第3話 【憎悪の眼差し】
「反吐が出るわ」
開口一番吐き捨てるように呟いた鈴奈は、足元に転がる魔物の骸を足蹴にした。
迅と道を違えた鈴奈は、無人の仮想世界の中、1人調査を続けていた。魔法陣の特徴、そしてその設置場所の意味。調査を続けていく内に、魔法陣の仕組みに関しては大凡の検討はついてきた。
確証を得るためにはもう1つか2つ、魔法陣を調べてみる必要がある。そのために今、新たに発見した魔法陣を守っていたランブル達を撃破したところだった。
邪魔だ、とでも言わんばかりに、まるで骸骨のようなランブルの細い骨格を横に蹴り飛ばすと、鈴奈は目的の魔法陣へと歩み寄る。
中学校の校庭や雛の家にあったそれとは違い、月夜の空のように濃い青に光る魔法陣。これと同じものを、これまでの調査で鈴奈は幾つか目にしている。
それを見た鈴奈の中で、組み立てられていた推論が現実味を帯びていく。
「さて……どうしたものかしらね」
思案の瞳が、魔法陣の光に染め上げられた夜の闇を見つめていた。
☆★☆★☆★☆
風上 迅は怒っていた。
ストーカーに対してではない。ストーカーが憎いのは無論だが、雛に対し何も出来なかった自分に腹が立っているのだ。少し考えれば、彼女の身に危険が及ぶ可能性は十分に想像できたはずなのだから。
―――否、想像はしていた。ただ、ストーカーの所業が、彼の予測を大きく超えてきたのだ。
まだ、ストーカーの仕業だと断定出来るわけではない。だが、状況的に考えればほぼ間違いないであろうことは明らかだった。基本的に天然少女である彼女だが、姉の風華へ何も知らせることなく黙って家を出るなどとということは、迅の知る限りでまず有り得ぬことであったから。
「くそっ……」
近所の公園のブランコの上で、迅は項垂れながら毒づいた。キィ、と耳障りな音を立てて、鎖でつながれたブランコが小さく揺れる。
探そうにも、どこをどう探せばいいのか解らない。手掛かりはなく、完全に手詰まりの状況だった。
警察には、風華同伴の下に捜索願を出すことになっている。事が事だ、もはや事を大きくしたくないだの、警察は信用できないだの、四の五の言っている場合ではなくなったのだ。後日、迅達も同席して警察に向かう手はずになっていた。
今すぐというわけにはいかなかった。たった1人の肉親である妹が姿を消したのだ。そのことを伝えて、風華が心を痛めないはずもなく、やむを得ず少し時間を置くことにして、その時間を使い3人で雛の行方を探すことになった。
しかし―――。
「……どうする?」
「ど、どうするっていったって……」
と、隣のブランコやベンチの上で同様に意気消沈している零次の問いに、覇気のない声で答える絢香。
彼女を知る者でも、おそらく聞いたことのない程に勢いのない声音。彼女にとっても、今回のことが相当堪えているのだろう。
もしかすればと、市内の工場など廃屋になっている場所を既に手当たり次第に探したが、雛の足跡すら発見することが出来なかった。ということは、人の気配のあるどこかか、或いは既に市外に出てしまったかということになるが、そうなってしまってはもはや手の打ちようがない。
警察に任せるしかない。待つことしか出来ない現状は、雛と特別仲のいい友人であった絢香には、耐え難いものがあるのだろう。
それは、迅も同じだった。これまで、物心ついた頃から、彼女とはずっと一緒だった。隣にいて当たり前の仲。それは、下手な友人関係より余程強固なものとなっていた。迅自身すら気づかぬ間に、彼女の存在はそれだけ大きなものになっていたのだ。
だからこそ、彼女に危害を加えんとする犯人を許すことは出来ない。その思いは、おそらく誰よりも大きかった。
その時、不意に着信音が辺りに響いた。
軽快なポップスのメロディ。迅の携帯だった。数日前―――雛が失踪するより以前、着うたで見つけて落としたお気に入り。だが、メールの着信音に設定していたそれも、今のこの沈んだ気分を晴らしてはくれそうにない。
