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Log-in 〝War〟ld  作者: 神崎はやて
第1章
9/14

第2話 【疑惑の人】

その日、仮想空間はいつになく静かだった。


プレイヤーの姿はおろか、ランブルの気配すらない。ひっそりと静まり返った町は、いつにも増して不気味だった。


そんな奇怪な沈黙を保った街中の一角、人並みには立派な民家の中に2人のプレイヤーの姿があった。内の1人、烈火の如きレッドマスクを着けた迅は、目付きの悪いと称される顔つきを更に歪ませ、険しい表情で言葉を絞り出す。


「まさか……」


今彼の目の前にあるのは、光を失ったものの、確かな形を保ち続ける魔法陣。

間違いであって欲しかった。しかし、紅い線で描かれたそれは紛れも無く、中学校の校庭で見たものと同じもの。


雛らしい可愛らしい内装の部屋の中で、血のように紅い円は、酷く異質なものに見えた。


「……ショック?」


「それは……そうだろ。でもどうして、家の中で魔法陣なんか……。雛の家は確かにそこそこ広いけど、さすがにプレイヤー同士ドンパチ出来る程じゃないだろ?」


所詮は、人が住むための住居である。戦いの場としてはそれ程狭く、戦いづらい場所はないだろうに、しかし魔法陣は〝そこ〟にあった。それは一体どういうことなのだろうかと、迅は鈴奈へ意見を求めた。


「魔法陣がどんなものなのかは、私もまだ完全に解ったわけではないけれど。でも、大体の目星はついてるわ。アレはきっと、ランブルを呼び出すものよ」


「ランブルを、呼び出す……?」


「ええ。これは仮説なのだけれど、魔法陣を書いた犯人はあの家を起点にしてランブルを発生させていたとは考えられないかしら? おそらく、ここ最近のランブル大量発生も……」


「つまり……戦った跡ではなく、むしろそのための前準備ってことか?」


「そういう可能性もある、というだけよ。……まあ、この前の井出宗次郎の一件で、信憑性は増したけれど」


井出の一件でも、確かに最後の戦いでは校庭に大きな魔法陣があった。それは迅も実際に見ている。が、あの魔法陣からランブルが発生しているのだとすれば、普通ならばまず間違いなく見落としてしまうであろう屋内にそういった仕掛けを隠すのは、理屈としては間違っていない。


しかも、樹を隠すには森の中。閑静な住宅街の中、一見何の変哲もない一軒の民家は、目を欺くには効果的に思えた。


「だったら、ストーカーとは関係ない可能性も……」


「ストーカーだからこそ、この家を選んだとも考えられるでしょう。結論を急がないで」


「それもそうか……」


そもそも、ストーカーが雛の部屋の中を物色している時に、魔法陣を書いた可能性もある。


いずれにせよ今のところは情報が少なく、ストーカーとあの魔法陣の主を必ずしも結びつけることは出来ない。それが、迅と鈴奈の共通見解だった。


「なあ、この魔法陣って大丈夫なのか?」


「何が?」


「いや、仮にこれまでのと全く同じものなら、ここからランブルが出てくるんだろ? 今の内に壊しとくとか、そういうのはないのかってことだよ」


「馬鹿ね。迂闊に壊して罠だったらどうするの? 生憎私は専門じゃないから、この魔法陣が〝完全に〟この前のものと同じなんて保証は出来ない。壊した瞬間、ボン!……なんてことになる可能性だってあるんだから」


「な、なるほど……」


魔法陣の詳細が解らない以上、迂闊に手を出すのは却って危険。そう伝えるためかわざと〝ボン〟を強調した鈴奈の言葉にびくりとした迅は、思わず後ずさる。


迅が十分に事を理解したと悟った鈴奈は、ふと窓の外を見ながら考えた。


(そう、仕掛けを隠すには絶好な場所。罠を仕込むにも、建物が密集した住宅街なら事欠かない。でも……)


鈴奈は次いで、部屋の中へ視線を移した。可愛らしい内装の部屋の中。女の子らしい部屋は、鈴奈のように女性であればそこに入るのに違和感はまるで感じられない。


しかし―――。


(どうして、〝ここ〟なの?)


