第4話 【闇の心と、光の手】
市内には、ところどころに廃工場のような場所が点々と存在している。
昨今の不況の煽りで倒産した某企業が手放した生産工場が、解体されることもなく放置されているのである。そういった場所は大抵子供達の秘密基地になったり、インターネット上で心霊スポットとして扱われたりして、最盛期とはまた違った扱われ方をされていたりする。
迅が鈴奈を伴って逃げ込んだ廃工場にも、子供の玩具と思われる、特撮に登場する怪獣のフィギュアが無造作に置かれていた。
「……よし、ここまで来れば大丈夫だろ」
そう呟き、もう暴れることを諦めてすっかり大人しくなった鈴奈を、床に転がっていた元の用途が何かも解らぬ機材を椅子代わりにして座らせる。
その対面に別の機材を引っ張ってきて、迅自身がその上に腰掛けた。
鈴奈はすっかり勢いを失っていた。我を失っていたあの時も、まるで別人のように思える程の変貌ぶりであった。しかし今は今で、本当にこの少女はあのクールで不遜な小波 鈴奈なのだろうか、そう疑いたくなる程酷い有様であった。
「で。どういうことだよ」
漸く落ち着いたと見るや、迅は問いを投げかけた。問いに鈴奈は答えず、月も雲に隠れた闇夜の中、時間だけが過ぎていく。
だがややあって、口を開いたのは鈴奈の方だった。
「……小波財閥。聞いたことあるかしら」
「……すまん」
「私の父が経営していた会社よ。こう言っては自慢になってしまうかもしれないけれど……裕福な家だったわ」
懐かしむように―――一方で半ば自嘲するように、崩れた天井の隙間から垣間見える雲ばかりの夜空を見上げて鈴奈は笑う。
「けれど、生活は一変した。ある男が、私を除く家族を皆殺しにしたところから……私の人生は狂い始めた」
「……まさか」
そこまで聞けば、否応なしに気付く。あの男を見た時の鈴奈の豹変の意味―――そしておそらく、彼女がマスカレイドで追っているものも。
鈴奈は何も言わなかった。その沈黙が、迅の予想が的中していることを暗に語っているのを理解して、迅は溜め息をついた。
「……ここへ来る前、空き教室で言ってたブラッドマスク。それがあいつのことだったんだな」
「奴は悪魔よ。私から私の家族を奪ったの。だから、私が奴を倒す。そのためにここまで追いかけてきたんだから……!」
「復讐、か……」
迅の言葉に、鈴奈はブラッドマスクの男への怒りを吐露した。
いつ爆発してもおかしくないように、迅には見えた。ほんのりと桜色に染まった肌が白く変色するほど強く握り締められた手はそれだけでも飽き足らず、痛々しいまでにぎりぎりと震える。
あまりにも不安定。あまりにも直情的。あまりに彼女らしからぬ状態は、これまでそれだけの怒りを押さえ込んできた反動にも思えた。
「……私は行くわ。悪いけれど、貴方はもうこの件から手を引いて頂戴」
「は……?」
有無を言わせぬ視線を向けてくる鈴奈。あまりに強い闇を湛えた瞳に気圧されかけた迅は、なんとか踏み止まって、抗議の声を上げた。
「おい、何言ってんだ。あいつはお前の能力を破ってる! 1人で行って勝てる相手じゃねえだろっ!?」
「あの男は絶対に私が殺す。貴方なんかが出る幕じゃない」
「鈴奈!」
「くどい!」
初めて大きく声を張り上げる鈴奈は、同時に宝石銃を引き抜いた。
これまで幾度となく異形達に風穴を開けてきた頼もしき神秘の銃が、今はその銃口を自分へ向けている。途端にその輝きが、途轍もなく冷たいものに見え、また彼女の瞳が孕む大きな憎しみや怒りといった負の感情に気圧されて、迅は言葉に詰まった。
「もう……放っておいて」
そう吐き捨てると、鈴奈は廃工場の出口から出ていった。
拒絶の意を言外に伝えてくる黒衣を纏った彼女の背に、迅は何の言葉も投げかけることが出来なかった。これまで彼女がどのような思いでこのゲームを戦ってきたのか。それを思うと、何も言葉が出てこなかった。
