夏祭り4
翔子は、零の部屋の前で座り込んでいた。
スマートフォンの画面には、メールが表示されている。
貴文からのメールだ。そこには、一文だけ、こう書かれている。
<また、会えるよね?>
翔子はそれを視界から追い出すように、自分の膝を抱きかかえた。
どれほど待っただろう。臀部が痛くなってきた頃に、零は帰って来た。
「何してんだ、お前」
呆れたような口調で、零は言う。
翔子は立ち上がって、地面に触れていた尻をはたいた。
「焼きそば、食べてもらおうと思って」
零は不思議そうな表情になる。
「自分で食べるか木村さんに食べてもらえよ」
「木村さんは、祭りの打ち上げに参加するとかで遅くまで帰って来ません」
「ああ、そういえばそうだったか……じゃあ、自分で食えば良いじゃないか」
「自分で食べるには……重たすぎて……」
貴文の気持ちが重たいわけじゃない。ただ、自分の罪の重さを改めて認識してしまったのだ。
大事な友人達を自分は傷つけた、脅した。その罪は、消えることがない。
そう思うと無性に悲しくなってきて、翔子の瞳からは涙が零れていた。
「あれ……?」
それは、一度流れ始めると、堰を切ったように次々に流れ始めた。
どこかの扉が開く音がする。
まずいと思ったのだろう。零は翔子を自分の体で隠すと、自室の扉の鍵を開けた。
「お前、とりあえず、中に入れ」
はい、と答えたつもりの翔子だったが、それはもう声になっていなかった。
零の部屋はトレーニング用具と武術書で溢れていた。テーブルや布団すらない。
彼はお茶をコップに入れると、翔子の前の床に音も立てずに置いた。
翔子は、泣き続けている。
「焼きそば、食えば良いのか?」
翔子は頷く。
「俺、晩飯焼きそばだったんだが……」
「……じゃあ、私が、食べます」
途切れ途切れにそう言って、翔子は焼きそばの器を手に取る。しかし、箸が動かない。
これを食べれば、自分の罪を忘れてしまう気がして。これを食べれば、貴文を想う親友を裏切ってしまう気がして。
「やっぱり、食べれません」
絞りだすようにして、翔子は言った。
「わかった、わかった。食うよ、食う。けど、面倒臭い話は聞かないからな」
翔子は、頷いた。
零が焼きそばの器を取り、箸に麺を絡めて口に運んでいく。
貴文との繋がりが失われてしまうような、喪失感に襲われる。けれども、翔子は零を止めることはしなかった。
零は、黙々と焼きそばを食べ進めていった。
翔子は、少しずつ涙が引いていくのを感じた。
後戻り出来なくなって、覚悟が出来たという感覚があった。
「今日のお前、なんか変だぞ」
「そう、ですか?」
まだ泣きながら、翔子はそう返す。
「魂が抜けたような面してるわ、デートしてるわ、帰って来たら泣くわ、焼きそばが食えんと言い出すわ」
「説明しなかったら、確かに変な一日でしょうね」
翔子は苦笑した。零の心境を察したら、なんだかおかしくなってしまったのだ。
「……私にとっても、変な一日だったんです」
「そうか。なら変になるのも仕方ないな」
「今、適当に返事をしましたね?」
「悪いか?」
「いいえ、少しも。悪いのは私も一緒ですし」
翔子はいつも通りの零を見ていると、なんだか自分がますます滑稽になって、少しだけ笑った。
「今日の男とは上手くいきそうなのか?」
零が珍しく、踏み込んだことを訊いてきた。
「いいえ。上手くいかない運命みたいです」
「運命とか軽々しく言うなよ。今日のお前は自然体で笑ってた。そっちのほうが、多分本当のお前なんだろう」
「……上手くいっちゃいけない相手も、いるんですよ」
「そうか」
どうでも良さげに零は言った。
けれども、翔子のことを心配していなければ、さっきの言葉は出てこないだろう。
「私、木崎くんのこと結構好きかもしれません」
零がげんなりしたような表情になる。
「ラブじゃなくてライクですけどね」
「大人をからかうなよな」
零は物憂げに言うと、焼きそばを完食した。
貴文との想いが、途切れたような気がした翔子だった。
「ありがとうございました。これで、先に進める気がします」
「よくわからんが、満足したならそれで良い。涙の跡が消えてから部屋出ろよ。誤解されたら困る」
「はい!」
「本当に返事は良いな、お前は……」
その日、翔子は零の部屋で貴文に返信を送った。
<もう、会うことは出来ないと思います。ごめんなさい。けれども、夢のような一時間でした。ありがとう>
そして、ふと思いついて、こうつけたした。
<追伸。私は今、仕事で頑張っていこうと思っています。やりがいのある仕事です。挫けそうな時もあるけれど、暇な時もあるけれど、それでも頑張ろうと思います>
そう、自分は頑張るのだ。この仕事で生きていくのだ。そう決意した翔子がいた。
自信を守る為に人を傷つけていた弱い翔子はもういない。その小さな女の子は、貴文達を守る側の存在となった。それが、今の翔子の誇りだった。
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翌日、零は直樹の部屋に呼び出されていた。
紅茶が振る舞われ、その香りが部屋に漂う。
「どうしたんですか、急に呼び出して」
直樹はどこか落ち着かない様子だ。それが、零を不安にさせた。
「いや、めでたいことだと思ってね」
「はあ、めでたいことですか」
残念ながら、零に最近めでたいことがあった記憶はない。
「自然の成り行きだからね。それは素晴らしいことだと思うんだ」
「自然の成り行き?」
「そう。自然なことだ」
わけがわからない。零は困惑を隠さずに表情に出した。
「けれども、手順をきちんと踏まないと相手を傷つけることにもなる」
「あ、わかりました。それ、誤解です」
この前、翔子が零の部屋の前で泣いていた件を誤解して直樹に伝えた人間がいるのだろう。
つまるところ、直樹はこう言いたいのだ。付き合うのはめでたい、自然の成り行きだ、けれども泣かせることはけしからんと。
余計なことをしてくれる人もいたものだ。零は舌打ちしたいような気分になった。
「うん、君は手順をきちんと踏んだと考えているわけだね」
「いえ、手順も何もあった話じゃなくてですね」
「それは良くないな。きちんと段階を踏んだ交際をすることは大事だよ」
直樹が顔をしかめてそう言うので、零はうんざりとしてしまった。
「いえね、誤解です。俺と鳥居はなんでもありません。なんで泣いてたかは知らないけれど、俺が泣かせたわけじゃありません」
「……本当かい?」
直樹の目が、鋭く細められる。
「本当も何も、俺がそういうのに興味を持っているとお思いですか」
直樹は、しばし考えこんだ。
「……それもそうだね。君には悪いことをした」
零は胸をなでおろした。このまま直樹が暴走していたら、結婚式まで無理やり進行させられたかもわからない。
「しかし、気をつけることだ。彼女が帰って来るからね。迂闊なことをしてはアパートの中に亀裂を生む」
「……帰って来るんですか、あいつが」
零は思わず、げっ、と言いそうになった。
「ああ、帰って来る。戦力としては必要不可欠な存在だよ。もっとも、君にとっては物憂い存在かもしれないが」
「ええ、そうとしか言えません」
「まあ、僕としては、仲良くしてあげてくれとしか言えないなあ」
直樹はそう言って紅茶を飲んだ。
その表情には、既に普段の笑みが戻っている。
その笑みが、今の零には妙に小憎らしく思えてしまうのだった。
次回、星空の下で
本日中に投稿できると思います。