少女の部屋に輝く魔法陣。取合せの違和感もさることながら、鈴奈はその配置場所自体に疑問を抱いていた。


確かに、建物の中というのは仕掛けを施すにはいい隠し場所であることは間違いない。けれど、それは果たして〝こんな場所〟である必要があったのだろうか。


このような目立つ場所でなくとも、家の中にはもっと見つかりにくい場所はいくらでもある。それこそ、こんな部屋のど真ん中に、馬鹿正直に設置するメリットはないと言ってもいい。


ならば、それでもこんな見つかりやすい場所に魔法陣が置かれているメリットとは何か。やはり罠なのか、それとも―――。


(ダメね。判断するには、もっと決定的な情報がなければ……)


いずれにせよ、鈴奈には知識がない。放っておくしかない現状は歯痒いことこの上ないが、今回は彼に着いてきたに過ぎないのだ。彼の気が済めば、それでよしとしよう。


そう考えていた鈴奈の耳にふと、鳥の鳴き声が聞こえてきた。


この反転世界に生物が存在するなど有り得ず、声の正体は部屋の中にある鳩時計の鳩であるとすぐに理解した鈴奈は、あまりに静かな反転世界の空気に、ついつい身を預けてしまう。


その瞬間。突如2人を、衝撃が襲った。


「おわあぁっ!?」


「きゃっ!?」


叫びを上げて、爆発する部屋の中から外へ投げ出される。窓を突き破り、その破片がマスクにより与えられし戦装束に細かな傷をつけた。


見た目ほど、爆発や破片にによる痛みはなかった。刹那の間衝撃に呻くと、2人は飛び起きてマスク越しに眼前を睨む。


「困るんだよねぇ。そうやって嗅ぎ回られると……」


先程まで2人が立っていた雛の部屋には今、別の人影の姿があった。


その体躯は人間の男であることを、また迷彩服のような抹茶の色をしたマスクからは、マスカレイドに参加するプレイヤーであることを証明している。

身に纏うは、奇術師のような奇抜なデザインの黒衣。手についたグローブからは鋭い鋼の鉤爪が伸び、青白いオーラが立ち上っていた。


「……貴方ね。それを描いたのは」


「初めまして、パープルマスク。そうさ、これは僕の魔法陣だ。君みたいなのが現れなければ、もっとじっくりと仕掛けられたのにねぇ……」


迷彩マスクが、妖しく鉤爪を舐め上げる。背筋がぞくりとするほどねっとりと気持ちの悪い声音に鈴奈は顔を顰め、隣に立つ迅が反応するよりも先に〝刹那の支配者(タイム・ルーラー)〟を発動させて飛びかかる。