無視しよう。そんな想いが頭を過ぎった矢先、送り主の名を見て迅の表情が変わった。
「鈴、奈……!?」
送り主は、鈴奈。それを見た迅は、はっと目を見開いた。
「……ちょっと行ってくる!」
「お、おい迅?」
ブランコから跳び降り、後ろで困惑の声を上げる零次にも構わず、そのままの勢いで迅は走り出した。
☆★☆★☆★☆
迅が呼び出されたのは、嶺原高校の教室の一室だった。
今は使われていない空き教室だが、きちんと清掃対象になっているせいか清潔感は保たれているため、時々授業をサボタージュした連中が時間潰しに用いたりもするが、今は放課後。そもそも授業なんて存在しないこの時刻であれば、誰も来ることはない。迅の家では部屋の前で妹が聞き耳を立てていたりもするので、密談をするのにこれ以上の場所はない。
迅が着いた頃には、鈴奈は既に教卓に備えられたパイプ椅子に腰を下ろしていて、当分の間使われていないおかげか、新品のように綺麗な黒板消しを手で弄んでいた。
「来たようね。じゃあ、早速……」
「その前に、1つ聞かせてくれ」
「……何かしら」
言葉を遮られたことに特別気分を害した様子もないのを確認すると、迅は言葉を続ける。
「雛がいなくなったのは、お前も知ってるだろ? あれって、マスカレイドに連れ去られたって可能性は考えられないか?」
「まず有り得ないわね。あの仮想空間は、プレイヤー以外の人間の侵入を許さない絶対空間。彼女もマスカレイドに選ばれた参加者であるというのならまだしも、あの子は間違いなく一般人。たとえプレイヤーと一緒だったとしても、入ることは不可能よ」
「そう、か……」
もしかしたら、という可能性を考えていただけに、迅も落胆の色を隠せない。
あれだけ探して見つからないのだ。もし雛の失踪にストーカーが関わっているのなら、あの空間を利用して姿を隠した可能性も十分にあるのではないか、と考えたのだ。
「……それが出来るプレイヤーも、いないわけではないの」
落胆する迅へ、ぽつりと鈴奈が呟くのを、迅は聞き逃さなかった。
ばっ、と顔を上げた迅へ、鈴奈は表情を険しくして続ける。
「たった1人……何故かは解らないけれど、現実と仮想空間の常識を覆した人間がいる」
「常識を……覆した?」
「そう。普通、マスカレイドプレイヤーは仮想空間の中でしかマスカレイドになれない。でも、その男は……血のように濃い赤のマスクを持ったあのプレイヤーは、現実世界でもマスカレイドに変身することが出来た」
「なっ……」
現実世界での変身。即ちそれは、現実世界においてもあの未知なる強大な幻想の力を行使出来るということを示唆している。
それがどれほどの脅威であるか。実際に戦いを経験している迅は、十分に理解することが出来た。それだけに、余計に行方不明になっている雛の安否が気になり、迅は目を見張る。
すると鈴奈は、先程よりは幾分表情を緩めて言う。
「でも大丈夫。あのブラッドマスクは、女の子の尻を追いかけた挙句誘拐するような真似をする男じゃない。断言してもいいわ」
「そ、そうなのか?」
「ええ。あの男は……」
おそるおそる、と行った様子で訊ねる迅に、鈴奈は言葉を切った。
そんな彼女の様子を迅は訝しげに見つめていたが、鈴奈は続く言葉を飲み込んだ。彼に聞かせるべき話ではないと鈴奈自身が判断した故のことであったが、迅としても、彼女が喋る気がないのならそれ以上深く踏み込む気はない。
何より、今は雛を取り戻すことが何よりも先決なのだ。鈴奈には悪いが、構っている余裕はなかった。
「じ、じゃあ、雛がマスカレイドの影響を直に受けることはないってわけだな?」
「……そうね。そのことも踏まえて、今回貴方を呼び出した件についてそろそろ話しましょうか」
首を傾げる迅の前で、鈴奈は鞄の中から1枚の紙を取り出して教卓の上に広げる。
