九十一話
香菜姫の怒気を含んだ声に空気はビリビリと震え、怒りと共に膨れ上がった神力が、圧として帝国軍にのしかかった。
まさか聖女に反撃されるとは、思っていなかったのだろう。帝国兵達は驚きを隠せないまま、押し潰さんとばかりに加えられる圧の下で、次々に膝や両手を地面に着ける事になった。中には耐えきれずに、突っ伏してしまう者もいる。
香菜姫とて、民が領主や王を選べない事は重々承知している。それに徳川の治世となって以降、大きな戦は数える程しかなく、それさえも姫が生まれるずっと前の話だ。
そのため実際の戦が、物語として聞いていた戦とは全く違うものだと云うことを、今回の戦を通して認識していた。
戦場では、人は容赦無く殺し合うのだ。綺麗事や理想論など、何の役にも立たない。目の前の敵を見逃す事によって、その後に多くの民に害が及ぶ可能性があるならば、一人たりとも見逃してはならないのだと。
だからこそ、まだ剣を抜いてないから、人を殺めていないから、皇帝に騙されたから自分たちは悪くない。味方と同じ様に扱えという敵兵の要求は、不快でしかなかった。
(こういう輩は己達が勝った場合、今度は好き放題に振る舞うのであろうな……)
姫は数日前、斥候の真似事をした時の事を思い出し、再度圧を高めた。
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「阿保どもが。一番怒らせてはならん相手を、怒らせたか……」
土壁が取り払らわれた檻の中で、『なぜ俺を治さないのか、直ぐに聖女をここに呼べ』と喚き立てる皇帝に、鳩尾への蹴りを入れて静かにさせた信長は、震える空気を肌に受けながら、独り言ちた。
ありがたいことに、香菜姫の圧は帝国軍に対して展開しているので、連合軍にそれほど影響はない。その為、信長達は他人事として眺める事が出来ていた。
同情する気は、サラサラない。斥候ごっこをした香菜姫は皇帝達だけでなく、一般の兵達の声も集めていたからだ。
『ここで勝ったら、レストウィックやロウェイに進軍するんだろ』
『らしいな。男は殺して、女は奴隷にするらしい』
『なら、その前にぜひとも、楽しんでおかないと!奴隷といっても、一発やろうと思ったら、ただというわけにはいかないからな』
『違いない!ただでやれるうちに、しっかり楽しもうぜ。どうせ偉いさん達も、同じように楽しむだろうしな』
『ついでに、もらえる物も、もらっておこうぜ。どうせ死人に金は必要無いからな』
笑い声と共に入っていたのは、強姦や略奪の相談だった。
(あの様な者が全てだとは思わんが、多くの兵が同じ様に思っていたのは、事実だろうて)
そんな者達が、まだ誰も殺していないだの、騙されたのだと言っても、怒りを買うだけだろうにと苦笑する。
(だが今の状況は、武器を手放させるには、丁度良さげだな。ならばここは一つ、便乗させてもらうとするか)
信長は声に覇気を込めると、帝国軍に向けて声を張り上げた。
「今すぐに、武装の解除を命じる!さすれば聖女様のお怒りも、少しは鎭まるやもれんぞ!」
言い終わると同時に、香菜姫に手を振りながら、ニカリと笑う。姫は少しばかり嫌そうな顔をしたが、少し圧を緩めたのだろう。
直ぐに帝国軍からガチャガチャと音がしだしたかと思うと、多くの者が動くのも辛い中で装具を外し出し、あっという間に武器を手放させる事が出来た。
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「信長殿は、どれだけ妾をこき使うつもりじゃ?」
言いながら、香菜姫は式に名を書いていく。先ほど帝国軍への腹立ちを、信長に上手く使われたので少しばかりむくれているものの、手を止める程ではない。
既にウィリアムのいる本陣と両王国の王城、そして蘭丸とガニラ自治区の氏族総長の屋敷宛に、勝利を知らせる式は飛ばし終わっている。
今は将校達を捕虜として捉えるために、その特定の最中だ。
将軍の協力のもと、既に死んだ者を除いて名と階級を読み上げたのだが、一般の兵の中に紛れて出てこない者が、あまりにも多かったのだ。
その為香菜姫の術で、当人を特定する事になった。