迅が気がついた時には、鈴奈は既に迷彩マスクへと銃口を向けていたところだった。


しかし。


「ふん。速いとは知っていたが、実際に見るとなんとも単調なことだね」


「く……」


人殺しの凶器を突きつけられていたのは、迷彩マスクだけではなかった。


喉元に突きつけられた冷たい銀の刃に、鈴奈は苦い顔をして呻く。

動けないでいる両者に対し、迅もまた動くことは出来なかった。自分がここで迂闊に動けば、それはそのまま鈴奈の身の危険に関わることを悟ったからだ。


けれど、そうはいってもこのまま見ていることも出来ない―――そう考えていた迅だったが、迷彩マスクは存外にも簡単に刃を引いた。


「……何のつもり?」


「やめたよ。君達と戦うのは、僕の目的にはそぐわない。僕はね、無駄なことはしない主義なんだ」


未だ銃口を逸らさない鈴奈にも、迷彩マスクは恐ることなくそう言い放つ。


それに表情をますます怪訝そうに歪める鈴奈を尻目に、迷彩マスクは嘲るような笑みを口元へ浮かべ、姿を消していく。


「待てっ!」


「また会おう。もっとも、次に遭う時には君達に命はないけどね。ははははははっ!」


消えていく迷彩マスクへ向け、迅が漸く動いて拳を振るうが、まるで雲を掴むかのように拳は彼の姿をすり抜けてしまう。


後に残ったのは、半壊した雛の部屋と、どこまでも響く嘲笑だけ。

まるで手品を操る奇術師のように、迷彩マスクの姿は忽然と消えていた。







☆★☆★☆★☆







「……どうするんだよ」


部屋に戻ってきた迅は、相変わらず無遠慮に自分のベッドへ腰掛ける鈴奈へ問うた。


戻ってきた頃には既に夜で、幸い階下ではまだ夕食は出来ていないようだったから、鈴奈を引き止めていることは不審に思われていないだろう。

否、それ以前にこの状況では、まだ鈴奈を帰すわけにはいかなかった。


新たなプレイヤーの出現。しかも奴は井出のように、話で解るような人種には見えなかった。どちらかといえば、最初に迅が遭遇し、鈴奈が撃退したロケットランチャーの男―――彼のように、ただ自分の目的に忠実に行動しているように迅には感じられた。


それだけではない。どういう理屈かは解らないが、先程の戦闘では鈴奈の〝刹那の支配者(タイム・ルーラー)〟が通用していなかった。

彼の能力は未知数。それを踏まえて、今後のことを相談せねばなるまいと迅は考えていたのだ。


「……あの魔法陣のことは、私の方でもう少し調べてみるつもりよ。貴方はストーカーの方に専念なさい」


「いいのか?」


「結局今回の接触では、彼がストーカーである確証は得られなかった。元々私は、あの魔法陣の主については調べるつもりでいたわ。役割が元に戻るだけで、何が変わるわけでもないでしょう」


彼女の説明に、迅は納得した。確かに、理屈の上でもど素人もいいところな自分が彼女に同行するより、こちらはこちらで問題を解決する方が理に適っているように思えたからだ。


しかし、それでもリスクはある。鈴奈の力は―――少なくとも自分よりは―――信頼に足るものと思っている。が、〝刹那の支配者(タイム・ルーラー)〟を破ってみせた迷彩マスクが仮想世界を彷徨いていると解った以上、彼女だけで行かせるのは危険というものだろう。

まだ、彼女を完全に信頼しているわけではない。が、短い付き合いながら迅は鈴奈のこともそれなりに仲間だと思うようにはなってきている。そんな彼女を危険に晒すような選択を、若干躊躇してしまうのも無理はなかった。


「さて、今日のところはもう帰るわ。死にたくなければ、貴方はこの件には首を突っ込まないこと。いいわね?」


「あ、ああ……解ったよ」


「よろしい」


学校指定の黒光りする鞄を片手に持ち、部屋を後にしていく鈴奈とすれ違った妹が、夕飯の支度が出来たと呼びかけるが、迅は答えない。


胸につかえるような僅かな違和感と嫌な予感。それが、迅の思考を苛んでいた。







☆★☆★☆★☆







翌朝、支度を終えた迅が外へ出ると、そこにはいつもと違う景色が広がっていた。


母、咲夜がいつも手入れしている庭の草木や向かいの家の蛇腹型のゲート、アスファルトの灰色はいつもどおりの姿を示していた―――が、たった1つ、いつも家の前で待っているはずの雛の姿がなかった。


ただそれだけのこと。しかし迅としてはここ数年間、雛か自分が風邪で寝込むなどしない限りは一度も変わることのなかった日常的な風景であっただけに、思わず面食らってしまう。


