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Log-in 〝War〟ld  作者: 神崎はやて
序章
2/14

第1話 【仮面舞踏会】

何度でも言うが、風上 迅はごくごく普通の高校生だ。


それ以上でもなければ、それ以下でもない。


誰に似たのか、鋭い目付きにより時に不良と間違われたりもするのが、ちょっとした悩みだったりする。迷子を送り届けようとして、誘拐と間違われて御用になりかけたことさえあった。

が、彼自身そんな世界とは一切無縁。それどころか髪も染めていないし、ピアスだって開けちゃいない。未成年でのタバコや酒などもっての外だ。


見た目に反し、社会という秩序に見事に取り込まれた彼の朝もまた、そんな普通の中にカテゴライズされるものだと言えるだろう。


「おはよう……」


「あ、お兄ちゃん。おはよー!」


欠伸をしながら降りてきた兄とは対照的に、元気溌溂と返事を返してきたのは、彼の妹、風上 凛。


迅の2つ年下で、市内の中学校に通う中学3年生。

兄と違って十分過ぎるほど優秀な才能をもって生まれた彼女も今や、立派な受験生。


陸上部に所属していて、部活も夏までは続くので、塾との兼ね合いから迅とは最近帰宅時間がずれ込むことが多かった。


「あ、ごめんね。今退くから、もうちょっと待ってて」


「へいへい。あんまり待たせるなよー」


「はーい!」


陸上部の練習がある凛は、基本的には迅より圧倒的に早く家を出る。通常は、迅が起きた時には既に凛は家にはおらず、母の咲夜が作った朝食がテーブルに並んでいて、それを彼女と雑談などしながら食べて家を出るのが日課なのだが――それが今の時点でまだ家にいるということは、おそらく寝過ごしでもしたのだろう。