「これ……地図か?」
迅の言ったとおり、それは地図だった。ただの地図ではない。〝雛の家を中心とした〟、市内の細かな地図。
地図の上の各所には、赤と青、2色のマジックで×印が書かれていた。
「この×印は何だ?」
「貴方も勿体ぶられるのは本意じゃないでしょうし、私もそこまで暇じゃないから説明するわね。これは、私が発見した魔法陣の場所を示したものよ」
「魔法陣……って、まさか雛の家にあった!?」
「違うといえば違うし、そうだといえばそうね」
「おいおい、どっちなんだよ……」
鈴奈の言葉にどうにも要領を得ない迅は、大きく溜め息をついた。どうも彼女はいちいち回りくどい言い方が好きなようだ、などと思いつつ、今としてはどうでもいいかと考えを振り払うと、話の続きを待つ。
「まず、羽鳥 雛の家と、中学校の校庭にあった魔法陣。この2つは、性質的にはそれほど変わらないものだったわ。書かれている紋様も、充填されたエネルギーの質も一緒だった」
「じゃあ、残りのは違ったってのか?」
「ええ。でも、残りは残りでその全てが一致していた。つまり、質の違う2種類の魔法陣が、あの街にはばら撒かれていたことになるの」
鈴奈の言葉を聞きながら、迅は何気なしに地図の上の×印を見ていた。
書かれていた場所に、特に共通点はないようだった。飲食店のトイレ、公園の砂場、廃工場に投棄されたホワイトボード。纏まりはなく、共通点を発見することすら難しい場所ばかり。
そんなことを考えながら何気なく地図を眺めていた時。迅はふと、とあることに気付いた。
「お、おい。これって……!」
「気付いたようね」
鈴奈の言葉に、迅は力強く頷く。
「この魔法陣の配置……全部、雛の家の魔法陣が中心になって……」
「ご明察」
まず、地図を一目見た時点で気付くべきだった。雛の家にあった魔法陣を囲うようにして、その他の魔法陣の存在があるということが、この地図からは読み取れる。
雛の家と同じ魔法陣が存在していたはずの中学校の校庭は何故か円の中心から外れていたが、偶然にしては整いすぎた円は、確かに何かあると疑えるだけの要素は揃っているように迅には思えた。
「円周上に設置された魔法陣のエネルギーが、中心にあるこの魔法陣に流れ込むように計算された配置よ。おそらく、これら魔法陣を同時に起動させることによって、中心点で何らかの効果を発揮するよう仕込まれているのね」
「何らかの効果って……何だよ」
「陣1つ1つに共通して備わっているのは、ランブルの召喚効果。さしずめ、あの迷彩マスクは〝魔物使い〟ってところかしら。でも、前にも言ったとおり魔法陣は私の専門じゃないの。全体の仕掛けが作動して、実際にどんなことになるのかまでは解らないわ」
まあ、どうせろくでもないことには変わりないでしょうけど。そう吐き捨てる鈴奈だが、迅は相手の思惑が何となく解る気がした。
具体的にどのようなことが起こるのか、ということではない。けれど、おそらくその最終目的は十中八九―――。
「雛……」
「さっきはああ言ったけれど、羽鳥 雛の家をわざわざ中心点に選んだ以上、何かある可能性は常に付き纏うわ。彼女の安全確保のためにも、まずは仮想世界へ潜って魔法陣を破壊する必要がある」
「何だよ、この前は迂闊に壊すなとか言っといて……」
「それは大丈夫。何かを起こそうとしているなら、この布陣がダミーとは考えづらいし、場所がバレた以上、向こうも下手な小細工はしてこないはずよ」
彼女の言うことは正論だった。この規則的な円形が重要なら、わざわざそれを崩してまで本命を別の場所に仕込んだりはしないだろう。配置場所もバレている。それならばいっそ、それらを全力で守り抜くことだけに集中することが、一番現実的に思えた。
ならばと、迅は早速仮想空間に潜ろうと行動を起こそうとしたが、今もこの現実世界のどこかに囚われているであろう、雛のことが頭を過ぎる。
