
薄暗いコンクリートの廊下を、二人歩いて行く。
「どうして、二人一緒じゃ駄目なんしょう?」
不可解な思いを、翔子は小百合に訊ねることで解消しようとした。
「うーん」
小百合は苦笑して、しばし言葉を選んでいるようだった。
「因縁の間柄って奴なのかな。一緒にさせたら危ないというか」
「危ない?」
「最悪、部屋が滅茶苦茶になる」
「そこまでですか」
よほど、二人は仲が悪い間柄らしい。
「まあ、大丈夫だとは思うけどね」
小百合は確信したようにそう言った。
翔子はその言葉に安堵した。
「そうですよね。大の大人が何もないのに部屋を壊すような喧嘩をするわけないですもんね」
「ううん、違う。零くんって付き合い悪いんだ。絶対に断るよ。愛想も悪いし目つきも悪い。正直、私は苦手だな~」
穏やかな口調で、小百合はそんな風に言ってのけた。
翔子は、再び心が硬化するのを感じる。
「良い所もあるんじゃないでしょうか?」
自分の直属の先輩だ。良い部分の一個ぐらいはあってほしいものだ。願いを込めるような思いで翔子はそう訊ねた。
「う~ん、良い所。ストイックなところかな。部屋にトレーニング機器揃えてて、いつも鍛えてるみたい」
「真面目な人なんですねえ」
「けど、無愛想だからねえ」
何やらそんな先輩を持ってしまった自分は先行きは怪しそうだ。翔子は少し憂鬱になってきた。
「ここだよ」
そう言って、小百合が足を止めたのは、一階の端の部屋だった。
「さ、ノックしてみて」
「私がですか」
何やら危険人物に接触を図るような緊張感があった。
「可愛い後輩をやらなくちゃいけないからね」
励ますように小百合が言う。
「そうですね。これからしょっちゅう顔を合わせるんですもんね」
翔子はゆっくりと、零の部屋の扉に手を近づける。そして、意を決してノックした。
「木崎くん、居ますか?」
しばしの静寂の後、ゆっくりとした足音が近づいてくるのが聞こえた。
零がぶっきらぼうな表情で、顔を出した。
「……なんの用だ? 訓練の開始はまだ先だろう」
「木村さんが、ケーキでもどう」
「興味ない」
言い終える前に返事をされて、翔子は少しだけ驚く。
「用件はそれだけか?」
零の無感情な目に見つめられて、翔子は身の竦む思いだった。
「はい」
「手間かけさせて悪かったな」
そう言うと、零は扉を閉めようとし、そして動きを止めた。
何か不手際があっただろうか。翔子はますます小さくなる。
「あと、木崎くんじゃない。さんをつけろ」
そう言うと、零は扉を閉めてしまった。
小百合は再び歩き始める。翔子は慌ててその後を追った。
「ね、愛想なしでしょ」
小百合は苦笑して、そう口にする。
「思った以上です」
先行き不安だな、と翔子は思うしかない。
「木村さんと、直属の先輩だった桜井さんにはそれなりに心を開いている節があるんだけれどね。基本的にあんな感じで人付き合いを避けてるの」
「人間嫌いなんでしょうか?」
「うーん。一概にそうとも言えないんじゃないかな。ストレートじゃないのよ」
「ストレートじゃ、ない?」
「考え方がちょっと逸れてるって感じなのかなあ。まあ、付き合い辛い人だと思うから、愚痴ならいつでも聞くよ」
ストレートではない。曖昧な表現に、翔子は考えこむ。しかし、答えが出そうにないので、早々に思考を放棄した。
「理恵さんって、どんな人なんですか?」
「こっちも、付き合いの悪い人。愛想はあるけれど協調性はないねー」
「あの、言って良いですか?」
「なあに?」
「問題児揃いじゃないですか?」
「あはは、その二人が特別なのよ」
小百合は穏やかにそう微笑む。そして、階段を上り始めた。翔子も、その後に続く。
「けど、皆色々あってここに来たから、仕方がない面もあるかもしれないとは思うよ」
なるほど、事情があるのは自分だけではないということか。翔子は納得したような思いだった。
そのうち、階段を上がって、三階の端の部屋で小百合は立ち止まった。そのまま、滑らかな動作で部屋をノックする。
「小泉さんー、小泉さんー、いるー?」
しばしの静寂の後、足音が近づいてきた。
扉が開いて、甘栗色の長髪をした女性が顔を覗かせる。緊張していたその表情が、小百合を見て安堵の色に変わる。
美人だな、と翔子は思った。大人のお姉さんといった感じだ。
「東雲さん。どうしたの?」
「木村さんがお茶でもどうかしらって」
