解けた絆2
翌日も、零は燕と学校をうろついていた。
「立地も覚えておきなさいよ。戦闘になることも考慮に入れて。わかった? マーダー」
「俺も素人じゃありませんよ」
燕から飛んで来るのといえばこんなお小言が主だった。
「怪我人の話ですか?」
「そう。何か思い当たる節はあるかなって」
「そう言えば、仲の良いグループ内で怪我をしていってるなってのはありますね」
燕は、ふとした時に上手く生徒を捕まえて、他の話題に挟みこむようにして情報を集めていった。まるでメインとなる食材をサンドイッチにして中身を隠すかのように。
「そのグループのメンバーって、わかる?」
「さあ、一年の時から他のクラスだから詳しくは……。連中も、別々のクラスに散ってはいるんですけれどね」
「ありがとう。ところで、進路調査票のことだけれど……」
大体の情報は集まってきた。
仲の良い八人組がいる。怪我をしたのはその中の四人ということだった。
その生徒が去った時、燕は振り返って零に訊ねた。
「偶然だと思う?」
「百人はいる学級のうち骨折した四人が同じグループ。出来過ぎじゃないですかね」
「そうよね」
燕は訊ねたというよりも、再確認をしたかっただけなのかもしれなかった。
「怪我をしたグループの人? 知ってますよ」
二組の花田満という少女がグループの情報を詳しく知っていた。
「楓と、沙織と、貴文と、真司と、小絵と、翔子と……」
零は思わず燕の顔を見た。燕は、穏やかな表情で少女と話し続けている。そのうち一段落つくと、彼女は歩き始めた。
零は、慌ててその後を追う。
「最初に私達が目をつけた子と初日の最後に話しかけてきた子が、渦中のグループのメンバー。偶然だと思う?」
「出来過ぎかと」
「そうよね」
燕は納得したように頷く。
「大体、話が見えた気がしたわ。けれども、慎重に動きましょう。これ以上被害者を出さないために」
燕は一人で納得したようだ。彼女は骨折した人間を被害者と断定している。加害者がいる前提で話しているのだ。ならば、この件はもう片付くのだろう。
自分はただ戦闘に備えるだけだ。そう考える零がいた。
自分は能力者を狩るための一振りの剣だ。そんな思いが、零の中にはある。
その時、零は桜の花びらが一枚舞っているのを見た。
それは地面に落ちて、風に吹かれて飛んで行った。
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星野沙織は、自室で音を鳴らしたスマートフォンを手に取った。
チャットを行うソフトが起動していて、そこには文字が表示されている。
級友である楓から文章が送られてきていた。
<私、相談しようかと思うの。>
文章は簡潔にそう書かれている。
沙織は血の気が引くのを感じた。その話題に触れることすら、沙織はしたくなかったのだ。
<やめたほうが良いよ>
慌ててそう返信を送る。
<けど、あの教育実習生の人達、調べてるみたい。大人に話せば、わかってもらえるんじゃないかな>
<荒唐無稽過ぎて信じてもらえないよ、こんな話>
<話が外に出れば良いのよ。後は、バットで殴られたとでも言えば良いわ>
それは確かに一理ある、と思う沙織がいた。
<私、もうこんな監視されているような生活、嫌。不安に怯えて暮らしたくない>
それもまた一理ある、と思う沙織がいる。
<確かにそれはそうだけれど……>
返信が、そこで途絶えた。
さっきまで着信音を頻繁に鳴らしていたスマートフォンが沈黙したことによって、沙織の部屋は静寂に包まれた。
それがとても不気味なもののように沙織には感じられた。
<楓、大丈夫?>
返事はない。焦燥に駆られるように指を動かしてスマートフォンを操作していく。
<どうしたの? 何かあったの?>
返事は、途絶えたままだった。
田村楓が骨折したとわかったのは、翌日のことだった。
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「詰めに入りましょうか」
