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毒殺されたはずの第三皇女は、見た目と正反対の策士だった。護衛隊長だった自分は、いつの間にか彼女と帝国を奪い返す剣になっていた

作者: momotarou
掲載日:2026/04/20

 自分は、第三皇女リシェル殿下付き護衛隊長だった。


 帝国の継承争いは、長く第一皇子と第二皇子のものだと思われていた。

 第一皇子は側室腹の長子で、武威と恐怖で人を従わせる男。

 第二皇子もまた別の側室の子で、金と策で相手を絡め取る男だ。


 腹違いの二人は普段から仲が悪かった。

 だが、ひとつだけ利害が一致していた。


 皇帝陛下と正妃殿下の実子である、第三皇女リシェル殿下を消すこと。


 正統なのは、どう考えても殿下のほうだったからだ。


 それでも宮廷の者たちは、殿下を継承争いから半歩外れた、穏やかで扱いやすい皇女として見ていた。

 美しく、物腰は柔らかく、争いごとには向かない。

 みながそう考えていた。


 だが、自分は違った。

 殿下は静かだったが、鈍くはない。

 侍女も護衛兵も庭師も、誰と向き合うときでも、殿下は必ず相手の目を見ていた。

 穏やかな笑み、皇女らしい立ち振る舞い。

 その奥で、相手の腹の内まで測るように、冷静に見ていた。


 しかし、継承争いに加わらない殿下を本気で守る者は少なかった。

 ならば自分が守る。

 隊ごと守る。

 そう決めていた。


 ――守りきれると、本気で信じていた。


     ◇


 毒が盛られたのは、冬の夜会の翌朝だった。


 第三皇女付きの厨房番が入れ替わり、毒見役が急病で倒れ、自分は護衛交代の乱れを確認するため、一時的に居室前を離れていた。

 部下は残していた。

 動線も見ていた。

 それでも、間に合わなかった。


 戻った時には、殿下は寝台の上にいた。

 侍女は泣き、医師は蒼白で、部屋にはもう死の匂いが漂っていた。


「殿下!」


 駆け寄ろうとした自分を、宰相の側近が止めた。


「下がれ。護衛隊長カイル。貴様は任を果たせなかった」


 その一言が、あとになっても耳に残った。


 その日のうちに自分は拘束され、翌日には謁見の間へ引きずり出された。

 第一皇子は退屈そうに見下ろし、第二皇子は口元を隠して笑っている。


「第三皇女毒殺の責は重い」


 宰相が、判決文でも読むような声で言った。


「護衛隊長カイル、お前を北方の監視砦へ左遷する」


 左遷。

 聞こえはいい。

 だが実際には追放だった。


「殿下は……」


 自分がそう問うと、第一皇子が鼻で笑った。


「死んだよ」


 第二皇子が続ける。


「哀れなものだな。隊長などと威張っていても、最後まで守れなかった」


 その瞬間、自分の中の何かが凍った。


 毒殺されたはずの第三皇女。

 守れなかった護衛隊長。

 それが、自分に貼られた結末だった。


     ◇


 北方の砦は寒かった。


 雪と風と酒だけがある場所で、自分は剣を振り、見回りをし、夜は粗い酒を流し込んだ。

 それでも、眠るたびに殿下の顔が浮かぶ。


 守れなかった。


 自分一人ではない。

 隊を預かる者として、殿下を守る仕組みごと守れなかった。

 その思いが、胸の奥に沈んで離れなかった。


 春先のある夜、砦下の町の古い宿で一人飲んでいると、灰色の旅装の女が入ってきた。

 顔の半分はフードに隠れているのに、場の空気が少しだけ張る。


 ただ者ではない。


 そう思った次の瞬間、その女はまっすぐ自分の前へ来た。


「ずいぶん荒れた暮らしをしているのね、カイル」


 その声を聞いた瞬間、椅子を蹴って立ち上がっていた。


「……殿下?」


 女はフードを外した。


 銀の髪。

 紫の瞳。

 静かな顔。


 見間違えるはずがなかった。


「生きて、おられたのですか」


「ええ。死んだことになっているだけ」


