九十話
空に浮かんだ前勇者の姿が、光の中消えゆく様を皆が見ている間、クーンラート三世は閉じ込められた鳥籠状の檻の中から出る方法を探っていた。
(くそっ、くそ、くそ!なんで、こんな事に)
だが、どんなに目を凝らし、格子を揺すっても、継ぎ目さえ見つける事が出来ない。
(くそがぁー!)
怒りと焦りの中、クーンラート三世は剣を抜き、格子に向かって力いっぱい、斬り付けた。
カーン!
甲高い音が響いて剣が弾き返されるが、格子には傷一つ付いておらず、おまけに反動を受けた両手は酷く痺れ、剣が滑り落ちていく。
しかも立てた音によって、周りの注意を一気に引く事となった。現状の元凶である聖女も、こちらを見ているのが判る。
(しまった!)
「クラーセン!」
助けを求めて将軍の名を叫ぶが、将軍が駆けつけるよりも早く、檻は連合軍に取り囲まれていた。
その外側では弩隊が弩を構え、帝国兵が近づくのを牽制している。特にロウェイ王国の兵達の顔が巖しいのは、先程の前勇者の事があるからだろう。
その視線から少しでも遠退きたくて、檻の真ん中へと後ずさるが、クープマンに躓き、尻もちをつく。すると囲んでいた兵達が、
「殺してはならん。加減しろよ」
「判っている」
「大丈夫ですよ。この程度、子供のケンカにもならん」
「そうだとも。あぁ、手が滑った」
などと言いながら、次々と攻撃を仕掛けて来た。小さな火球や鉄珠がぶつけられ、小型のナイフが飛んで来ては、切り傷を作っていく。
「やめろ!やめんか!ぐうっ、やめ…ひぃっ」
頭を抱えてうずくまると、そこに聖女の声が聞こえた。
「さて。どうやら前の勇者殿は、色々と手間を省いてくれたようじゃな」
「おい聖女、こいつらを止めろ!」
香菜姫は檻の中でボロボロになりながら喚いている皇帝を見下ろしながら、首を傾げた。
「まだ、己の立場が判っておらんようじゃな。まぁ、そろそろ信長殿の元に連れて行こうと思っておるので、皆、悪いが一旦、終わりにしてくれるか」
姫の言葉を受けて、兵達の攻撃が止む。
「周王!」
「畏まり!」
周王の手元からシュルンと紐が伸びると、籠の先端に絡みつき、持ち上げた。
浮いたはずみに大きく揺れた為に、中のクーンラート三世が倒れて叫び声を上げるが、そんな事に姫が構う筈もない。
ニマニマと笑う周王によって、籠はゆうら、ゆらんと振られながら、ゆっくりと信長の前へと運ばれていった。
もちろんその間に、ゲートヘルム軍側に籠ごと皇帝を取り返そうとする動きが無かった訳ではない。しかしそれらは全て、ビートン達に阻まれた為、帝国兵達は籠の中で君主が悲鳴を上げながら転げ回るのを、ただ眺めるしかなかった。
どすんっ!
「グゥっ」
落とすように降ろされた籠の中で、クーンラート三世は格子を支えとして、なんとか起き上がろうとするものの、全身に痛みが走り、上手く立てないままでいると、
ガッ!
何者かに突如、頭を踏みつけられた。
そのあまりの無礼さに腹を立て、腰の剣へと手を伸ばすが、どれ程探っても剣は無い。そこでようやく先程落とした事を思い出して、歯軋りする。
しかも着ている物も、気づけば破れ、血の染みた下着だけとなっている。それは横で気を失っているクープマンも、同じだった。
上空では、先程小声で「脱」とつぶやいた華王が、舌を出して笑った。
**
香菜姫が運んでくる檻の中の二人の男を、信長は見極めようと観察していたが、直ぐにフンッと鼻で笑った。どちらも大した人物には、見えなかったからだ。
(転がっている奴は、ちと判らんが、こいつはただの小心者だな)
ならば敬意を払う必要はなしとばかりに、その頭を踏み付けると、覇気を纏わせた声を張り上げた。
「ゲートヘルム帝国の者共、ようく聞け!わしはロウェイ王国の勇者、信長だ。既にそちらの皇帝の身は、わしの手の中だ。直ちに全軍、降伏せよ!なお、逃げようとする者は、鉄板の餌食と成るを、覚悟せよ!」
言いながら、チロリと香菜姫の方を見ながら、口角を片方だけ上げてみせる。
途端に香菜姫の口が、への字へと変わる。逃げる者がいたら、落とせと言われたも同然だからだ。
しかし逃げる者は一人も出ず、それだけでなく信長の言葉によって、先程の鉄板は勇者が何らかの術を使った結果だと勝手に推測し、納得していた。
暫くして将軍の手によって、全面降伏を示す、半分に折られた帝国軍の旗が挙げられると、連合軍から勝利の雄叫びが上がった。
**
「さて、戦も済んだようじゃから、ちぃとばかり聖女らしい事でも、してみようかの」
「祝詞と雪でありもすか?」