いかにも、しっかりしているように見えて、どこか抜けている()のある彼女らしい。


慌てて身支度を整える凛の合間から手を伸ばし、とりあえず歯ブラシと歯磨き粉を確保すると、適当に水道を捻って歯ブラシを濡らしてからその場を離れる。


あれほど急いでいるのなら、おそらく周りは見えておるまい。

慌てている無意識の中で肘やら拳やらが飛んでこない内に、退散した方が身のためだ。


長い付き合いでそれを十分に理解している迅は、歯ブラシに歯磨き粉を塗りつけながら、そそくさとその場を後にした。


続いて迅が向かったのは、リビング。

毎日咲夜が掃除しているらしいフローリングの床は清潔感に溢れており、中心に置かれたテーブルにはトーストとハムエッグの乗った皿が置かれていた。


「お早う、母さん」


「あら、迅。お早う」


すぐ傍の台所にいる彼女に挨拶をし、テーブルの椅子について歯を磨く。


「凛、また寝坊したみたいだな」


「そうなのよ……。今日は大事な朝練があるって言ってたのに、仕方ない子ね」


そんなことを言いながら、2人して苦笑する。


迅のところから、背を向けた母の表情を伺うことは出来なかったが、声の感覚でなんとなくそうだと理解することができた。


そんなことを話していると、漸く支度を終えたらしい当の本人が慌ただしく洗面所の方から駆けてくる。


「い、行ってきまーす!」


「転ぶなよー」


慌てている時の凛はよく転ぶ。


からかう意味と気遣いの意を半分ずつくらい込めて言ってやったが、本人はそれに気の利いた返事を返す余裕もないのか、蹴破らんばかりの勢いで玄関の戸を開け、出ていった。


「ふふ。朝から賑やかね」


お茶を入れたカップをテーブルへ置きながら言う咲夜に、迅は呆れたように両手の平を上げた。







☆★☆★☆★☆







「おはよー、迅君!」


「おっす」


それから数十分後。


いつものように「行ってきます」と叫んでから玄関の戸を閉めると、外には少女が1人、迅が家から出てくるのを待っていた。


ふわりとしたクリーム色の髪と丸い眼が、どこかほわほわとした空気を漂わせる彼女の名は、羽鳥 雛。

迅の隣の家に済む幼馴染で、幼稚園の頃からの付き合いだ。


「忘れ物はないか、雛?」


「うん! 迅君に言われたとおり、ちゃんと寝る前に確認してきたよ♪」


「よしよし、偉い偉い」


よしよし、と頭を撫でられると、「えへへ♪」と表情を綻ばせる雛に、何も言えず迅は苦笑する。


これだけ子供扱いすれば嫌がって当然なところを、彼女は当然の如く――むしろ、喜んでそれを受け入れるのだ。


要するに、天然なのである。


「さあ。さっさと行こうぜ」


「うん♪」


2人揃って、通学路を歩く。


大都会、というほどでもないがそれなりに整備された住宅街の街並みは、もう幼少の頃から見慣れた思い出深いものだ。


小学校、中学校、高校と、学び舎が変わるにつれ通学路も微妙に変わっていったが、最初に雛と並んで歩くこの道だけはずっと変わらぬままだった。


「そういえば迅君。さっき凛ちゃんが慌てて走ってくのが見えたんだけど、何かあったの?」


「寝坊して朝練に間に合わないとかで、慌てて出てったんだよ。全く、母さんじゃないが、しっかりしてるのかしてないのかわからないよな、あいつ」


「迅君がしっかりしてるからだよー」


「……誰かさんのおかげでな」


「えへへ、それほどでもー」


「褒めてねえよ、馬鹿」


実際のところ、迅が特別しっかりした人間であるわけではない。隣で勘違い甚だしくも照れている様子の幼馴染が起こす、数々のドジやうっかりのおかげで、相対的に彼の器用レベルが際立っているだけなのだ。


さり気なく嫌味の篭った台詞を返してやったつもりなのだが、この天然娘には全く効果がないようで、向日葵のような笑顔で楽しそうに隣を歩いている。


後は他愛もない雑談を交えながら学校まで歩いていき、玄関を抜けて揃って同じ教室へと歩いていく。

学校の名は、市立嶺原高校。

学力レベルもそこそこの――いわばここも、普通の類を出ない場所であるから、迅も行くべきしてそうなったのかもしれない。


しかし、迅の記憶に残る限りでは成績優秀だったはずの雛が、迅と同じ平凡な高校への進学を希望したのは、迅にとっては若干の謎だった。


兎も角何の因果か、幼稚園から高校までずっと同じ施設、同じクラスという、ここまで来るとある種の運命すら覚えそうな事態になっている2人は、今日も仲良く揃って教室のドアを開けた。


すると。


「おーい、迅ー!」


迅の席は、窓際の前から4番目。


まだ主人を迎えていないはずのそこから声が聞こえてくるのも、迅にはもはやお馴染みのことだった。


おう、と返事をしてそこへ向かうと、2人の人影が手を上げて迎える。


「よっ、おはようさん」


「お早う、零次」


上げた手を叩いて挨拶を交わす2人は、高校に入って以来の親友だ。


相手の――跳ねまくった茶髪の下でへらへらと人懐こそうな笑みを浮かべた少年の名は、須田 零次。


高校に入ったばかりの頃のある日の昼休み、1人で弁当を食べていたのを迅の方から誘ったのが始まりだった。


その時、漫画の趣向など共通の趣味や話題で盛り上がったのを切欠として付き合いが始まり、現在ではすっかり気の知れた仲となった。


「あれ? 絢香、お前がここにいるなんて珍しいじゃん」


続いて目を向けたのは、零次と共に迅の席のところで待っていたもう1人の人物――日野 絢香。

小ざっぱりとショートカットにされた黒髪が、快活で気さくな彼女の性格を忠実に表している。


彼女と雛はちょうど迅と零次のような親友の間柄であり、その関係で迅も彼女と知り合うこととなった。水泳部に所属していて、まだプールの開いていないこの季節は部活もそう活発には活動していない。