出来れば、今すぐにでも探しにいきたい気持ちはある。けれどもはや現実世界において、自分が出来ることは何1つ見当たらない。
それならば、今自分の出来ることをする。それが彼女を救う、一番の方法だろう。
「……よし、行くか」
「ええ、また後で」
学校のパソコン室からすぐにでもログインしたいところだが、誰かに見られては面倒だ。
鈴奈と別れた迅は逸る気持ちを抑えながら、家路を急いだ。
☆★☆★☆★☆
カーテンを閉め切って、真っ暗になった羽鳥 雛の部屋。そこで、迷彩マスクは1人、少女趣味なピンクの色をした布団が敷かれたベッドへ腰掛けていた。
あまりに事が上手く運び過ぎていて、堪えても堪えても、大声で笑いたい衝動が次から次へと湧き上がってくる。
彼が考えた計画は完璧だった。
この街にいるプレイヤーのことは調べ尽くした。仮想世界の異常に気付いた女プレイヤーの能力も自分の前では恐るに足らないし、傍にいた男の実力はたかが知れている。自らの行いを邪魔することが出来る勢力はもはやなく、後は、作戦が成就するのを悠々と見ているだけでよい。
失敗することなど、これぽっちも考えられなかった。
「ふふふふっ、もう少しだ。もう少しで、僕の計画は完成する!……ん?」
勝利を確信する迷彩マスク。そこへ、まるでテレパシーのように映像が割り込んできた。
それは、彼が設置した魔法陣の1つ。そこにいるランブルの1体と迷彩マスクの視界がシンクロし、映像として彼のマスクに映る。
そこには、ランブルの大群を相手に奮戦する2人のプレイヤーの姿があった。
「おーおー、頑張るねぇ。全く無駄な努力だっていうのに」
レッドマスクがランブルを殴り飛ばすのを見ながら、迷彩マスクはそうほくそ笑んだ。
魔法陣のエネルギーは術式の行使に回しているため、ランブルの数が増えることはない。が、それでも十分過ぎる程の戦力を落としてきたつもりでいた。たとえ突破できたとしても、その頃にはあちらも無事では済まないだろう。そう、迷彩マスクは目論んでいた。
「さて。じっくり観戦させてもらうよ。お2人さん?」
ゆったりとベッドの上に我が物顔で腰掛け、迷彩マスクはニヤ、と笑った。
☆★☆★☆★☆
「こ、んにゃろぉっ!」
眼前の敵を殴り飛ばし、迅は咆哮した。既に何十という数のランブルが、彼の拳の下に沈んだ。ここ数日の連戦の成果が出たのだろう、拳の振り方も、またその力強さも、プレイヤーとして様になってきていた。
一方で鈴奈は、あくまも無言で、それでいて視線だけはきっちりと前を向きながら、青白い銃撃を打ち込み続けている。
場所は、市内の大きな運動場の中。ドームのようなっているそこの、中央奥に魔法陣はあった。日は落ち始め、オレンジ色に染め上げられる周囲とは対照的に、未だ青く光り輝いている。
魔法陣自体は、2人の目と鼻の先にある―――が、そこまでの道のりは険しい。眼前まで迫るには大量に蔓延るランブル達を薙ぎ倒して行かねばならないのだ。数は、鈴奈が調査を行なっていた時をゆうに超えており、それはたとえ彼女がついていようと並大抵のことではない。
鈴奈の〝刹那の支配者〟なら、この数を相手にも有利に戦える。が、本命である迷彩マスクに辿り着く前に使ってしまうのは、ペースの上でもあまり好ましいことではない。
一度破られているとはいえ、なるべく余力は残しておきたいところであった。
「とはいえ、この数はっ……!」
早くしなければ、と焦る程に目の前にあったはずの魔法陣が遠ざかっていくような気がして、鈴奈は舌打ちする。
仕方なく、鈴奈は〝刹那の支配者〟を発動させた。途端、周囲の時間の流れが目に見えて遅くなったのが解る。
ランブル達の犇めき合う合間を、鈴奈は縫うように走り抜けた。
〝その時間〟の中にいる者でなければ到底捉えきれぬ程の速度。しかし、それをも遮ってしまうモノがある。
(多っ……!?)
