七十九話
明けまして おめでとうございます
今年も宜しくお願いします
密かにゲートヘルム帝国の陣営に近づき、無事に密命を果たした男達は、安全な場所まで戻ると、事前に決めていた光の反射を用いた通信方法で、主に報告を入れた。
この後は、急ぎ戻る事になっている。今回の策は、時間との勝負だと判っているからだ。
(オン マリ シェイ ソワカ、オン マリ シェイ ソワカ……)
不思議な呪文を唱え続けて、すでに4日。その間、着替えるどころか身体を拭く事さえ叶わない状況だが、関係ない。誇らしさを胸に、男達は帰路を急いだ。
密命部隊が目的の物を手に入れたという知らせを受けたクリント・エジャートンは、彼等の回収と、領地への同行を香菜姫に頼み込んだ。
「この策は時間との勝負の為、何としても手を貸して欲しい」
頭を下げる副大将に、その程度ならばと了承した姫の協力を得て、クリントは密命部隊と共に、早急に自領へと戻ることが叶った。
今は顔見知りの職人や領民達を集め、あるものを作るよう、頼んでいる最中だ。
「みんな、悪いが大至急で頼む」
「お任せ下さい。必ず期限までに仕上げてみせます」
領主の計画を聞いた領民達は、一人残らず笑みを浮かべ、頷く。
「もし、さぼる奴が居たら、あたしが引っ叩いてやるよ」
力自慢の肉屋の女将が腕を振り回すと、その場に笑い声が上った。
「おいおい、そんな事をして、大事な腕を傷つけたりしないでくれよ」
今回、彼女は大事な役割を担っている。他にも何人か、今回の計画に欠かせない者達がいるが、それ以上に多くの協力を必要としていた。
「明後日の朝には、必ず全て揃えられるよう尽力いたします」
頭を下げる大工の親方の肩を、頼むとばかりに軽く叩く。クリントは香菜姫に明後日の昼に迎えに来て欲しい旨を伝え、今一度頭を下げると、自らも準備のために領民達に混じって働き出した。
「姫様。ここまでしてやりもした故、我もあの者の策とやら、見とうございもす」
「我も、見たいでありもす」
王都へと戻る道中、周王の言葉に、華王も同意を示す。
「そうじゃの。なんぞついで事でも見つけて、見に行くとするか」
「「是非に!」」
嬉しげな白狐達に、香菜姫は幼い頃におやつを食べながら、次郎爺に武将の武勇伝を強請っていた姿を重ねて、微笑む。
(今回の事を、記録しておいても良いやもしれん。後に読み返しながら、あの時はああであった、いや、こうであったと語る日が来るやもしれんからの……)
既に今回の戦については、オルドリッジの書記官が数名がかりで記録を付けているが、それとは別に、物語風に書いてみようと思ったのだ。
その日の夜、早速今までの事について記するために、香菜姫は筆を手にした。
**
一方王城では、クレランス翁をはじめとするキャラダイン辺境伯一族が、万が一に備えて護りを固めていた。ガレリアは、本来の仕事であるシャイラの護衛騎士の任に戻り、その側に控えている。
城と本陣と連絡は、大半を香菜姫の式が担っていた。漢字で姫の名を書けるオルドリッジのおかげで、随時連絡が可能となったからだ。
それでも香菜姫は念の為として、城門の内側に前鬼と後鬼を配する事にした。
内側に配したのは、使者が頻繁に出入りする上に、出兵している親族を心配する者達が、戦況報告を求めて集まると聞いた為だ。
「此度は目立たぬ方が、良かろうて」
取り出した人形の式に、息を吹きかける。
「使役鬼具現!前鬼、後鬼!」
香菜姫の呼び掛けに応え、姿を現した二体の式神は、それぞれ長尺の斧と鎌を手に、姫の前に跪く。
「この城に攻め入る者には、容赦は要らぬ。全て切り捨てよ!」
「「畏まって候!」」
禍々しい牙を持ち、赤と黒の鎧兜に身を包んだ異形の者達は、音も立てずにスルスルと移動し、命じられた場所に陣取ると、そのまま彫塑のように静かに控えた。
それ以外にも異変を察知する札『在査異察・急々飛令』も、城内のあらゆる場所に配置していた。これは何かあれば、オルドリッジの執務室へと飛ぶようにしてある。
全ての手配を終わらせ、シャイラとオルドリッジから礼を言われて、鼻の頭に皺を寄せた香菜姫の側を、白狐達がからかうように跳ねた。
「姫様、意外と心配性でありもす」
囁く華王の耳を摘み、ニマニマしている周王の尻尾を叩きながら、香菜姫はこの地において、失いたく無い者達が出来た事を認めるしかなかった。
***
「準備は全て整いました。山越え隊・八百。いつでも、出陣出来ます」
隻眼の副大将が、ビートンに笑みを向ける。