元々彼女は朝が弱いそうで、プールの開いている時期は何とか耐えていた早起きも、それがない冬から春にかけての間はまるで冬眠する熊の如く惰眠を貪るのだ。

故に大抵は授業ぎりぎりに来ることが多く、この時期、授業開始までは若干早いこの時間帯に姿を見ることは、珍しいことだった。


「何さ迅。私がこの時間にいちゃいけないってのー?」


「いや、そうは言ってないけどさ。けど、やっぱり珍しいし」


「明日は槍が降らなければいいけどなー」


「くぅ……」


何か言ってやりたいと思うも、普段が普段だけに何も言い返すことが出来ずに、結局彼女の口から出てきたのは悔しそうな呻きのみ。


そう思うのならもっと早く起きればいいじゃないかとも思うが、同時にそれが不可能であることも十分に理解しているため、迅は苦笑いでその場を流した。


「そ、そうだ。迅、アンタ知ってる? このクラスに明日転校生が来るんだって」


「転校生? なんでこんな時期に……?」


少々強引な方向転換だが、それにわざと気付かないふりをして、迅は疑問を口にする。


季節は春だが、時期は既に新年度が始まった5月。


4月にならともかく、転校してくるにしては少し時期がずれているようにも思う。


迅の問いに、さあね、と、絢香の方もどうやら要領を得ていないらしい様子で肩を竦めると、零次が身を乗り出して、唯一の情報源である彼女へ訊ねた。


「なあなあ! その転校生って、男と女、どっち!?」


「うーん、どっちだって言ってたかなー。確か……女の子、だったかな」


その辺りは記憶が曖昧なのか、頭に手を当てつつなんとか思い出した彼女の情報に、ひゃっほう、と大袈裟に手を振り上げながら喜びを露にする零次。


まあ、確かに男子と聞くよりはテンションが上がるのは男子としての心理だろうが、ここまで大っぴらにそれを表に出すというのも珍しいものだ。


それもこれも、彼が端正な美形顔と名前に似合わずお調子者で、女好きだということに起因する。

これさえなければ完璧なのに――と、何人かの女子が話しているのを聞いたことがあるだけに、友人としても何だか残念に思えてしまう迅であった。


「まだ、美人が来ると決まったわけでもないだろ。……それに、女子かどうかだってまだはっきりと解らないじゃないか」


席に座って頬杖をつきながら、隣の絢香と同様に呆れたような視線を送ってやると、零次は「ちっちっち」と舌を鳴らしながら指を振る。


これが妙に様になるのだから、本当に惜しい性格だと思う。


「解ってねぇな、迅は。いいか、想像してみろよ! 先生に付き添われて教室に入ってきて、自己紹介を終えた後に天使のような微笑みを浮かべる転校生の姿をっ!!!」


「……想像出来るか?」


「いんや、全然」


一応、絢香に確認をとってみると、想像通りの答が返ってくる。


よかった。どうやら、自分が異常というわけではないらしい。


いや、別に完全に想像出来ないわけじゃない。

迅にだって、それ相応の想像力というものが備わっているわけだから、その光景を想像することくらいは出来る。


だが如何せん、それが絵になるのは美人がやってきた場合に限定される。


故に、その像がまだ明らかになっていない状況で、想像も何もあったものではない。


それは、ネットサーフィンという趣味を持ちながら現実的距離感を忘れない迅ならではの発想なのかもしれなかったが、そんなことは知る由もなく、想像力――(もとい)、妄想力に秀でた零次は、予想以上に薄い2人の反応に唇を尖らせた。


