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Log-in 〝War〟ld  作者: 神崎はやて
序章
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第4話 【悲しき再会】




翌日。誰もが爽やかな朝の空気に心洗われる一方で、迅は対照的に、気怠げに通学路を歩いていた。


原因は言わずもがな、例のマスカレイドのことだ。


もう1度ログインしてみて解った。あれは確かに、人に戦いを強いるシステムだ。否、戦いの中で殺すシステム―――――と言った方が、適切かもしれない。


褒賞欲しさに欲望に塗れるにしろ、死にたくない故にやむを得ないにしろ、あの戦いのルールが本当であるなら、どのみちプレイヤーは戦うしかない。


昨日襲い掛かってきた1人も、きっと―――――。


「………くそっ」


考えれば考える程マイナスの側に傾いていく思考を振り払おうと、迅はそう吐き捨てる。


今日、隣に雛はいない。

ああ見えて、小さな機微にも目敏い娘だ。今の自分を見れば、何かしら問われるに決まっていた。


そこまで無神経な娘でもないから、しつこく追求されるようなこともないだろうが、それでも今の迅には過ぎた介入だった。


だからこそ、わざと時間をずらして早く家を出たというのに―――――1人になったらなったで、ぐるぐると頭の中でどうしようもない負の悪循環に沈んでいく。


これでは、まだ雛と一緒にいた方がましだったかもしれない。

そんな後悔に苛まれながら、ぼーっといつもの道を歩いていると―――――。


「あら。今日は早いのね」


―――――今、出来れば最も聞きたくない声が響いた。


「………何か用かよ」


「あら、素っ気ない。せっかくの朝よ。始めからそんなに陰欝な気持ちじゃ、掴める幸せも掴めなくなるわよ?」


「誰のせいだ、誰の………」


そう溜め息をついて、鈴奈を置いて歩き出す迅。


放っておいて欲しい。

1人ではスパイラルに陥ってしまうと解ってはいるが、この女とだけは一緒にいたくない。それなら、1人の方がまだいいとすら思えた。


そんな思いから邪険にあしらう迅にも鈴奈は特に気分を害した様子もなく、表情を変えぬまま足を速めて、迅の隣に並び立った。


「随分とお疲れのようね」


「………当然だろ。命のやり取りをして来たんだから」


「言っておくけど、私の所為ではないわよ? マスカレイドに選ばれるか否かは、完全にランダムなのだから」


「………解ってるさ」


そう、解ってはいる。だが、果たしてそれで納得出来るかと問われれば、それは全く別問題だろう。


そしてそれと同じく、肩を並べるこの少女もまた、迅にとって何のデメリットもない存在であること―――――むしろ、マスカレイド初心者である迅に取っては、メリットしかない―――――も理解してはいる。が、これも理解しているか否かには関係なく、迅は彼女のことを好意的に見れずにいた。


それは、彼女の曖昧な立ち位置。

積極的に助けてくれるわけでもなく、精々たまたま見かけた時に仕方なく手を差し延べてくれる程度だ。


親身になってくれている、とはお世辞にも言い難く、あくまでも目的を達成する過程で、ついでに付き合っているに過ぎないのだ。そんな彼女に依存してしまっては、いずれ裏切られ、基盤から崩されてしまうかもしれない。


まだ彼女とは会って数日しか経っていないが、それでもその短期間の間に、目的のために何でも切り捨てる覚悟すら思わせる強い意思を伺わせる瞳に気付いていた迅は、それが現実のものになるやもしれない可能性を感覚的に悟っていたのである。


