八十三話
ロウェイ王国の別動隊・八百騎余りは、ゆっくりと横穴の中を進んでいた。わずかの明りしかない中でも、彼等が乗る馬達の毛並みが、輝きを放っているのが判る。
その背にいる者達は最後尾の者を除くと皆、薄い色の長衣に同色の下穿きを履き、その上から濃い色の長衣という、王国ではあまり見慣れない衣装を纏っている。昼間の日差しが厳しい、ガニラ自治区に住む者達だ。
褐色の肌を持つ彼らは、今回信長が示した条件に合意を示し、この戦に参加していた。
『馬と兵力を提供する対価として、戦の勝敗に関わらず、自治区に近いリブラ川周辺の土地・三領分を報酬とする』
馬は当初五千頭と言われたが、もとよりガニリテケは数の少ない馬のため、三千頭で話がついた。
次に兵力。こちらも五千人。ただし年齢は問わないと言われた為、自治区の老齢の男達が、こぞって手を上げた。その為、五十歳以上の者・八百十三名を含む五千名が、ロウェイ王国軍に加わる事となった。
「まさか、この様な機会が得られるとはな」
先頭を行く老齢の男が独り言つと、
「女神ドラーラの思し召しかと」
すぐ後ろについている男が、言う。こちらも同じような年齢だ。それどころか、別動隊の大半が老齢と言って良い年齢で構成されており、唯一の例外が、最後尾のサイモンだ。
なぜなら国境へと向う軍とは別に、特殊な任務に付く者を五百名ほど募ったところ、五十歳以上の八百十三名全員が、是非にと手を上げたからだ。その任務とは、帝国が管理する運河に架かる橋と、水門の破壊だった。
今から五十年程前、ゲートヘルム帝国とペルギニ王国は、互いの交易拡大の為に、新たな運河を設けてティグス川と繋げた。アルダ運河だ。
それと同時に分流水門を設置し、運河の水量確保を計った。
その為、ガニラ自治区を流れていたティグス川の水量は、極端に減る事となる。かつては豊富な水量を誇っていた水流が、小川程度の水しか流れなくなったのだ。
当然、ガニラ自治区の族長達は、ペルギニ王国に水量を元に戻すよう求めたが、水門の管理は帝国が行っているので、自分達にはどうにも出来ないと言われてしまう。
仕方なく水門のある領地の貴族に宛て、要望書を送るが、返って来た返事は、『これ以上帝国の方針に不服を申し立るのであれば、今後一切、ティグス川に水が流れる事は無いと、覚悟せよ』というものだった。
これ以上水量を減らされるわけにはいかない為、氏族民達は、腹の中が煮えくり返るような思いを抱えたまま、沈黙するしかなかった。ペルギニ王国だけでなく、ゲートヘルム帝国までも相手にするには、余りにも力の差があり過ぎたからだ。
幸い、交流のあるロウェイ王国からの援助で、いくつか井戸を掘りあてる事が出来た為、なんとか生活は成り立ったものの、水が不足する不便と不安は常に付きまとい続けた。
その水門を破壊すると言うのだ。しかも、その為の武器まで提供されている。
過去の経緯を知る者達にとって、これ程、痛快なことはない。しかも、それをガニリテケに騎乗して行えるのだから、尚更だ。
危険な任務に老齢の者を行かせるわけにはいかないと、多くの者が心配し、反対したが、この様な機会は二度と無いと言い張る老人達の言い分が通り、その結果、手を上げた全員が、特殊任務に参加する事になった。
「しかし、よく、あの息子が許してくれたな。確か、夏に腰を痛めたと言ってなかったか?」
「フンッ。あんなもの、こいつに乗った途端に治ったわ。第一、こんな楽しい事を、若造共に譲るわけにはいかんだろう」
「そうだとも。子供は家で飴でもしゃぶっておけと、言ってやったわ」
皆、深いシワが刻まれた顔に、子供の様な笑みを浮かべている。
「耄碌ジジイども、ここから出たあと、唱える呪文は覚えたんだろうな?」
「当たり前だ。オンマ リシヨシヨ ワ……次はなんだった?」
「オン マリ シェイ ソワカだ、バカめ。わしなど忘れぬよう、ホレ、ここに書いておいたぞ」
ひらひらと首に巻いた布を、自慢げにふる。