「あれはバーリーとも、約束しておりもしたな」
白狐達も、頷く。もっとも当のバーリーは、本陣でウィリアムの補佐を請け負っている為、ここにはいない。
「やはり数も多いし、広範囲となるゆえ、それが良かろう。じゃが、あの者まで癒やすのは、不本意極まりない」
香菜姫は五十鈴を取り出しながら、籠の中に視線を向けたのち、アーサーに声を掛けた。
「兵達を癒やしたいのじゃ。悪いがアレを、土壁で覆ってはくれぬか?」
「勿論です!」
クラッチフィールドでの事を知るアーサーは、楽しげに檻を土で覆っていた。しかもわざわざ大きなひさしの付いた、のぞき窓まで設けてある。
アーサーの仕事に満足した香菜姫は、開手を一つ打つと、
「六根清浄!オン シュダ シュダ、オン シュダ シュダ、オン シュダ シュダ!」
真言を唱え、己自身を清める。
「周王、華王、判っておるとは思うが、雪はこちらだけじゃ」
「「承知!」」
姫達は空高く駆け上がり、そこで二度の礼の後、クラッチフィールドと同様、ひふみ祝詞を唱えた。
『ひふみー、よいむなやー、こともちろーらーねー』
リィーーン、リーーン……
五十鈴の音に神気を纏わせながら、怪我を負った者達の傷を癒やすべく、願いを込めて祝詞を唱える。
『しきるー、ゆゐつわぬー、そをたはくーめーかー』
ハラハラと降り注ぐ雪は、触れた箇所の傷を癒やすため、その効力を知る者達は、傷の深い者にできるだけ多く降るよう場所を空け、風を使う。
『うおえー、にーさりへて、のますあせゑーほーれーけー』
三度繰り返すと、概ね癒やすことが出来たようだった。歓声や感謝の言葉が聞こえてくる中で、祝詞は最後の言葉へと向う。
『布留部 ー、由良由良止 ー、布ー留ー部ー』
リリーーン…………
最後の鈴の音が止むと、歓声と感謝の言葉がひときわ大きくなった。当然、癒やしが間に合わなかった者や、それ以前に命を落とした者達も、決して少なくはない。
『なぜもっと早くに、術が使われなかったのか』という声が、上がる可能性もあった。
(もっとも、それに耳を貸す気は無いがの)
しかしその様な声が上がることはなく、それより違う所から、とんでもない言葉が飛んできた。
「なぜ、俺達の所に、雪が来ないんだ!俺達も治してくれ!」
「既に戦の決着はついている。聖女ならば、傷ついた全ての者を、分け隔てなく治してくれても良いだろう!」
などと言う声が、次々と上がったのだ。それは、敗けた帝国軍の中から聞こえてくる。
「何を寝ぼけた事を言うておる?そち達は負けた側だという自覚が、足りぬようじゃの。このまま全員、鉄板で潰してやってもよいのじゃぞ」
「あんた、聖女だろう!」
「聖女のくせに、怪我人を差別するのか!」
「こいつは今直ぐに治さないと、死んでしまう。それでも良いのか!」
「聖女が、怪我人を見棄てるのか!」
香菜姫の言葉に対して、責める様な声が上がっていく。しかし。
「敵味方を、区別しておるだけじゃ。それを差別と言われてもな」
つい先程まで敵だった者達が、味方と同じ待遇を求めて来ることが、姫には不思議でならなかった。
「それに妾がどうするかは、妾が決める事じゃ。其方達のめでたい頭の中では、絵空事のような世界が広がっておるようじゃの。まぁ、じゃからこそ、負けたのであろう」
姫がカラカラと笑う。しかし何としても傷を治したいのだろう。情に訴えるのが無理そうだと判ると、今度は方向を変えて来た。
「だが、俺はそちらの兵士の誰も、傷つけていない!だから、俺だけでも!」
「そうだ!俺もまだ一度も剣を抜いていない。だから」
「何を言うておる。武具を身に着け、戦場へと赴いた時点で、既に其方達は命をかけて戦うつもりであったのだろう?そこには、相手を殺すことも含まれておるはず。たまたまその機会が無かっただけの話であろうが」
その言葉に一瞬黙るも、聖女がこちらの言葉を聞いている事に期待したのだろう。更に方向を変える者が現れた。
「俺達は、皇帝に騙されてたんだ!この戦いは、レストウィックやロウェイが、領地欲しさに攻めて来たのだと言われて、ここに来たんだ!」
「そうだ!皇帝は俺達を騙して、参加させたんだ!」
同じ様に言う者達の数が徐々に増えていく。と、その時。
ドォーン!
地響を立て、新たな鉄板が、地面に突き刺さった。
「煩いわ!今更、被害者ぶるのも大概にせよ。あの者を皇帝として崇め、その愚かな行動を止めもせす従っておったのは、其方達であろうが。場合によっては、恩恵も受けていた者もおったであろう。妾からしてみれば、この場におる者全員が、同罪じゃ!」