「どうしたんだ、あいつ……?」


訝しみながら、迅は家を出た。

妹の凛は、例の如く陸上部の活動のため早々に家を出ていったらしく、迅が階下に起きてきた頃にはもう既に影形も見ることは叶わなかった。


雛が万が一いなかった時にはそのまま学校へ行くという取り決めになっているため、迅は溜め息を1つつくと家の門を出た。

1人の登校などどれくらいぶりだろうか、などと考えながら、(くだん)の雛の家の前を通りかかると―――。


「あ、迅君」


「あ、どうもです。風華さん」


羽鳥 風華。雛の姉であり、諸事情あって彼女の唯一の肉親である。


「なんだか疲れてるわねー。どうかした?」


「あー、まあ。ちょっといろいろありまして」


まさかマスカレイドのことを話すわけにもいかず、迅は適当にはぐらかす。


昨日の松村といい彼女といい、今の自分はそこまでくたびれて見えるのだろうか。確かに最近は雛のストーカーやらマスカレイドやら、頭の痛くなる出来事が多く重なっていただけに、疲れているのは確かなのだが、そこまで目に見えて外にそれが表れているのだとすれば問題かもしれない。


今日1日くらいは、少々怠いがしゃきっとして過ごそう。迅はそう考えた。


「あ、そうだ」


「ん?」


そこでふと、迅は彼女ならば何か知っているのではないかと思いつく。結局、朝に携帯へ届いた零次からのメールには、昨夜はストーカーは現れなかったと書かれていた。これからも張り込みは続けるつもりだが、情報は少しでも多い方がいいだろう。


雛本人でははぐらかされてしまう可能性が高い。が、姉の彼女であれば話してくれるだろうと考えたのだ。なるべく彼女の家族には知られぬよう、内密にことを運ぶ予定だったが、進展のない現状を考えればやむを得ない。


「風華さん、つかぬことをお聞きしますけど。最近、雛の様子に何か変わったことありませんでしたか?」


「雛?……いや、特に思い当たらないけど」


「そう、ですか……」


姉の彼女でも気付かない、ということは家の方には特に何か仕掛けてきたことはないと考えていいのだろうか。写真のことから考えると、家の方では親しくしながら、それ以外の場所でストーカー行為を働いているということなのかもしれない。そう迅は今の風華の答から推測した。


無論、未だマスカレイドのプレイヤーが犯人である可能性は捨てていない。その中でも現在一番有力なのは昨夜出会った迷彩マスクだが、まだまだ断定は出来なかった。


「何、雛また何かやらかしたわけ? あの子、いい子なんだけどドジっ娘なのが玉に瑕よね」


「あはは……ドジっ娘なのには同意しますけど、大丈夫です。何もやらかしてませんから」


「そう、ならいいんだけど。……って、いっけない、もうこんな時間! そろそろお仕事行かないとっ! じゃあね、迅君!」


「はい、ありがとうございました」


腕時計を見るなり、大慌てでドアの鍵を閉めて走り去っていく風華に苦笑する迅。彼女は近くの会社に務めるOLで、おっとりしている妹と比べれば人並みにはしっかりした人間である。おそらく妹を養うためなるべくしてそうなったのだろうが、それでも地は雛に似てお惚けなところが少なからずあるため、寝坊したり忘れ物をしたりと、時々ドジをやらかすのだ。


今日もその類で、大方寝坊でもしたのだろうと迅は心の内で推測しながらひらひらと手を振って、自らも学校を目指して再び歩を進めた。


通学路を歩くも、今日は1人。こういう時にはかくあるべき、などという固定観念などがあるわけではないが、やはりいつも隣にいる人間がいないとなると、どこか違和感を感じてしまう。