〝刹那の支配者〟を発動したのか、一瞬にして消え失せる彼女の姿。迅には、見えなくなる間際の彼女の背中が、いつになく小さく見えた。
「……無理しやがって」
呟き、迅は再び横倒しにした機材の上にがっくりと腰掛けた。
鈴奈に出会ってずっと、彼女のような少女がこのような人殺しゲームに積極的に参加してきた理由が、迅にはどうしても解らなかった。性格は―――確かに多少は癖はあるだろうけれど、それでも現実世界の彼女を知っている迅には、彼女がどこにでもいる普通の少女にしか見えなかったから。
だが、これで漸くはっきりしたというものだ。家族の復讐。これまで彼女という存在を駆り立てていたものは、怒りと憎悪に塗れた感情だった。
おそらく転校も、彼女にとってはブラッドマスク発見の一手段に過ぎなかったのだろう。学校を変え、住処を変えて転々としながら、ただひたすら仇敵の手掛かりを追い求める。
それがどれだけ孤独で、苦しい戦いであったか。ぬくぬくと暖かい家庭に育ってきた迅に理解できるはずもなかった。
「……くそっ。何が放っておけ、だ。見捨てられるわけねえだろうがっ……!」
しかし何より、今の彼女の精神状態は危う過ぎる。
今もし彼女が迷彩マスクのところへ行けば、忽ち自分を見失うだろう。結果、命を落とすことも十分に考えられる。
「それに……」
ふと迅の頭に過ぎる迷彩マスクの言動と、ブラッドマスクの姿。あの時は自分も雛のことで頭が一杯になっていて気にはならなかったが、それをも吹き飛ばす鈴奈の異常により冷静になった今は、頭に残る妙な違和感が拭えない。
もしかしたら。そんな考えが、1つ1つの要素がパズルのように組み合わさって、迅の脳裏を過ぎった。
「間に合えよっ……!」
突如湧き起った考えにはっと顔を上げた迅は、勢い良く立ち上がり、鈴奈の後を追うようにして走り出す。
全ては―――彼女と雛を、助けるために。
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「やれやれ。懲りないねぇ、君も」
椅子に座り、頬杖をつきながら呆れたように言う迷彩マスク。口元には、確かな笑み。愚かな行いを繰り返す滑稽な道化への嘲笑である。
迷彩マスクはこれほどまでに早く鈴奈が自分の居場所を探し当てたことには驚いていたが、それも一瞬のこと。次の瞬間には、感情を剥き出しにして己を追ってきた哀れな獲物に対する愉悦に置き換わった。
一方の鈴奈は表情を歪め、そんな彼の仕草1つ1つに苛々とした気持ちを募らせながら、宝石銃を迷彩マスクへ向ける。
「……あの男はどこ?」
「男?……ああそうか、君にはそう見えていたのか」
「答えなさいっ!」
声を荒らげ、宝石銃を突き出す。普段の冷静な彼女からは到底考えられぬ様子に迷彩マスクは両手の平を上げると、指を打ち鳴らした。
それに答えるように彼の脇に備え付けてあったドアが開き、そして―――。
「君が言う男とは……彼のことかな?」
「う……うああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
耳を劈くような絶叫を上げて、血のような紅いマスクを着けた男―――ブラッドマスクの姿が現れた刹那、鈴奈は男へ飛びかかった。
空中から乱射される銃。銃弾がブラッドマスクに届く前に、彼の姿が先に掻き消えた。何もなくなった空間を銃弾が通り過ぎ、直線上の床に小さなクレーターを幾つも作る。
着地してすぐ、鈴奈が当たりを見回すと、右側面に彼の姿を見つけて直ぐ様銃を放つ。しかしまたもや男の姿は闇に消え、今度は背後に微かな気配を感じた。
「このっ……」
振り向き様に銃を放つ―――が、これも避けられる。