「なんと、その手があったか!」
カラカラと笑い合う男達の最後尾で、サイモンは彼等を初めて見た時の事を、思い返していた。
ケンドリック達、潜入隊との合流を支障なく行う為に、別動隊との同行を命じられたサイモンは、こんな年寄りばかりで、大丈夫かと心配でならなかった。
なにせ、中には歩くのもやっとの者さえ、いたからだ。しかし、一旦騎乗すると、その印象は一変した。
曲がっていた背筋はしゃんと伸び、気難しいと言われるガニリテケを見事な手綱さばきで、軽々と乗りこなしてみせたのだ。
その変わり様に驚いていると、
「わしらは歩けるようになる前から、馬の背で揺られていたので、歩くより乗馬の方が得意でな」
別動隊の隊長が、話しかけて来た。数年前まで氏族長を取り纏める、総長の役を担っていたハアティム・アルサリエだ。彼は馬から降りると、孫のような歳のサイモンに丁寧なお辞儀をする。そして。
「若いの、暫く世話になるが宜しく頼む。まぁ、いざとなれば、わしらの事は捨て置いてくれて、かまわん」
その言葉にサイモンが戸惑いを隠せずにいると、笑いながら、
「別に見捨てろと言ってる訳では無い。たとえ動けない様な傷を負ったとしても、こいつの背から落ちさえしなければ、必ず一族の元まで連れ帰ってくれるから、心配いらないという意味だ」
愛しげに、馬の首元を撫でる。
「だから、間違ってもわしらを助けようとか、庇おうなどとは思わんで欲しい」
元氏族総長から、腹の底まで見通す様な眼差しを向けられたサイモンは、彼等の覚悟が見えた気がした。
*
その頃ケンドリック達は街道を駆けながら、早馬の連絡局や渡り終えた橋を、次々に破壊していた。
火薬玉の製造場に火を放つ前に、帝都で使用した焙烙火矢の補充分として、火薬玉を五箱分だけ持ち出したので、手持ちは十分にある。
その為、その破壊には遠慮がなく、彼等の通った後は、馬車どころか、馬でさえ通れない状態となっていた。
いつの間にか、爆音と共に破壊された橋や街道を見たゲートヘルム帝国民達の間には、この戦に負けるのではないかという不安が、ゆっくりとだが、確実に広がっていった。
***
「う、腕が……」
右腕を押さえて寝台に横たわる香菜姫を、華王が覗き込む。
「姫様、大丈夫でありもすか」
「あれ程の量を書いたのは、久方ぶりじゃ。さすがに腕が痛みよる」
香菜姫は昨日、一日がかりで八百枚もの『隠形の札』を、書き上げたところだ。周王と華王も、墨をする手伝いは出来るものの、札の字を書けるのは姫しかいない為、それ以上は手の貸しようがない。
既に札は彼等に同行するサイモンに渡してあり、使い方の説明等も全て任せてある。おかげで、こうして専用の天幕で、休む事が出来ていた。
「しかしまさか、あれほどの大軍が囮も兼ねているとはの」
寝台で仰向けに寝転がりながら、二マリと笑う。今回の札を信長から依頼された際に、姫は蘭丸率いる隊の役割を知ったのだ。
「蘭ちゃんには、出来るだけ派手に動くよう、言ってある。相手の目を、徹底的に引き付けておけとな」
その背後から、隠形の札を付けた者達が、攻撃を仕掛けるのだという。
「気がつけば身動き取れぬ状態にして、叩き潰してやる」
不敵な笑を浮かべる信長は、まさに自ら名乗った第六天魔王に見えた。
(それにしても、信長殿はいつの間にあれらの事を、調べておったのじゃろう)
ガニラ自治区と帝国の、運河や水門の経緯については、香菜姫は不勉強のため、初耳だった。
「姫様。水門爆破、ちょっと見とうは、ありもせぬか?」
思案顔の姫の袂を、周王がちょいちょいと引きながら、聞いてきた。
「姫様ではのうて、周王が見たいのであろう」
「華王は、気にはならぬのか」
「気にはなりもすが、我等は物見遊山でここに居る訳では無かろう」
「確かに、そうではあるが……」
その時、オルドリッジから緊急を知らせる式が、天幕に飛び込んで来た。急ぎ捕まえて、その内容を読んだ香菜姫は、顔色を変えてウィリアムのいる天幕へと走った。




