第一章 潮風そよぐ筍ご飯とあさりの吸い物 7
切り出すのを躊躇い、口ごもってしまった。相手はますます怪訝な顔をした。
「その、俺、またここの料理を食べたくて……どうしてかわからないけど、この前の筍ご飯と吸い物をあれから何度も思い出すんだ。あさりはもう遠慮したいけど。だから、って言っていいのかわからないけど、約束より多めに払わせてもらったんだ」
店主は何度か瞬きすると突然笑い出した。店の外まで響きそうな大声だった。
ひとしきり笑って目の端を拭っているのをこわごわ見る。なんて言われるのか聞くのが怖い。
「それならそうと最初から言えばよかったじゃないか。そういうことなら今日も食べていくといいさ。金額は気にするな、さっき余計にもらった分に見合った料理を出そう」
「ごめん。できればあんまり生々しくないのがいい」
「こういうときは『ありがとう』だろ」
まあ座れ、と促されて再びカウンター席に腰を下ろす。あまり叱られなくて安心した。期待に胸が膨らむのを認めざるを得ない。
さっきの魚は作る工程を見てしまったからあまり食指が伸びないが、また海の味がするのかもしれないと思うと興味はそそられる。
オーグ料理についてはよく知らないままだが、海の素材にはなんとなく親しみを感じている。
自分の中にある思い出に重なるせいだろうか、それとも初めて食べたオーグらしい味わいが印象深すぎたせいだろうか。仕込みの音と漂う香りの中で静かに思考を巡らせる。
「とりあえず、まずはさっき見せたつみれ汁だ。よく噛んで食べてみてくれ」
「えっと、いただきます……だったっけ」
メニューの予想は的中し、嬉しさとがっかりが半分ずつ心を占めた。
まずは匂いを確かめてみる。これまた想像していた通りに潮風が吹き、同時に刺激的な香りが駆け抜けた。
レプリシャスのフレーバーに似たものがあった気がするが思い出せない。だがほっとするものであることに間違いない。
透明なつゆを啜ると、温かさとともにすっきりした味わいが口の中に広がっていく。あさりのときに感じたような臭みはない。
鼻で嗅ぐよりもスパイシーさを強く感じたが、舌が痛くなるほどではなかった。前の吸い物から感じたものとはまた違う海の色が、脳裏にも身体の内にもゆらゆらと波を広げていく。
板の上の姿を思い出さないようにして、魚のボールにも箸を向ける。
ひと口齧ってみて驚いた。嫌な臭いが感じられないどころか、何種類にも重なった味が染み入ってきて唾液が溢れてきた。
先入観を覆されて動揺する。数回噛んでみても抵抗感は生まれず、むしろ噛むことで増した味の濃さを追い求めたくなる。
「これ、全然臭くなくておいしい。これがあのべちゃべちゃになってた魚? いろんな味がするのは草が入ってるから?」
「そうだな。混ぜてある香草はネギと大葉と、それから生姜というものだ。このあいだの三つ葉よりも癖の強いものばかりだが、生臭さを消す効果があるから魚と相性がいいんだよ。生でも食える。いってみるか?」
鼎は緑が鮮やかな葉を取り出してひらひらさせた。生はいい、と丁重に断る。
「どろどろに潰された魚なんて酷い味がするんだと思ってた。だけど食わず嫌いしないでよかった。俺ってチャレンジ精神だけはあるから、オーグもけっこういけるのかも」
そこまで言って、差し向かいの店主を見上げる。
この人になら、話しても大丈夫かもしれない――そんな予感を抱いた理由はわからなかった。だが、冷静な思考が昂る心を制止する前に口が動いた。
「こんなこと、店の人に言うものじゃないんだろうけど……俺の話、ちょっと聞いてもらえないかな?」
「仕事の片手間でもよければこっちは構わんよ。今はほかの客もいないからな」
刃物を拭きながら店主が頷いた。ありがとう、と素直に礼を述べる。
「俺、今年でハイカレッジを卒業するんだけどさ。周りはみんな就職やオーバーカレッジへの進学が決まってるのに、まだ進路が決まらないのは俺くらいなんだ。このままだとどこにも行けないからけっこう焦ってる」
「ふむ。適性カリキュラムのテストは受けてないのか? センスがわかれば進路はある程度決まりそうなもんだが」
「…エラーなんだ」
鼎がぴくりと眉を動かしたのを見逃さなかった。