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零の世界  作者: 熊出
ゼロの世界
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解けた絆1

解けた絆は今日中に全部投稿となります。

 自分のその才能に気がつくと、扱うのは簡単だった。

 盗み聞きも簡単だったし、他人のノートを覗くのも簡単だった。

 勉強しているふりをして必死にイラストを描いている人。仲が良いと思っていた相手の陰口を叩く子。色々といた。


 だからその日は、友人達の様子を覗き見ていたのだ。


「あいつ、今日居ないのか」


「トイレに行くって言ってたよ」


「そっかー。トイレな」


「しっかしだるいなー。明日の小テスト」


 いつも通りの会話が続いていくことに、トイレの壁に背中を預けて思わず胸を撫で下ろす。

 そんな時のことだった。


「しっかし遅いな、あいつ」


「あの子と言えば、知ってる?」


「なんだよ」


「興味深いな」


 問いを投げかけた少女に、他の友人達が体を傾ける。

 嫌な予感がした。冷や汗が背筋を流れる。小学校時代の嫌な思い出が脳裏を駆け巡る。

 それは、封印した過去だった。遠くの学校に通ってまで、隠し通してきた過去だった。

 けれども、その蓋が開かれるはずはないはずだ。他の友人達に問いを投げかけた少女は、親友なのだから。


「あの子、小学生時代にいじめにあっててね。その原因が……」


 過去が追ってきたという感覚があった。裏切られたという絶望感があった。


「くぅ……」


 口から、悲鳴のような声が上がる。

 絶望感は瞬時に怒りへと変わり、炎のように心のなかで燃えたぎった。

 その時のことだった。

 鈍い音がした。

 それに続く、悲鳴と、椅子が倒れる音と、泣き声。

 才能を使って覗き見てみると、親友だと思っていた少女が、腕を抑えて蹲って泣いていた。



+++++++++++++++++++++++



(なんでこんなことになってしまったんだっけか)


 体育館の壇上に零は立っていた。目の前にはマイクがあり、廊下から制服を着た学生の数百の視線が零を射抜いている。規則正しく並んで座る彼らは、零が喋り始めるのをじっと待っている。

 背後にいる燕に目を向ける。彼女は、普段ならば零には向けないだろう営業スマイルを顔に浮かべて、何も言わない。

 早く話せ。

 彼女は無言でそう語っている気がした。


(こうなったら、もうどうにでもなれだ)


 零は前を向いて、思ったことを喋り始めた。


「百年後に皆さんの名前を覚えていてくれる人はいるでしょうか」


 予想外の切り口だったのだろう。生徒達がざわめき始め、その列の横に並んだ教師陣が困惑の表情を浮かべているのが見える。


「どれだけ努力しても人間の一生なんて儚いものです。その中でも短い青春期間に教室に篭って勉強。実に馬鹿らしい」


 生徒達のざわめきが強まり、教師達がしかめっ面になっているのが見えた。だが、今更黙るのも不自然だ。

 零は他人事のようにそう考えて言葉を続けた。


「宇宙のスケールを知っているでしょうか。そのスケールから考えてみれば我々人類は蟻より小さい。そんなちっぽけな存在が何をしたところで何かが変わるわけではありません。つまるところ俺が何を言いたいかというと、一度しかない人生だから後悔しないように好きに生きろと言うことです。もちろん、罪を犯さない範疇で」


(勝手に生きて勝手に死ね)


 投げやりにそう言いたい気分だったが、流石にそれは暴言になると考え思い止まった。思い返してみれば、そもそも零は子供が苦手だった。


 その時、零の肩を燕が掴んだ。そのまま引っ張られて、零は後方へと追いやられる。そして、燕がマイクの前に立った。


「その好きに生きろと言うのは、自由に遊んで生活しろということではありません。今のは悪い生き方の例です。自分の可能性に好きに挑戦しろ、そのために努力を惜しむなということなのです」


 また、生徒達がざわめく。教師達が、安堵したように胸を撫で下ろしているのが見える。


(そんな反応をするぐらいなら、そもそも素性も知れない男へのスピーチなんか許すなよ)


 零は心の中で毒づいた。理想論を語る人間像を勝手に押し付けられても困るのだ。

 そもそも零の今まで出会った教師というのはそういう人種が多かった気がする。理想論を好み、人に押し付ける。

 もっとも、この学校という空間で、大人という立場で理想論をかざさない自分は空気が読めていなかったのではないかという考えも、棘のように零の心を刺していた。それが苛立ちとなって、表情に出そうになる。


 燕は流暢に喋り続ける。


「確かに私達の人生は儚い。けれども、その一度しかない儚い人生だから、後悔しないためには努力が必要です。自分を磨いて、好きな研究をするも良し、好きな技能を伸ばすも良し。そんな中から、百年後にも覚えていてもらえるような偉大な人が現れたりもします。チャレンジしなければそんな人はそもそも生まれませんよね」


