七十六話
「何だ、これは」
然程大きくない縦長の箱だか、持ち上げると意外に重さがある。
「誰か気を利かせて、新しい酒でも持ってきたのか?」
クープマンは下卑た笑みを浮かべながらその蓋を開けるが、中を見た途端、放り投げた。
「ひぃっ……」
ガンッ、ゴロン。
落ちた箱から、中身が転げ出る。それは氷漬けにされた右手で、服の上から切られたのか、袖の一部が巻き付いていた。腕の側には『失敗の代償』と書かれた紙片が、落ちている。
それを見て、瞬時に王女を連れ出す計画が失敗した事に気付いたクープマンは、慌てて辺りを見回した。箱を置いた者がまだ、そこら辺に潜んでいる可能性に気づいたのだ。叫ぶように兵を呼ぶ。
「し、侵入者だ、侵入者がいるぞ!」
直ぐに数名の兵士が天幕に入って来たので、クープマンは素早く紙片を隠すと、箱と腕を指差した。
「何者かがここに侵入して、これを置いていった。まだ近くに居るかもしれないから、直ぐに探せ!」
兵達は慌てて付近を捜索するために走り出るが、そのどさくさに紛れ、そっと出ていく者がいた事には、誰も気付かなかった。
**
「頼まれ事は、無事に済んだようじゃな」
森の中に小走りで戻ってきたラウルに、香菜姫が声を掛けた。
「お陰様で。ご協力、感謝いたします」
「かまわぬ。こちらも色々と調べる事があったゆえ、ついでじゃ」
同盟が結ばれてから三日後、ゲートヘルム帝国に動きがあるとの報告が入った。
レストウィック王国から、ゲートヘルム帝国の帝都ファリゲイトまでは、『フェンリルの森』と呼ばれる大森林を抜けて行くのが最短となるのだが、こちらの動きを察したのだろう。帝国が何らかの準備を始めたとの報告に、香菜姫自らが様子を見てこようと、申し出ていた。
その際、滞在を続けている信長から、ラウルが直に到着するので、一緒に連れて行って欲しいと頼まれたのだ。
「では、それは返してもらおう」
ラウルの胸元に貼られている隠形の札を、指差す。ラウルは少し残念そうにしながら札を外し、姫に返した。
この札には少し仕掛けが施されており、実は返して貰わなくても問題は無いのだが、姫はそれをあえて教えずに、札を袂へとしまった。
今回の戦において、香菜姫は極力表に出ないと決めており、その事は既にウィリアムやオルドリッジ、そして同盟を組んだ信長達にも伝えてある。
その代わりに戦で使う為の新しい札を数種類、試していた。今回ラウルに渡していた『隠形の札』もその一つで、【人物を限定】すると共に、【期間を限定】する物だ。
ただし、一度その身から離すと効力が無くなる。
悪用や、敵の手に渡った場合を考えての事だが、そのせいで長期間の札では、付けている間の着替えや風呂などは、諦めてもらう必要があった。
ラウルに渡していたのは『ラウル』が付けてから『半日』の間有効の物で、出発前に渡していた。簡単に使い方を説明した時点では、その効果に半信半疑だったラウルだが、実際に付けた状態を体感すると、その効果の高さに驚きながらも、疑問を一つ、口にした。
「聖女様には、私が見えているという事は、この術は聖女様には、通用しないのですか?」
「当然であろう。妾の札で、妾を欺くことはできぬからの。それに、『隠形の札を付けたラウルが、此処にいる』と判っている者にも、効果は薄い」
これは集団で隠密行動をとる時に備え、仲間同士が互いに判るようにする為の仕様で、それにより、『周りから見えないと高を括り、迂闊な行動をとる者』を出さない事を目的としていた。これはデラノ・エジャートンの提案で、ウィリアムも納得している。
その返答に納得したラウルと共に『フェンリルの森』へと向かった香菜姫は、森の上空を飛び越え、帝国が木々を伐採している側に降り立った。離れた場所に、天幕が幾つか見える。
「では、私はあちらに用がありますので。済み次第、こちらに戻って参ります」
そう言うと、ラウルはその中でもひと際大きな天幕目指して、慎重に歩き出した。聖女の札の力を信じてはいるが、用心に越した事はないからだ。
先日捕らえた男達から、王女を拐った後の目的地として聞き出したのが、この場所だった為、おそらく例の魔術師本人か、それに関わる者が居ると思われた。
(それにしても、ちょっと悪趣味だよな)
抱えた荷物に目をやる。ノブナガからは、これを目的地に届けて、出来るなら、受け取った者の反応を見て来るように言われている。
目的の天幕の出入り口近くには、兵が一人立っていたものの、強風が何度も出入り口の垂れ布をバタつかせていた為、怪しまれる事なく入り込むことに成功した。
中の暖かさに一瞬、緩みそうになった気を引き締め、動かずに辺りの様子を伺う。誰も居ない事を確認すると静かに歩きながら、酒瓶が並べられた机の上に箱を置いた。
その上からもう一度、軽く氷魔法を上掛けしながら、ノブナガの頼みとはいえ、いつ戻って来るか判らない者を待っていても仕方がないと考える。
(聖女様をお待たせするのも、なんだしな)