杞憂かもしれない。だが、そんな虫の知らせとも言える予感を感じている一方で彼女に笑顔を振り撒くことなど、迅には到底出来そうもなかった。


だが―――――先に述べたとおり、自分が生き残るためとあれば仕方がないのもまた事実。


不本意ながら、迅は鈴奈の言葉に耳を傾けることにした。


「お前はどうなんだよ。ランブルの大量発生、調べてんだろ? 何か収穫とかあったのか?」


「仮説はあるわ。けれど、立証するにはまだ証拠が足りない。もう少し、調べてみる必要がありそうね」


「何だ、結局は進展なしかよ」


「あら。未だに状況を割り切れていない、どこかの誰かさんよりはましだと自負しているけれど?」


嫌味を言ったつもりが、それ以上の正論で返され、迅はぐぅの音も出ず押し黙った。


確かに鈴奈の言うとおり、未だシステムに順応しきれていない自分は、プレイヤーとして不完全と言わざるを得ない。


鈴奈の手際にいちゃもんをつけられるような立場ではないことは、否定しようのない事実であった。


「まあ、いいわ。私も最初は信じられなかったのだし、非科学的な夢物語のようなこれに、貴方がすぐに順応出来なかったとしても無理はないと思う。少しずつ慣らしていくことね。幸い、ノルマ期限に差し迫っているわけでもないのだから、慌てることもないでしょう?」


どこから出したのか、唐突に手にとった紫の仮面を手にとって、指先でくるくると弄ぶ。


そんな彼女の横顔を、迅は意外そうな顔をして見た。


「………何?」


「ああ、いや。お前にそんな気遣うようなこと言われるなんて、って………」


視線に気付いたか、訝しげな表情で睨む鈴奈に、迅は思わず正直に答えてしまう。


それに鈴奈は、呆れたように溜め息をついた。


「貴方、私のこと、そんなに冷血な女と思っていたのかしら?」


「そりゃまあ………………少しは」


「私だって感情のある人間。関わりのある大事な人間を、気遣うくらいの慈愛は持ち合わせているつもりよ」


澄ました顔でしれっと言う鈴奈の言葉に、「ふーん………」と疑わしげに空返事を返す。


しかし。


「………あれ?」


彼女の物言いを脳内で咀嚼していると―――――ふと、気付いた。


「それって、俺のことも大切に思ってくれてるってことか?」


立ち止まって尋ねた迅の言葉に、鈴奈は彼の少し前で立ち止まり、振り返った。


「当然よ。大事なクラスメイト、でしょう?」


ニコ、と微笑んで、鈴奈は先に駆けていった。


気付けば、いつの間にか校門に到着していたらしい。


鈴奈の姿は登校する他の生徒の波に紛れ、忽然と消えていた。


「クラスメイト………ねぇ」


苦笑し、迅もまた彼女の後を追って、厳ついコンクリートの校門を潜る。


先程まで、陰欝な闇に囚われていた心は―――――いつしか、その形を潜めている。


我ながら現金だ、と自嘲しつつ、迅もまた鈴奈を追って人混みの中へと消えていった。







☆★☆★☆★☆







「なぁ、俺は羨ましい」


「いきなり何だ」


その日の帰り道。


珍しく女2人で用事があるとかで、雛と絢香は一足先にどこかへ行ってしまい、迅は零次と放課後の時間を共にしていた。


鈴奈のことは解らなかったが、他の生徒の人影の合間から、教科書を鞄にしまう彼女の姿が見えたから、恐らくは帰ったのだろう。


そのような経緯を経て、コーヒーでも飲もうかと、1度はファミレスのテーブルに腰を降ろした。


清潔で綺麗な内装をしたそこは、週末に井出と会食の約束をしている店でもあった。


ドリンクバーでいれてきたアイスコーヒーを楽しんで、今は店を出た帰り道である。


「だってそうだろ。今朝お前、あの美人転校生と仲良く2人で登校してきたそうじゃねぇか!」


「そんなんじゃねーっつーの。鈴奈とはたまたま通学路で会っただけで………」


「しかも早々に名前呼びときたもんだ。………おい、当てつけか? 俺のような寂しい万年非リア充に対する当てつけかこの野郎」


「落ち着けっつの。………あいつとは本当に何もないよ、うん。何もない」


まさかマスカレイドのことを話すわけにもいかず、適当な言い方をしながら迅は話を強引に終わらせようとする。


しかし一方の零次は、腑に落ちない表情のままこちらを見ていた。


「くぅ………どうしてこう、迅の周りにばっか美少女が集まるんだよ……」


「そんなこと言われてもなぁ………」


確かによくよく考えてみれば、迅から見ても彼の周囲には美少女が多い。


幼なじみの雛も、ぽわぽわしているが可愛い部類に入るだろうし、絢香は活発な人柄からかファンも多い。転校してきたばかりの鈴奈も―――――性格や事情はともかく、外見上は文句なしの美女と言えよう。


