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Log-in 〝War〟ld  作者: 神崎はやて
序章
6/14

第5話 【謀略の影】

「井出、先生………!?」


砂煙の中から現れた姿に、迅は呆然と呟いた。


「どう……して………」


訳が解らなかった。


先程までファミレスの料理をつつきながら、会話に花咲かせていた恩人が。

互いに近況などを話して、可笑しく笑っていたはずの人が。


師と生徒、敵と敵。全く違う場所、全く違う立場で、2人はこうして今、向かい合っている。


一方の井出も、今迅が発した声に、自分が対峙しているレッドマスクの正体に気づいたようだった。


「まさか……風上君か!?」


「井出先生……」


呆然としつつ、迅はマスクを外した。


変身が解け、レッドマスクの執事(バトラー)が、ちょっと目付きが悪いだけの、有り触れた高校生の姿を象った。


「風、上君……まさか、そんな……」


「先生……先生がどうして、こんなところに……!?」


「君こそ……」


互いに、あるはずがない―――否、あっていいはずがないのだと、呆然とそんなことを幾度も譫言(うわごと)のように呟く。


否。目の前の現実を、ただ認めたくなかっただけなのかもしれない。


鈴奈が言っていたではないか。マスカレイドに選ばれる人間は、完全にランダムだと。


ならば、その不特定多数の中から選ばれたたった2人が、師と弟子の関係であることが―――如何に選別が無作為であるにしろ―――有り得ないことだろうか。


確率は低くはあろう。が、決して0ではないのだ。


「いろいろと……話す必要がありそうだな」


「……そうですね」


暫しの間互いに呆然と向き合って、漸く口を開くことの出来たのは、それからややあった後のこと。


2人は互いにやりきれない思いをその視線に滲ませて、その場はゲームをログアウトする。


次の日曜日。また、あのファミレスで出会う約束を交わして。







☆★☆★☆★☆







「……馬鹿ね」


「また随分ばっさりといくな」


井出との邂逅を果たしたあの日から、数日。

珍しく放課後に顔を合わせた迅と鈴奈は、ファミレスの席に向かい合うようにして腰を下ろしていた。


会ったのは偶然―――と、いうわけではなかった。

迅が教室を出る時、鈴奈が入り口で彼を待っていたのだ。


そのまま彼女に引きずられるようにして訳も解らぬまま教室を後にした迅は、気が付けばこのファミレスの席にいて、こうして彼女と対峙していた。


そして、奢りと言うから飲んだドリンクバーと、ご馳走されたと解釈していたケーキ代を担保に、根ほり葉ほり訊ねられたというわけである。


迅の話に対する彼女の感想が、まさしく冒頭の一言であった。


「だってそうでしょう? 戦いたくないなら戦わなければいい。幸いマスカレイドは相手選びはさせてくれるから、その先生とやらと無理に戦わずとも、ランブルを狩るだけで十分ノルマは達成できるわ。最近は、何故だか数も多いようだし」


「そう、なんだろうけどな……」


「……あら、不満そうね?」


傍から聞けば、鈴奈の言うことこそが真理であるように聞こえるだろう。事実、彼女の論に拠れば先生とも戦わずに済む上、ノルマも果たすことが出来る。マスカレイドの仮想空間にいるのは、彼のようなプレイヤーだけではないのだ。


