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02◇2話◇月神と夜闇の愛し子

☆☆☆


 翌日になっても少女の外見の成人女性は目覚めなかった。

 翌々日にも目覚めなかった。一ヶ月が経ち二ヶ月が経っても、少女はずっと眠ったままだった。


「まあ別に良いけど……」

「良くない!」


 眠り続ける妻の顔を見て、変わり無い事を確認するのは、もはや日常と化していた。

 眠り続ける妻は妻として如何なものかと思うが、神から押し付けられたからには無下にも扱えない。

 故に毎日様子を見ていた。


「……久しぶり?」

「だから何故疑問符付きかな?あれから何ヵ月経ったと思うんだ?ちゃんと妻にしろって云っただろうよ?」


 相変わらず下町の破落戸みたいな女神がイキナリ姿を顕わしても、男は動じる事なく話し掛けた。


「………ええ?」


 ちゃんと正室にしたし、一応最初の夜は心理的抵抗を押し退けて『事』にも及んだ。


「意識無い相手に手出ししたく無いんだけど………」

「何云ってんの?もう一回しちゃってるじゃねえか。」

「……そうだね。しなかったら不倖になりそうだったからね。」

「解ってるじゃねえか?じゃあ次は子供作れ子供。んじゃまたな♪」


 伸ばした手を摺り抜けて、口の悪い女神はニヤリと笑って姿を消した。

 今回も命令だけで説明は無かった。


「ええ?」


 非常に不本意だが、眠り続ける少女にしか見えない成人女性に、子供を産ませないとならないらしい。

 男は嫌そうに嘆息した。

 嫌だからと云って、まさか神には逆らえない。とはいえ、まだ昼月は高く燦々と明るい光を振り撒いている。

 夜闇の遣いが来る時間とは思えないな、と理不尽な命令に逃げ道は無いか考えつつ、妻の寝室から出ようと振り返ったら。


「…………ええと。」

「…………。」


 三人の侍女が固まっていた。




 またも大騒ぎになった。夜闇の遣いが女神であると発覚し、その女神と随分気安い口調で語る姿も目撃された。隠していた訳では無いが、面倒だから知られない方が都合が良かったのだ。


「で?」

「で?とは?」


 王城に呼び出され謁見の間と云うよりも更に奥、もはや応接室と呼ぶ方が正しい近い距離で向かい合い、王と兄がニッコリと輝く笑顔である。

 月神寵愛が有るのは、とっくにバレている。夜闇の寵愛も、嫁の所為でバレている。

 ただ、『少し』だけ、その寵愛の『程度』を控え目に報告していただけだった。別に嘘は云ってない。とシーリンは呟いた。


「とぼけるな。よくも今まで隠し通したものだな。」

「………別に隠してないし。」

「ふうん?」


 兄の問いに呟けば、父が更に笑みを深めて男を見据えた。


「では私達の見る目が無かったと云う事か。それは申し訳無かったね?」


 嫌味以外の何物でもない言葉が、一見優しい笑顔で紡がれた。

 男は長兄の、笑顔とは裏腹な眼差しから視線を背けた。


「怖いから余り見ないで下さい。」

「………。」


 よくも悪くも男は正直者だった。


「お前は素直で正直だ。」

「はい。」


 正しい評価に男は頷いた。


「怠け者だが一応仕事も出来る。」

「したくないから余り回して来ないで下さい。」


 生温い笑みを長兄は浮かべた。


「そうだね。お前は仕事をしたくないからね。そりゃあ余計な能力は知られないに越した事はないだろうね。」

「ぶっちゃけその通りです。今まで通りダラダラ過ごしたいです。」


 男は希望を述べたが、父と長兄はニッコリと笑って応じた。


「うん無理だから。」


 神の寵愛はどんな能力にも勝る。少なくとも東国、特にセリカではそうだった。

 羅亜紫衣琳ラアシーリンは怠け者だが、神の寵愛は著しいものがあると発覚した。

 シーリンは嫌がったが、立太子の儀式では長兄では無くシーリンが東宮として立たされた。事前に神への問いかけが為され、言祝ぎの使者が返答の代わりに訪れた。


「ひどいよ砂久弥……。」

「君が迂闊だからだろう。」


 立太の典礼に、言祝ぎの使者として参加した砂久弥は、リア・リルーラの神司である。

 皇族は大抵の場合砂久弥に剣技を習うから、男の師匠でもある。

 砂久弥はシーリンが神々に愛されている事を知っていた。

 顕現こそしなくても創世の三柱さえ、シーリンを気に掛ける。


「その光栄を、まさか迷惑などとは云わないだろうな?」


 砂久弥の冷ややかな眼差しに、男は慌てて否定した。


「も……勿論光栄ですよ?勿体なくて有り難くて…?」


 嘘では無いが、やはり迷惑だった。笑顔が引き攣ってはいたが、一応の及第点はおりたらしく、砂久弥が頷いた。

 基本的に砂久弥はリア・リルーラに対する無礼以外は頓着しない。

 修練すればかなりの腕にもなろうに、ソコソコの強さしか身に付かなかった弟子を見る。

 セリカ皇家の中でも珍しいくらい怠惰な王子である。そして空前絶後に怠惰な王になるだろう。

 これ以上の怠惰は流石に見逃せないだろうとも考えた。男の怠惰も見逃せないのだが、見逃さざるを得ない理由があった。



「神々は今の彼を愛でておられる。」

「いま……の?」

「怠惰で自堕落な彼を、と云えば解るか?」

「………あの…、つまり仕事から逃げるのを邪魔したりなどは?」

「周囲の支援と助けを期待する。」


 微妙に質問とずれた解答を砂久弥は口にしたが、意味は伝わったようである。

 現在の王と、先日までは未来の皇太子と目されていた王子が、乾いた笑みを浮かべていた。

 自分たちの仕事はある意味では変わらないとも理解した。


「やれば出来るのにしない怠け者を、怠け者のまま放置すれば宜しいのですね?」

「そういう事だな。」


 怠け者の皇太子の長兄は、結局は自分が王の仕事を肩代わりする現実を知り、弟が王になっても何ら自分の手伝いをしない未来を従容として受け入れた。

 抵抗は虚しい。神々が関わるからには決まった事でしかないのだ。もはや淡々と落ち着いて、皇太子の仕事も王の仕事も引き受ける事実を受け止めた。

 そんな長男を見つめ、王も嘆息して諦念を示す。

 シーリンは愛する息子だが、通常ならば決して王の器では無い。

 何処がお気に召したか、神々が示したシーリンへの寵愛は、しかし放置も出来なかった。

 大神官か神司大宰クラスの寵愛だ。だが、そこまでの能力もやる気も無い息子である。人の下に置く訳にもいかないからには、王にする道しか無かったとも云える。

 しかし、と王は思う。恐らくは、あの怠惰な息子は望めば何にでも成れるのだろう。神司でも大宰でも。そう王は考え、それは間違いでも無かった。そして、決してそうは成らないとも王は考え、それもまた正しい解答だった。

 シーリンは決して『その気』にはならないからである。


 シーリンは王にだって成りたくは無かったのだから。


「ああ面倒臭い。」


 シーリンは嘆息した。

 セリカ史上空前絶後の怠け者皇太子、怠け者王の誕生であった。

 彼自身には決して溜め息をつく資格などは無いが、神々の恩寵故にそれは赦された。


☆☆☆



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