「凜ちゃんも可愛いよなぁ~~………。くそぅ、いっそ俺にくれっ!」


「誰がやるか、馬鹿!」


そんな馬鹿なことを話しながら、2人はそれぞれの家路を歩く。


商店街の中を抜けると、2人の住む閑静な住宅街に出る。それまでは、零次とこんな馬鹿を言いながら同じ道を歩くのが、彼と遊びに出た時のパターンだった。


だが、今回は少し事情が違った。


「おい、零次………」


「ああ………」


喋りながら歩いていた2人の目に飛び込んできたのは、1人の老人の姿だった。


こんな庶民的な商店街には一層異彩を放って見える黒づくめの燕尾服を着て、何やら身に余るほどの大量の買い物袋を持ってよろよろと歩いている。


見るに見兼ねた2人は示し合わせると、老人に声をかけた。


「あの~、大丈夫ですか?」


「荷物、お持ちします」


「おお、これはこれはご親切に………。では、こちらをお願い出来ますか?」


2人に気付いた老人は、両手に持っていたいっぱいの紙袋の片方を差し出した。


老人の細身に似合わぬ、呆れるほどの量の荷物に2人は一瞬の間呆気に取られるが、老人の腕が重さに震えているのを見て我に返り、2人で手分けして荷物を持った。


「そちらもお持ちしましょうか?」


「ほっほっ、お気遣いは大変嬉しく思いますが、少しでも動かさねばこの老体、すぐに動かなくなってしまいますので。こちらは、私が」


「ご立派なんですね」


「見えっ張りなだけですよ」


ほっほ、と温和に笑う老人に2人も微笑むと、老人の案内の下、道を歩いた。


方向は、2人の家があるのとは少しずれている。


「こっちの方向、高級住宅街ですよね。その燕尾服といい………もしかして、どこかのお屋敷の執事さん、とかですか?」


迅が問うと老人は、そのようなものです、と、振り返らぬまま肯定した。


「生憎と、使用人が私しかおりませんもので………買い物も皆、私が」


「使用人1人しか雇えないなんて………それほど金持ちじゃなさそうだな」


「おい、零次………」


失礼だろ、と、思わず無礼を口走った友を窘める迅に、老人は例の朗らかな笑い声を上げ、構いませんよ、と非礼を赦した。


「本当のことですから。まぁ、私は坊ちゃまに何度か使用人の増員を勧めたのですが………坊ちゃまは少々変わったお人でして、私1人で構わないと、そうおっしゃいまして………っと、これは失礼。このようなことをお聞かせても、退屈なだけですね」


「いえいえ、そんな………」


「好きなんですね、その人のことが。何だかイキイキしてましたよ?」


零次の言葉に、老人は「そうですか?」と嬉しそうに笑った。

主人への思いを褒められて、執事冥利に尽きることだろう。


「おや、失礼。ここでよろしいですよ」


「ここ、って………」


老人の言葉に、2人は揃って上を見上げ―――――。


「「でかっ………」」


絶句した。


2人の目の前に現れたのは、かなりの大きさの高層マンション。


爽やかなイメージを与える外装は、その大きさも合間って見る者へ威圧感をも与え―――――外から見るしかない2人は知る由もないが、中は全て最新鋭のセキュリティを備えたオートロックシステムを採用し、防犯対策も抜け目なく施されている。


間違いなく、超高級マンションだ。


「お2人共、本日は本当にありがとうございました。宜しければ、お礼を兼ねてお茶を………といきたいところですが、お坊ちゃまは先程も申し上げましたとおり、気難しいお方でして………どなたともお会いになろうとはなさらないでしょう。後日、お礼の品をお持ちさせていただきますので、どうかご勘弁を」