以後の鈴奈と男の戦いは平行線だった。―――否、そもそも戦いなどと呼べるものではなかった。鈴奈の銃撃は男に掠りもせず、一瞬の内に姿が掻き消えたと思えば、全く別の場所に姿を表す。その繰り返し。たとえ〝刹那の支配者〟を用いたとしても、気付けばそこに彼の姿はなく、また別の場所で、嘲るような視線を彼女へ向ける。
回を重ね、次第に鈴奈の中で怒りが募ってきた頃。もう幾度となく繰り返した銃撃を行うべく、鈴奈が銃を突き出したその時。横から紫の色をした腕が伸びてきて、鈴奈は突き飛ばされた。
「うあっ!?」
「はぁ。あまり壊さないでくれよ。こんな廃屋でも、一応僕の城なんだから」
わざとらしく溜め息をつくが、彼が堪えている様子はない。迷彩マスクは頬杖をついたまま、鈴奈と〝男〟との戦いを見ていた。
問題の異形の腕は、いつの間にか彼のすぐ横に控えていた黒い人型のランブルから伸びていた。運動場でも目にした異形、キュラスである。
漆黒の彼の腕が長く伸び、紫に変色する程引き伸ばされ、網のようになって鈴奈の身体を近くの柱へ磔にする。衝撃で取りこぼしてしまった宝石銃が手からするりと抜け、大きな音を立てて床へ落下した。
その後、それ以上に最悪なことが起きた。鈴奈のパープルマスクが顔から吹き飛び、身体が光に包まれると同時、彼女が纏っていた黒装束が元のセーラー服へと戻ってしまう。
こうなってはたとえ彼女といえど、非力な1人の少女に過ぎない。抵抗する術を持たぬ少女に、もはや勝機はないに等しかった。
「はははっ、いい格好だねぇ」
「こ、のっ……」
ぎりぎりと締め付けられる痛みと窒息感に耐えながら、鈴奈は必死に迷彩マスクへ顔を向け、睨みつける。
それが、今の彼女にできる精一杯の抵抗だった。けれど迷彩マスクは全く堪えた様子もなく、くくく、と嗤うのみ。
「さて。漸く五月蝿い蝿も黙ったことだし、そろそろ新しい段階へ進もうか」
迷彩マスクは、それまで寛いでいた椅子から漸く立ち上がった。それに付き従うようにして、キュラスが主の下へ戻る。拘束を失った鈴奈の身体が、重力に従って床に叩きつけられる。
「あ、がっ……」
「ははは、惨めだねぇパープルマスク。けど、もう終わりさ。魔法陣へのエネルギー充填は既に完了した。後は全てを起動するだけ……はははははっ!」
高笑いする憎き奇術師を止める力もない、そんな自分に歯噛みする鈴奈。いつしか、ブラッドマスクへの憎しみは、無力な自分への嘆きに変わる。
「……ま、それでも不確定要素は排除しておいた方がいいかな。戦績も増えることだし」
「くっ……!?」
冷たい目を向ける迷彩マスクの声に答え、キュラスが鈴奈の下へ歩み寄った。
先程まで鈴奈を拘束していた腕が黒い靄に包まれ、その形を刃に変える。このランブルは、身体の構造を自在に変化させることができるらしい。
マスクは、鈴奈のいる場所から遥か先の床の上に転がっている。取りに行くことは出来ない。まさしく絶体絶命の状況の中、怒りと絶望を抱きながら鈴奈は固く唇を噛んだ。
「……さようなら♪」
主の号令と共に、振り下ろされる刃が断頭台のように鈴奈の首を狙う。
観念したように、目を瞑る鈴奈。
全ては己の無力が招いた結果。叶わぬことと悟ったその時、あるはずのない声がその場に響いた。
「うおらあああぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「っ!?」
「何っ!?」
物陰から飛び出してきた黒衣から振り抜かれた拳に、キュラスが吹っ飛んだ。迷彩マスクのすぐ横を掠め、その奥の壁へ減り込む。
直後、鈴奈の目の前に降り立った影が纏う燕尾服が、旋風に揺れた。
「おいおい……大口叩いといて、随分と愉快なことになってるじゃねえか」
「貴方……どう、して……!?」