 あまりにも平然とした返事に、自分はしばらく何も言えなかった。


 毒殺されたはずの第三皇女は、生きていた。

 しかも、ひどく落ち着いていた。


「座りなさい」


「ですが――」


「命令よ」


 反射で腰を下ろす。

 殿下はそれを見て、わずかに笑った。


「よかった。そこはまだ変わっていないのね」


 温かい湯が運ばれてきて、ようやく自分は声を出せた。


「どういうことですか」


「毒は本物だったわ。でも致死量ではなかった。解毒も準備していた」


 あまりにも静かな口調だった。


「父上は、いずれこの日が来ると見ていたの。だから南方辺境伯に、万一の時は私を保護するよう命じていた」


「南方辺境伯……」


 皇帝陛下が最も信頼し、帝国でもっとも豊かな南を治める大貴族だ。

 兵も金も民心もある。


「兄たちは普段から仲が悪い。でも私を消す間だけは手を結ぶ。なら、私は一度死んだことになったほうがいい」


 殿下は湯気の向こうで自分を見た。


「あなたを北へ飛ばしたのも、半分は計算のうちよ」


「自分を……?」


「帝都に残れば真っ先に消されるもの。あなたは私の剣だもの。敵に回収される前に、盤上から外したかったの」


 自分は言葉を失った。


 守れなかったと思い込んでいた。

 だが殿下は、自分まで含めて動かしていたのだ。


「まだ私の剣でいてくれる?」


 喉が詰まった。泣くなと自分を戒めたが、それでも涙があふれた。


「殿下を守れなかった自分を、まだおそばに置いてくださるのですか」


「相変わらずね。真面目なところ」


 殿下は少しだけ笑った。


「今度は守ってね」


 自分は涙を流したまま片膝をつき、胸に手を当てた。


「騎士として、再び殿下に忠誠と命と剣を捧げます」


 殿下は嬉しそうに自分の手を取り、立ち上がらせてくれた。


「ええ、カイル。あなただけが私の剣よ」


 二人はしばらく、黙ったまま見つめ合った。


 その瞬間、自分は理解した。


 自分が守りたかったのは、か弱い皇女ではなかった。

 この人そのものだった。


 宿を出ると、自分は礼拝堂跡の地下へ案内された。

 そこには旧臣、密偵、南方辺境伯の使者が集まっていた。


 地図の前で、殿下は静かに語った。


「私が死んだと思った兄たちは、すぐに帝国を二つに割る争いを始めたわ」


 第一皇子は武で北と中央を押さえ、第二皇子は金で東と商都を押さえる。

 その間で税は重くなり、徴兵は荒れ、民は踏みつけられた。


「だから待ったの。二人が勝手に削り合うのを」


 机の上には書状の束が並んでいた。


 第一皇子の残虐な処断。

 第二皇子の粛清。

 暴君に仕えた家臣の悲惨な末路。

 それらを各地へ伝える伝言板や瓦版の下書きだった。


「これを配るのですか」


「ええ。民にも、有力者にも。兄たちのもとでは誰も幸せになれないと、まず理解させるの」


 さらに殿下は、別の書状を指先で叩いた。


「それから、“第三皇女が生きていれば”という嘆きを育てる。最後に、建国記念祭の日に私が姿を現すという噂を流す」


「……民衆を先に動かすのですね」


「兵だけでは足りないもの。帝位は剣で奪えても、帝国は民心なしには治められない」


 その言葉で、ようやくはっきりわかった。


 穏やかな見た目とは正反対に、この人は策で帝国を奪い返すつもりなのだ。


「カイル」


 殿下は自分を見た。


「一緒に帝国を奪い返しましょう」


 その言葉に、自分はもう迷わず頷けた。


     ◇


 それから数か月、自分は殿下の剣として走り回った。


 旧臣を護衛し、瓦版を運ぶ者を守り、追手を始末し、辺境軍の将と会い、有力者たちへ密書を届けた。

 時には第一皇子派の印章で偽の書状を流し、第二皇子派に裏切りを疑わせもした。


 兄たちは、ほんの少し火を入れるだけで勝手に疑い合った。

 欲が強い人間ほど、味方を先に疑う。