早く犯人を捕まえねばと思いながら道を歩いていると、どこか見覚えのある人影を視界に捉えた。


あの、嶺原のものと違い藍色がかった学生服は、間違いなくすぐ近くの進学校のものである。そして、それを纏っているのは―――。


「……岩島? おーい、岩島ー!」


「……ん? おー! 誰かと思えば迅君じゃないか!」


迅の呼び掛けに、前を歩いていた男子高校生が振り返って笑った。


岩島(いわしま) 秀信(ひでのぶ)。迅や雛とは中学時代の同級生で、運動部に所属していながら迅以上の進学校に進学した強者である。


「久しぶりだな。元気してたか?」


「そっちこそ。最後に会ったの大分前だし、一瞬誰かと思ったよ」


「はは、そこまで変わってねえだろ」


苦笑する迅に、「まあ、そっか」と言って岩島もまた笑う。

零次が高校に入ってからの馴染みなら、彼は中学時代の親友とも呼べる迅の友人の1人。


違う高校へ進学したおかげで普段はなかなか会うことが出来ないだけあって、道すがらの話も弾んだ。


「へえ、雛と同じ塾にねぇ」


「そう。ま、僕が入ったのは結構最近なんだけどね。雛ちゃん凄いよ。うちの塾、課題終わらせないと帰れないんだけど、雛ちゃんいつも1番か2番、遅くても3番には帰ってくし」