 生徒達のざわめきが収まる。真剣に聞き入っている者もいるが、大半はこの手の話は聞き飽きているとでも言いたげな表情だ。

 とりあえず、教師達が満足気だからこの場はこれで良いのだろう。自分の話の運び方はやはり失策だったのだと改めて零は痛感した。


(そもそも、向いていないんだよこういうのは。なんだよこれも仕事のうちかよ)


 零が心の中で言い訳をしている間に、燕の話は続き、程良い時間を潰して締めくくられようとしていた。


「一度しかない人生だから、満足できる内容に、充実できる内容に、していきたいものですね。では、良い人生の送り方と、悪い人生の送り方でした」


 燕が礼をして、零も合わせて礼をする。教師が促して行われた、盛大な拍手が体育館を揺らす。

 燕が壇上から下りて、零もその後に続いた。


「では、次は校長先生のお話です」


 生徒達のげんなりとした表情が見える。


「ああ、他の先生の話す時間は考慮してなかったなあ」


 燕が、悔いるように呟いた。他の誰にも聞こえないような小さな声だった。



+++++++++++++++++++++++++++++


「貴方って真剣に打ち込んだものってあるのかしら」


 職員室の前で、零と燕は並んで立っていた。

 待ち時間の沈黙を疎むように、燕が話しかけてくる。


「ないですね」


 零は淡々と返す。


「部活とかやらなかったの?」


「運動系の部はユニフォーム代だの色々かかるので親に駄目だと言われてたんで。かと言って文化系の部に行って女子に埋もれるのも嫌でしたし」


「なるほど。そして勉強も趣味も特にせず過ごしたと」


 燕は嘆息した。


「中々いないわよ。学生達に向かって、人生の儚さを説いて、好き勝手生きろなんて煽動する奴なんて」


「呆れましたか」


「ますます貴方が嫌いになった。それだけでも収穫だわ、マーダー」


 燕は表情も変えず、呆れたように言う。


「……まあ、かまいませんが。生まれた時に決まっている格差もあると思いますけどね」


「生まれた時に決まっていることもある。それは、私だって同じ話だわ。誰だって一緒よ。その中から悪人に堕ちる人間も善人として留まる人間もいる」


「……俺が堕ちた側っていうのはわかっているつもりですよ。一個人が自分だけの定義で悪を決めて裁くことほど醜悪なことはない」


「なら、法律で裁かれない貴方のような悪はどうあるべきなんでしょうね」


 さっきから責められているかのようだ。零は落ち着かない気分になって、黙りこむ。


「ええ。詠月に採用されただけあって反省の色は見えるじゃない。マーダー」


 燕の唇の端が、皮肉っぽく上を向いた。

 職員室の扉が開いたのはその時だった。若い女教師が一人、廊下に出てきて二人に体を向けた。


「それでは、階を案内します」


「お願いします」


 燕は軽く頭を下げると、前を歩き始めた女教師の後を追った。


「一週間ほど前なんです。最初の怪我人が出たのは」


 女教師が、沈んだ口調で言う。遠くから聞こえてくる生徒達の賑やかしい声にかき消されそうな、小さな声だった。


「その子は、複雑骨折でした。けれども、転んで階段から落ちたとしか言いません。翌日は二人。その子達は軽い骨折でしたが、同じ原因で。三日後に、また一人」


「計四人、不自然な怪我をしているというわけですね」


「そうなります」


 燕の問いに、女教師は溜息混じりに答えた。

 女教師が、不意に足を止めた。


「貴方達は、警察の方なんでしょうか? お若く見えますが」


 詠月のことは、この学校には伝わっていないらしい。どう切り抜けるのだろうかと、零は燕に視線を向ける。


「この手の事件……事故かも知れませんが、その手の調査を専門とするものです。まあ、しばらく学校を調査させていただくので、手はず通り教育実習生として紹介してくだされば幸いです」


「わかりました。そうさせてもらいます」


 女教師は、やや緊張した声でそう言うと、前を再び歩き始めた。

 手慣れたものだなと、零はやや感心したように燕を見る。


「なに?」


 燕が鬱陶しげに視線を投げ返してきたので、零は前を向いた。


「いや、物は言いようだなと思いまして」


「喧嘩売ってる?」


「売るものなんざありませんよ」


「っそ」


 面白くなさ気に、燕は前を向いた。

 三人は、二年の教室が並ぶ長い廊下に辿り着いていた。

 生徒達が、部活動の場へ向かって移動している最中だった。


「ここが二年の教室になります」


「怪我人は全員、二年生ということでしたよね」


「ええ、そうなります」


 女教師が沈んだ表情で頷く。そして、元気に挨拶をしてくる生徒に笑顔で挨拶を返すと、まるで普段通りの表情を形作ってみせた。

 三人はしばらく、生徒達とすれ違いながら、廊下を進んでいく。


「先生、何してるの?」


「教育実習生の人に、教室を案内しているのよ」


 そんなやりとりを、幾度と無く繰り返していく。しばしば、それに加えて質問が燕と零に飛んできた。燕は微笑んで無難に返し、零はぶっきらぼうに返事をしながら、前に進んで行く。そんなことをやっているから、三人の歩みは自然と鈍くなった。