 南方辺境伯は兵と金を出し、各地では「第三皇女が生きているらしい」「建国記念祭の日に戻るらしい」という噂が膨らんでいった。


 ある夜、かつて自分の部下だった近衛兵の一人に呼び出された。


「隊長……いや、カイル殿。戻ってください。まだ間に合います」


「何に、です」


「第一皇子殿下に膝をつけば、お前の罪も不問に――」


 自分は笑った。


「自分にある罪は、殿下を守れなかったことだけです」


「まだそんなことを」


「まだ?」


 一歩だけ前へ出た。


「自分は帝国の剣ではない。最初から、あの方の剣だ」


 相手は、それで説得が終わったと悟った顔をした。


     ◇


 建国記念祭の日、帝都は群衆で埋め尽くされた。


 第一皇子と第二皇子は、それぞれ別の軍を率いて広場を押さえていた。

 だが兵たちの顔には疲労と苛立ちしかない。民衆は祝祭どころではなく、皇子たちへの不満で膨れ上がっていた。


 そこへ、南方辺境伯の旗が見えた。


 白銀の地に黒い百合。

 第三皇女リシェルの紋章だ。


 どよめきが広がる。

 人々が左右に割れ、その真ん中を殿下が進む。後ろには南方の精鋭、左右には旧臣、少し後ろには自分がいた。


「ば、馬鹿な……!」


 第一皇子が叫ぶ。

 第二皇子の顔から血の気が引いた。


 殿下は高い演壇の上へ立った。

 王冠も飾りもないのに、その場の誰より帝国の中心に見えた。


「私は生きている」


 一言で、広場は静まり返った。


「私を死んだことにした人たちへ。取り返しに来たの。私の帝国を」


 その瞬間、各地で配られていた瓦版と証拠書が一斉に広場へばらまかれた。

 第一皇子の虐殺。

 第二皇子の粛清。

 民を踏みつけた証拠。

 家臣を食い潰した記録。


 群衆のざわめきは、やがて怒号になった。


 殿下は兄たちを見下ろし、静かに告げた。


「国を治める力も、民を思う心もない者は、今ここで退きなさい」


 第一皇子は兵を動かそうとした。

 だが、その兵たちはもう動かなかった。

 第二皇子も何か言い返そうとしたが、民衆の罵声に呑まれた。


 勝負は、その場で決まった。


 二人は群衆と兵の前で、継承権の放棄を言わされた。

 それでも最後には、殿下の足元へ這いつくばって命乞いをした。


「リシェル……いや、陛下、どうか――」


 第一皇子が喚き、第二皇子が額を石畳へ擦りつける。


 殿下――その瞬間にはもう、誰の目にも新たな皇帝だった人は、ほんの一瞬だけ目を伏せた。


「連れて行きなさい」


 それだけだった。


 自分は二人の襟首を掴み、衛兵へ引き渡した。

 かつて帝位を争った男たちは、みっともなく叫びながら広場の外へ引きずられていった。


 その光景を見て、群衆が沸いた。

 歓声というより、長く堪えていた息をようやく吐き出す音に近かった。


     ◇


 夜、帝城の高い塔の上で、リシェル陛下はようやく息をついた。


「終わりましたね」


 そう言うと、陛下は小さく笑った。


「まだ始まったばかりよ」


 その通りだった。

 だが、自分にはその言葉が妙に心地よかった。


「あなたがいてくれて助かったわ」


 その一言で、今日一日の疲れが吹き飛ぶ気がした。


「自分は護衛隊長でしたから」


「でした、でしょう?」


 陛下は少しだけ目を細めた。


「もう、私の剣なだけではないわ。共犯者でしょ」


 否定できなかった。


 塔の下に広がる帝都の灯は、毒を盛られたあの夜より、ずっと穏やかに見えた。


 毒殺されたはずの第三皇女は、見た目と正反対の策士だった。

 そして護衛隊長だった自分は、いつの間にか彼女と帝国を奪い返す剣になっていた。


 これから先、どれだけ血が流れようと、どれだけ泥を被ろうと、もう迷わない。


 自分が剣を捧げるのは、誰かが決めた正統のためではない。

 自分が選んだ、この人の勝利のためだけだ。

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