「ま、雛だからな。本当、なんで嶺原に入ったんだか。あいつならもっと上目指せたはずなのに……勿体ねえの」


後ろ手に腕を組みながら、そんなことを心の底から不思議そうな声音で迅は言う。

そんな彼に、秀信は呆れたような表情を浮かべて溜め息をついた。


「……何だよ?」


「いや……そういうところは相変わらずなんだなって思ってね。ただ、それだけ」


「は?」


秀信の言い分が理解できないらしい迅は首を傾げ、それを見た秀信は再び、より大きな溜め息をつく。

訳が解らない迅だったが、仕方なくそれについて追求することは止めた。答えてくれそうな雰囲気ではなかったし、これ以上訊いても意味はないと考えたからだ。


代わりに彼は、家を出た時に風華にした質問と同じ問いを彼へ投げかけることにした。


「そういえば岩島。お前、雛と同じ塾に通ってるって言ったよな?」


「ああ、うん。そうだよ」


「じゃあさ、最近雛に何か変わったことなかったか? 元気がなかったとか、何かに悩んでたとか……」


「いや、そういう様子もないけど……。僕が見た限りじゃ、いつもの雛ちゃんだったよ?」


「そうか……」


こちらも収穫なし。考えてみれば、いつも一緒にいる風華をして「変わりない」と言わしめるのだから、秀信に解るはずもなかった。

せめて少しでも何か解ればと思ったが、仕方がない。


「結構昔の友達多いんだよ、あの塾。ほら、中学の時に一緒だった千堂とか」


「あー、ガリ勉の千堂な。あまりに細いんで、クラスの連中に案山子(かかし)って呼ばれてたっけ」


典型的なガリ勉であった千堂。進学塾に彼が通うのも、違和感のないことだと迅は納得した。


あの細過ぎる体躯と、何を考えているのか解らない目は、今でも印象的なものとして迅の脳裏に残っている。

その有り触れているようで、ある種特徴的な外見から、ついたあだ名が案山子であった。


「その千堂も、僕達と同じ時間帯でね。結構雛ちゃんとも仲良くしてるみたいだよ」


「そっか……知らなかったな」


塾に通っていない迅には全く知り得ぬ雛の世界。仕方ないと言えばそれまでだが、それでも寂しく思ってしまうのは欲張りなことだろうか。


いずれにせよ、少なくとも塾でも特に不審な様子はなかったということは解った。

可能な限りの情報収集はこれからも行うが、やはり今後も張り込みは根気良く続けねばならないだろう。


長期戦になる覚悟を整える迅。そこへ思いもよらぬ言葉が、秀信の口から発せられた。


「そういえば、雛ちゃんの隣の席に1人気持ち悪いのがいたなぁ」


「気持ち悪いの? 何だそいつ」


うん、と頷く秀信は、迅の問いかけに詳細を話し始めた。


「田島君って言うんだけどね。まあその彼が、俗に言うオタクみたいな人でさ。それも典型的な奴。脂汗常にギットギトの、油ギッシュな人だよ」


「うわぁ……」


秀信の言ったとおりの人物を脳内に描き、途端にげんなりしてしまう迅。朝っぱらからそんなことを想像するのは勘弁したいところだったが、やむを得ないと言わざるを得ない。


唯一救いなのは、迅の想像した東の人相が、偶然にも本人とぴたり一致していた点くらいだろうか。


「確かに気持ち悪いなそれは。雛の奴も可哀想に……」


「それがさぁ、雛ちゃん全然気にしてないみたいなんだよね。田島君が『雛ちゃん、萌え……』とか言っても、ニコニコしながら首を傾げるくらいだし」


「……そうだった。あいつはそういう奴だった……!」


今更ながら、幼馴染の天然ぶりを思い出した迅。なるほど、確かに彼女なら、どれほど気持ちの悪い人間が傍にいたとしても、そうと感じない可能性は大きい。


雛の天然は、普通は避けるような人間をも許容してしまう程に寛容なのである。


(……待てよ?)


己が幼馴染の呆れに頭を抱えていた迅は、そこでふとあることに思い至った。


これまでの情報から、ストーカーが雛の顔見知りであると仮定してみる。そうした場合、ストーカーの正体がその田島という男である可能性はないだろうか。

前述のとおり、雛は人の悪い側面に無頓着だ。であれば、そもそも彼女が害意ある相手の心を察知出来なかったとしても不思議ではないし、仮に田島がストーカーだとすれば、塾で一緒という繋がりを利用して彼女に近づいたとしてもおかしくない。先程からの秀信の話から察するに、田島が雛に好意を抱いているであろうことも明白である。


材料は揃っている。確証はないが、どこか光明が見えてきた気がして、思わず迅は笑った。


「サンキュー、岩島っ! お前、やっぱり凄い奴だぜっ! はははははっ!」


「がふっ!?」


バシバシと背中を叩かれ、咳き込む岩島を置いて、迅は踊るように坂を走り上がっていく。


「何だったんだ、一体……?」


それをポカンとして見送る秀信は、己の通う学校と嶺原の通学路の分岐点で、1人首を傾げるのだった。







☆★☆★☆★☆







日も落ち始めた夕暮れ時、迅は零次と絢香を引き連れ、問題の学習塾へとやってきていた。


場所を知らない迅達がここまで辿り着くことが出来たのは、放課後、塾へと向かう雛の後をつけたから。大事な友人を尾行するのは気が引けたが、やむを得ない。これも彼女を助けるためだと割り切った。


薄暗くなり始めた辺りの建物には、滾滾(こんこん)と灯りが灯り始める。それは()の学習塾も例外ではなく、蛍光灯の眩い白の光を吐き出し続ける窓の向こう側では、今も尚、雛を始めとする学生たちが勉学に励んでいるのだろう。


若干古ぼけた建物を電柱の陰からそんなことを考えながら覗いていると、不意に零次が口を開いた。


「じゃあ、その田島とかいう奴がストーカーなのか?」


「そうじゃないかっていうだけだよ。証拠はないんだ」


「ま、だからこうして張り込んでるってのは解るんだけどさ」


でもやっぱり気が進まないわぁ、と絢香が愚痴を零すのに、迅は心から同意せざるを得ない。

自分の想像したとおりの人相なら、まず自分から進んで関わり合いにはなりたくない人種である。それは、異性で、外見の良さにも結構な定評がある(本人に自覚はないだろうが)絢香であれば、尚更そうに違いなかった。


それ故に、平然と笑顔で接し続けている雛の無頓着さには、ある種の関心を覚えてしまう。


「しかしまぁ、その情報なら納得するわ。確かにそんな奴なら、ストーカーくらいやってても違和感ないし」


「問題は、俺達が言ったくらいで止めるかどうかだな。最悪、警察沙汰にすることも考えとかないといけないぜ、迅?」


「解ってる。その時には何か考えるさ」


無論、もし本当に田島という男がストーカーであるのなら、然るべき罰を受けてもらおうと迅は考えていた。が、なるべくなら過激なことはしたくないとも思う。


そういった輩には、ストーカーと思われている自覚すらないままにそういった行為に及んでいる者も少なからずいる。そんな場合、過度に相手を傷つけるのはよくないし、したくはない。そう迅は思っていた。


