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第一章 潮風そよぐ筍ご飯とあさりの吸い物 3

 それでも、言われたやり方に従って「いただきます」と無感情に呟いておいた。箸を持ち直し、改めて筍ご飯の米を数粒つまみ上げる。

 このくらいの量なら気分も悪くはならないだろう。正体がよくわからない筍はそっと除けた。まずは食べやすそうな方だけを食べる。

 舌の上に米粒をこわごわ乗せてみた。温かくみずみずしい感覚は不快ではない。歯の裏に押しつけてほぐすと、しっとりした粒はいとも簡単に潰れた。

 瞬間、思いもかけない味わいを感じて目を瞠る。


「甘い」


 店主は黙って聞いていた。戸惑いながら口を動かし、再び器に箸を向ける。

 たった数粒の米が不気味な先入観を不思議な印象に塗り替えた。味と食感をもっとよく確かめたい。確信が欲しくて、初めとは比べものにならない量のご飯を口に詰めていく。

 米を舌で転がし歯ですり潰すたび、増した甘みと自然の香りが頬の裏に沁みる。夢中になって、もっちりとした粒が砕けきるまで何度も咀嚼し、顎を上げてごくんと喉を鳴らす。

 まだ足りない。今度は躊躇わずに筍も一緒に頬張った。

 軟らかな粒と同時に噛んだ筍がコリコリと軽快な音を立てる。ずっと噛んでいたい、クセになりそうな歯ざわりだった。

 これまでに食べたことのない食感を一度認識するとそこばかりに意識が向く。除けていたはずの筍を、今度はそればかり拾って食べた。

 レプリシャスを食べるときには、こんなに感覚を研ぎ澄ませない。味こそ多彩で飽きないものの、レプリシャスはなにを食べても大体同じ食感の食糧だ。

 それがこのご飯といい筍といい、一体この食べ物はなんなんだ?


「いいツラしてるな。うまかったか?」


 頬が先ほどまでの緊張とは別の熱を帯びているのがわかる。それを見た店主がにやりと笑った。

 空になった器と作り手の顔を交互に見る。


「うまかった……米って甘いんだ。それに、なんだか土みたいな匂いと海みたいな匂いがした。米って海のものだったっけ?」


 鼎の眉がぴくりと上がるのが目に入る。得体の知れない感情の昂りを抑えられない。


「なんか、俺、オーグのことを誤解してたかもしれない。もっと下品というか、汚い料理が出てくると思ってて。でも、この筍ご飯はそうじゃない。いい匂いがしてて、いくらでも食べられそうだ。どういうことなんだ?」


「そうかそうか。気に入ってくれたならいい。もう一品あるんだが、そっちも食べるか?」


「……食べてみたい」


 店主は厨房の奥へ下がっていった。

 今度はなにが出てくるんだろう。偏見を持っていたはずのオーグに対する警戒心はかなり薄れている。


「なあ環、ちょっと来いよ。これも食ってみるか?」


「あんたには俺の名前を呼んでいいとは言ってない」


 人差し指をクイクイと曲げる渚に呼ばれて顔をしかめた。酒を飲んでいる渚はかなり上機嫌だ。

 馴れ馴れしいのも気に食わない、と胸の内で毒づきながらも言われるがままにテーブルに歩み寄り、卓上の料理を見てぎょっとした。

 頭も尻尾も付いたまま焼かれた赤い魚が皿の上に横たわっている。胴体の身は半分以上がなくなり、白い骨が剥き出しになっていた。

 生き物の命だ、と語った鼎の言葉が耳の奥で反響する。真っ白に濁った魚の大きな目に射抜かれた気がして頭がくらくらした。


「べ、別にいい。あんたの食べかけなんていらない」


 なんとか取り繕って言葉を絞り出すと、辺りは笑いに包まれた。


「強がっちゃって。まあ、お子様に姿焼きはハードル高かったよな。悪い悪い」


「魚は焼くのもいいけど、生の刺身もうまいぞ。まさにナチュラリの醍醐味だ」


「君もそのうち食べてごらん。オーグなんて言って嫌ってると人生損するよ」


 渚と一緒にいる面々が口々に魚の良さをアピールし始めた。耳を塞ぎながら席へ逃げ戻る。

 みんなオーグ愛好家なのだろうが、今日初めてオーグを食べる俺をからかうなんて悪趣味な奴らだ。この連中とは仲良くできない。

 憤りながら椅子に掛けると、ちょうど店主が新しい食器をカウンターに置こうとしているところだった。

 中には湯がなみなみ注がれていて、蝶に似た形の薄い石がいくつか入っていた。鮮やかな緑色の草が一本浮かべられている。竹が食べられたのだからこの草も食べられるんだろうか。

 湯気の向こう側にどんな味があるのか知りたい。両手で器を持ち、器のふちに口をつけてそろそろと啜った。

 真っ先に飛び込んできたのは潮の香りだった。この店に来るときに感じた風と同じ、いや、それよりもっと鮮明だ。

 ずっと幼い頃、両親に連れられて行った海の風景がふと蘇る。

 水際で遊んでいるときに足を取られて転び、打ち寄せる波を頭からかぶった。そのとき口の中いっぱいに海水が入って大泣きしたことまで思い出した。

 あの海の味にそっくりで、胸のうちに痛みが走る。父と母と遊びに出かけた数少ない思い出を呼び起こされるとは思ってもいなかった。

 二口ほど飲んだところで食器を置く。


「どうした。口に合わなかったか?」


 鼎が怪訝な顔をした。首を横に振る。


「そうじゃない。でも、なんだろ……胸がつかえて」


 俯いて落とした視線の先には、水面に映る自分の顔があった。


「ちょっと食べたぐらいで、なんで昔のことを思い出したんだ? 心がつらくなるから、楽しかったことは忘れるようにしてたのに」


「……どんな味がした?」


「海。ここに小さな海がある。両親がまだ僕に優しかった頃の、なにも知らずに過ごしていられた頃の海の味がする」


 声の震えをごまかすように息を吸い込む。また海の香りが鼻に抜けた。


「レプリシャスならただ食べて、腹がいっぱいになれば終わりだった。なのにここの料理は味だけじゃなくいろんなことを感じるから、正直刺激が強すぎる……なあ、これ一体なんなんだよ? オーグ料理って、なにかおかしなものでも入ってるのか?」


 ぶつけずにはいられなかった。たかが食事で情緒を揺さぶられたことが理不尽だった。


「違うさ。逆なんだよ、レプリシャスに『入っていない』んだ」


「どういう意味だ? 栄養なら完璧なバランスで……」


「そうじゃないんだ。レプリシャスには命が入ってない……というと語弊があるな。レプリシャスの一部は動植物の命でできている、さっきもそう話したよな」


 だが、と鼎は前置きして続けた。


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