「横穴の補強及び隠蔽、完了しました」
「潜入部隊二千、既に目的地に到着」
「信長隊五万、先ほど到着!」
『フェンリルの森』近くに立てられた大型の天幕には、次々に知らせが入って来ていた。既に戦の準備は整い、「開戦宣言」も済んでいる。後はウィリアムの命令を、待つだけの状態だ。
当初間に合うか危惧されていた横穴も、ムーンの頑張りのおかげで僅か2週間で掘り上がり、既にその有用性を発揮している。
「いよいよ、じゃな」
飛び込んできた式を捕まえた香菜姫が、それを開きながらウィリアムの方を見た。
「オルドリッジからじゃ。ガニラ自治区の者達およそ五千が、ロウェイ王国軍に加わったそうじゃ」
「朗報だな」
バーリーの言葉に、ウィリアムが頷く。
ロウェイ王国は帝国との南側の国境にも五万の兵で進軍しており、そちらは蘭丸が率いている。そこに更に五千、加わる事になる。
もっとも相手方は、既に八万以上の兵を、そこに向かわせているという。
(倍近い相手と、どうやり合うのか)
信長隊の策は聞いており、その一部に香菜姫も手を貸す事になっている。しかし、蘭丸隊に関しては、何一つ知らされていない。
(まぁ無策ではなかろう。それに一応、護符も渡してある)
今回、香菜姫は全ての隊長に、九字の護符を渡していた。それは普段姫が用いる土御門家の九字ではなく、修験道で使用され、忍や武将達が好んだ方だ。
『臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前』の九字は、「臨む兵よ、闘う者よ、皆 陣列べて 前に在れ」という意味を持つ。これに戦勝の祈りを込めて、護符としたのだ。
「待たせたな。荷物が重うて、少々手間取った」
言いながら、信長が天幕に入ってくる。
「香菜姫には、あと少しだけ手伝うてもらうが、残りはこちらで何とかなる」
その事については、姫も事前に聞いていた事なので、頷く。
「では、準備は?」
「全て、整った!いつでも出れるぞ」
ビートンの問に、隣国の勇者は片方の口角を上げながら、答えた。
***
翌朝。日が昇ると同時に、既に隊列を組み、命令を待ち構える兵達の前に、馬に乗ったウィリアムが進み出る。片手を上げ、
「進軍開始!」
王の言葉が発せられると同時に、香菜姫の式が一斉に飛び立つ。鬨の声が上がり、戦が始まった。
森の中を進軍する信長の隊は、幾度か斥候と思しき敵に遭遇したものの、深追いすることなく進んでいた。途中、休憩を挟みながら一昼夜かけ、森を七割方拔けた頃、遂に敵軍と対峙した。
その数、およそ二千。五万の信長隊に比べるとあまりに少ない数だ。
「この程度で、どうこう出来ると思われるとは、わしも舐められたものよな」
信長は騎乗のまま進み出ると太刀を抜き、向かって来た歩兵に降り下ろす。その刃が触れるには未だ距離があったにも関わらず、歩兵の首が跳ね飛ぶ。それを合図に、信長隊が攻撃を開始した。
独特の片刃の剣に魔力を通しての攻撃は、帝国軍の鎧を簡単に切り裂くため、敵は次々に倒れていく。その為、あっという間にその数を減らした相手は、逃げるように下がり出した。
「逃がすな、追え!」
相手の策が待っているのを承知で、信長は声を上げた。
上手く目的の場所に誘き寄せる事に成功した帝国軍の分隊長は、他の兵達を合戦の場に残したまま、一人馬を駆りながら森を抜けると、目印の旗を回収していった。最後の一本を抜き、一万の本隊へと合流する。
直ぐに敵から見えないよう、掘り下げた場所に身を潜めながら様子を伺う。
数名、後を追って来たらしき兵がいたが、既に目印が引き抜かれている為に、その場に立ち尽くしていた。その後も逃げて来た兵達がいたが、皆、最後は諦めたのだろう。ノロノロと敵の方を向き、剣を構えだした。
残った兵は既に五十を切っているうえに、今も次々に切り倒されているが、元々この地に誘き寄せる為の囮役なのだから、大した問題ではない。
そして最後に残った数名が倒れた直後、いくつもの爆発が連続して起き、多くの悲鳴や叫び声が上がった。そこに「魔術師か!?どこから攻撃を……」「とにかく進め、馬で逃げた奴が……」などという言葉が混じるが、直ぐに爆音にかき消される。
爆発による土煙で何も見えないが、何も知らずに進軍してきた敵兵が新兵器『地爆』の餌食になったのを、帝国軍は確信した。
(奴らはどこから攻撃されているか判らないまま、気づけば大きく戦力を失う事になる。そこを一気に『爆炎玉』で叩く!)
分隊長は作戦の成功に、ほくそ笑んだ。




