九十二話
(さて、これはどうしたら壊せるかの)
ビートン達の出発を見送った香菜姫は、前勇者が出現させた檻を前にして、それがどの様な物で出来ているのか、神力を用いて探っていた。
このまま連行するのは、些か面倒だからだ。
中の二人は性懲りもなく、姫に対して憎々しげな視線を向けているが、それを言葉にしない程度の分別はあるらしい。
(触った感じからすると、なんとのう、九字を用いた結界と似ておるの。ならば、九字解除の術が使えるやもしれん)
香菜姫は試しとばかりに、解除の呪文を唱える。
「オン キリキャラ ハラハラ フタラン パソツ ソワカ!」
すると檻が微かに光り、その後直ぐにバラバラと崩れていった。すると空かさず信長が皇帝の襟首を掴んで引き起こすと、
「こいつは、そちらで好きにしてくれ。ただし、これはうちが貰う」
皇帝を側にいたヘンリーに押し付ける様に渡すと、後ろに控える兵に命じ、魔術師に縄を掛けさせた。魔術師は手首から先が失くなった腕を反対の手で押さえていたが、かなりの量の血を流しており、足元も危うい状態だ。
「おい、直ぐに簡単な手当てをしてやれ。刑場に送るまでは、生きていて貰わんとな」
信長は魔術師を国へと連れ帰り、前勇者を苦しめ利用していた罪と、王女誘拐を企んだ張本人として、罰するらしい。死罪以外は考えられないが、それでも刑が決まるまでは、死なせる気は無いのだろう。
連れて行かれた先で、出血を止める為に、傷口を焼いたのだろう。叫び声と一緒に、肉の焦げるような匂いがしてきた。
「ところで香菜姫は、奴をどうしたい?」
ヘンリーが素早く縛り上げた上に、猿轡まで噛まされている皇帝を見ながら、信長が問うてきたので、
「そうじゃの。簡単に殺してはつまらぬから、死にたくなる程、悔しい思いを延々とさせてやりたいかの」
「なんじゃ。随分と手緩いのう」
「そうであろうか?動けぬよう手足を切り落とした状態で、此奴が執着していた皇帝の座に、他のものが就いて、民が大喜びする様を見せつけたり、此奴の治世を民達が徹底的に腐すのを、死ぬまで聞かせる等を望んでおったのじゃが、そうか、やはりその程度では手緩いか……」
ではもう少し、なんぞ加えるかと思案する姫を、蘭丸が止める。香菜姫の言葉を聞いているうちに、それがどれ程精神に苦痛を与えるものか、判ったからだ。斬首や絞り首の方が、余程優しく思える。
実際、それを聞かされた皇帝の顔色は蒼白となり、ズボンにはみっともないシミが広がっていた。
「香菜姫様、おそらくそれで十分だと思われます。そうですよね、信長様!」
後半の言葉に力が入った蘭丸の物言いに、信長も同意を示す。
「おぉ、そうじゃな。いや、悪かった。それで十分だと思うぞ」
(そんな目におうたら、わしでさえ三日で殺してくれと言うやもしれん……)
ともかく捕虜としたうち、皇帝と魔術師の処遇が決まった為、今頃帝都に向けて敗戦を知らせる早馬の準備をしているであろうビートンに、その旨を伝える式を、姫は飛ばした。
**
「これは、如何様にすべきかの?」
ここ三日程の間、マジックボックス持ちを同行していないビートン達への為に、隠密に物資を運んだり、あちこちに式を飛ばすなどして忙しくしていた香菜姫だが、今はフェンリルの森の近くに来ていた。
あと一日程で、凱旋中の信長隊がこの場所を通るのだ。大鉄板を無断借用した香菜姫は、鉄板を外した場所が安全に通れるか、確認しておくと言った手前、何らかの対処をしなければならない。
いっそ地面を全部、掘り返してしまおうかとも思ったが、
「仕方ない。面倒じゃが、移動させるとするか」
隊列の中には、帝国軍から取り上げた装具や武器を積んだ荷車もあるので、出来るだけ通りやすいほうが良いと判断を下した。
両端の鉄板をそれぞれ二十七枚ずつ、不思議収納箱に入れると、それを大鉄板のあった場所へと敷いていく。
バンっ!ボン!