だが―――迅は、何故だかそれだけではいけないような気がしていた。


「……上手くは言えないんだけどな。先生、なんだか訳ありのような気がするんだ。だからちゃんと話してみようと思ってさ」


「それは立派だこと。……でも、無謀ね」


鈴奈の言葉に、迅は思わず俯き気味であった顔を上げた。


そんな彼に溜め息をつきながら、鈴奈はコーヒーへストローで円を描く。


「マスカレイドを甘く見るのは危険よ。多大な褒賞に目が眩んで、平気で人を罠にはめるプレイヤーを、私は何人も見てきた」


「先生がそうだって言うのか……!? ふざけるのも大概に……」


「仮にそうでなかったとしても、負ければ命を落とす戦いよ。……その先生というのがどんな人間かは知らないけれど、完全に心を許すのは危険を伴うわ」


井出が、褒賞のためとはいえ自分を罠にかけるような人間だとは思いたくはなかった。


だからこそ、彼の名誉のために憤ったはずだというのに―――目の前で睨みつけてくる女は、その自分の怒りをも上回る無言の圧力で彼の言葉を遮り、正論を叩きつけてきた。


そうだ。そういうゲームなのだ、あれは。


命がかかっているのだ。自らの存在が。

そのような中で戦って、戦って、戦って―――いつまでも正常でいられる人間が、一体どれほどいるだろうか。


悔しかった。しかし、迅は鈴奈の放った正論に、抗う術を持ち合わせてはいなかった。


今の彼に出来る精一杯の抵抗は―――自分だけは、井出を信じてやるということだけ。


「……ご馳走様」


迅は自分の飲食代をテーブルに置き、足早にファミレスを後にした。


残されたのは、物憂げに向かい側の壁へと視線をさ迷わせた鈴奈、ただ1人。


「全く。何に悩んでいると思えば、そんなことを……」


自分以外誰もいなくなった席で、鈴奈は1人呟く。


最近何か物思いに耽っていることが多いことに気づき、またどうせマスカレイドのことで思い悩んでいるのだろうと思って、態々こうして席を設けて話だけでも聞こうと思ったのだ。


結果は案の定。しかもゲーム初心者が最も陥りやすい、他プレイヤーとの付き合い方だった。


鈴奈にもそういった時期はあった。騙されて殺されかけたことも何度かあったし、戦いたくないというのにノルマにそれを強制させられ、涙を流して半狂乱になりながらも襲いかかってくるプレイヤーを撃破したことも少なくなかった。


そんなことを重ねている内に―――明るく優しいと周囲の評価を受けていたはずの己の心は、いつの間にか荒んでいった。


選択を後悔する気はない。なぜなら彼女には―――目的があったから。


何としても成し遂げたい―――成し遂げなければならない、目的があるのだから。

だから、負けるわけにはいかない。戦いにも、己が情にも。


だというのに―――。


「どうして、こんなに世話を焼いてしまうのかしら」


今までも、新しくプレイヤーに選ばれた初心者に多少の世話を焼いたことはあった。


ゲームのシステムを教え、戦い方を教えた。


そして―――そのまま放り出した。

その後はそのプレイヤーが何をしようが、どんな末路を辿ろうが、見て見ぬふりを貫き通した。全ては、自分の目的のためである。


だが―――今回は何かが違う。


自分でも不思議な程に、あの少年には自然と口や手が出てしまう。こんなことは、これまで1度もなかったことだ。


「全く……」


再び物憂げに溜め息をつく鈴奈の目の前で、コーヒーに入れられた氷がカラン、と音を立てた。







☆★☆★☆★☆







その週の週末。ついに、井出と会う日がやってきた。


信じると決めておきながらなんとなくあの時の鈴奈の言葉が頭から離れなくて、半ば気が重く感じながら、迅は待ち合わせ場所のファミレスへ歩く。


途中何気なく雑踏へ目をやると、自分と同じくらいの歳の女2人が、仲良さげに笑い合いながら歩いていった。


これだけ自分は思い悩んでいるというのに、そんなことに構いもせず世界は今も何気なく回り続けている。それが、迅には何だか自分だけが世界から切り離されたように感じられた。