「あ……いや、あの……」


「お、お気に……なさらず………」


あまりのショックに、老人の言葉にも満足に答えることも出来ず、では、と頭を下げて去っていく老人を、ただ手を振って見送るしかなかった。


「………帰るか」


「………そ、そうだな……」


結局2人が決して小さくない衝撃から脱し、再び家路につくことが出来たのは、それからたっぷり5分も経った後だったのだという。


「…………?」


帰り際、迅は一度後ろを振り返って、ビルの一角を見上げた。


何か気配というか、直感的に何かを感じたためだが、視線には何の変哲もない高層マンションが見えるだけ。


気のせいか、と思い直し、先にいった零次が呼んでいるのを慌てて追いかけた。


―――――2人をマンションの一室から見ていた、1人の男には最後まで気付かずに。







☆★☆★☆★☆







そして、日曜日。


珍しく早く起きた迅は支度を済ませると、井出と待ち合わせたファミレスへ急いだ。


待ち合わせの昼にはまだ早いが、ここ最近はマスカレイドや鈴奈のことで頭がいっぱいだった。


久しぶりの再会に水を差してはいけないと、少しでも頭の中を空にしておきたかった。


そのために、少し早く家を出て、辺りを散歩してみようかと思い当たったのだ。


天気は快晴。これ以上ないほどの外出日和である。


まだ季節は春。桜が漸く散り始め、日差しが日に日に暖かくなり始める一方で、まだまだ風は少し冷たいと思える頃。

迅は、この頃のそんな空気が好きだった。


「凛も少し歩けばいいのに………って、無理か。あの調子じゃなぁ」


もう既に太陽もそれなりの高さまで昇り、起床には遅い時間にも関わらず、家で掛け布団を抱き枕にして未だ夢の中であった才能ある妹を思い浮かべ、すぐに考えを改める。


凛が朝に弱いのは、以前部活に遅れそうになったことからも理解出来ることと思うが、特に休日は筋金入りで、自分から起きない限り、ベッドから梃子でも動かないのだ。


そんな彼女を起こす労力の大きさは、想像に難くなかった。


やはり1人で十分だと思い直すと、迅は待ち合わせしているファミレスへ向けて歩き出す。


街中は春の暖かさにおされた人々が、店の営業やその準備に精を出している。


そんな、まだ早いながら活気のある商店街を歩いていくと、やがて目的のファミレスの看板がその姿を現した。


入り口のドアを開けると、ちょうどそこにいた店員がいらっしゃいませ、と声をかけてくる。


「喫煙席と禁煙席ございますが?」


「えーと……先客がいるので、そこでもいいですか?」


「畏まりました」


店員を適当にやり過ごすと、店内に入って井出の姿を探す。


そして―――――。


「やあ、風上君。こっちだよ」


少し奥の方から声がして、次いで手招きする彼の姿を見つけ、迅はそこへ歩み寄った。


「先生、今日は宜しくお願いします!」


「はは、堅苦しい挨拶は抜きだよ、風上君。もう君は私の生徒じゃないんだ。一個人として会っているに過ぎんのだから」


「あははっ。そう言って下さると、俺も気が楽ですよ」


そんな言葉を交わしながら迅が席に座ると、タイミングを図ったように店員が迅の分のおしぼりと水を持ってきた。


「ご注文、お決まりになりましたら声をかけてください」


「はい」


制服に身を包んだウェイトレスがトレイを手に去っていくのを見計らって、迅は口を開く。


何せ、長い間会っていなかった恩師だ。積もる話もあるし、聞きたいこともいろいろとあった。


「お元気そうで何よりですよ、先生」


「はは、ありがとう。最近少し疲れることも多いが………まあ、楽しくやっているよ」


「お子さんはお元気ですか? ほら、小学校の……」


「ああ。今年の春から中学生さ。もう少しで、以前の君と同じ年頃になるかな」


「へえ…………」


井出には、迅がまだ彼の教え子だった頃、小学校低学年であった息子がいた。


彼の話によれば、もう中学生になるのだという。

時の経つのは早いものだと、少々年寄り臭いことを考えながら、迅は続く井出の話に耳を傾ける。


久しぶりの会話に華を咲かせた教師と教え子の会談はその後、夕方頃まで続いたのだった。







☆★☆★☆★☆







夕日が傾く頃になってファミレスを出た2人は、井出の家の前にいた。


このような時間まで引き止めてしまったことを謝った井出は、迅の家まで送っていこうかと言ったのだが、迅がそれを丁重に断った。


