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第一章 潮風そよぐ筍ご飯とあさりの吸い物 2

「あんた、名前は?」


(たまき)だ。清水(しみず)環」


「環というのか。ナチュラリのことは知らないんだな?」


「……知らない。食べたことなんかない」


「そうか。なら、そこに座りな。せっかく来たんならちょっと食べてみるといい」


 店主は片側の口角を上げた。嫌な予感がして顔から血の気が引く。


「でもオーグって、動物の肉をそのまま料理するんだよな? そんなの嫌なんだけど……」


 断固拒否したい。どんなものを食べさせられるかわかったものではない。

 俺がオーグ料理を知らないのをいいことに、血が染みついた肉なんかをそのまま出されたら――そんなグロテスクな想像をしてしまい、軽い吐き気を覚える。


「安心しな。今日仕込んであるのはビギナーでも食べやすい料理だ。血の味がするようなものは出さないよ」


 俺の思考を見透かしたのか、店主は宥める口調になった。


「だけど、生の素材なんて……変な病気にならないのか?」


「ごちゃごちゃうるせえな、いいから座って食え。あんな啖呵切っておいて、知らないから食えませんなんて通用しねえぞ。それともお前、逃げるつもりか?」


 喧嘩腰の渚に割って入られた。

 威圧的な態度は正直怖いが、尻尾を巻いて退散するのも癪だ。この渚という男に背中を見せたくない。


「うるさいのはあんたの方だろ。食べたことがないからって舐めるな。そこまで言うなら食べてやる、なにが出てくるんだよ?」


 売り言葉に買い言葉だった。

 威勢よくカウンターの椅子を引いて腰を下ろし、背筋を伸ばす。どんなグロテスクな料理が出てきても怯まない程度には威厳を保っておきたい。

 食事を出されるまで暇だったので、カウンターの向こう側を盗み見た。厨房の奥には保冷庫が二台並べ置かれている。俺の家にあるものとそう変わらないようだ。

 隠れていて見えないが、俯いて手を動かしている店主はなにか作業しているようだった。

 しばらく待っていると、カウンター越しに深みのある丸い食器が差し出された。

 スープの器に似ているが、中に入っているのは液体じゃなかった。小指の爪より小さな白い粒がおびただしく集まって塊になっている。

 じっくり観察しようと顔を近づけた途端、湿った匂いが鼻先をくすぐった。

 驚いて思わず息を止める。だが臭くはなく、むしろ食欲をそそるものに感じられた。おそるおそる吸い込むと柔らかい湿り気が鼻の奥まで届き、食べたこともないのに不思議と懐かしさが広がった。

 さらに目を凝らしてみる。白い食材の中に、ところどころ混ざっている薄いキャラメル色のものはなんだろう。粒に比べると柔らかそうには見えず、血なまぐさい様子もない。

 原料がまるで思いつかない。顔を上げると店主と目が合った。


「見たことがない、って顔してるな。これは米だよ。レプリシャスで食べたことはないか?」


 思いもよらなかった言葉に唖然とする。


「ライスバーのことだろ。当然食べたことあるけど……俺が知ってるのはこんな形じゃない。なんかベタベタしてるしブツブツだし、こんなのが本当に米なのか?」


「レプリシャスはどんな原料も一旦すり潰してから形成してるから、元の形を知らなくても仕方ないだろうさ」


 料理した本人が正体不明の具材を指差す。


「一緒に炊いてあるのは筍だ。竹の子どもでタケノコ。君もさすがに知ってるよな?」


「竹くらい知ってる。見くびるな」


 息巻いてはみたものの、山に生えている植物ということしか知らなかった。


「悪い悪い。だが竹が食べられるってのは初耳なんじゃないか? 土から生え出した直後の、まだ軟らかい時期のものは食べられるんだ。この季節ならではの味ってやつさ。ちなみに、炊いた米はご飯って呼ばれてる。筍ご飯、うまいぞ、食べてみな」


「食事に季節もなにもないだろ……」


 筍ご飯なる料理に箸を差し入れようとしたときだった。


「おい。『いただきます』はないのか?」


 眉をひそめた渚に咎められた。わけがわからず、きょとんと渚を見つめ返す。


「お前、食事の挨拶も知らないのか? まさか教わってないなんてことはないよな」


「なんだよそれ。食事に挨拶なんているのか? ただの栄養補給なのに」


 呆気にとられた表情の渚と目が合った。

 背筋に冷たいものが走った。なにか失態を犯したんだろうか。


「無理もない。今どき『いただきます』なんて古代の呪文みたいなもんだからな。だが、この店ではその呪文を唱えてもらいたいんだ」


「どうして? それがオーグの伝統なのか」


 茶化してみせるつもりで言い放った。だが笑う者は誰ひとりいなかった。


「食事はただの栄養補給。その通りだ、なにも間違っちゃいないよ。だがその栄養がなにを元にしているか、環は考えたことがあるかい?」


 幼児に教え諭すような口ぶりだった。俺は黙って首を横に振った。

 あからさまな子ども扱いはいい気分ではないが、続きを話したそうにしている店主の言葉を待つ。

「それはな、生き物の命だ。人工栄養素が成分のほとんどを占めているレプリシャスは文字通り『模造』のもので、本物の素材はたった五パーセントだ。俺たちはそれを口に入れて生きている。今日の自分を生かすために、ほかの生き物の命を頂戴してるんだ。俺はそのことに敬意を払いたい。その形が『いただきます』なんだよ」


「……なんか大事なことだってのはわかった」


 口で言うほどには理解していなかった。説教臭いおっさんだな、と内心で舌打ちする。

 たった六文字の言葉になんの意味があるのか。空腹を満たし、健康を維持するための栄養を摂るだけの作業に敬意なんて重苦しさを抱えるなど、考えただけでうんざりする。



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