「なんだよー。妄想力が足りないぞ?」


「そんなもん、なくて結構だよ」


「右に同じ」


「うわ、釣れねえ奴ら」


そんなことを言いながら、迅は鞄を開けた。


1時限目の科目――今日は確か、英語だった――の教科書を出すためだ。


鞄の中には1時限目から順番に教科書やノートを入れてあるため、中身を見ずとも手を突っ込むだけで、必要なものを取り出すことが出来る。


この時も、迅は英語の教科書と横線の引かれた英語用ノート、筆箱だけを取り出すつもりで中身を掴み、引っ張り出した――のだが。


「……ん? 迅、何か落としたぞ?」


「え?」


零次にそう指摘され、迅は取り出した物を見る。


英語の教科書と、ノートと、筆箱。必要だと思われる物は、全て机の上にあった。


もしかしたら、下にあった他の教科書が一緒に落ちてしまったのかもしれない。

そう考えた迅は、今時珍しい、琥珀色の光沢を放つ木造の床に目をやって――。


「……は?」


絶句した。


ここに落ちているのは、本当に自分の持ち物なのだろうか? そう、思わず疑問を投げかけたくなるほど予想を超えた品が、そこにはあった。


落ちていたのは、仮面。

全体的に燃えるような赤に彩られたそれは、どこかの仮装場で用いられそうなそれに似ている。


目の部分はビー玉のような半透明の意匠が施されていて、横幅が広く、付ければ口元だけが覗くような形になっていた。


「何だそりゃ? お面?」


「じゃなくて……どっちかって言うと、仮面って言った方が近いんじゃない? ていうか迅、アンタ演劇部にでも入ったの?」


「んなわけあるか」


いかにも安物なイメージを抱かせる評価を下した零次にツッコミながら、興味本位で訊ねてくる絢香の質問をぴしゃりと跳ね除けると――ちょうどタイミングよくチャイムが鳴った。

後少しもすれば、若干嫌味な英語教師が入ってきて、今日の分の英語の朗読を始めるのだろう。


いつまでもそこにいるとその教師からの嫌味ラッシュに遭うことを理解しているからか、2人は若干喋り足りなそうにしながらも、すごすごと自分の席へ帰っていった。


「……ったく。俺が部活に入るわけないだろ」


帰宅部の方が気楽でいい、を地でいく迅は、これまで一度も部活動というものに入ったことはない。


それは別に矜持とか大層なものではなく、ただの堕落と切り捨てられれば返す言葉もない。


だが、少なくとも当分の間は、考えを改めるつもりは彼にはなかった。


(それにしても……)


英語教師が戸を開けて教室に入ってくるのに応じ、教科書を開きながら、迅は乱雑に鞄へ突っ込んだ仮面をちらりと見た。


このような代物、自分で買った覚えもなければ家に置いてあった記憶もない。ましてや、それを自分の鞄の中へ入れるなどと、考えられもしなかった。


(一体、何なんだ……!?)


若干ホラーじみた思考に陥った迅は軽く身震いすると、気を取り直して、英語教師によって、上手いのか下手なのか解らない字ですらすらと黒板へ書かれていく英文を目で追った。







☆★☆★☆★☆







「ただいまー」


「お帰りー」


たったの1往復。そんな軽い、いつもどおりの挨拶を母親と交わしながら、迅は家の玄関を抜けた。


あの後、妙に仮面の存在が気になってしまった迅は、まるで窓から教室に入ってきてしまった蜂の動向を気にかけるかのように落ち着かず、気づけば意識が仮面へ向いているような状況だった。


入れた覚えも――ましてや、所持した覚えすらない代物がいつの間にか鞄に入っていた。気にしない方が無理というものだろう。


妹の悪戯ということも考えたが――おそらくそれはない。

ただでさえ不景気な世の中、そんなところに貴重な小遣いを割くような真似はしないだろう。数日前、たまに早く返ってきた父に、欲しい服があるからと言って小遣いを強請(ねだ)っていたのを覚えている。

ということで、その考えは却下だ。


しかしそうともなれば、思い当たる節がなくなるのもまた事実で――故に、曇りは晴れることはなかった。


そんなことをずっと考えながらいた所為か、特に部活をしていたわけでもないのにどうも草臥れた身体を引きずりながら、台所仕事をしている母親を横目に、迅は2階にある自室を目指す。