あの、初めてマスカレイドへログインした時と似た日常との溝を、確かに感じていたのだった。


「……おっと、いけね」


そんなことを考えながら呆けて歩いていると、ファミレスの前を危うく通り過ぎそうになり、迅は慌てて引き返した。


こんなことではいけないと、頬を両手で叩いて気合を入れ直し、ファミレスのドアを開ける。


カランカラン、というドア飾りの音が響くと、店内の奥の方に座っていた男が顔を上げた。―――井出だ。

奇しくもそこは、先日鈴奈が自分へ冷酷な忠告を叩きつけた場所で、思わず迅は身を固めた。


しかし、いつまでも入り口に突っ立っているわけにはいかない。迅は意を決して、店の奥へと歩を進める。


足音に、井出もまた迅の存在に気付いたようだった。以前会った時のような柔和な笑みは形を潜め、真剣な面持ちで、近づいてくる迅を身じろぎ1つせずにじっと見つめていた。


「……どうも」


「……ああ」


間に漂う緊迫した空気に、2人は息を呑んだ。


当然か。現実の世界でこそ師と教え子という関係は変わらずとも、ゲームの世界では、2人は命を奪い合う可能性のある敵同士なのだから。


それも、互いに食うか食われるかという―――正しく、弱肉強食の世界の中で。


「座らんかね、風上君。そこでは、他の客の迷惑になる」


「そ、そうですね。では失礼して……」


ただ椅子に座るという行為に、これ程までに緊張したのはおそらく生まれて初めてだろう。それ程までに、迅は井出と面と向かうのが恐ろしかった。


井出のことはよく知っている。怒れば怖いし時には嫌味も言うが、嘘は言わず、情にも厚い頼りがいのあるよい師である。


しかし、今は違う。目の前にいるのは、敵とも味方とも解らない男。しかもおそらく―――いずれに傾くかは、迅の対応次第。


敵にも味方にもなり得るこの状況で、迅は最善たる言葉を選択しなければならないのだ。


「……驚きましたよ」


「それはこちらの台詞だ。まさか風上君まで、あんなものに巻き込まれていようとは。……いつからだ?」


「数日前に、変なサイトから……。先生は?」


「……2ヶ月前だ。パソコンに突然、メールで送り付けられてきた」


吐き捨てる井出。気持ちは解る。迅とて、戦いに放り出されたのは本当に唐突で―――抗いようもなかった。


真面目な井出であれば、あのような狂ったゲームに無理矢理参加させられて、何とも思わないはずがない。


「2ヶ月……じゃあ、ノルマは……!?」


「後少しで……期限だ」


迅は、息を呑んだ。

実際に目にしたことはない。けれど、期限内にノルマを達成することが出来なかった人間の末路は、ルールを見て知っている。


そこまで思い出した上で、迅は井出があそこまで執拗にプレイヤーである迅を狙っていた理由を理解した。


マスカレイドにおいて、プレイヤーは倒した時のリターンがランブルに比べて遥かに大きい。ノルマを果たす期限が迫っている井出にとってみれば、ランブルで少しずつ積み立てている余裕などないのだろう。


そこへ、迅が現れた。プレイヤーの方がより大きな戦績を得られることを思い出し、切羽詰まっていた井出は、迅を―――。


(なんてこった……!)


彼は、鈴奈が言ったように欲望に魂を売り渡して敵となったわけではなかった。それを理解し安堵した上で、迅は新たな絶望に身を焦がされる。


ノルマが迫っている。それも、迅のような他プレイヤーを襲わなければならないほどに切羽詰っているのだ。このまま期間内に一定の戦績を上げられなければ、井出は近い内にデリートされてしまうのだろう。


それがどういった形で執行されるのか、迅はまだ知らない。けれど、消去(デリート)―――その言葉から鑑みるに、その末路が死であろうことは理解出来る。


井出を救う方法は何かないのか。思考を巡らせても、所詮プレイヤーとしては駆け出しの迅では、知恵を巡らせるだけの知識もなかった。


これが鈴奈なら、或いは―――。


(……っ、どうして……!)


鈴奈のことを考えた瞬間、迅は慌ててその考えを取り消した。


今、鈴奈には頼りたくなかった。理屈の上では、井出を救うためにも彼女の協力は確かに必要だろう。しかしそれは、今の迅にとっては間違いなく禁忌であった。


何故なら、彼女は否定したから。迅が尊敬すらしていた、井出の人格を否定したのだ。


忠告が正しいことは理解している。これがくだらない意地でしかないことも百も承知だ。


けれど。それでも今は、彼女にだけは力を借りたくはなかった。


「……君は、私の敵なのか?」


井出の口からそんな言葉が飛び出したのは、本当に唐突だった。問いは弾丸のように発せられ、迅の心を真正面から抉っていく。


井出の口から、そんな言葉を聞く日がくるとは、思いもよらなかった。あったとしても、それは自分が見たとおりの不良となって、教育の聖職者たる彼と再会する、そんなシチュエーションの中でしかありえないと思っていた。それもその場合、台詞を言う役者は井出ではなく迅である。


けれど、そんなことは有り得ない。自分はこれまでも、そしてこれからも―――善良な一市民でいるつもりでいた。

つまりは、絶対に有り得ないと思っていたのだ。そんな迅にとって、深刻な表情で井出より放たれたその言葉は、想像以上の衝撃を孕んでいた。


「……そうでありたくないとは、思ってます」


迅は、明確な回答を避けた。迅自身にも、どうするのが最善なのか判断できなかった故の返答。


しかし、それだけでも井出は随分心持ちが楽になったようで、安堵の溜め息をつきつつも、すぐに表情を切り替える。


「風上君。君にもノルマがあるだろうから、あの世界へ行くなとは言わん。けれど……お互い正体を知る者同士、あの仮想空間では、何があっても私に関わらないと約束してくれ」