魔法陣までには、溢れる程のランブルが存在していた。
その全てが、おそらくは鈴奈を見ていない。今彼女は、常人には捉えきれぬ速度の地平にいるのだ。見ていないではなく、正確には〝見えていない〟というのが正しい。
問題は、その密度だった。通り抜ける隙間もない程埋め尽くされたランブル達は、それだけで厚い壁となって鈴奈の前に立ちはだかる。
もはや、視認できるか否かとか、速度がどうこうという問題ではない。ただ、抜けられるか。ランブル達による壁は、たとえマスクの力で強化された跳躍力をもってしても飛び越えられるものとは思えなかった。
「くっ!」
仕方なく宝石銃を乱射しこじ開けることを試みるも、そこでタイミング悪く〝刹那の支配者〟の限界時間が訪れてしまう。
一瞬身体に走った痛みに顔を顰めると、鈴奈はやむを得ずアビリティを解除した。
瞬間、元に戻る時間の流れ。それまでは、スポーツの判定に用いられるスロー映像のようにゆっくりと動いていた周囲の景色が、その動きを途端に加速させる。
まず起こった大きな変化として、周囲のランブル達がようやっと鈴奈の存在に気がついた。撃破された何体かは、己の身に何が起こったのか、それすらも理解できぬまま散っていく。
鈴奈にとって、好ましい状況とは言えなかった。周囲にはランブルの大群。目標である魔法陣を壊すには、正面のランブル達を蹴散らしていかねばならない。
「厄介なっ……!」
毒づくも、状況は変わらない。仮面の下の表情を歪める彼女の目に移るのは、蠢く異形の影。そして―――。
「おりゃあああぁぁっ!」
周囲の敵を我武者羅に殴り、蹴り、強引に道を作って、迅は大きく跳躍して鈴奈のすぐ隣へ着地する。
途端、鈴奈を取り囲んでいたランブル達が、乱入者たる迅へと牙を剥いた。
「おお……随分と熱烈歓迎だな」
「全く嬉しくないわね」
「そりゃご尤もだ」
本能を剥き出しにして吠える獣や、身体のところどころが腐って抜け落ちているアンデッドのようなモンスターの大群を前にして、2人は辟易した。けれど、この波を突破しなければ勝機はないのだから、どのみち彼らに選択肢はそう多くはない。
「仕方ない、俺が突っ込む。その隙にお前がアビリティ発動して走り抜けろ」
「……私は別にそれでも構わないけれど。貴方は、それでいいのかしら?」
「オイシイところは譲ってやるって言ってんだ。ずべこべ言うな」
言うが早いか、鈴奈の返事も待たずに、迅は魔法陣のある側のランブルの壁へと突っ込んだ。
(拳にオーラを集中させ、て……!)