この頃の夜風に当たりながら帰ってみるのも悪くないと思ったし、何より帰りとは逆、井出との楽しい時間を噛み締めながら、少し歩いてみたいと思ったのである。


「済まないな、ちょっと話しすぎてしまった」


「いえいえ、そんなこと。話せてとても楽しかったですよ」


間違ったことは言っていない。


実際に彼と話すのはとても楽しかったし、できればまた食事を共にしたいとも思う。


卒業した今となっては、教師というよりはいい父親分といったところか。


「もし………――」


「はい?」


と、それまで笑顔を浮かべていた井出の表情が突如陰る。


それを不思議に思いながら聞き返す迅に、井出は言った。


「もし、私に何かあったら………妻と息子を……」


「え………」


あまりにも唐突で、突拍子もない言葉。


それに理解のついていかない迅を置き去りにして井出は、いや、と言葉を切って首を振った。


「何でもない。……ほら、早く帰った方がいい。あまり遅いと、お母さんが心配するぞ?」


「あ………はい、そうですね。では先生、また誘ってくださいね」


「ああ。またいつか……必ずな」


最後の言葉に込められた意味を知らぬまま、迅は井出に手を振って、意気揚々と家路につく。


それを遠方から見つめる井出の手には―――――茶の色をした、仮面が握られていた。







☆★☆★☆★☆







「ただいまー」


おそらくは残業で遅くなる父のために点いている玄関の電灯の眩しさに目を細めながら、帰宅した迅は玄関の戸を開けた。


下駄箱の横で靴を脱いで自室へ上がっていこうとすると、ちょうどリビングから出てきたばかりの凛と鉢合わせになった。


「おう凛。さすがにこの時間になれば起きてるか」


「むぅ……お兄ちゃんの意地悪っ。お兄ちゃんが起こしてくれたら、百合との待ち合わせに遅れなかったのにっ!」


百合、というのは、凛の親友である。どうやら凛の方も、彼女と待ち合わせをしていたようだ。


が。それならば、迅にも言うことはある。


「寝言は寝て言え。俺は何度も起こしたぞ? あれで起きなかったお前が悪い」


「え………嘘っ!? お兄ちゃん、起こしに来たの!?」


「気づいてなかったのか!?」


抱いていた布団を引っ張っても、あまりやりたくはなかったが、軽くひっぱたいても起きなかった凛である。


気づいていない可能性も考えなかったわけではないが、実際にそうだとは微塵も思っていなかった故、我が妹ながらその図太さに、呆れを通り越して感心してしまう迅であった。


「もうちょっと、早起き出来るように努力しろよー?」


「うー………はぁーい」


項垂れてとぼとぼと2階への階段を上がっていく妹に続くようにして、迅もまた2階の自室を目指した。


ドアノブを捻って見慣れた自室へと入ると、ベッドに背中から倒れ込んだ。


綺麗だが、やや年季の入り始めている白い天井を眺めていると、何をしようかとふと考える。


まだ、夕飯までは時間があるが―――――。


「………腹ごなしには、なるか」


鞄からマスクを取り出して、迅はそう呟き―――――そして、そんな自分が唐突に嫌になった。


命のやり取りを腹ごなしと称する程、自分はこの非日常に毒されてきているのか―――――と。


だが、ノルマは果たさねばならない。


毎日少しずつランブルを狩るという、己に課したノルマ。これだけは、なんとかして果たさねばならない。


怠けた末に、何もできずにきれいさっぱり消えてしまうのは御免だ。


行くしかないか、と腹を決めて、迅はマスクをパソコン画面へ向け―――――その姿を虚空に散らせた。


妙な浮遊感と共に、ふわり、と反転世界へ移動した迅は、反転世界の自室の、フローリングの床に降り立った。


マスクを付けてタキシードを纏うと、玄関の戸を恐る恐る開け放ち、注意深く外を見る。


幸運なことに、サイクロプスがいた時のように、玄関先にランブルはいなかった。


ただ、庭から周囲を確認すると、少し離れたところには至るところにランブルが犇めき合っていて、異様な様子を呈していた。


「この数は、異常………なんだよな。でも……」


でも、この数はむしろ自分には好都合だと、迅は気を引き締めた。


ランブルが多いということは、それだけ人間を相手にしなくても済むのだということ。

他のプレイヤーと拳を交えたくない自分にとって、これほどいい戦場はない。


そう自らを奮い立たせ、迅がランブルの下へと走ろうとした―――――その時だった。


「ああああぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーっ!」


「なっ!?」


けたたましい掛け声と共に、迅の下に影が降り立つ。


影―――――ブラウンマスクの男は、地面に足を付けるや否や、その手に持った棍を、迅へ向けて横薙ぎに振るった。


「ぐ、うぅっ………!?」


篭手のはまった手で受け止めるも、衝撃までは殺しきれなかったのか、びりびりと痛みが迅の腕を駆け巡る。


吹き飛ばされた迅は着地に失敗することなく体勢を立て直したが、反撃の隙を与えまいと、ブラウンマスクは更に縦横無尽に棍を振るった。


「畜生………あの時の俺とは、違うんだよっ!」


最初に彼に邂逅した時は、ただ闇雲に、マスクの力で強化された拳を振るうだけだった。


だが―――――幾日かの時を経て、幾度かの戦いを経験した迅の適応は速かった。


「………らぁっ!」


「ッ!?」


振り抜かれた迅の拳に、ブラウンマスクは棍でそれを防ぐが、その防御ごと迅の攻撃は男を吹き飛ばした。

突き出されたままの拳には―――――青白い光。


この日曜日に至るまでの間、迅もただ闇雲にランブルと戦ってきたわけではない。


あの時―――――鈴奈と共に初めて戦いに身を投じたあの時、己の拳に宿っていた光。


それが何なのか、迅にも最初は解らなかったが―――――零次に付き合わされて様々なゲームに手を出してきた迅は、それがどのような類のものであるのかは、大体見当がついていた。


おそらくこれは、自らの身体能力を飛躍的に向上させたり、攻撃などにも使える―――――俗に言う、魔力などの類であるに違いない、と。


そう考えた迅は、少しでも鈴奈の足手纏いな現状を脱するべく、それをいつでも使えるよう、ランブルとの戦いでこつこつ経験値を溜めてきた。

ルールには、戦いでもらえる経験値は、プレイヤーの能力を昇華させることがある、という趣旨の項目があったので、もしやと考えたのだ。


そして、迅のその読みは正しく―――――昨日の土曜。ついに迅は、オーラを拳に纏わせられる程度には成長を遂げたのである。


そんな迅の思わぬ反撃に驚愕した男は、それでもさしたダメージもなかったようで軽々と着地するが、今度は迅がその隙を逃すまいと追撃する。


オーラを纏わせたままの右ストレートが炸裂する。ブラウンマスクは再び、それを棍で受け止めて防いだ。


篭手と棍がせめぎ合い―――――攻防の最中(さなか)、押され始めたのはブラウンマスクの方だった。


棍の方には変化はないが、ブラウンマスクの身体を支えている両足が、徐々に後退し始めているのだ。


そして―――――。


「うらああぁぁぁぁっ!」


「ぐおおぉぉぉっ!?」


気合一発、渾身の力を込めた迅の拳に、ついにブラウンマスクは押し負けた。


棍を構えた姿勢のまま、拳を受け止めていた棍諸共、反転世界に再現された民家の塀に衝突し、砂埃が辺り一帯を覆って視界を奪った。


「うぐっ………」


砂埃が口や鼻に入らないように左手で口元を覆いながら、迅は注意深く、砂埃で見えない視界の先をじっと見つめる。


そして、段々と視界が晴れてくると同時に、1人の人影がゆらりと揺らめいて―――――。


「そこかっ!…………えっ……!?」


即座に拳で対応しようと、手に集め出したオーラが、完全に姿を現したブラウンマスクを視認した迅の、呆気に取られた声と共に霧散した。


そこにいたのは、確かにブラウンマスクで間違いないのだろう。周辺にブラウンマスク以外の人間がいる気配はなかったし、自分が戦っていたのは紛れも無く彼だった。


地面には、先程まで彼が着けていたマスクが転がっていた。おそらく自分が吹っ飛ばした衝撃で外れたのだろうが、そんなことを考えている心の余裕すら、今の迅にはなかった。


視線の先にいた、変身の解けたブラウンマスク。


それは、紛れも無く―――――。


「井出、先生………!?」


つい先程まで食事を共にしていた―――――恩師、井出その人であったのだ。




というわけで、ブラウンマスクの正体は井出先生でした。いや、おそらく大多数の方が気付いていただろうけれど(汗)


それに逆らって、あえて「……誰?」となりそうな第3者にするのもありかな、などと考えていたこともありましたが、ここは素直に(?)彼にしておこうと思いました。


では、次回もお楽しみに。

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