「けど、先生……」


「……私も、君を敵に回したくはない」


井出もおそらくはゲームは素人。それも迅のように、現実世界のゲームをプレイしてなんとなく感覚を掴んでいる、今時の子供とは訳が違う。まさにド素人だ。


そんな井出が誰も頼りにせず、残り少ない期間の中でノルマを果たそうなどと、無謀にも程があった。


手合わせしてみれば尚のこと、それがよく理解出来た。武具と仮面の力で強化された力に頼りきった、力押し。あの時は必死な思いが戦い方に現れていたのかとも思ったが、今考えればそれは、井出が初心者であったからに他ならないことに気づく。


このまま1人にしてはいけないと思った。このままでは、井出は間違いなく焦り故に命を落とす。


しかし、彼は彼で苦渋の決断なのかもしれない。頼るべき数少ない味方を、自ら突き放したのだから。


「けれど、現実世界ではどうか、これまでどおり接してほしい。するとどうだ……全てが、元のままだ」


そう、ニコリと笑う井出に、迅は言葉を返すことが出来なかった。







☆★☆★☆★☆







(……結局、俺はどうするべきなんだろうか)


家に帰った迅は、自室のベッドの上に寝転がりながら、ぼんやりと天井を見つめていた。


昼間の、井出の話が気にかかる。あの場は、結局何も口にすることが出来なかった。気の利いた言葉も、何もかも。


ただ有りのままに受け入れて、ただそれを理解するだけで終わってしまった。そして今。最も気持ちが落ち着くはずのベッドの上においても、迅は答を出せずにいた。


ふと、考えるのを止める。半身を起こし、夜風に揺れる白いレースのカーテンが目に入った。


「……アイスでも食いに行くか」


確かキッチンの冷凍庫に、先日買い物で買ったバニラアイスが入っていたはずだと思い起こしながら、迅は階下を目指した。


腹は減っていない。昼間は、ちゃんとランチをご馳走になってきた。おかげで腹は膨れたが―――味など微塵も感じられなかった。味も覚えていないようでは食事などあってなかったようなものであり、残るのは妙な空虚だけ。


今は何でもいいから、この空虚をどうにかして埋めたい気分だった。


そんな時だ。部屋に、軽快なポップスのメロディーとバイブレーターの音が鳴り響いた。


ベッドから立ち上がりかけていた迅は、そのまま机の上の充電器にセットしておいた携帯電話を手に取る。


着信。相手は―――。


「……非通知?」


彼が呟いたとおり、非通知の三文字が、カラーウィンドウには表示されていた。不審電話の類かと思われたが、とりあえず出てみるか、と通話ボタンを押して耳に当てる。


「はいはい、押し売りはノーサンキューですよっと」


我ながら、何を馬鹿馬鹿しいことを口走っているのだろう。それほどまでに、今の自分の頭は訳が解らなくなっているのかと自覚した迅は、自嘲するように苦笑しながら相手の反応を待った。


さあ、飛び出てくるのは懇切丁寧を装った悪徳セールスの売り言葉か、それとも―――。




『……風上 迅、だな?』




「はっ……?」


一瞬、思考がフリーズした。


くぐもったような、どこか普通でない声音。サスペンス紛いの体験をしたことのない迅にも、変声機の類を使っているのだろうと一発で理解することが出来た。


―――そんな電話を受けているこの現状は、ちっとも理解できなかったが。


変声機のおかげで男性とも女性とも取れぬ声の主は、まともな返事を返すことも出来ずにいた迅を無視し、一方的に通告を始める。


『今すぐマスカレイドにログインして、桜ヶ丘中学校に来い。井出がお前を待っている』


「ちょ……ちょっと待て! お前は誰だ、どうしてマスカレイドのことを……!?」


『15分以内に来い。その後どう動くかはお前の自由だが、来なければ……井出の命の保証は出来かねる。以上だ』


「おい、それってどういう……」


一方的に通告を終えたあちら側は、迅の質問には一切答えずに電話を切った。ツー、ツーと、通話の終了を告げる音が耳を通して頭に妙な響きをもって木霊する。


急な展開でまともに回らぬ頭を必死に回転させながら、迅は考えた。


可能性としては、2つ。


1つは、電話の主が言葉どおり井出を拉致した可能性。声の主もマスカレイドの参加者であり、井出を拉致し、彼と迅を纏めて片付けようと画策しているのかもしれない。


2つ目は、そもそも電話の主と井出は関係がなく、この電話自体が迅を誘い込むための罠であるという可能性だ。つまりは井出の話は全くのはったりで、指定した場所に罠でも仕掛けておいて、のこのこ現れた迅がそれにかかるのを虎視眈々と狙っているのだろう。