この数日間で掴んだ、力の使い方。それを今示してやろうと、迅は拳に力を集中させた。
途端、青白い光が拳に宿り、ランブルの身体に叩き込まれると同時、炸裂する。
大きな衝撃を受けた、二足歩行で戦斧を持った牛のランブルが周囲の敵を巻き込んで吹っ飛んでいくのを見、迅は早速次の獲物へと照準を移した。
「うっしゃあぁ、次ぃっ!」
「ふーん……なるほど。口だけじゃないようね」
先程の命令口調―――この短い間に、随分と偉い口がきけるようになったものだ、などと思っていた鈴奈であったが、今の動作を見れば、どうやら考えを改ざるを得ないようだ。
逆にこの短い間に、しかも独学でよくそこまでの技術を身につけられたものだと鈴奈は内心で感嘆しつつ、自分に背後から襲いかかろうとしていたグールのようなランブルへ回し蹴りを繰り出す。
コートの裾を翻し華麗な舞いを披露しながら、接近してくるランブルを蹴り飛ばしては、追撃の銃撃を放つ。蹴撃に吹き飛ばされたランブルは、続く銃撃に蜂の巣にされて消滅する。
やがて、まるで蟻のように群がっていたランブル達の数が、漸く目に見えて減ってきた頃。
気合一発、迅はより一層の力を右拳に集中した。それまで左拳に宿っていた分も加わり、より大きなオーラとなって右拳を覆い尽くす。
「あああぁぁぁっ!」
パンチモーションと同時、右拳に溜まっていたエネルギーが解き放たれた。膨大なエネルギーの塊は、彼の目の前にいたランブル達を纏めて吹き飛ばす。あまりの衝撃に、その内の何体かはそのまま粒子となって消滅した。
「今だっ!」
迅の叫びに鈴奈は大きく跳躍すると、迅のすぐ傍に着地すると同時にアビリティを発動させた。
再びスローになる周囲の景色。迅が作ってくれた穴が、はっきりとした道となって視認できる。
だっ、と大地を蹴って、鈴奈はランブル達の間を走り抜け、魔法陣へ向けて銃口を向けた。
「これでっ!」
宝石銃が火を吹いた。青白いエネルギー弾が飛び、魔法陣の一部を破壊し小さなクレーターを作る。
変化は歴然だった。それまで眩い程に放たれていた、魔法陣の光が消え失せた。
それだけではない。周囲に蔓延っていたランブル達も消滅こそしないものの、その動きを完全に停止したのだ。
次々に倒れふすランブル達の姿に、続く攻撃に備え身構えていた迅も、漸く緊張を解くことが出来た。
「終わった、のか……」
拳に込めたオーラを収め、迅は鈴奈の下へ駆け寄る。
すっかり勢いを失った魔法陣を、しゃがみこんで手で撫でた。
「こんなに小さい傷でも止まっちまうんだな、魔法陣って……」
「魔法陣っていうのは、円と紋様、その全てで〝式〟を作るの。そのどこが欠けても、真の力を発揮することは出来ない」
何気なく放った迅の言葉に、律儀にも鈴奈は注釈を加える。
未だ小さく煙を上げるクレーターを見ながら彼女の説明を聞いていた迅は、深く深呼吸した。
(これで、漸く1つかよ……)
たった1つ止めるだけで、これほど激しい戦いを強いられるとはさすがに想像していなかった。円周上の魔法陣ですらこれなのだから、中心点である雛の部屋の魔法陣はどれほどの守りなのだろうと、迅は辟易する。
けれど、泣き言は言ってはいられない。やり遂げるためにここにいるのではないか、そう己に言い聞かせ、迅は顔を上げた。
「……さて、じゃあ次へ行くか」
「そうね」
魔法陣は、まだまだ残っている。ここでもたついているわけにもいかず、次へ進むべく歩を進めようとした―――その時。
「やれやれ、派手にやってくれちゃって……どうしてくれるのかな、これ」
突如、辺りに響いた声。その声に、迅と鈴奈は振り向いた。
運動場の両脇に設置されたサッカーゴール。その上に悠々と頬杖をついて腰掛ける奇術師の姿は場所に似つかわしくないもので、非常にアンバランスに見える。
「迷彩、マスク……」
「やあ。また会ったね、お2人さん。あれほどの大群相手に、よくやったと褒めてあげるべきかな?」
突然の登場に呆然とする2人の前で、暢気に笑う迷彩マスク。
(あれ……何だ、今の声?)
その言葉を聞いて、迅は奇妙な感覚を覚えた。違和感、というのは語弊がある。むしろ、ある種の既視感と言い換えてもいいかもしれない。どこかで聞いたような、そんな声だった。
そんな迅の様子にも気づかぬ様子で、迷彩マスクは声高らかに両手を上げる。
「だが、所詮は無駄な努力だ。魔法陣はまだまだある。1つくらい壊れたところで、僕の計画の妨げにはならない!」
「そう。でも残念、ここで貴方自身を倒せば同じことよ」
「テメェッ! 今すぐボコしてやるから降りてこいこのヤロー!」
「ははっ、そう熱くなるなよ。〝いくら幼馴染が行方不明だからってさ〟」
「…………何?」
あまりにあっけらかんとした、迷彩マスクの何気ない一言。迅がそれを聞き逃すはずもなく、瞠目したまま呆然と立ち尽くした。
「なん、で……それをっ…」
「何でかって? くくくくっ……全く、物解りが悪いなぁ。いくら中学校のテストで一度しか100点をとったことがないからって、そんなことが解らない程悪い頭じゃないだろ?」
嘲笑する迷彩マスクに、どんどん怒りばかりが膨れ上がっていく。
この男が、雛を攫った。
この、男が―――!