「ごめんなさい、今、名案が思い浮かんだ所だから。ちょっと色々試してみたいの。ごめんね」
「わかったわ。根を詰めすぎないようにね」
「ごめんなさい」
そう言って、理恵は扉を締めた。
「じゃ、帰りましょうか。紅茶冷めちゃったかな」
そう言って、小百合は苦笑顔を翔子に見せると、元来た道を歩き始めた。
翔子は、その後に続く。
「綺麗な人ですねー」
翔子は素直な気持ちでそう言っていた。髪も、顔も、スタイルも、あんなに綺麗な人、翔子は雑誌でしか見たことがない。
「怖い人よ」
小百合は、少しだけ静かな声でそう言った。
その理由を問うのも躊躇われたので、翔子は黙りこんだ。
二週間。環境には慣れ始めたが、まだまだわからないことは一杯だった。
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月夜の晩だった。
桜の荘の玄関前の庭は広い。五人が並んで駆けっこできそうな程の横幅がある。
そこで、小泉理恵は息を荒げて立っていた。
笑いが込み上げてきそうな気分だった。
今の自分は、目標を達成できる境地に至ったのだという思いがあった。
目の前には、銀色の甲冑を着た騎士がいる。その片手には、成人男性程の大きさのランスがある。甲冑も、ランスも、月明かりを浴びて穏やかな輝きを放っていた。
「ついに、やったわね……」
理恵は呟く。
騎士は、答えない。
(ついに、復讐の時は来た。父さん、母さん、見ていてください……)
縋るような思いで、理恵は心の中で呟いていた。
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「あんたなんか生まれてこなければ良かったのに」
女性のヒステリックな声がする。
また、この夢か。
夢の中で、零はぼんやりとそう考えた。
女性の台詞に関する感想はない。そういうものだと受け止めているからだ。
場面が転換する。開けた青空の下の、原っぱだった。
「いつか二人で、大きなことをやろうぜ」
懐かしい少年の声がした。彼は悪戯っぽい微笑みを零に向けている。零もまた、少年になっていた。
零は思わず、心が和むのを感じた。
さらに、場面は転換して行く。零の人生を振り返っているかのように。
気が付くと、場面は薄暗い倉庫に転換していた。
木箱に収められていた二本の短刀。そのうち一本を持つ零の手は、震えている。
彼が口を開いた。原っぱに出てきたあの少年だ。高校生ぐらいの年頃になっている。視界に映る零の手足も、また同じぐらいになっていた。
「これなら、出来るよ。大きなこと、やれるよ。やろうぜ。俺達でやってやろう」
(駄目だ!)
零は心の中で叫ぶ。けれども、夢の中の零は、喜びに満ちた表情を浮かべて頷いていた。
さらに場面が転換する。
どこかの事務所だ。部屋の片隅には縛り上げられて震えている大人が数人。
彼が通帳を開いて満足気に微笑んでいる。
「これを被害者に返せば一件落着だな。俺のマギウスなら、こいつらに化けて通帳から金を引き出せる」
「そうだな。俺達、正義の味方だよな」
彼は虚を突かれたような表情になったが、すぐにそれを誤魔化すように悪戯っぽく微笑んだ。
「今更そんなこと言うなよ、こっ恥ずかしいな」
そう言って彼は、零の背中を叩いた。
(やめろ、それは破滅の道だ。お前を失いたくないんだ……!)
零の心の叫びも虚しく、場面は夢のいつもの終わりの場所へと向かっていた。
場所は、深夜の赤い大橋。車道の上空には白銀の竜と、それに乗った女性。それと向い合うように、歩道の上空には彼が飛んでいる。
彼の背中から腹にかけて、巨大な剣が突き刺さる。
彼は、橋の下の川へと落下していく。零は絶望の思いで、それを見つめる。
一瞬、眼と眼があった。
彼は、何故だ、と言いたげな表情をしている。
零が言葉を発する余裕はなかった。そのまま彼は落下していった。
「お前が疎ましく思ったのは事実ではないか」
自分のものではない低い声が、零の耳の中で何度も反響した。
そこで、零は夢から覚めた。
気が付くと、上半身を起こして乱れた呼吸をしていた。
零は立ち上がり、カーテンを開け、ゆっくりと呼吸を整える。
「また、あの夢、か……」
ぼやいて、零はしばらく窓の外から見える薄暗い空を見ていた。酷い寝汗に、今更気がつく。
零はタオルで体を拭くと、煙草の箱を持って、部屋の外へ向かって歩き始めた。