「あー、かったるいなぁ……」


早々にベッドに鞄を放り出し、中を漁って携帯を取り出して――。


「……あー」


思い出したように、〝それ〟を手に取った。


「俺、こんな仮面買った覚えないんだがなぁ……」


しげしげと見つめるのは、真っ赤に塗られ、横に長く流れるように広がった、シャープな仮面。


学校ではあれほど気になって仕方がなかったものだが――何故だろう、家へ帰ってどっと疲れが出てくると、不思議とどうでもよくなってきてしまった。


「……ま、いっか」


そう思ったが最後、迅はどこまでも気楽だった。


いくら頭をひねったところで、この仮面がここにある事実は変えられないのだし、それは仕方のないことだと自分を納得させて、いつものとおりパソコンの電源を入れる。


OSの立ち上げ画面が表示され、デスクトップへのロードが始まった。


それを眺めながらベッドに腰掛け、何気なく仮面を弄ぶ。


未だに出自が謎であるこれも、その内この部屋のアンティークの1つに生まれ変わるのだろうな、などとどうでもいいことを考えながら、頭を空っぽにして、ビー玉のような仮面の瞳に魅入っていた。


「さて。そろそろいいかな」


そんな時間が少しの間流れた後、迅はようやっとベッドから腰を上げた。


購入して早数年。

もはや生活の一部、立派な相棒になりつつある彼のパソコンは、デスクトップを表示したまま、主に使われるのを今か今かと待っている。


青い水しぶきを写した壁紙が、デスクトップを美しく彩っていた――が。


「これって……!」


その上に、立ち上げた覚えのないウインドウが開いている。


ワインレッドの、見ようによってはどこか不気味なそれには、見覚えがあった。


「これ、昨日の……!」


昨夜、このパソコンに突如として強制的にダウンロードされたファイルを開けて、出てきたものと全く同じものであった。


Masquerade(マスカレイド)


