第一章 潮風そよぐ筍ご飯とあさりの吸い物 5
「ほら、今日のメニュー表だ。食うだけ食ってそのまま帰るなんて真似はするなよ。当然、払えるだけの金は持ってるんだろうな?」
訊き返す間もなく、渚がひらりと一枚の紙を寄越してきた。
『マダイ』『ケイラン』『ブタニク』などと書かれているのはおそらく素材の名前だろう。それぞれ隣には値段とおぼしき数字が書かれている。
そういえば、すっかり忘れていたが――店で出された料理を食べたのだからその代金を支払わなければいけない。
嫌な予感がした。オーグ料理の正確な相場なんて知らない。震えそうになる指先で自分が食べた素材が記された文字を探し、値段をおそるおそる確認する。
『アサリ 吸い物 2600カイエン』
『タケノコ 炊き込みご飯 4200カイエン』
目を疑った。表記ミスではないかと思いたくなるほど高額だった。何度目をこすって見ても数字は変わらず、額に冷たい汗が滲む。
「こ、こんなの聞いてない! ふつうの学生がこんな金持ち歩いてるわけないだろ……レプリシャスカフェなら同じ値段で十回は行けるだろ。やっぱり悪徳商売だったじゃないか! 騙された!」
冗談じゃない。うかつに食事をしてしまった自分を呪った。
すぐに使えるクラウドマネーにもそこまでの持ち合わせはない。貯金を下ろそうにも口座は親の管理下に置かれていて、自宅登録してあるアクセスポイント経由でないと使えない。
このままだと無銭飲食だ。逃げられるものなら全力で逃げ出したい。
かといって払わないわけにもいかない。本当に面倒なことになった。
「安心しな、今日のところはサービスだ。このまま帰ってくれていい、ひとりの若い学生さんがナチュラリを知ってくれたんだからそれでいいさ」
首を縦には振れなかった。無償サービスを受けていい金額ではないことくらいさすがにわかる。
「こんなに高いものをタダってわけにはいかないだろ」
「いいんだよ。元々食べるつもりはなかったんだろ? 押しつけたようなもんだからな」
「だめだってば。今日は持ってないけど、絶対ちゃんと払う」
払う、払わないでしばらく押し問答が続いた。
一歩も引かない気迫を見せているうちに、店主は根負けしたとばかりに首を振った。
「わかったわかった。そこまで言うならこうしよう。半分の3400カイエンだけ頂く、それでいいか?」
店主は妥協案を持ちかけてきた。
「決まりだな。支払いは余裕のあるときに少しずつで構わない。水曜、土曜、日曜の夕方から店を開けてるから、またいつでも来られるときに来な」
納得はいかなかったが、少しほっとした。3400カイエンなら次の週にでも払える。
「用意できたらすぐに持ってくる」
そう伝えて出口に向かい、ふとあることが気になって振り返った。
「あの……ひとつ訊きたいんだけど」
まだなにかあるのかと言いたげな店主の目をまっすぐ見据える。
「食べ始めるときは『いただきます』って言ったけど、食べ終わったときにも挨拶があるのか?」
凪いだ海を思わせる静寂が辺りを包む。しばらくののち、店主が厳かに呟いた。
「食事が済んだら『ごちそうさま』だ」
「……ごちそうさまでした」
今度こそ振り返らず、両腕に力を込めて扉を開き外へ出た。
涼しい風が少し熱い頬をさらりと撫でる。
「あいつセンスあるな」
扉の閉まり際、誰かの呟いた声が背中越しに聞こえた。