田村楓が骨折したと聞いて、燕は静かな表情でそう告げた。場所は、職員室の隅にあるソファーだ。室内には空いている席が多く、残った教師は暇そうに新聞を読んでいたりパソコンのキーを叩いたりしている。
燕の前に立っている女教師が、不安そうな表情になる。
「骨折の件、ですか」
「そうです」
燕は淡々と返事をする。
「楓さんは自宅で骨折しました。それも学校内の件と関連付けられるものなんでしょうか?」
「我々の仕事というのはそういうものです。むしろ、自宅で骨折が起こったことによってこれは我々の仕事の範疇だという確信が深まった」
燕は淡々とそう言うと、座っていたソファーから立ち上がった。
「放課後に、呼び出して欲しい生徒が二人いるんですけれど、お願いできますか?」
「わかりました。けれども、どうするおつもりですか?」
「少し試すだけですよ」
燕はそう言うと、どこか皮肉っぽく笑った。
そして放課後の一階の教室で、零は翔子と向い合って座っていた。
部活動に入っている生徒も、今日は帰らされている。周囲に物音はなく、他に誰もいない教室はやけに広く見えた。
「なんの御用ですか?」
鳥居翔子は、穏やかに微笑んでそう訊ねた。
「最近の学習内容について聞こうと思ってね」
「そんなの、先生のほうが詳しいに決まってるじゃないですか」
翔子は、そう控えめに笑う。
「再確認だ、再確認」
(苦手なんだよな。子供も、こういうのも)
零は心の中で毒づく。
零が燕に命じられたのは、鳥居翔子の護衛と監視だった。とりあえずは、時間を稼げと命じられている。
翔子が、最近の授業内容を語っていく。それが外国語の羅列のように零には思われた。
翔子もそれを察しているのか、面白がって専門用語をどんどん使っていく。
「あれ、おかしいな。教育実習生なら、こんな話わかると思うんですけれど」
「わかってるよ」
零はぶっきらぼうにそう返事する。
「その割に、授業を持っているという話も耳にしません」
翔子の目が、僅かに細められた。
「貴方達は、何者なんですか?」
零は、一瞬返事に詰まった。
「ただの教育実習生だよ」
ぶっきらぼうに、そう返事して誤魔化した零だった。
「だから、教育実習生なら授業を持つはずじゃないですか」
「持ってるよ。君の知らないところで」
「けど、どのクラスの人に聞いても授業を持ったという話は聞きませんね」
子供の好奇心がそうさせるのだろうか。零が骨折の件について調べているように、相手も零達について調べているようだった。
「手順ってものがあるんだ、手順ってものが」
「手順、ですか」
沈黙が教室を支配した。翔子は、試すような目で零を見ている。零は、それから目をそらすことしか出来ない。
(だから、苦手なんだよ、こういうのは)
愚痴るように心の中で呟いた零だった。
(桜井さんは一体何をやってるんだ……)
もしかしたら、燕は一人で犯人を倒そうとしているのかもしれない。そうと思うと、不安が頭をよぎる零だった。
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燕は、城井来美と三階の教室で二人きりで向かい合って座っていた。
来美の左手はギプスで固められ、吊られている。
来美は燕から目をそらすように、窓の外を見ていた。
「今回の件について、聞きたいの」
「なんの件ですか」
察しはついているのだろう。来美の表情は強張っている。
「貴女が骨折する原因になった、その件よ」
来美は黙りこんだ。
耳に痛いような静寂が教室を支配する。
来美は、うつむきがちに燕に目を向け、恐る恐るといった感じで口を開いた。
「階段から落ちた。それだけですよ」
「果たしてそれが事実かしら」
「事実も何も、そうとしか言えませんけれど」
「私には全てが見えているわ」
来美は、黙りこむ。そして、燕の表情を伺うように見た。
桜の花びらが一枚舞っていた。燕が、首にかけたネックレスに手をかける。すると、白竜の顔が空中に浮かび上がって、花びらを咀嚼した。
「ね、見えていると言ったでしょう?」
来美は、戸惑うような表情をしている。
「安全は保証するわ。ここには貴女と私の二人しかいない。強い気持ちがなければ誰も侵入できないように結界も張った。好きに話してくれれば良い」