特にこれといった特徴もない、有り触れた字体のアルファベットで大きく書かれたそれは、デスクトップ上で昨夜より一層の存在感を持って見えた。


「おい、今パソコンつけたばかりだぞ? どうして、これが……!?」


今、迅はパソコンの電源をつけて以来、一切パソコンに触れてはいない。


故に、もしこの画面を表示させようとしたとしても、絶対に不可能である。


そう。パソコン自身が自ら、そのプログラムを起動させない限りは。


「何なんだよ……もう」


そう言いながら、迅はその画面を見つめ――そして、あることに気がついた。


昨夜は〝Mask on〟と描かれていたのが、今日は〝Log in〟へと変化している。それが何を意味しているのかは解らないが、迅は興味本位でそれをクリックした。


きっと、悪質なサイトに繋がるとかそんなところだろうと考えていた彼へ――変化が現れたのは、実に唐突だった。


「な、なななな何だ!?」


〝突然、身体が光りだした〟。


この時点で、もう訳が解らない。


しかし実際に彼の身体は突如青白い光を発し始め、何やら文字列のようなものが体の表面を包み込むようにして次々と行き交う。


更に、パソコンの画面上にも変化が現れていた。


開いていたウインドウの上に描かれていた文字や絵柄が全て消え、ただ一言、こう記されていた。


〝Complete.〟と。


「う、うわあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


頭の整理ができぬ内に、迅の身体を一層強い光が覆った。


そして次の瞬間――迅の身体は、大きな光と共に忽然と姿を消す。





静寂の中、後に残ったベッドの上の目覚まし時計の針だけがカチリと音を立てて――誰もいない部屋の時間をただ1人、刻んだ。







☆★☆★☆★☆







気づけば、迅は暗い部屋の中でただ1人ベッドに横たわっていた。


「あれ……俺……?」


靄がかかったように重い頭を摩り、身を起こす。


「普通……だよな?」


突如頭の中に浮かんだ〝非現実的〟な光景を思い、部屋の中を見渡した。


しかし、特に思ったような異常は発見できなくて――迅は、安堵にほっと胸を撫で下ろす。


「そうか……やっぱり夢だったんだ」


そうだ。


あんな非現実的なことがあろうはずがない。


疲れていたし、ベッドに身を投げたまま寝てしまって、その間に夢でも見たのだろう。

そう結論づけ、迅はベッドの下に置いてあった漫画へと手を伸ばした。


確か、最近人気のファンタジー漫画だったように思う。

友人から勧められるがままに買ったそれは、未だ読まれることなく、レジ袋の中に入ったまま、ベッドの下へ無造作に置かれていた。


気分転換にはなるだろう。

そう考え、迅はセロハンテープを強引に手で引きちぎり、中身の漫画を取り出した。


――そして、絶句する。その漫画に起きていた、有り得ない現象に。


「何、だよ……これ……」


手に取ったのは、至って普通の漫画本。


迅自身がベッドの下に置いたものに、まず間違いない。


絵柄や文字、その全てが、逆さまに描かれていること以外は。


「どういうことだ……!?」


慌てて、中のページを捲る。


表紙だけではなかった。

中身も、絵だけでなく、吹き出しの中に書かれているキャラクターの台詞までもが全て、逆さまに反転していたのだ。


まるで、それらをそのまま鏡に写したかのように。


「一体、何が……!?」


何かおかしい。

そう、唐突に不安に駆られた迅は、居ても経ってもいられずに部屋を飛び出した。


慌ただしく階段を駆け下り――そして、気付く。周囲を取り巻く、異様な空気に。


「やけに静かだな……。母さん? いるんだろ?」


いくら呼びかけても、先程まで階下にいたはずの母の返事は返ってこない。


恐ろしいまでの静寂に、一層の不安に支配され始めた迅は、手当り次第に1階を探し始めた。


きっと、どこかに隠れているだけ。

そんなことをする理由は解らないけれど、きっと自分を驚かせようと、妹の凛辺りが母に吹き込んだ性質(たち)の悪い悪戯なのだと、ありもしないことを自己暗示して、呼びながら1階を駆け回る。


しかし、少年の想いを踏みにじるかの如く、家の中は尽くしんと静まり返っていて、誰の気配も感じ取ることが出来なかった。


夕食の仕度をしているはずの母も、そろそろ帰ってきてもおかしくない凛も――誰も。


「どこに、行ったんだよ……くそっ、それにしても静か過ぎないか……!?」


この家は、住宅街とはいえ往来に面していて、この時間でもそれなりの数の車が通る。

本人達がいない以上、家の中の物音がないのは仮に認めるにしても、その音までもが、この不自然なまでの静寂の中へ消えていってしまっているのは、まるで自分以外の人間が全て消滅したかのような錯覚を抱かせ、迅に恐怖を抱かせる。