その為、再び風が吹くのに合わせて天幕を出ようとするが、そこに男が一人入って来たので、咄嗟に動きを止めた。
そこからは、慌てふためく男が紙片を隠すのを確認した後、大きく開けられた出入り口から出ると、先程の場所まで急ぎ戻って来たのだ。
この後、ラウルは直にロウェイ王国の王都リスカンへと戻ることになっている。ノブナガからランチャへの指示が書かれた分厚い手紙を、預かっているからだ。
「では、急ぎ戻ろう。周王、頼むぞ」
「畏まり。男よ、とばす故、しかとつかまれ」
言うが速いか飛び立った周王を見送り、香菜姫も華王に跨り、レストウィック王国へと戻った。
**
「やはり森を抜けて来ると予測して、森の出口に罠や仕掛けを用意しておった。何らかの方法で、あの場所におびき寄せる腹であろう」
戻った香菜姫は、早速オルドリッジやウィリアム達を集めて、見てきた事を説明していた。ビートンやバーリーの他に、数名の武将が同席しており、その中にはデラノの兄、クリント・エジャートンの姿もある。
「やはりそうですか。ならば罠に嵌ったふりをして、裏をかくというのも、策としては有効かもしれませんな」
広げられた地図を前に受けた説明に、オルドリッジが思案する。
「しかし大軍を率いての山越えは、少し厳しいものがあります」
「だが、少数ならば可能かと」
眉をしかめるビートンに、隻眼の伯爵が答える。それは、自分ならば出来るということだ。
「では、そこはエジャートン伯爵に任せても良いか?」
「勿論。お任せ下さい」
ウィリアムの言葉に、クリントが頭を下げる。
「それとは別に、山に横穴を掘るのはどうだ?」
「この場所ならば可能でしょうが、人手も時間もかなりいります。土魔法の得意な者を集めても、この戦いには間に合いません」
バーリーの横穴案に答えたのは、魔術師団長のヘンリーだ。
「では、こういうのはどうじゃ?」
香菜姫の提案に、その場にいた者達は驚きのあまり、言葉を失った。
「ムーン、これは国の命運が掛かった大事な事なんだ。是非とも力を貸して欲しい!」
魔術師団一同が食堂に集まり、ムーンに頭を下げていた。
「トゥルーからも、頼んでおくれ」
食堂のおばさん達も、一緒に頼んでくる。
「勿論、土魔法の使えるものは、全力で事にあたる。だがそれだけでは、到底間に合いそうに無いのだ。だから一緒に横穴を掘って欲しい!」
最初は『ムーンに穴を掘るよう頼んでみては、どうか』という香菜姫の提案に驚いたヘンリーだが、本来の大きさになったムーンの力を考えると、存外良い案だと思い、こうして頼むことにしたのだ。
「しかし、我は……」
言い淀みながらトゥルーの方を見ると、トゥルーも困惑した顔をしている。おそらく記憶が戻る前なら、引き受けるようムーンを説得したかもしれないが、聖人としての記憶を取り戻したトゥルーは、そのような事に自分が荷担すべきかどうか、悩んでいた。
しかし皆はトゥルーの沈黙を、ムーンを心配してのもので、最近彼の『子供らしさ』が減ったのも、戦争への不安からだと思っている。そのため、
「大丈夫だよトゥルー。俺達はムーンに危ない事はさせないし、掘り出した土の処理や、穴の補強なんかも、全部こっちでするから」
トゥルー達と仲の良いバートが心配無い事を説明し、食堂のおばさん達もウンウンと頷く。
「なんなら、トゥルーも一緒に来るかい?ムーンの様子も判るし、あたしらも何人かは行くから、昼間も淋しくないよ」
「おばさん達も行くの?」
「勿論さ。でなきゃ、誰が皆のご飯を作るんだい?」
その時、ムーンの尻尾が少し動いたのを、おばさん達は見逃さなかった。
「当然ムーンのご飯も、あたしらが作るよ」
「そうさね。特別の任務だから、ご飯も特別になるだろうし」
ムーンの尻尾がさらに動き、パタン、パタンと左右に音を立てて振られるのを見たおばさん達は、ニヤリと笑う。
「特別ということは、やっぱりブッシュカウルの肉かねぇ」
「そりゃそうだよ。きっと毎日ブッシュカウルの肉が出るよ」
「串焼きにソテー、それに塊で焼いた物を、切って食べるのも良いねぇ」
「トゥルー、我は……」
言いながらトゥルーの方を向いたムーンは、困った顔をしているものの、その尻尾はブンブンと振られ、口の端から涎が垂れている。
(駄目だなんて、言えない……)
「ほんとに危なくない?」
トゥルーの質問に、皆が揃って頷くのに混じり、何故かムーンまで一緒に頷いている。
「僕も一緒に行って良いなら……」
小さな声で言った途端、歓声が上がった。トゥルーはおばさん達に抱きしめられ、ムーンはバートに揉みくちゃに撫で回される。誰かが「前祝いだ!」と言うと、賛同の声があちこちで上がり、食堂は一気に宴会場となった。
料理が次々に運ばれ、ヘンリーが許可を出したので普段は一人二杯と決められている麦酒も、樽ごと運ばれてくる。そしてムーンの前には、厚切りのブッシュカウルのソテーが置かれた。
その話を聞いた香菜姫は、
「やはり、犬じゃな」
そう言って、小さく笑った。