「あいつを……雛を、どうするつもりだああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
絶叫。まさにそう呼ぶに値する叫びを上げ、迅は強く大地を蹴った。
マスクの力で強化された脚力が、迅を高く舞い上がらせる。その高さと距離は、迷彩マスクのいるサッカーゴールの真上に十分届いていた。
「……やれやれ」
対する迷彩マスクは、まるで出来の悪い子を見ているかのような溜め息を吐いたまま、微動だにしない。
そんな彼へ向け、迅は怒りのままに拳を突き出した。
並のランブルであれば、一撃で沈めることも可能となった迅の拳。まともに当たれば、鈴奈ですらただでは済まないだろう。無論鈴奈であれば威力以前に、躱された上で後頭部に宝石銃を突きつけられてしまえば、それでチェックメイトであろうが。
けれど迷彩マスクは回避モーションを起こそうとすらせず、拳がついに彼にヒットするかと思われたその瞬間、彼の姿は一瞬にしてその場から消え失せた。
「……えっ」
拳を突き出した体勢のまま、迷彩マスクが座っていたサッカーゴールの上に立ち呆然とする迅。
そんな彼の耳に、パチパチと手を叩く渇いた音が側面から届いた。
「はは、惜しい惜しい。いいパンチだ」
声は拍手と同じ方向―――迅のすぐ右側面、ちょうど運動場の客席から聞こえてきた。
確かに、当たったと思った。あの距離とタイミングなら、まず避けられない自信があったのだ。
けれど―――手応えがなかった。事実、迅から見た限り、迷彩マスクは大したダメージを負っていないように見える。
「いつの間にっ……!?」
「どうだい、僕の華麗なる大魔術は。凄いものだろ?」
「……お遊びはそこまでよ」
驚愕する迅に、今度は悪戯が成功した子供のように笑う迷彩マスク。そんな彼の笑い声を遮った鈴奈は、彼へ向けて宝石銃を向けた。
「……そうそう。まだ君がいたっけね」
忘れてたよ、という言葉に表情を歪める鈴奈へ、迷彩マスクは指を打ち鳴らす。
特別ゲストを紹介するよ。そう迷彩マスクが言うと同時、それまで3人の気配しかなかった運動場に、突如新たな人影が現れた。
全体的に武者の鎧を纏ったような姿をした、筋肉質で長身の男。顔は血のように濃い赤をしたマスクが覆っていて、それを見た迅は新たなプレイヤーの出現に思わず身構える。
「何だ、こいつは……」
油断なく拳を構えながら、一方で迅はその紅いマスクの男に言いようのない違和感を感じていた。確かにそこに存在しているはずなのに、あまりに希薄な存在感。まるで亡霊のような雰囲気を纏う彼を、迅は訝しげに見つめると、次いで鈴奈へと視線を移す。
だが。
「……鈴奈?」
てっきり、いつものように冷酷なまでに冷静な態度を貫いていると思われていた鈴奈の様子は、想像と遥かに違うものだった。迅のように警戒するでもなく、ただ、呆然と―――瞠目して、現れた男の姿をじっと見つめていた。
「どう、して……」
やっとのことでしぼり出した、そんな様子の声だった。今鈴奈の中では、心臓の鼓動が五月蝿く鳴り響いている。嫌な汗が頬を伝い、目の前の男の姿に過去の映像がフラッシュバックする。
「なんで……」
炎上する家屋。
「貴方が……」
その部屋の中で、倒れ伏す家族。
「ここにっ……」
そして。刃に付いた血を舐め取り、狂気の笑みを浮かべる男の姿―――。
「……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
