一等賞アイデンティティ
幼い頃は、なにかしら「小さな一等賞」を持っていた。
例えば一番かけっこが速いとか。例えば算数でいつも一番の点をとれるとか。
その他様々な一等賞を手に、僕たちは自分というものを認識することができた。
でもそれは、幼稚園やら小学校やらの「小さな社会」での一等賞。
成長し、人間関係とともに自分の知る世界がひろがるにつれ、「小さな一等賞」は少しずつ失われていくものだ。
あの子は僕より足が速い。あの子はあたしより勉強が得意。
自分よりできるヤツというものが次々に現れ、かつて僕たちそれぞれが掲げていた「一等賞」は二等、三等……果ては平凡に成り下がる。
終いには、あらゆる面で誰かに負けている、そんな自分しか見えなくなる。
自分が最も得意とする分野でさえ、自分を凌駕してあまりある能力を持つ者がどこかに必ず存在することを知る。
そして僕たちは絶望する。
あれでもだめ、これでもだめ。「一等賞」を一つも持たぬ自分とはいったい、なんなのだろう?
そうした悩みを打破するには、いくつか方法があると思う。
一つは「世界一を狙えるほどにまで己を高める」こと。世界一という勲章ほど、自分の存在を実感させてくれる一等賞もあるまい。
もう一つは「一等賞であることのみがアイデンティティ」だなんて考えが間違っていることに気づくこと。
僕が思いついていないだけで、他にも方法はごまんとあるに違いない。
なにで自分を実感するか。
もし「一等賞」を失ったことに苦悩しているのなら、ちょっとだけこのことについて考えてもいいかも知れない。
かく言う僕もまた、模索中である。