少しも愉快そうに見えない、どちらかといえば余裕のない笑みを不敵にも浮かべながら言う迅の姿を、鈴奈は瞠目して見つめた。
彼がここにいるはずがない。そう思っていたからこそ、自分は自分を捨てられた。誰のことをも気にすることなく、復讐鬼になれるのだと、そう思っていた。
―――けれど、それは違った。冷静に考えてみれば、分かったはずのことだ。彼が、あの程度突き放したところで納得するような人間ではないということくらい。
しかし、それでも彼の登場に驚愕せざるを得なかったというのは、彼女があまりにも冷静さを欠いていた事実を証明していると言えた。
「ふ……フンッ! だから何だって言うんだ。今更君1人増えたところで、僕の計画に支障はない! やれ、キュラスッ!」
迷彩マスクが初めて嫌らしい笑みを歪めて叫ぶ。壁に減り込んでいたキュラスは、彼の言葉に頭部の丸い一つ目のような球体を赤く光らせると、無理矢理身体を壁から抜いて迅へ襲いかかる。
「こんにゃろっ……!」
真正面から突っ込んでくるキュラスの腕を、真っ向から受け止める。組み合いになった迅は、空いている右足でキュラスの腹部を蹴り飛ばすと、横に大きく跳んだ。
その先には、吹き飛ばされた鈴奈のマスクが転がっている。
「させるか!」
迅の意図に、迷彩マスクも気がついた。大きく跳躍し、迅の側面から襲いかかる。
「うおっ!?」
直前で気づいた迅は、篭手の嵌った拳を構えて迷彩マスクの振るう鉤爪を受け止めた。
ぎりぎりと激しく擦れ合う刃と篭手。しかし、均衡は長くは続かなかった。迅の拳が迷彩マスクの鉤爪を押し返し、続けて放った突きが迷彩マスクの腹にクリーンヒットする。
「がっ……!?」
悶絶しながら飛ばされていく迷彩マスク。数メートル吹っ飛んだ身体は地面を1度バウンドし、ちょうど先程まで彼が座っていた椅子の辺りで漸く止まる。
その隙に、迅がマスクの下へ駆け寄った。そこへ蹴りのダメージから回復したキュラスが迫るが、自身の下へと到達する前に、迅は鈴奈へ向けてマスクを放った。
「……っ!」
痛む身体を叱咤して、鈴奈はやっとのことで〝それ〟を掴み、すかさず装着する。
あれほどの勢いで飛ばされたというのに、やはり薄紫色のマスクには傷1つない。更に傷だらけの身体の上には、戦いの衣たる黒装束が艷やかな月の光に照り映えていた。
「だ、だから何だと言うんだ……パープルマスク! こいつの姿が見えないのかっ!?」
よろよろと立ち上がる迷彩マスクの方へ目を向けると、そこにはいつの間にかいなくなっていたブラッドマスクの姿。
それが目に入った瞬間鈴奈は身構えたが―――。
「ふっ、ははははははっ!」
「な、何が可笑しい!?」
突然笑い声を上げた迅に、迷彩マスクだけでなく、味方であるはずの鈴奈すらも唖然とする。
視線の中心にいる迅は、可笑しくて仕方ないという風を保ったまま言った。
「解らないか? なら教えてやるよ。……お前の手品の種、全部解ってるってことさ!」
「馬鹿な、手品でも何でもあるものか! ここにいるのは、正真正銘本物の……」
「じゃあ言ってみろよ! そこに誰が立っているのか! テメェの隣にいるのは、一体誰だ!?」
確信を持って叫んでいる迅を前に、鈴奈はただ呆然と彼の話を聞いていた。
彼は一体、何を言っているのか。あそこにいるのは紛れも無くブラッドマスクその人である。長らく追い続けてきた自分の記憶が証明しているのだ、間違いなどあるはずもない。否、あってはならない。
けれど確かに、改めて見てみれば〝あの〟ブラッドマスクはどこかおかしい。初めて会った時の刺し殺されるようなどす黒い殺気もなく、軽薄な存在感はあまりにも当時とはかけ離れている。
そして―――迅の質問へ答えられず、言葉につまる迷彩マスク。
「まさか……!」
「そうだよ。あいつは……偽物だ!」
