11◇X05夜闇降臨3
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平和な日常が続くのかと思っていた。
シーリンは平穏も不穏も気にせず怠惰な日々を送るだけだろうが、多分妻たる女性は違うだろうと考える。
そうでなくとも妻はちゃんと仕事をする「まとも」で「まっとう」な人間だった。
職場では色々あるらしい。
嫌なら辞めれば良いとは思うが、辞める気は無いようだから、マイナスよりプラスが勝るのだろう。
別に妻が仕事をしようがすまいが、どうでも良い。どちらでも構わないし、好きなようにすれば良いと思う。
イキイキとした彼女を見ていられるば、シーリンは満足だった。
その妻が疲れて帰ってくるなら、屋敷内は彼女を癒す空間で在るべきだろう。そうシーリンは考える。
だから。平穏無事で無いとイケない。
そして。
怠惰な自分が、波乱になど巻き込まれる訳も無かった。
ずっと屋敷でゴロゴロして、たまに庭を散歩するだけだ。
足を伸ばしたいなら、屋敷裏に見える山を登るのも良し。庭に続く林を散策するも良し。
どちらも敷地内である。
問題など起きよう筈もない。
その筈だった。
☆☆☆
シーリンは退屈を苦にしない。寧ろ愛していると云っても良い。
特に何を目的とするでも無く、シーリンは読みかけの本を開く事もせず、テレビも点けず、ただアルコールの入ったグラスを静かに傾けた。
シーリンの体は泥酔を知らない。恐らくはどんなに呑んでも同じ事だろう。僅かな酩酊を、ほんのりと味わう程度だから、シーリンが酒を呑むのは、ジュースやお茶を飲むのと変わりがない。
もともと知らないから、酔えない事に苦痛も覚えない。
ただ、味わいと、僅かに腹腔が温もる感覚を、シーリンは昔から奇妙に気に入っている。
故に、今も、珈琲を飲むのと同じ感覚でグラスを傾けるのだ。
素面のままで。
だから。
シーリンの視界に映ったのは、酒の所為では有り得ない。
首を捻り、そこを凝視したのは、神の愛し子としての勘かも知れない。
その影は。
扉の影だ。
扉が、よく閉まって無かったのか。
揺れて。
影も当然揺れて。
何故かシーリンは、その揺れる影に見入る。
視線が離せなくなった。
息が苦しくなる。
影は少し濃さを増した気がした。
扉が、揺れて。
影は、更に揺れて。
シーリンの全身に鳥肌が立った。
ズルッ。
と。
シーリンはソファーからずり落ちそうになった。
あんぐりと開いた口を周章てて閉じる。
何故か?
簡単だ。
影は昏い闇に代わり、それはシーリンの足元までゆっくりと流れて来た。
いつの間にか、室内の空気がしっとりと夜気を含んだ。
外は昼間なのに、屋内には夜が訪れた。
「うわあ」
疑いようも無く。
顕現した神は。
夜闇のセルスト神。
創世の神であった。
その圧倒的な美貌と。
恐怖と。
居心地が悪くなる程の誘惑。
実際に痛みを感じるほどに、胸が締め付けられ。
息が出来ないほどで。
本能が撤退と突撃を叫び、相反する命令に暴れる。
頭が煮える程の艶に、飛び掛かりたい原始的な男の本能がある。
生物としての本能は。
恐怖に縮こまり、尻尾を撒いて震えている。
死んだかな。
そう。
思いつつ。
ソファーに座り直したシーリンである。
無意識に、かなり失礼な事を色々考えた自覚があった。
その無礼と。
自分が持つ信仰心と。
セルスト神の愛し子と呼ばれる、世間の評判に…………シーリンは思いを馳せた。
本当に愛し子なら、助かるかな。
と。
半ば無意識に考えた。
様々な感慨がガラス張りに透けて、最高神に晒される。
そして。
セルスト神はクックッと嗤い。
シーリンが死の恐怖などを、人がましくも感じて。
『ソナタは面白い。』
ドロリとした、官能を刺激する声が響いた。
その日。
シーリンはセルスト神の興味を引き寄せた。
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