13話 魔王の子
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ノクトは縛られていた。
意識が戻った時には、すでにヴェルノア学園にはいなかった。
場所はゼルマンの隠れ家。
その奥にある薄暗い部屋だった。
木の壁に囲まれた小さな部屋の中央で、ノクトは椅子に座らされている。
両腕。
胸。
足首。
そこには、白金の光を帯びた縄が幾重にも巻きついていた。
ただの縄ではない。
少しでも体を動かそうとすると、縄が淡く光り、体の奥に残った魔力を吸い上げていく。
「……エリシアの魔法か」
ノクトはすぐに悟った。
闇魔法を使った反動は、まだ体に残っている。
頬には紫の痣が浮かび、息をするだけで胸の奥が軋んだ。
額から落ちた汗が、顎を伝って床に落ちる。
ぽたり、と小さな音がした。
「俺は……まだ生きてるのか」
かすれた声が漏れた。
だが誰もすぐには答えなかった。
部屋の入り口には、エリシアが立っている。
聖剣こそ抜いていないが、その瞳は冷たい。
少しでもノクトが妙な動きをすれば、すぐに斬る。
そう言っているような目だった。
部屋の隅にはライナとミレオがいた。
ミレオはゼルマンのそばに立ち、ノクトをじっと見ている。
ライナは唇を噛み締めていた。
言いたいことがある。
でも言えない。
そんな顔だった。
ノクトはエリシアを見る。
「あんたは俺を殺さなかったんだな」
「殺すつもりだったわ」
エリシアは淡々と言った。
「でも邪魔が入った」
その言葉に、ライナの肩が小さく揺れた。
ノクトは少しだけ目を伏せる。
「そうか」
「感謝するなら、あなたを庇った人たちにしなさい」
エリシアの声には、わずかな苛立ちが混じっていた。
「私は何度も終わらせようとした。でも彼女が退かなかった。ミレオもゼルマンも、あなたをその場で殺すことには反対した」
「……」
「だから今は生かしているだけよ」
エリシアは一歩前へ出た。
「でも許したわけじゃない。あなたはルミナシア帝国へ連れていく。そこで正式な裁きを受けなさい」
「ルミナシア帝国……」
ノクトはその名を小さく呟いた。
世界でもっとも発展した大国。
魔王軍に対抗できる、数少ない国の一つ。
そしてエリシアが王女として生まれた国でもある。
ノクトが黙っていると、ミレオが震える声で口を開いた。
「ノクト……」
その声は、いつものミレオとは違っていた。
不安と恐怖と、信じたい気持ちが混ざっている。
「あの人の言ってること、嘘だよね?」
ノクトはミレオを見た。
「ノクトが魔王の子どもなんて、そんなの違うよね? だって……ノクトは僕を助けてくれたじゃないか」
ノクトは答えなかった。
答えられなかった。
沈黙が、部屋の空気を重くする。
ミレオの顔が歪んだ。
「何とか言ってよ」
声が大きくなる。
「本当にそうなの?ノクトは本当に、魔王の子どもなの?」
ノクトはゆっくり息を吐いた。
逃げることはできない。
もう誤魔化せる段階ではなかった。
「そうだ」
短い答えだった。
「俺は魔王の息子だ」
部屋の空気が凍りついた。
ミレオの目が大きく見開かれる。
ゼルマンも息を呑んだ。
ライナは顔を伏せる。
「そして俺は、父を殺した罪で魔王軍から追われている」
エリシアの目が細くなる。
「魔王が死んだという噂は本当だったのね」
彼女はノクトを見据えた。
「だから今は、あなたの兄であるゼルクが魔王軍を動かしている」
ノクトは何も言わない。
「なぜ父親を殺したの?」
エリシアの声が低くなる。
「魔王の子でありながら、魔王を殺した。何を考えていたの?」
ノクトはしばらく黙っていた。
そして、ぽつりと言った。
「優しい世界を作りたかった」
その言葉が終わるより早く、ミレオが叫んだ。
「ふざけるな!」
少年の声が、部屋に響いた。
「人殺しのくせに!」
ミレオはノクトへ駆け寄った。
ゼルマンが止めようとしたが、その手より早く、ミレオはノクトの前に立った。
「お前たちのせいで、パパもママも死んだ!」
ミレオの瞳には涙が溜まっていた。
「城のみんなも、街のみんなも、たくさん死んだ!何も悪くない人たちが、たくさん!」
ノクトは何も返さない。
ミレオの小さな拳が震える。
「僕の弟だって……」
声が詰まった。
「まだ生まれたばかりだったんだ」
ミレオの涙が頬を伝う。
「あんな小さな子まで殺して……それで優しい世界って何だよ!」
乾いた音がした。
ミレオの手が、ノクトの頬を打った。
ノクトの顔が少しだけ横へ向く。
だが彼は抵抗しない。
何も言わない。
「どうしてだよ!」
もう一度、ミレオがノクトを叩く。
「どうしてお前たちは、人の幸せを平気で壊せるんだ!」
ノクトの瞳には、光がなかった。
怒っているわけでもない。
悲しんでいるわけでもない。
ただ深い穴の底を見ているような、空っぽの目だった。
ミレオは何度もノクトを叩いた。
そのたびに、部屋の空気が痛いほど冷えていく。
やがてミレオの指先に、小さな火が灯った。
ノクトに教わった火だった。
人を守るために使うはずだった火。
それが今、怒りで揺れていた。
「やめて!」
ライナがミレオの手を掴んだ。
火が小さく揺れる。
「ミレオ、それは駄目」