おかしい。


そう思った時には、迅は靴を履いて外へと飛び出していた。


「嘘、だろ……!?」


そして――呆然と立ち尽くした。


結論から言えば、外には誰もいなかった。


それどころか、まるで初めから誰もいなかったかの如く静かで、誰の気配もしない。


家の前から通りを見渡せば、不気味なまでに変わらぬ街並みが、ただどこまでも続いているだけだった。


「一体どうなってるんだ……!?」


訳も解らぬ絶望感に苛まれながら、すっかり静かになった街を歩く。


しかし、歩けど歩けど誰とも遭遇しない。


賑わっていた商店街へ行っても、この時間帯であればまだ部活動の活気が残っているであろう学校へ行っても、そこには誰の姿も確認することが出来ない。


――まるで、誰もいない世界に1人取り残されたようだ。


「ど、どうなってるんだよ……」


あちこち走り回った疲れに項垂れ、迅は大きな川の河原で辺りを見回した。


やはりというか、誰もいない。

人の気配がしない分、却って水の流れる音などが、より鮮明な存在感をもって響いている。


きっと、人類というものが全て消滅したとしたらこんな感じなのかと、そんなことを漠然と考えてしまうのは、現実逃避と言えるだろうか。


しかし、自然とそんなことを連想させてしまう――そんな、静寂の最中だった。


呆然と立ち尽くす彼を、とてつもない衝撃が襲ったのは。


「おわああぁぁぁぁぁっ!?」


迅の背後、すぐ近くの地面が爆ぜ、爆風が彼を大きく吹き飛ばした。


炎の熱さが肌を嘗め、痛みが身体を駆け巡る。


何が起こったのかもまるで理解できぬまま、吹き飛ばされ地面を転がった迅がよろよろと立ち上がるのと同時に、男の高笑いが鉛色の空に木霊した。


「ははははははははっ! 最高だなぁ、最高の破壊力じゃねえかっ! ははははははっ!」


「な、何だよ、あれ……」


人がいた!

そんな安堵すら抱いていた迅だが、それも一瞬のこと。

次の瞬間目に飛び込んできたものに、彼の表情は思わず引き攣った。


人がいた。なるほど、確かにそれは正しい認識だ。


筋肉質な身体を見せつけるかのような半袖と、口元だけ覗く仮面の下から立ち上る、くわえタバコの煙。

どこぞの特殊部隊よろしくな格好をした、長身の男。これだけなら、まだぎりぎり〝日常〟の世界に踏みとどまっていると言えよう。


――彼の肩に、身の丈ほどはあろうかというロケットランチャーさえなければ。


「お、おいアンタ! 街中でなんてもんぶっ放してるんだよっ!? あ、明らかな銃刀法違反だろ、それっ!?」


「はぁ? 何言ってんだてめえ。てめえもマスカレイドの参加者なんだろ? だったらこれくらいで驚いてねえで……さっさと戦えやっ!」


「はっ……?」


マスカレイド? 戦い?


