八十七話
それは想像以上の壊れっぷりだった。かつて城だったであろう建物は、半壊した上に炎に焼かれたのだろう。其処彼処から、未だに煙が立ち上っている。
そんな状況にも拘わらず、衛兵達はその周りを警護しており、限られた者しかその中に入るのは難しそうに見えた。
その周辺にも瓦礫が散乱しており、それらを片付ける者達が、衛兵の監督下で煤まみれになって働いている。
街も、その半分以上が焼失しており、こちらも多くの人々が瓦礫を片付けているが、至る所で物を巡る争いが起きている所を見ると、火事場泥棒やそれに近い者達が少なからず、いるのだと判る。
それでも所々に天幕が張られ、炊き出しが行われているのだろう。食べ物の匂いがし、それに並ぶ人の列が見えた。
一方、広い敷地を有する屋敷がある地域は、大した被害は見られなかった。その中の幾つかの屋敷では、天幕が張られ、街と同じように炊き出しが行われているようだが、それ以上に、荷物を積み上げた馬車の列が、香菜姫の注意を引いた。
それらは逃げるように、都の外へと向かっている。恐らくは、再度の襲撃を恐れての事だと思われた。
(ここに残るしか術の無い者達と、逃げる場所を持つ者達の違いか、それとも……)
「姫様、そろそろ……」
信長達の事が、気になるのだろう。周王が急かす様な物言いをしながら姫を見上げる。
「そうじゃな。では、参るか」
香菜姫達は王都から南東へと進路を取りながら、信長隊が居るであろう場所へと向うが、その途中、先日斥候の真似事で訪れた帝国の大本陣が見えた。しかし、どうも様子が可怪しい。多くの天幕が並ぶ様は先日のままだが、人の姿がまったく見えないのだ。
「慌てて置いて逃げた、とは思えぬから、直ぐに戻って来るつもりで、置ていったのやもしれん。それにしても、留守を預かる者さえ居らぬとは、不用心な事よ」
「ならば、姫様」
にたりと笑う白狐達に、姫も同じ様な笑みを返した。
バァン!バン!
一番大きな天幕から破裂音がして、炎が一層高く舞い上がった。回収するのが面倒で、残しておいた酒瓶辺りが破裂したのだろう。他の天幕も全て炎に包まれ、既に幾つかは骨組みだけとなっていた。
火を放つ前に、何かの役に立つかもと集めた地図を含む紙の束や水と食料、そして数本の酒瓶は、既に不思議収納箱にしまってある。
「さて。戯れも程々にして、いい加減、向かわねば」
陽が傾き空が紅く染まる中、香菜姫達は今まさに、戦いが行われているであろう場所へと向かった。
しかし香菜姫達の予測に反し、両軍は距離を取って陣を構えたまま、互いを覗っている状態だった。
「まだ、始まっておらんようじゃな」
信長専用と思しき天幕の前に舞い降りた香菜姫は、そこから出てきたビートンに、声をかけた。
「聖女様、いつお着きで?」
「たった今じゃ」
その声が聞こえたのだろう。信長が天幕から顔を覗かせる。
「聖女の香菜姫、漸く来たか!ウィリアムから連絡が届いて直ぐに合流すると思っていたのに、なかなか来ぬから、わしは見捨てられたかと思ったぞ!」
大声で呼びかけるものだから、一斉に視線が集まる。その視線を煩わしく感じた姫が、信長に手招きされるまま、天幕へと入ると、明日の策を練っていたのだろう。数人の隊長を含む、兵達の姿があった。
「おい、聖女様がご到着だ!茶と、なんぞ食せるものを持って来い!」
その言葉に、兵達が動く。直ぐにお茶と大きく切った野菜が入った汁物が運ばれ、姫の前に置かれた。
「少しばかり、寄り道をしておったのでな。じゃが、信長殿の奇策は、しかと見させてもろうた」
「おお、そうか!あの大鉄板を見た時の奴等の間抜け面は、さぞ見ものだったであろう」
自慢気に笑う信長に、周りの者達の顔もほころぶ。皆で準備し、運んだ大鉄板で得た勝利だということが、大きいのだ。だからこそ、香菜姫はきちんと伝えておかなければと、思った。
「確かに、見ものであった。ところで、その大鉄板じゃが、妾が回収しておっての。悪いが勝手に使わせてもろうた」
「何をされたので?」
ビートンの問いに、姫はしれっと答える。
「なに、ちょっと落としてやっただけじゃ」
その言葉に、皆が驚き、信長は吹き出した。
「落としたか、アレを!いったい、どこに?」
「水門に二枚、国境の門に一枚じゃ。案ずるな、まだ六枚は手元に残っておる。それと此処に来がけに、この様なものを手に入れた。役に立てばよいが」
言いながら、先程回収した物を、酒も含めて取り出していく。紙の束はビートンに、直に手渡した。それに目を通した騎士団長は、驚きを隠す事が出来なかった。
「いったい何処で、これを……」