「どうして止めるの?」
ミレオは涙で濡れた目をライナへ向けた。
「こいつは魔王の子どもなんだよ!みんなを殺した奴らの仲間なんだよ!」
「でも、今ここで燃やしたらノクトは死んじゃう」
「死んでいいじゃないか!」
ミレオの声が震えた。
「こんな奴、死んで当然だ!」
ライナの表情が苦しそうに歪む。
「ミレオの怒りは分かるよ」
「分からない!」
ミレオは叫んだ。
「ライナに分かるわけない!僕は家族を全部奪われたんだ!」
その瞬間、ライナの手が止まった。
部屋が静まり返る。
ミレオも、ライナの表情を見て言葉を止めた。
ライナは少しだけ目を伏せた。
「……分かるよ」
さっきより、ずっと低い声だった。
「大切な人がいなくなる痛みは、アタシにも分かる」
「……え?」
「アタシも三年前に、家族を失った」
ライナはゆっくりと話し始めた。
「家族だけじゃない。友達も、近所の人も、村のみんなも」
ミレオの目が揺れる。
「アタシが住んでいた村は、魔王軍に襲われたの」
ライナの声は震えていなかった。
けれど、無理に震えを抑えているのが分かった。
「生き残ったのはアタシだけだった」
ゼルマンが息を呑む。
エリシアも、わずかに表情を変えた。
「まさか……」
ゼルマンが小さく呟く。
「ネフェルナ族……」
ライナは静かに頷いた。
「うん。アタシはネフェルナ族の生き残り」
ネフェルナ族。
猫人族の中でも、特に強い火属性のマナを宿す一族。
彼らはフェルナ村という小さな集落で暮らしていた。
互いに助け合い、外の世界と大きく関わらず、静かに生きていたという。
だが三年前。
魔王軍の襲撃によって、フェルナ村は滅ぼされた。
女子どもも、老人も、戦えない者も。
誰一人として見逃されなかった。
その虐殺は、周辺国にも広く知られている。
最強種族と呼ばれたネフェルナ族が、一夜にして消えた事件。
その生き残りが、ライナだった。
ミレオは言葉を失った。
ライナはミレオの手をそっと下ろす。
「だからね、ミレオ」
ライナはミレオの目を見る。
「アタシも魔王軍が憎い」
その言葉は静かだった。
「今でも夢に見る。燃える村も、泣いてる声も、助けられなかった人たちの顔も」
ミレオの涙が止まる。
「でも、だからこそ分かるんだよ」
ライナはノクトを見る。
縛られたまま、何も言わないノクトを。
「憎い相手を全部同じに見たら、自分まで壊れちゃう」
ミレオは何も言えなかった。
「ノクトが魔王の子だって聞いて、アタシも怖かった。正直、今も全部信じられるわけじゃない」
ライナの声が少しだけ揺れる。
「でもアタシは、ノクトがミレオを守ったところを見た。ゼルマンさんを助けようとしたところも見た。ザイモン相手に必死に戦ったところも見た」
ライナは拳を握る。
「だから、今すぐ悪い奴だって決めつけたくない」
ミレオは俯いた。
小さな拳が震えている。
「じゃあ……僕はどうすればいいの」
その声は怒りではなかった。
迷子の子どものような声だった。
「憎いよ……怖いよ……でも、ノクトに助けてもらったのも本当なんだ」
ライナはミレオの肩に手を置いた。
「今すぐ答えを出さなくていいよ」
ミレオは黙ったまま、涙をこぼした。
ノクトはその光景を見ていた。
胸の奥が痛かった。
何か言わなければならない。
謝らなければならない。
そう思うのに、言葉が出てこなかった。
謝ったところで、死んだ人は戻らない。
ミレオの弟も。
ライナの村の人たちも。
誰一人、戻ってこない。
部屋の中に、重い沈黙が落ちた。
やがてエリシアが静かに口を開いた。
「話は終わった?」
その声は冷たかった。
しかし、さっきまでのような鋭い殺気だけではなかった。
「ノクトをどう思うかは、あなたたちが決めればいい」
エリシアはノクトを見た。
「でも私は変わらない。この男をルミナシアへ連れていく」
ノクトは何も言わない。
ライナは顔を上げた。
「アタシも行く」
エリシアの目が細くなる。
「何ですって?」
「ノクトが裁きを受けるなら、アタシも見届ける」
ライナは真っ直ぐエリシアを見た。
「この人が本当に悪い人なのか。ちゃんと自分の目で確かめたい」
ミレオも涙を拭った。
そして小さな声で言う。
「僕も……行く」
「王子!」
ゼルマンが驚く。
「だって……分からないまま終わらせたくない」
ミレオはノクトを見た。
その瞳にはまだ怒りがある。
恐怖もある。
でも、それだけではなかった。
「ノクトが本当に悪い人なら、僕がちゃんと見届ける」
ノクトはミレオを見る。
ミレオはすぐに目を逸らした。
エリシアはしばらく三人を見ていた。
そして小さく息を吐く。
「好きにしなさい」
そう言って、部屋の出口へ向かった。
「ただし、逃がそうとしたら全員まとめて敵と見なすわ」
扉が閉まる。
薄暗い部屋に、ノクトたちだけが残された。
白金の縄が、静かに光っている。
ノクトは俯いたまま、かすれた声で呟いた。
「……ごめん」
誰に向けた言葉なのか。
ミレオにか。
ライナにか。
それとも、もう戻らない誰かにか。
その答えは、誰にも分からなかった。
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