訳の分からぬ単語が次々飛び出し、迅の脳内に疑問符が飛び交う。


本当に、訳が解らない。

いきなり人が忽然と消え、やっと巡り合えたと思ったら、それはロケットランチャーを構えた気狂(きちが)いな男。


夢の世界というならばまだ理解出来るが、ロケットランチャーの弾が爆ぜた際、肌を嘗めた爆炎の熱による痛みは紛れも無く本物。

決して目覚めぬ悪夢に混乱しつつ、それでもただ1つ、迅にも理解出来ることはあった。


それは――今、自分に向かって飛んできている弾は、一撃で自分の命を刈り取るのだということ。


しかし、如何せん足が竦んで動けない。


戦地で支援活動を続ける自衛隊など、泥沼の戦場を生き抜いてきたような人間とは訳が違う。


彼は、今までずっと彼自身の日常の中にいたのだ。


それが急に――こんな形で、単純明快、誰にでもそうだと理解できる命の危険に晒され、冷静に動ける方がおかしいのだから。


迫る死の予感に、迅は思わず目を瞑る。


これで終わったのだと、完全に諦めかけた――次の瞬間だった。


「……え?」


「なっ……」


迅の間抜けにも聞こえる声と、男の呆然とした声が重なる。


遅れて、先程まで迅と男との間にあったはずのロケット弾は――迅から見て、左の方の草むらに着弾し、爆ぜた。


「な……にが……!?」


助かった、という実感と安堵、そして何が起こったのか全く理解出来ない空虚感にも似た感情が同時に押し寄せ、身体の力が抜けた迅はその場にへたり込む。


一方、その光景を見ていた男は、好戦的な笑いを浮かべながら舌なめずりした。


「ほう……まさか、もう1人獲物に出会えるたぁ……ついてるぜ、俺は」


そう口にする男の目は、迅を見ているようで見ていなかった。


確かに視線は迅のいる方を向いているように見えたが、彼の目に映っているのは迅ではなく――。


「貴方の相手は……この私」


彼を守るように立ちはだかった、1人の少女だった。


顔には、男に似たデザインの、薄い紫色をした仮面を着けている。


「お、お前は……?」


「……下がっていて」


展開についていけない迅にただ一言そう告げると、腰まで届くほど長い黒髪を靡かせた仮面の少女は、男へ向けてゆっくりと歩きだした。


「はっ! 俺様に対して……無防備過ぎるぜっ!」


一見隙だらけに見える少女に、男は嬉々としてロケット弾を発射する。


しかし少女はそれを全く意にも介さず、ただ一言、何事かを呟いた。


「……アビリティ。〝刹那の支配者(タイム・ルーラー)〟」


次に迅が瞬きした後には、爆炎が先程まで少女のいた空間を焼き尽くす。


爆風に再び飛ばされそうになる身体を必死に耐え、迅の双眸は少女を探した。


あの一瞬の間に移動できるであろう範囲を探すが、どこにもいない。

見つけることが、出来ない――。


「おいおいおい……!?」


あんな、自分と同じくらいの少女をも平気で吹き飛ばすことの出来る男。


明らかに普通ではない。

このままここに留まっていては、次にやられるのは自分だ。


煙が晴れ、露になった男の目が迅を捉え、好戦的に口元が歪む。


逃げなければ。

そう足を叱咤するが――死への恐怖が強すぎて、未だに膝が笑っていた。


「く、そ……」


なんとか這ってでも、男から逃げようとする。


男はそれを滑稽だと、厭らしい笑みを口元に浮かべながら、ロケットランチャーを構え――。


「……あ?」


――られなかった。


「捜し物は……これかしら?」


突如背後から聞こえてきた言葉に、男ははっとして振り返った。


あるはずがないと思いながら、しかし男の目に飛び込んできた光景――先程の黒髪の少女が、彼が手に持っていたはずのロケットランチャーを地面へ突き立てている――に、瞠目し後退る。


しかし、男もそのまま黙ってはいない。


「この……返しやがれ!」


我に返りそう怒鳴る男の手に光が収束していき、今度は機関銃がその黒光りする銃身を露にする。


そして光が収まると、すぐにトリガーを引いて乱射した。

それを待たずして少女の姿が一瞬にしてその場から掻き消え、何もない空間と男のロケットランチャーだけを、機関銃の銃弾が貫いていく。


「それで終わり?」


「くっ……舐めんなああぁぁぁっ!」


自らの銃弾に爆散するロケットランチャーを背に、再び背後から聞こえる声へ向けて、振り向きざまに男は銃を乱射した。


しかしやはりというか、そこには既に誰もおらず――十数という数の鉛玉は虚しく空を貫く。


そして。


「なら……これでチェック、ね」


後頭部に冷たい金属の感触を感じ、男の背筋に冷たいものが走る。


突き当てられているのは、間違いなく銃。


幾度もその手触りを感じてきた男だからこそ理解できる。

今彼の頭には、冷たい死を齎すモノが突きつけられているのだ。


「……さようなら」


「っ! ま、待っ………」


ドキュン。


男が何事か声を発する前に、少女の手に握られた銃が火を噴いた。


途端、光の粒子となって、男の身体が消え去っていく。――それと同時に、男の身体によって遮られていた、ミルキーブルーの宝石のような輝きを放つ銃身が、迅の場所からも見ることが出来た。


「ど、どうなってんだ……? あいつ、どこ行ったんだよ……!?」


迅の声に、少女がそちらへ向き直る。


そして、表情を変えぬまま、ゆっくりと彼の下へ歩き始めた。


「お、おい……!?」


仮にも今、目の前で人1人をその手の銃で撃ったような人間だ。


思わず身体が強ばり、力の入らない足でへたり込んだまま後退る。


しかし、そんな状態で少女の歩く速度を上回れるはずもない。

あっさりと追いつかれ、少女の微動だにしない視線が迅を射抜いた。


吸い込まれそうな瞳に魅入る迅に、少女は仮面を外す。


一瞬にして、非日常の世界に、日常に見るのと代わり映えしない、凛とした少女が完成した。


挿絵(By みてみん)


「……ようこそ、仮面舞踏会(マスカレイド)へ」


そう、微笑みながら差し伸べられた手が――少年には、女神の手に見えた。








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