問題は相手が何故迅と井出の関係、そして迅の携帯電話の番号を知っていたのかということだが、いずれにせよ、迅を狩るべく何者かが仕組んだ罠の可能性は拭えなかった。


「でも、もし本当に先生が捕まってたら……」


昼間も感じたとおり、井出は素人だ。もし本当に捕まっていたとするなら、助けに行かねば命が危ない。


罠だとかそうでないとか、考えている余裕は今の迅にはなかった。


息を呑みつつ、机の上に置いてあったマスクを手に取り、既に起動させておいたマスカレイドプログラムへと翳す。


迅はそうして、待ち受ける罠へ迷うことなく飛び込んでいった。







☆★☆★☆★☆







「やはり、ここにも同じものが……」


一方、そんなことになっているとは知らぬ鈴奈は、既にマスカレイドの世界へ潜っていた。


現在地は、どこかの学校の校庭。越してきたばかりの鈴奈には、この学校が何という名なのかなど皆目見当もつかないし、正直どうでもよかった。


夜の校庭には照明の灯りが真夏の太陽のように眩く照りつけていて、暗闇はどこにもなかった。おそらく現実世界では、運動部による練習が今も続けられているのだろうが、それすらも彼女の意識にはない。今彼女の興味を突き動かしているのは、自らがしゃがみこんで手で撫でている、地面に描かれた謎の紋章だった。


ゲームや漫画等では、魔法陣とも呼ばれている円形の陣。それが、この校庭のど真ん中に描かれている。


「やっぱり〝これ〟が今回の件に関わっているというのは、ほぼ間違いなさそうね」


ちらりと背後を尻目に見ながら、鈴奈はそう結論づけた。


今彼女の背後にあるのは、端的に言えば屍。

彼女が倒した十数という数のランブルが屍の山を築き、少しずつ粒子化してきていた。


鈴奈がこれまで体験してきたマスカレイドの常識からすれば、まず有り得ない出現数だ。少なくとも一箇所に、それも僅かな時間に出現するには度が過ぎている。しかしそれでも倒れるに至らなかった事実が、彼女の実力を最大限証明していると言えた。


鈴奈は立ち上がった。あまり無理に動きすぎると、いずれ疲弊し自身の身を危険に晒すことになるのは目に見えている。既に調査を兼ねたランブル狩りは終えたのだから、早めにログアウトして今日のところは休もう―――。


そう考えていた、矢先。


「………はっ!?」


気配に気づき、突き出された棍をぎりぎりのところで回避することに成功する。そしてすぐさま刹那の支配者(タイム・ルーラー)を発動させ、その場から飛びのいた。


(しまった、罠っ……!?)


おそらくは、この魔法陣もどきは鈴奈をおびき寄せるための餌だったのだろう。知る由もなかったのだから致し方ないことではあったが、それでも無策にのこのこ出てきてしまった迂闊な自分に舌打ちすると、鈴奈はホルスターから宝石銃を抜き放ち、即座に放った。


実弾ではない、青白い光が銃口から迸る。闇夜に映える閃光は、襲撃者―――ブラウンマスクのすぐ傍を通り抜け、彼の背後で炸裂した。


「今のは威嚇です。……貴方の正体は解っています。私は、彼のように甘くはない。退かないなら、次は当てますよ」


容赦のない言葉と無言のプレッシャーをかけられたブラウンマスク―――井出が息を呑む音が、無人で静まり返った仮装空間に響く。


そして棍を下げると同時、井出は呟くような小さな声で言った。


「そうか。君は風上君の友人か……」


「友人……ね。彼がそう思ってくれているのかどうかは解らないけれど。……でも、私にはやらなければならないことがある。彼には悪いけれど、敵になるなら私は貴方を討ちます。答えてください。貴方は……ここへ何をしに?」