 そのうち、零は、あるものに目を留めて手を伸ばした。

 歩いて行く女子生徒の背後に、桜の花びらが一枚舞っているのが見えたのだ。それを掴もうとしたが、風に飛ばされて遠くへ飛んでいってしまった。

 零は立ち止まり、しばし戸惑うように開いた掌を眺め続けた。


 他の二人も立ち止まり、不審げに零に視線を向ける。

 燕が口を開いた。


「どうしたの?」


「桜の花びらが見えた」


「……梅雨よ、今。季節外れにも程があるわ」


「けど、あの女生徒の背後に桜の花びらが見えたんだ」


 燕はしばし考えこんだ後、女教師に頼んで、先ほどの女生徒を呼び止めて貰うように頼んだ。女教師は快諾すると、小走りで女生徒に近づいて、呼び止めた。

 女生徒は、怪訝な表情で振り返って説明を聞くと、零と燕の前に歩いてきた。


「あの、何か御用ですか? 教育実習生の方、でしたよね」


「いえ、最近どんなことがあったかなと聞いてみたくて。今、事故が多いって聞くし」


 女生徒の顔に影が差した。


「いえ、特に何もありませんよ。部活動で器具が壊れて不便してるってぐらいしか」


「貴女、名前は?」


「坂本小絵です。小さな絵と書いて、さえ」


「そう。私は桜井燕。これからよろしくね。歳が近い分話しも合うと思うから、なんでも相談して」


 燕は微笑む。それにほだされたように、小絵も小さく微笑んだ。


「はい。じゃあ、時間が迫っているので私はこれで……」


「うん、呼び止めて悪かったね。またね」


 燕が手を振ると、小絵も心地良さげに手を振って歩いて行った。


「相変わらず手慣れてますね」


 零は感心していた。相変わらず、燕は人に話しかけるのが上手い。

 彼女は呆れたような表情になった。


「貴方もそろそろ何年もいるんだから、後輩を持ってもおかしくない頃なのよ。そうなると、話し役になるのは貴方」


「……饒舌な相棒が捕まることを祈りますよ」


 ぶっきらぼうな零に、寡黙な相棒が割り当てられたら。それは、あんまり考えたくない状況だった。

 三人は再び歩き始めた。そして、二年の教室の端に辿り着いた。


「二年の教室はここまでになります。何か、わかったでしょうか?」


 女教師が、縋るように燕に視線を向ける。


「いえ、まだ何も。けど、場所は把握しました。ありがとうございます」


 燕が、営業スマイルを顔に浮かべて礼を言う。


「では、今日はもう生徒も部活動に散っていますし、戻りましょうか。お茶でも出しますよ」


「ありがとうございます」


 三人は、今来た道を戻り始めた。

 その前に、立ちふさがる人影があった。


「お兄さん、面白い人だね」


 それは、小柄な女生徒だった。顔には穏やかな微笑みが浮かんでいる。膝のすぐ上に揃えられたスカートが、小さく揺れた。


「そうか?」


 零は物憂い態度を隠しもせずに言う。子供に話しかけられるのは面倒臭かった。


「先生達が真っ青になってて。ジョークとしては面白かったかな」


「鳥居さん」


 女教師が、たしなめるように言う。


「はい、ごめんなさい。二人は、しばらくいるの?」


「ええ、そうよ。よろしくね。私は、桜井燕」


 燕が微笑んで言う。


「よろしく。私、鳥居翔子。そっちのお兄さんも、よろしく」


「ああ、よろしく」


 零は投げやりに返事をする。

 それにしても、女性にしては長身の燕と、小柄な翔子が並ぶと、歳の差が相当あるように感じられてしまう。

 しかし、燕は十九歳と言っていたから、翔子とそう歳は変わらないはずだ。


「それじゃあ、またね」


 翔子はそう言うと、駆け去って行った。

 三人はその背後が消えるまで、しばし立ち止まっていた。


「元気な子ですね」


「最近、祖母を亡くして沈んでいたので。空元気かもしれませんけれど、徐々に元気になってきて幸いです」


 女教師は、安堵したような表情でそう言った。


「それでは、戻りましょう」


「うん、ゆっくりお茶でも飲ませてもらいましょうか」


 そんなに呑気に構えていて大丈夫なのだろうか、と零は思うのだが、燕が悠長に構えているということはそれなりの算段があるのだろうと思い直した。

 気が付くと、いつも頭脳労働役は他人に任せている。


(あいつと組んでいた時もそうだった)


 零は一瞬過去に思いを馳せ、すぐにその記憶を忌まわしいものとして頭のなかのゴミ箱に丸めて捨てた。

 彼さえいなければ、零はきっと、今この場所にいなかっただろう。

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