01◇1話◇夜闇の祝日
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夜闇の祝日だからと云っても、月が輝かない訳でも無い。
寧ろその日は昼も夜も眩しいくらいの月光が街に降り注いだ。
「夜闇の日なのに……。」
余りに明るくて白けるなあ……などと思いつつ、健全な日を今日も過ごした。
せめて愛人のところにでも行こうかと考えて、男は共も連れずに外出をした。
男の父親は王だったから、もしも男が勤勉で野心家であったならば、こんな身軽な生活は許されないだろう。
昼の月は沈んだ筈だが、常よりも明るい月を見上げ、男は首を傾げた。
「本当に明るいな?月祭日なみに明るい……。」
夜闇の日に此処まで月が明るいのは珍しい事だった。
普通に信心深くは有るが、特に夜闇と月神のどちらをより信仰する訳でも無い。
ごく当たり前に月神殿に檀家として属しているが、普通に闇神殿にも参拝する。
「参っておくかな……」
愛人宅に向かう途中に、割と大きな闇神殿の前を通過する。
特に目的も無いが、夜闇の祝日なのに何もしなかったのは多少後ろめたくも有る。今度何か寄進しとこうかな……と思いつつ、やはり当日だろう…と思ったのは、後日だと忘れそうだからだ。己を良く知る怠惰な貴族は自らを点検して装身具を幾つか外した。
「シーリン様。本日は黒耀の玉石を寄進下さったとか。」
神官がホクホク顔で迎え、男は奥の祈祷室に通された。
「………いや。別に表で参拝して帰るつもりだったんだけどな。」
だが、せっかく通されたのだ。祈って行こう。
「夜闇さま。日々の安らかな眠りに感謝いたします。これからも怠惰な日々を、何人かの気立ての良い美女に囲まれて過ごせますように。」
権力とか財力とかは既に「まあまあ」以上のモノがあった。特にこれ以上欲しいとは思わない。
忙しくなりそうだから、それは寧ろ拒否したい。面倒に巻き込まれるのも嫌だった。
平和に。平凡に。出来るだけ自堕落に。
怠惰な日々を過ごしたいのである。
受け取り次第では、不真面目極まり無い事を、男は真面目に祈った。
夜闇の祝日だから闇神殿は参拝者が多い。
男は人混みが嫌いだから、普段ならば夜闇系列の神殿は避けて通ったかも知れない。
「うん。何か今日の俺って真面目。」
定められた日に、定められた神に祈る。ごく当たり前の事をしただけだが、男は自画自賛した。
愛人宅に向かっていた事を忘れ、満足して帰宅する。
「あ………」
屋敷が見えて気付いた。
「まあいいか……少し散歩でもしようかな……。」
てくてくと歩き、山の中に入った。
木々の狭間から月灯りが射し込み、夜とも思えぬ明るさで足下を照らした。
「うん。本当に夜闇の日とは思えないね?」
何故だろう?と男は首を捻る。多分夜闇系列の神々が、と云うより、夜闇神そのものが、何かしらあって隠れているのでは有るまいか?其れくらいの事でも無いと、此れはオカシイだろうと思う。
「まあ、俺には関係無いけど。」
どうせ想像しても確とは解らないし、理解も共感も出来ない筈の神の事である。
男は軽く呟き、伸びをした。
「灯り出さなくても良いのは楽だけど、寝る時は雨戸が要るかなあ……。」
東国の貴族としてはごく普通、並、平均ギリギリな能力でしか無いが、恐らくは他国でなら搭に連絡が行きかねない能力を持つ男である。
創世の神は想像外だが、大神月神にさえまみえた事が有る。
怠惰と自堕落を愛する男は、この国の重要人物であった。
「…………ううむ。どうしようかな?此れって……人間?」
木の葉に塗れて、女が倒れていた。
「……黒髪か。夜闇の日に夜闇の髪の女……ねえ?」
まさかの面倒事?と空を仰ぐが、特に誰も応えてはくれなかった。
「………放置?」
しゃがみこんで観察したところ、中々の美女候補である。しかし明白に怪しい。
面倒事が嫌いな男は立ち上がり、ゆっくりと踵を返した。
「待て待て……普通は連れてくだろ?放置って何だよ?」
慌てたような、呆れたような声は、馴染みのモノだった。
男は振り返り、灼熱の髪と夜闇の眼差しを持つ女神を見つめた。
「久しぶり?」
「まあな。……それより、ソレ持って行けよ。」
何故いつも疑問符付きで話すのか?謎な人間に夜闇の使者は云う。
ソレと呼ばれた女性を見て、男は嫌そうな顔をした。
「ええ?」
「何で嫌がるんだよ?お前が美女欲しいっつったんだろ?」
「ええ?俺が祈ったからなの?」
「そっだよ。お前が祈ったからだよ。まさか返して来いってか?」
女神の言葉に、男は安堵した。
「あ、はい。返せるなら、返品で。」
「…………返品不可。ソレはお前のだと決まりました。っつう訳で…じゃ、またな。」
「…………。」
返品不可かあ。まあ美女になりそうだから良いかな。でも何でだか面倒な予感がするのは何故だろう?仕方なく美女候補、好みの美女に成るにはまだ年若い女性を見下ろして、男は嘆息した。
「………ん?まだ何か?」
消えた女神がまた顕れて、男は訊ねた。
「忘れてた。ソレ、一応成人してるから。ちゃんと今夜にでも妻にするようにね?」
「え?愛人ではダメ……って成人?」
「そっだよ。成人してるから♪愛人はダメ…側室ならギリギリ良いよん♪っつう訳で、今度こそ……って何だよ?」
下級とは云え一応女神の手首を掴み、男は訊ねた。
「どうしても拒否権無いのかな?」
「………無い。」
「何か色々隠してるよね?教えてくれない?」
「………今はダメ。」
男は溜め息を落とした。最初から判っていたが。この女神は単なる使者でしか無いらしい。
夜闇の神々の中でも、力有る神の遊戯に巻き込まれた気がして、男は抵抗したかったが、出来る訳もなかった。
仕方ないから連れて帰り、夜闇の神に嫁にしろと云われたと説明し、女を「見せた」。
今夜中に娶る約定だと告げれば、案の定大騒ぎになった。
「そうなるよなあ。神様から貰った、嫁さんだもんな……。」
だから愛人にしたかったが、仕方ない。嫁にするからには身元保証は必須で、今夜中となれば、隠してもおけない。
そして、神から与えられた妻ならば、側室扱いなんか出来る訳も無いのだ。
「まあ別に良いけど。」
問題点としては。
女が目覚めない事だが。
「ゴメンねえ?寝てる間に何してんだって話だけど………神さまには逆らえないんだよね。」
一応成人していると云う、一見して十代前半の女性は、眠り続けたまま男の妻になった。
儀式の上でも、実質的にも。
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