迅は不意に、足元に転がっていた瓦礫を蹴り飛ばした。瓦礫はブラッドマスクと思われていたものにヒットし、その瞬間、痛みに悶絶する彼の姿がまるで壊れたテレビのように歪み、1体のランブルへと姿を変えた。
バクという動物を模したような、鼻が長く、眠たげにこちらを見る二足で立つ紺色の魔物。それが、鈴奈に悪夢を見せていたモノの正体だった。
「どうして……!?」
「どうして解ったかって?……よく考えてみれば、おかしな話さ。鈴奈によれば、ブラッドマスクは冷酷非道な殺人鬼。そんな奴が、お前みたいな奴とつるむなんて考えにくいからな。それに、お前はさっきこう言った」
『……ああそうか、〝君にはそう見えていたのか〟』
「〝君にはそう見えた〟……つまり、人によって見えるものが変わるってことだ。お前は自分の手の内を、調子に乗って自分から自白していたんだよ!」
「このぉっ……!」
迅の種明かしに我慢できなくなったのか、迷彩マスクが爪を煌めかせ迅へ迫る。
少し前までならば、恐怖も湧いたろう。けれど今の迅は、完全にこの場の流れを掴んでいた。
「そして! さっき解ったことが1つっ!」
突き出された鉤爪に横から手の平を添えて後方へ受け流し、がら空きになった横腹を強く蹴り付ける。
吹き飛ばされた迷彩マスクは、背後の壁へ叩きつけられた。
「……お前自体の戦闘力は、大したことない!」
「どういうこと……だって、彼は私の〝刹那の支配者〟を……!?」
「たぶん、それも幻で上手く誤魔化してたんだろうな。幻が使えるランブルなら、距離感覚を狂わせるくらい易いもんだろうし」
解ってみれば何のことはないな、と呆れたように頭を掻く迅を鈴奈は心の内で賞賛すると同時に、そんなことすらも気づかぬ程冷静さを失っていた自分を恥じた。
確かにそういうことなら、これまでの迷彩マスクの言動も踏まえ、いろいろと辻褄が合う。
距離感覚が実際のそれと違っていたからこそ、〝刹那の支配者〟を用いても仕留められなかったし、〝実際にそこに居なかった〟からこそ、運動場で迅の拳も届かなかった。何のことはない、全ては彼自身の力ではなく、彼が操っていたあのランブルあってこそのものだったのだ。
(何やってるんだろう、私は……)
これくらい、彼に言われなくても見抜けたはずなのに。頭に血が上って、肝心なところを見失っていた。
それはとても愚かしいことで、同時に恥ずべきことであった。
「ブオオオォォォォォッ!?」
突如悲鳴が上がり、バクの姿をしたランブルから光の粒子が立ち上る。
腹には風穴。鈴奈の握りしめる宝石銃は真っ直ぐ〝そこ〟へ向けられており、誰がやったのかは一目瞭然。
突然の発砲には、迅ですら驚きを露わにしていた。
「罪……そう、これは私の罪だわ」
また1発。今度は、脇腹に。
「大局を見失って、怒りのままに行動した」
3発目。象のように太い脚を貫通し、膝が折れる。
「だから、これは落とし前。私の罪は……私自身の手で精算するっ!」
最後の1発。脳天に直撃して、断末魔を上げながらランブルが逝く。
それを前にして、鈴奈は己が脚で凛と立つ。その姿を見た迅は、待ち望んでいた復活に思わず笑みを零した。
一方、粒子となって消えていくバクを呆然と見ていた迷彩マスクは、苦虫を噛み潰したように口元を歪めながら、地面に手を当てる。
「有り得ない……こんな形で、幻影のトリックを見破られるなんて……!」
「お前は喋り過ぎたんだ。もうこんなことは止めて、早く雛を解放しろ」
迅の良心が、彼に自制を促した。鈴奈もここは彼に任せようということにしたのか、黙って見守っている。不足の事態に備え、いつでも放てるよう、人差し指は引き金の上にある。
詰んだ、と誰もが思ったろう。けれど、この男の前で雛の名を出したことがどうやら間違いだったらしい。