二回ほど爆発が起き、鉄板が跳ねる。
(確認しておいて正解じゃな。知らずに踏めば、手足が飛んでおったやもしれん。さすがは信長殿じゃな……)
「では、戻ろうか。いい加減、本陣に顔を出さねば、バーリーやウィリアムに叱られそうじゃ」
「隊長は心配性でありもすゆえ」
「そうじゃな」
しかし姫を待っていたのは、叱りの言葉などではなかった。
「この度の戦においては、聖女様には多大なる尽力を賜りまして、我等一同、いくら感謝しても、しきれません」
本陣に戻った途端に、ウィリアムとバーリーを先頭に、多くの兵達に頭を下げられた香菜姫は、その光景に少しばかり面食らっていた。
そもそも、本来ならば裏方に徹する筈だったものを、翁の死を受けて、その怒りから急遽决めた参戦なのだ。その為、あまり褒められたものではないという自覚があったので、この様に表立って大勢に感謝をされると、なんだか面映くて仕方がない。
そんな姫を見て、困っているのが判ったのだろう。バーリーがお疲れでしょうと、専用天幕へと誘ってくれた。
(助かった。おかげで、間抜けな顔を晒さずに済んだわ)
「姫様、口が開いておりもした」
「そうそう、ポカーンってなっておりもした」
天幕に入って安堵した途端に、崋王と周王がからかう様に言ってきた。香菜姫はむっとしながら周王と崋王の耳を摘むと、そのまま軽く引っ張り、聞き返す。
「妾がなんじゃと?」
「いや、ですから……」
「姫様、痛いでありもす!」
そうやって騒いでいると、バーリーとウィリアムが、天幕に入ってきた。手にはそれぞれ、軽食と飲み物を持っている。二人はそれらを机に置くと、改めて香菜姫に深く礼を取った。
「聖女様の御尽力がなければ、これ程までに早い勝利はありませんでした。本当に感謝しております」
「全ての民に成り代わり、ここにお礼申し上げます」
下げられた二つの頭を見ているうちに、香菜姫の胸に、漸く果たすべき使命が終わったのだという思いが、湧いてきたのだった。
「「姫様、耳……」」
「すまぬ。忘れておったわ」
***
惨めに連行される敗残兵を引き連れて、帝都に現れたビートン達を迎えたのは、怯えた目で見つめてくる、無言の帝国民達だった。
早馬により、帝国敗戦の知らせだけでなく、皇帝クーンラート三世と魔術師クープマンが捕らえられた事や、多くの将校達が捕虜として連れて行かれた事も、周知済みなのだろう。
行く手を遮られる事なく進んで行き、一行が半壊した皇居がよく見える場所まで来ると、漸く二十人程の出迎えの者達が、姿を現した。
先頭に立つまだ若い男が、臨時の皇帝だと名乗り頭を下げると、後ろの者達も同じ様に頭を下げる。
「ここではなんですから、落ち着いて話の出来る場所まで、ご案内致します」
そう言って案内されたのは、皇居に近い場所に建つ、広大な屋敷だった。
敗戦の知らせを受けた帝国貴族達は、一部の逃げ出した者達を除いて直ぐに集まると、形骸化していた議会を開き、その場で皇帝の従弟である若い公爵を一時的に皇帝の座に据える事で、今後の対処にあたれる様にしていたのだ。
帝国側は、巨額の賠償金を求められ、更に広大な領地まで請求されたが、この二年もの間、密かに行われていた両国に対する悪行を知らされた事もあり、臨時の皇帝と議会員は、言われるままに領地を譲り渡し、賠償金を支払うことを了承した。
そして今後一切、両国に侵略行為を行わない事を誓約する書面を書くことで、漸く一部を除いた捕虜の返還を、取り付ける事が出来たのだった。
**
連合軍の勝利を告げる知らせは、直ぐに多くの武勇伝を伴って、両国中に広まって行った。
聖獣フェンリルと魔術師達が、協力して掘った抜け穴や、帝国に潜入して、帝都に大打撃を与えた若き侯爵の活躍。
敵の策に嵌まったと見せ掛けて、相手の度肝を抜いた勇者の大鉄板の話しに、まんまと敵の武器を偽物とすり替えた上に、それを用いて相手に攻撃を仕掛けたエジャートン領主の奇策など、とにかく話題に事欠かないのだ。