最後通告だとばかりに、鈴奈は井出へ解りきったことを問いかけた。


ここに来て、いきなりの襲撃。これまで幾度となく繰り返してきたことだというのにそれを確かめたのは、ここにはいない〝彼〟に対する思い故か。


果たして、それに対する井出の返答とは―――。


「……ノルマを果たしに」


「そうですか」


答を聞いた鈴奈は、容赦なく引き金を引いた。


今度は、直撃コース。神秘の宝石銃から発射された青き弾丸は、寸分違わず彼の胴を貫く一発―――と、なるはずだった。


鈴奈と井出との間に割り込む影があった。影は燕尾を靡かせながら、手甲で銃弾を弾き飛ばす。

突進を阻まれて勢いを失った銃弾は、そのまま青き粒子と化して霧散した。


「貴方……」


「風上、君……!?」


割って入った燕尾服の少年を、それぞれがそれぞれの驚きをもって見る。その中心にいる迅は、マスクの目から真っ直ぐに鈴奈を睨みつけていた。


「……何やってんだよ」


「何……そうね、露払いかしら。その人が襲いかかってきたから、迎え撃った。何かいけない?」


「襲いかかって、って……本当なんですか、先生!?」


「……こちらでは、私にはもう関わるなと言ったはずだ」


迅はぐっ、と言葉を詰まらせた。自身の問いに視線を逸らしつつも、突き放すような井出の態度に気圧されかけて。

しかし迅には、どうしても引き下がることなど出来なかった。


さらにもう1つ。迅には、どうしても解らない点があった。


どうしてここに鈴奈がいるのか、である。


状況から見て、彼女はあの奇妙な電話とは無関係だろう。彼女が電話の主なのだとするなら、その切り札たる井出を野放しにしておくメリットがない。何せここは校庭のど真ん中。井出を拘束しておくような場所はないし、初心者である井出が手練れたる彼女の拘束から簡単に逃れられるとは考えにくい。


であるなら、鈴奈は犯人ではない可能性は高い。おそらく別の用事でこの世界に潜り、偶然何らかの形で井出と接触したのだろう。少なくとも電話の主は、鈴奈がここに来ることを何らかの形で知っていた。おそらくその後、切羽詰っていた井出がそれを見て、襲いかかるであろうことも。


では、あの電話の主は誰なのか。そして、どこまで知っているのか―――今のところ、そこまでは迅にも答は出せなかった。一旦考察を中断し、まずはこの状況をなんとかすることに専念すべく、口を開く。


「落ち着けよ。襲われたからって、何も殺すことなんてないだろ! 先生にも事情があって……」


「事情があるから大人しく殺されろっていうの? 冗談じゃないわ。……その人は敵よ。その口から直接はっきり聞いたんだもの、間違いない」


鈴奈の言葉を聞いた迅が背後に庇う井出を見るが、井出は視線を合わせようとはしない。


その行動が、彼女の言うことが真実だと告げていることに気づかぬ程、迅は察しが悪くなかった。


ああ、なんという絶望的な状況だろう―――と、迅は心の内で嘆く。井出が鈴奈を襲撃したというのは、おそらく事実だろう。井出はこういう時嘘のつけない人間と知っているから、先程の反応が全てを物語っていると言える。

そんな井出に対して、鈴奈はすっかり火がついてしまったようで、彼を明確な敵として叩きのめすことに躊躇がないようだった。


ならばどうする。井出と協力して、鈴奈を討つか?


否、それは駄目だと、迅は表に浮上しかけた案をもみ消した。


確かに井出に比べれば鈴奈との付き合いは短いし、心情的にも井出に協力したい気持ちはある。

けれど、たとえ井出と協力したとしても、鈴奈に勝てる確率は限りなく低い。


その最たる理由は、彼女の持つアビリティ〝刹那の支配者(タイム・ルーラー)〟である。


如何に協力体制を敷こうと、その絶対的時間支配から逃れる術はこちらにはない。襲いかかったが最後、次の瞬間には目標を失った挙句、後頭部に銃口を押し付けられるのが目に見えている。


だからといって、鈴奈を説得しようと思ったところでおそらくは無駄。彼女は完全に井出のことを敵として認識していて、こちらの話など取り付く島もないようだった。

先程、迅は彼女と付き合いが短いと言った。けれど、それは鈴奈に関しても同じことなのだ。鈴奈にとっての迅は、未だ「時々助けてやっている、多少手の掛かる初心者プレイヤー」でしかないのだろうから。

そんな相手が、明らかに自分を襲ってきた相手を幇助している。この状況で、迅の言葉に彼女が素直に応じてくれる確率は限りなく低く思えた。


(……どうすればいいんだ……!?)


暗闇に閉ざされた嘗ての母校の前で、迅はマスカレイドにおいて初めての大きな判断を迫られていた。




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