そこには今回の帝国軍の部隊の仕分け人数、それぞれの隊長及び分隊長の名が記された物や、投石機の設計図、それに辺りの精密な地図まであったからだ。
「空の天幕がようけあっての。そこに転がっておったわ」
言いながら腰掛けに座り、小声で真言を唱えて供された食事を食べ始めた香菜姫は、己が朝以降ずっと飲み食いしていなかった事に気付いた。一気に空腹を感じ、その為いつもより食事の減りが速い。
「聖女様。明日の朝、おそらく夜が開けると同時にあちらの攻撃が始まるでしょう。急ぎ天幕を用意致しますので、今宵はそちらでお休み下さい」
その事に気づいたのか、果物と焼き菓子の追加を兵に命じたビートンから言われた言葉に、
「承知した」
香菜姫は、素直に従う事にした。
***
半日程前。
速度を落とすことで、早々に皇帝率いる隊との合流を果たした将軍の元に、斥候をからの伝令が届いた。それは、想定以上に相手の数が多いというものだった。
「推定ですが、十万以上だと思われます」
「どういう事だ」
「おそらく、後発隊が合流したものと」
「まぁ、良い。どのみち、我が軍の方が多いのだろう?」
横で共に聞いていた皇帝の質問には、将軍自らが答える。
「勿論です。こちらは八万と、更に十万加わった十八万ですから」
「では、先制攻撃だ。あいつ等が射程距離に入ると同時に、徹底的に撃ち込んでやれ!」
その言葉で、この場で敵を迎え撃つことが決まり、投石機が最前へと運ばれる。後発の五台は、まだ到着していない為、将軍隊のマジックボックス持ちの魔術師が運んでいた、三台だけだ。
しかし直ぐに残りの五台も到着し、八台並ぶその様子は壮観だった。クーンラート三世も、御満悦な様子で眺めている。
しかし敵軍がその姿を目視出来る場所まで来た時、既に陽は傾いており、夜間の戦闘は不利だと考えたのだろう。
相手は距離をおいて陣を張っただけで、それ以上近づく様子を見せなかった為、翌朝、夜明けと同時に先制攻撃を仕掛ける事となり、その日は準備を整えて待機となった。
翌朝。徐々に辺りが明るくなり始めた頃、帝国軍は早々に攻撃の準備を始めた。
しかし大きく驚く事態となった。こちらに対峙している敵の陣の最前列に、二台だけだが、全く同型の投石機が置かれていたのだ。それだけでなく、その周りにの者達は皆、大きな盾を構えており、直ぐ後ろには魔法師団の姿が見える。
(奪われたのか……)
しかも先の戦闘で学んだのだろう。爆炎玉への対策が取られている事が判った。
そして、将軍達は取ろうと思っていた先手を取られた。相手がこちらよりも先に、撃ち込んで来たのだ。しかも石や鉄玉ではなく、爆炎玉にそっくりな物を。
もう少し距離を詰めてから攻撃しようと思っていた帝国軍は、完全に出鼻を挫かれる形となった。どうやら風魔法を用い、射程距離を伸ばして来たらしい。
爆発と爆風が、帝国軍を襲う。
それを見た皇帝の驚愕と怒りは、尋常ではなかった。
「なぜ、あいつ等が我が軍と同じ投石機を持っているんだ!しかも爆炎玉まで!」
空かさず帝国軍も反撃を開始するが、先程の攻撃を受けた際、既に投石機一台が使い物にならなくなっていた。残り七台。それでも数はこちらの方が多く、有利だと信じ、負けじと魔術師団の風魔法を用いて、相手に撃ち込んだ。
しかし、それ程大きな打撃を与える事は、叶わなかった。強い風魔法を使う者がいるのか、爆炎玉は尽敵に届く前に失速し、手前で落ちては爆発した為、相手は盾で爆風を防ぐだけで済んでいたからだ。
一方の帝国軍は、爆炎玉に対する対策用の防具を持っていなかった。その為、瞬く間に被害が拡大していく。
「おい、直ぐになんとかしろ!」
皇帝が魔術師クープマンに、怒鳴りつけると、それまで静かに戦況を見ていた魔術師は、徐ろに魔導書マレフィクスを取り出す。
「では、これを」
クープマンがマレフィクスを開き、呪文を唱える。すると空一面に大きな魔方陣が現れ、そこから拳大の甲虫が大量に出現した。辺り一面の空が黒い虫ので覆われ、一気に暗くなると同時に、帝国の兵達から歓声が上がる。
「魔術師様の黒き悪魔だ!」
「これであいつらは、虫の餌食だ!」
肉を好み、大型の魔獣等も瞬く間に退治する虫リオークを使う術は、クープマンの得意技として広く知られている。
一気に攻勢に持って行けた。そう思った瞬間、小型の投石機を抱えた敵の騎馬部隊が駆けてきた。
それまで互いに距離を取ったままだった戦いが、その様相を変えた瞬間だった。
こちらも弓や槍を手にした騎馬隊を向かわせ、同時に歩兵も走らせる。
そこは雄叫びと悲鳴、金属がぶつかり合う音が交ざり混じり、土と金属の臭いが覆う、まさに合戦と呼ぶに相応しい場となった。
作中に出てくる虫リオークは、最強コオロギのリオックがモデルです。