名を書き入れた式が十枚貯まるごとに、それをバサバサと扇の様に広げる。
「急急如律令 名喚実捕!」
呪文を唱え、息を吹きかけ飛ばすと、その名の当人の上で式が旋回するので、隠れていても直ぐに見つけることが出来る。
それをビートン達が、拘束するのだ。
(どのみち拘束されるのじゃから、さっさと出てくれば良いものを、手間をかけさせよって……)
姫の横では稚児姿の周王と華王が、せっせと墨を磨っている。二人の顔に、小さなほくろが幾つも出来ているのを見て、への字だった姫の口元が少しほころんだ。
その間信長は、帝国の衛生班が兵達を治療するのを許可していた。文句を言う者は流石におらず、皆、静かに治療を受けている。
そして治療の必要のない者は、連合軍によって、持ち物の確認をされていた。水筒や防寒着、行軍毛布等の必要最低限の物以外は、全て没収されていく。
それが済んだ者から、帝都へと向う列に加わるのだ。
その列の直ぐ横では、土魔法で掘った穴に、戦死した者達の遺体が次々と放り込まれていた。かつての同僚が穴に落とされるのを横目に列へと並ぶ兵の多くは、これからの事を考えると、いったいどちらが良かったのかと、自問していた。
漸く全ての将校を捉えると、信長はそれらを連れて、ウィリアムの待つ本陣へと戻る準備に入った。一応怪我をしている者に対しては、出発前に簡単な手当は施すが、衛生班に配属されていた神官の手を煩わせる事はなく、こちらも通常の治療のみを行う。そして、前より気になっていた事を、姫に尋ねた。
「ところで香菜姫よ。大鉄板を持っていったのは良いが、帰り道に支障はないのか?」
信長に聞かれ、姫は首を傾げた。あまり確信が持てなかったのだ。
「おそらく大丈夫じゃとは思うが、後で確認しておこう」
そう答えた後、
「ほんに妾は働き者であることよ……」
小さな声で呟いた。
平民出身の一部の将校と、歩兵を中心としたその他大勢は、徒歩で帝都に戻る事になっているため、早々に出発した。見張り役として、ビートン率いる騎士隊と信長隊の騎士隊の一部が同行する。
歩き続けて三日目。ようやく見えた帝国軍の本陣は、焼けて灰と骨組みの残骸のみと成り果てていた。それを目の当たりとした兵の多くは、その場に座り込んだ。
防寒着を着て、毛布を被っても、寒くて碌に眠れない日が続いていた為、今日ぐらいは、天幕の中で休めると思っていたからだ。
残骸の前に置かれている水樽と食料、そして薪だけが、彼らの慰めとなった。
***
一方ペルギニ王国では、ロウェイ王国へ向かった船が全隻炎上した上に、騎馬兵団五千名全員が溺れ死んだと報告がもたらされた事で、先の水門破壊の事もあり、国王に対する抗議の声が至る所で上がっていた。
そもそも今回のゲートヘルム帝国とレストウィック、ロウェイ両国との戦に、ペルギニ王国は参戦を表明していない。なのにペルギニの騎馬兵団が、ロウェイ王国の港へと向かったのは、なぜか。そして沖に停泊していた船が、同時に火災を起こした原因は何なのか。
多くの憶測が飛び交う中で、最も有力視された説が、『条約を無視して参戦しようとしたものの、慣れない武器を使おうとして、失敗した』というものだった。
開戦や参戦するには、事前にその事を表明するというのが、条約として決められており、それをせずに相手の領土に入ることは、禁じられている。
上陸する前だったとはいえ、条約を破って参戦するつもりだったのは明白だ。
それに今回の戦で、帝国が『爆炎玉』という新しい武器を使用するという話は、一部の貴族や商人の間では知られていた。
その二つを結びつけた推測は、直ぐに『国王が条約を無視して、独断で参戦を推し進めた結果、起きた悲劇』として、多くのペルギニ国民の間に広まっていった。
そこに、これまでのガニラ自治区への対応も、問題があったのではという声も出てきた。彼らに無理を強いるような事をしなければ、今回の水門破壊などという事も、起こらなかった筈だというのだ。
その結果として、王は退位を迫られたばかりか、国に大損害を与えた張本人として、王妃や王子共々、投獄される事になった。
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