おまけに、実際にその策に関わった者達が、自慢を交えて声高に語るものだから、いつの間にか話は大きく盛られ、脚色されて広まっていった。
その中でもエジヤートン領の肉屋の女将などは、『神の手を持つ女』とまで言われ、そのドヤ顔に、いっそう磨きがかかったという。
勿論、ガニラ自治区の年寄り達の活躍による水門破壊も、尊敬の思いと共に語られた。
そして終戦から一月後の粉雪が舞う中、今回の戦における戦死者の合同葬儀が行われた。死者の総数は千五百六十八名で、その大半は既に埋葬されているが、遺族はもれなく参列していた。
この後、国から特別弔慰金が支払われる事になっているからだ。働き盛りの夫や、まだ若い息子を失った者達にしてみれば、その金が今後の生活の命綱となる。
また神官の手にも余る程の大怪我を負った者達にも見舞金が出るため、当人や、その家族も参列している。
その葬儀の場に、香菜姫は稚児姿の周王と崋王を従えた聖女として参列していた。神殿前に設けられた祭壇で、死者を弔う誄詞を唱える為だ。
祭壇へと向かい、深く二回礼をとると、開手を二つ打つ。すると周王と崋王が、それぞれ手にした五色布付きの鉾先鈴を、一つ大きく打ち鳴らした。
シャラーン!
「もろともに眺め眺めて秋の月 ひとつにならんことぞ悲しき
寄りて語らいし 月の夕べも 別れ一人眺むるは 余に悲し
然して 国と民守るべく戦いて 悲しくも散りし 勇ましき御霊を 我等忘れまじ
今日を御葬儀の日と斎き定めて 悲しみの中にも心治め いみ清め 祓い清め 残されし者は 永き別れを告げ奉らん
その御霊は 慈悲深き女神の御胸に抱かれて 安く鎮まり給へと 畏み 敬いて白す」
シャリーン!
再び鈴が鳴らされ、稚児達も姫と共に深く礼をとる。その言葉と姿は、参列していた多くの者達の心に深く響いていた。古めかしい物言いさえも、荘厳さを醸し出す要因となり、その場にいた者達は皆、自ずと頭を下げていた。
葬儀の後、暫くして香菜姫はオルドリッチの執務室を訪ねていた。その場には、シャイラも同席している。
腰掛けに座り、勧められた茶を一口飲むと、姫は要件を切り出した。
「最初に申しておったように、妾は此度の事の報奨を貰いたいと思っての」
「勿論ですとも。望まれるままに、お渡しするよう、陛下からも言われております」
「ならば、話は早いの。ではこの土地と、それから金子を、そうじゃの。オルドリッチ、其方の給金の三十年分を貰うとするか」
地図を机に広げ、二人に見せる。それはキャラダイン領に近い場所からフェンリルの森にかけて、丸く印が付けられていた。
それを見たシャイラが寂しげに微笑みながら、香菜姫を見る。
「それだけで、よろしいのですか?」
「構わん。あと、屋敷を建てたいので、大工等の手配も頼みたい」
「では、その屋敷もこちら持ちで建てましょう。勿論、家具や内装も全てです」
オルドリッチが頷きながら、何やら紙に書き出していく。
「そんな事を申して、大丈夫か?妾は注文が多いぞ」
「気が済むまで、されれば良いかと」
「それと、屋敷が出来るまでは、ここで厄介になるつもりじゃ」
「お好きなだけ、ご滞在下さい。それと今使われている部屋は、この先ずっと聖女様のお部屋でございます。ですから屋敷が建った後も、いつでもこちらに来て頂きたいと思っております」
シャイラの言葉と姫に向ける眼差しが余りにも優しいものだった為に、香菜姫の瞼が熱くなる。しかし、それを見られたくないのでそっぽを向くと、
「あい判った。気が向いたら訪ねるとしよう」
そう言い残して、部屋を後にした。
作中の和歌『もろともに眺め眺めて秋の月 ひとつにならんことぞ悲しき』(一緒に秋ごとに月を眺め、悟りに達しょうと願ってきたが、上人が死に、一人で仰がねばならぬようになるのは、悲しいことだ)は、西行法師が詠まれたもので、『山家集』に収められています。
高野山において長年親しい友人であった西住上人の事をおもい、詠んだ歌です。