そして。そんなことを話している内に次第に話題も少なくなり、手持ち無沙汰に辺りをうろつき始めた頃。


日はすっかり暮れ、辺りも暗くなってきた時、課題を終えたらしい雛が1人の男子生徒を伴って建物から出てくるのが見えた。


慌てて物陰に隠れた迅達は、その様子をじっと見守る。


「うひゃー、あのヒョロいの一体誰? なんだか雛と仲良さそうに見えるけど……」


「千堂っていって、俺と雛の中学時代のクラスメイトだよ。岩島の言ったとおり、ここに通ってたんだな……」


「なんだ、元気ないな迅。さてはジェラシーか?」


「そんなんじゃねえよ、馬鹿」


千堂のあまりの細さに純粋な驚きを露にする絢香の傍でからかってくる零次の頭を小突きつつ、楽しげに話しながら歩いていく2人を見送る。その後に続くように塾の中から生徒達が出てくるが、肝心の田島らしき男は姿を現さない。


「……全然出てこないな」


「まさか、今日休んだとか……」


「おいおい、冗談じゃねえよ。今日のアニメ、録画しないでまで出てきたってのによ……!」


無駄足の色が濃厚になってきて、そんな風に草臥れた空気を漂わせる一行。特に零次などはよほど楽しみに見ていたアニメだったのか、露骨にがっかりした様子を見せている。


しかし次の瞬間、建物のドアを開けて出てきた大きな影に、迅は2人を手で制した。


「迅、どうし……」


「しっ。静かに!」


訝しんで問いかけてくる零次の声を、小声で遮る。


そして、変わらず物陰で息を殺しながら、迅は建物から出てきた男を観察した。


ぶくぶくに太って、脂ぎった体躯。服は汗に濡れ、丸い顔には眼鏡をかけている。

服には何やらアニメのものらしい何かがプリントされていて、バッグも似たようなイラストが描かれているところを見ると、そういった人種であることを隠そうともしないらしい。


「うわぁ……」


「なんていうか、いかにもなのが出てきたな。ていうか絶対アレだろ」


その姿を見た絢香は心底不快げに表情を歪ませ、零次もまた呆れたように肩を竦めた。


迅自体、予想していたとおり―――否、それ以上の者が出てきたことに内心で辟易しながら、じっと様子を伺っていた。

やがて、バッグから取り出したタオルで汗を拭った男は、雛が歩いていった方向と同じ方向へ向けて歩き出す。


「よし、追うぞ!」


小声で叫ぶ迅に、後方から「おー!」と小さな声で零次と絢香が応じる。


時刻は既に夜。辺りは街灯の光以外には、家々から漏れ出る光くらいしか光源はない。追跡するには、悪くない条件と言える。

またその巨体に見合って男の動きは遅く、見失う心配もない。


暗い夜道を歩く1人の巨体と、それを追う3つの影。幸いにも道中にはあまり人影もなく、迅達は問題なく尾行を続けていく。


そうして男の後をつけること数十分。男の姿はついに、迅と雛の家のある住宅街へと入った。


「こっち、雛の家がある方角だよな……」


「てことは、やっぱりあいつが犯人?」


男の足取りに、ここまで迷いはない。


男の家がこちらにあるという可能性もあるが、まだどうともはっきり言える状況ではない。

背後で小声で話している零次と絢香の言葉に同意したくなる自分を早計だと黙らせながら、迅は黙って尾行を続けた。


そうしている内に、やがて男の足が止まった。

それを追う迅達もまた、近くの電灯の陰に身を潜め、じっと様子を伺う。


足を止めた男の視線の先にあったのは、羽鳥邸。そしてその後、なんと男はあろうことか、バッグから徐にカメラを取り出した。


「ちょ、あいつカメラ持ってるわよ……!?」


「こりゃ決まりだな……。迅?」


「ああ!」


もはや、確証は得られた。


後は彼を捕えるだけだと、迅達は物陰から飛び出して彼に飛びかかった。


「うおおおぉぉっ!?」


「!?」


驚いた様子の男は、雄叫びを上げる迅に押し倒された。その後から零次と絢香も続き、藻掻く男を押さえつけていく。


「い、一体何が……!?」


「何がじゃねえよ、この野郎!」


「うわぁ、汗付いた……キショイ! キショ過ぎるぅっ!」


「観念しやがれ、ストーカーめっ!」


口々に叫びながら、尚もじたばたと抵抗を続ける男を押さえつける迅。その声はもはや近所迷惑になりそうな程だったが、本人達も必死なのだ。そんなこと、気にしている余裕はなかった。