未だ嘗て聞いたことのない程の、絶叫。迅も聞いたことのないまでの大きさの、もはや声にもならない叫びと同時、鈴奈は真っ直ぐ男へ向けて飛び出した。
迅と同様―――否、それ以上に勢いのある弾丸の如き突撃。勢いは凄まじく、しかしながらそこに普段の冷静さはない。本能のままに突っ込んでいく様は、普段の彼女と結びつけることすら難しい。
それほどの感情をぶつけられても尚、紅いマスクの男は動じることなく鈴奈の方を見つめていた。じっと、凶悪な笑みを浮かべながら。
彼女の迫力に気圧され、一瞬呆然としてしまった迅は、彼女が飛び出した直後に漸く我に返った。
そして、観客席―――ちょうど、迷彩マスクが立っている辺りで、黒い影が彼女に向けて銃を構えているのが視界に映った。
人型ではあるが、マスクをしていない。おそらくランブルの類なのだろう。どうやら、迷彩マスクがランブルを操る能力を持つ〝魔物使い〟であるという鈴奈の見立ては当たっていたらしい。が、今はそんなことに構っている余裕はなかった。このままでは彼女が危ないと理解した迅は、鈴奈へ向けて叫ぶ。
「鈴奈、横だっ!」
彼女の絶叫に負けないように大声で叫びながら、迅はサッカーゴールの上から飛び出した。
解っていた。何があったのかまでは理解できないが、少なくとも彼女が今冷静さを失っていることは十分に解っていた。だから、叫ぶだけでは足りないと、彼女を直接押さえようと迅は跳ぶ。
鈴奈が男の眼前へ肉迫するよりも、若干早く彼女の前を遮ることに成功した迅は、鈴奈の身体を抱えて横に倒れ込む。遅れて、偉業の狙撃手の銃弾が先程まで鈴奈がいた空間を掠めていく。
「どきなさいっ! あれは……あの男は私がああぁぁぁぁぁっ!」
「落ち着けよ、おいっ!」
まるで薬の中毒者か何かのように手足をばたつかせ、これ以上ない程の憎悪を表情に表して、鈴奈は迅の拘束を逃れようと暴れる。
それを必死に押さえつけながら、迅は目の前で未だニヤニヤと笑っている紅いマスクの男を見た。
この男と彼女に、一体何があったのか。それは解らないが、これ以上ここに留まっているべきではないことだけは間違いなさそうに思えた。彼女がこれでは、勝ち目は薄い。更に残念ながら、あの迷彩マスクを相手に鈴奈の協力なしに勝利できる確率は限りなく低い。
仕方なく、迅は暴れる彼女を抱えてその場を離れることにした。
「逃がすかぁっ!」
背後で迷彩マスクの声が聞こえ、少し遅れて淡い青の光が輝いたかと思えば、数体のランブルが姿を現した。
巨大なハリネズミのようなランブルが、背中の針を射出する。数発が掠って四肢を浅く切り、一発が右腕に突き刺さった。
「がっ!?」
鮮烈な痛みが走った―――が、構わず迅は逃走を続ける。
痛みに耐え、腕の中で藻掻く鈴奈を必死に押さえつけながら、迅は走る。その甲斐あって、仕留められる前になんとか運動場の出口に滑り込むことに成功した迅は、そのまま鈴奈を抱えて逃げ去った。
「フン……逃げたか」
通路の中に迅達の姿が消えていった頃、迷彩マスクは余裕の笑みを浮かべながら未だ運動場の観客席にいた。傍には、先程鈴奈を銃撃した黒い人型の異形。まるで主に付き従う下僕のように跪くその様子は、迅達に牙を剥く普通のランブル達とは一線を画すものに見える。
「まあいいさ。どうせ、僕の計画を邪魔することなんて出来ないんだから。……行くよ、キュラス」
迷彩マスクの言葉に、無言で付き従うキュラスというランブル。
その先を歩く迷彩マスクの顔に浮かぶ不気味な愉悦は、薄暗くなり始めた夕闇に、どす黒く染められている。
紅いマスクの男の姿は、いつの間か忽然と消えていた。