「雛ちゃん……そうだ、僕はこんなところでやられるわけにはいかないんだ。雛ちゃんを……雛ちゃんを、手に入れるためにはああぁぁぁぁぁっ!」
「! うおぉっ!?」
激情の叫びと共に、天井を突き破り跳び去っていく迷彩マスク。それと同時に、外から眩い程の青い光が部屋中を照らし出し、2人は目を瞑った。
外を見てみれば、異様な光景があった。まず目に入るのは、眼下に広がる巨大な魔法陣。その大きさはこれまで見てきたものと比べ物にならず、建物を幾つも飲み込む程の面積があった。
その中から這い出してくる、異形、異形、異形―――。まるでゾンビの復活か何かのように蠢く様は非常におぞましく、妖しげな夜の空気も相まって、まるで地獄に降り立ったような錯覚さえ起こさせた。
「うはぁ……これは骨が折れそうだぜ」
「……礼を、言うべきかしら」
「うん?」
これほどまでの大量召喚とは、いくらなんでも気合の入れすぎではなかろうか。そんな思いから、眼下に広がる異形の大群を目の当たりにした迅が辟易していると、突然そんなふうに声を落として問いかけてきた鈴奈に、迅は思わず聞き返す。
「ずっと……貴方に助けてもらうことなんてないと思ってた。これまでだって初心者には会ってきたけれど―――皆、このゲームの闇に飲み込まれていっただけだった。……こんなイカレたゲームだもの。私みたいに壊れた人間じゃなければ、正常を保っていられないのね」
鈴奈の言葉を、迅はただ黙って聞いていた。口を出していい様子ではないと悟ったのもあるが、これまでとどこか違う彼女の雰囲気を感じ取っていたから。
「危険だって解っていたでしょう? それに、私だって……」
「ばーか。1人で突っ走んなってんだよ」
そう言って、まるでしょぼくれている子供をあやすかのように迅は彼女の頭を撫でた。
普段であれば、下手をすれば蹴りの1つも飛んできてもおかしくない行為だが、鈴奈はそれを何の抵抗もなく受け入れる。
「何のために、周りの人間がいると思ってんだ。戦えなければ仲間じゃない、ってか? そうじゃないだろ。そりゃ最初は、お前のこと完全には信じられないとか思ったさ。けど今回のことでお前のこと、少し解った気がするんだよ。だから少なくとも俺はお前のこと仲間だと思ってる。……きっとクラスの連中だってそう思ってると思うぜ?」
だからさ、と言葉を切って、迅は手を差し出した。
目をぱちくりする鈴奈へ、空いた手で頬を掻きながら迅は言う。
「俺はお前を助ける。……お前は俺の大事な師匠なんだ! 雛を助けるためにも、死なれちゃ困るんだよ」
「……照れてる?」
「うっさい」
そっぽを向く迅の顔を伺いながら、鈴奈はくすりと笑う。
こうは言っているが、彼が自分のためを思って駆けつけてくれたであろうことは、今のやり取りで十分に伝わってきたから。
ブラッドマスクを追ってプレイヤーになってこの方、このような人間には会ったことがなかった。大抵は命懸けの戦いに追われるサイクルに耐え切れず自滅したり、欲望のままに行動する愚かな選択をしたり。彼のようなパターンは、見たことがなかったのだ。
お人好しと言わざるを得ない。このゲームで生き残ろうとするには甘すぎるかもしれない。けれど―――。
「……嫌いじゃ、ないわね」
「ん? 何か言ったか?」
「いいえ」
鈴奈は、そっと彼の手を取った。
ふっと微笑みながら。憎しみが消えたわけではない。自分はきっとこれからも、あの血塗られた仮面を追い続けることだろう。けれど、彼はここにいる。ブラッドマスクは関係なく、自分の仲間として助けてくれると言ってくれた。
ならば、少しくらい―――たとえ絶望の世界の中にいたとしても、ほんの少しの希望を抱いてもいいではないか。
「……さあ、行きましょう」
「ああ!」
互いの手を握り締め、2人は窓の外へ跳ぶ。
眼下に蠢く異形の大群も、今やまるで怖くはなかった。