来美は、しばし考え込んでいるようだった。
「……出来ません」
「なら、脅してでも吐かせるだけね」
燕は唇の端を持ち上げた。
その時だった。後方で机が倒れる音が重なったのを聞いて、燕は背後を向いた。そこには、場違いな一面の桜の雨。それが、塊となり、激流となって燕を襲った。
燕はネックレスを握りしめる。白竜の翼が現れ、壁となって燕を守った。しかし、翼ごと燕の体は窓ガラスに押し付けられ、それを突き破り、校舎の外へと弾き飛ばされていた。
燕はネックレスを握る力を強める。
そして、思ったよりも早く地面に着地して呆気にとられた。衝撃も何もなく、優しく受け止められたといった感じだった。
下を見ると、骨だけの腕が燕を受け止めている。それがゆっくりと、彼女を地面に降ろした。
「何をしているの?」
燕は、思わず苛立ちを込めて目の前にいた相手を睨みつけていた。
そこには、木崎零が困惑した表情で立っていた。その背後には、彼の召喚獣である髑髏丸の巨体が佇んでいる。
「心配になりまして。一人で大丈夫かな、と」
「貴方は自分の仕事をすれば良かったのよ」
「……間一髪助けておいて、その言い草はないんじゃないかな」
「貴方が自分の仕事をしていれば、その必要もなかったわ」
「と言うと?」
燕は苛立ちをこらえ、冷静に考えこんだ。
「……相手は三階よ。貴方向きの敵だわ。貴方に後は任して、私は被害者の保護に当たります」
「わかりました」
零の表情が変わった。まるで機械に命が宿ったかのように、引き締まった表情になったのだ。この男には、元々こういったわかりやすい命令のほうが良いのだろう。
「行きなさい、マーダー」
頷いて、零は駆けて行く。鍛えてなければ出せないだろう速度で。その後を、燕はゆっくりと歩いて追っていった。
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零は階段を駆け登っていく。
昔、自分にもこんな学校に通っていた時代があった。そんな思い出が一瞬脳裏に浮かび、懐かしい男の顔も頭の中に蘇りそうになる。その刹那、零は思い出を振り返るのをやめた。
貴方向きの相手だ、と燕は言った。
そもそも、前提が間違っているのだ。
大量殲滅を得意とした燕の召喚獣は、このような場所には向いていない。それでも彼女が出向いたのは、彼女なりの自信や勝算があったということなのだろう。
その勝算の要因に自分も数えられている。それが、零の心を少し高揚させた。
桜の花びらが、舞い散るように階段の上から落ちてきている。
その異常な現象を無視して、零は三階のその教室へと駆け込んだ。
見えるのは、割れた窓ガラスと、赤い夕陽に照らされた教室。散乱した机。そして、立っている一人の少女。
少女は背を向けて、こちらを見ていない。
「貴方にも見えているんだったわね。この、桜が」
「……ああ」
零は、淡々と答える。
「どうして、こんなことをした?」
「どうしてなんだろうね?」
問い返されて、零は呆気に取られる。だが、それは零の誤解のようだった。彼女は、淡々と言葉を続ける。
「喋らないでってお願いしているのに、皆喋ろうとする。口に出そうとする。それで人が窮地に陥るってわかっているのに」
少女は、溜息を吐く。息が震えているようだった。
「友情ってなんなんだろう」
「お願いしたんじゃないだろう。脅していたんだろう」
少女は黙りこむ。
「そんなもので繋ぎ止めているものは友情じゃない。破綻してしまっている」
零は、懐に隠し持っていた短刀を取り出す。
「ここで俺が完全に、それをゼロに返してやる!」
鞘から短刀の刃を抜いた瞬間に、零の全身に軽い電流のようなものが走る。呼び出しに応じて、髑髏丸が召喚され、その甲冑が零を覆った。三メートルに届かんとする巨体が、天井に届かないようにと屈められる。
少女は振り向いた。
彼女、鳥居翔子は、指輪を右手の薬指にはめながら、髑髏丸の巨体を見て一瞬呆気に取られた表情になったが、すぐに眉間に皺をよせた。
季節外れの桜の花びらが、十数枚も教室に舞った。