と、漸く男の抵抗が弱まってきた―――そんな時。


「あれ、どうしたの迅君? 零次君と絢香ちゃんも」


「……ひ、雛?」


声に一行がそちらを見ると、騒ぎを聞きつけたのか、家から出てきた雛が不思議そうな表情できょとんとこちらを見ていた。

まだまだ半袖半ズボンで出歩ける程暖かくなっていない夜。シャツの姿で出てきた雛は、肌寒そうに身体を抱いている。


だが、そんな状況に慌てたのは迅達である。


「雛、危ないから離れてろ! こいつ、お前のストーカーだぞ!」


「え? ストーカーって……田島君が?」


「そうだよ、雛! 待ってて、今私がとっ捕まえてやるからっ!」


本当に訳が解っていない様子の雛へ、迅と絢香が必死に叫ぶ―――が、当の雛は相変わらずきょとんとしてこちらを見つめているだけで動かない。


それどころか―――。


「な……お、おいっ!」


「危ないって!」


迅と絢香の警告も耳に入っていないのか、雛は暴れる男へと近づいて、その傍でしゃがみこむ。


雛の存在に気付いた男の暴れる力が、幾分緩んだ。


「田島君、私に何か用事?」


「こ、これ……」


巨体に似合わず弱々しい様子で男が差し出したのは、先程のカメラと、数枚の写真。


それを見た雛は何を不快に思うでもなく、むしろにっこりと微笑んでこう言った。


「わぁ! この前の合宿の写真、やっとできたんだ?」


「「「……はい?」」」


嬉しそうな雛とは対照的に、迅達はあまりにも予想外な彼女の言葉に思わず聞き返してしまう。


「え……ちょっと待て。合宿?」


「あれ、話してなかったっけ? 私、去年の冬休みに塾の合宿行ったんだ。その時、ちょうどデジカメ持ってた田島君がカメラマン引き受けてくれたの。でもプリンタの調子が悪かったみたいで、プリント出来るようになるまで預かっておいて貰ったんだよ♪」


「お、お役に…立ちたく……」


雛の紹介に、田島は照れたように頭を掻く。


それを彼女自身の口から聞いても尚信じられない様子の絢香が、「ちょっと貸して!」と雛から強引にカメラを奪い取った。もしかしたら、ストーカーの証拠写真が残っているかもと考えたのだが、メモリの中身を確認した絢香は首を横に振る。


「ダメだわ、これと同じ写真しかない。しかもこれだって、雛だけじゃなくてちゃんといろんな人撮ってるし……」


(マスクもなし、か……)


写真を調べる絢香とほぼ同時進行で、迅も彼のバッグの中身を漁った。が、マスカレイド参加者の証であるマスクは確認することは出来なかった。

たまたま所持していなかっただけ、ということもあろうが、これで彼をストーカーであると判断できる材料は全て否定されたことになる。


むしろこれは、彼のことを「外見は多少気持ち悪いが、基本的には素直でいい奴」ということを立証してしまったことになり―――。


「……なんていうか、うん。すまなかった」


「気にして、ない……」


気まずげに謝る迅に、田島は笑みに口元を歪ませる。


口下手な彼の笑顔は、やはり気持ち悪かった。


(けど……それなら一体、誰が犯人なんだ……!?)


再び振り出しに戻った、雛のストーカー探し。事態はこの後、誰も予想だにしなかった道を辿ることになる。


田島冤罪事件から、3日後のある日。





羽鳥 雛が―――失踪した。


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