七十一話
「不快じゃな。では、二人から三人にした事も、妾の意志ではなかったと」
ぶわり。
膨れ上がった魔力で香菜姫の髪がうねり、立ち上がり伸ばした手が、トゥルーの顎を掴む。
「ギャンッ!」
聞こえた悲鳴に視線を向けると、ムーンが周王と華王に、組み敷かれていた。
(神獣であるムーンを、これほどまでに、簡単に……)
姫の指に力が加わり、余所を見ていることで、不快にさせている事が判る。視線を向けると、否が応でも顔を見合わせる形になるが、そこにあったのは、トゥルーがこれまで見てきた聖女の、どの表情とも違っていた。
魔力の圧で、窓にはめられたガラスがビリビリと振動する中、静かだが、返事を拒否出来ない声音で問われる。
「答えよ、トゥルー。その女神とやらは、どこにおる。どうやら妾は其奴と一度、きっちりと話をせねば、ならんようじゃ」
突き付けられた質問に、トゥルーが答えるのを躊躇していると、ムーンの悲鳴が再度聞こえる。
「のう、犬よ。代わりにそちが答えても、よいぞ」
「そうじゃ。ほれ、さっさと言わぬか」
こちらに心配かけまいと、しているのだろう。ムーンが必死に声を押し殺しているのが、時折漏れ聞こえる声から察せられた。その声に耐え切れずに、トゥルーは思わず問いに答えていた。
「女神は普段、箱庭と呼ばれる所に居られます」
「それは何処にある?どのようにして、行くのじゃ?」
その質問には、トゥルーは首を横に振るしかなかった。
「今は行けません。この世界とは次元が異なる所にある上に、今の僕では力が弱く、案内する事も出来ないので……」
暫くの間、香菜姫はトゥルーの顔を観ていたが、偽りではないと判断したのだろう。トゥルーから手を離し、
「ならば仕方がない。今はこれ以上は求めずにいよう。じゃが、忘れるでない。妾は無意識であれ、操られたり誘導されたりするのは、好まぬ。非常に不愉快じゃとな。それと、女神に会うことを諦めた訳ではない。力が戻り次第、案内せい」
頷きながら、トゥルーは己の考えの甘さを、認識していた。勇者とも話をしたいと考えていたが、普段親しくしていた聖女でさえ、これ程までに怒りを示したのだ。会った事もない勇者がどの様な態度に出るか、想像するだけで恐ろしく思えた。
(僕は悲劇を止めるべきだと思っていたけれど、それは間違いだったのだろうか?でも、前回の聖女様は終生、後悔されておられた……)
そもそもトゥルーが今回の悲劇を止めようとしたのも、王子を愛するようになった聖女ジャンヌが、愛する人の親を殺害した己の行動を、生涯悔やみ続けていた事に起因する。
しかし、香菜姫は判断を誘導された事に腹を立ててはいるが、三人の命を奪ったことを、後悔しているようには見えなかった。
(この方は、こちらの世界の者達を、どの様に思われているのだろう)
その答えが知りたくて、トゥルーは伝えるべきか悩んでいた事を、告げることにした。
「それと、もう一つ、聖女様に伝えておかなくては、ならない事が。聖女様は、この世界で生きている限り、ずっと異物であり続ける可能性があります」
「異物とは、どういう意味じゃ」
「召喚は、本来ならば、近い未来に死の可能性の高い者が選ばれます。そういった者は、魂がこちらの世界に生まれ変わったと認識して、時間と共に馴染んでいきますが、聖女様は【引き離された者】の為、馴染む事が非常に難しいのです」
「なんじゃ、そのような事か。妾にとっては何の問題も無いぞ。特に馴染む必要性を感じておらんからの」
その答えにトゥルーが悲しげな表情をしていたことに香菜姫は気づかなかった。それ以上に気になる事があったからだ。
(明日にでもオルドリッジかシャイラと話をせねばな。贄のことを、どれだけ知っていたのか、聞かねばの)
**
翌朝、朝食後すぐにオルドリッジの執務室を訪れた姫は、昨夜知った事実について、単刀直入に尋ねた。
「誰とは言えぬが、昨夜、ある者から教えられての。召喚を行った場合、どの様な事が起きるのか、あの王は知っておったのか?」
突然の質問に驚いたオルドリッジだが、溜息をつくと、香菜姫に腰掛けるよう勧め、自らも座るとおもむろに話し始めた。
「先ずは、聖女様にその事について話した者が、何者なのかを知りたいと思いますが、教えていただけませんか?」
「先程申した通り、言えぬの」
「……判りました。では、私の知る限りの話で宜しければ。前回の聖女、ジャンヌ様が召喚された時、この国はオラリア王国という名でした。しかし、ジャンヌ様は『オラリアの聖女』と呼ばれる事を非常に嫌われた為、王太子提案の元、新たな国を立ち上げ、国章も新しくされたと歴史書には記されています」
「ただ、それは召喚から一年以上経っており、それまでの間、王太子と聖女様が力を合わせて国難を乗り切ったことについては、色々と記されているのですが、国王についての記述は、どこにも見当たりません。そしてある日突然、崩御の知らせがもたらされたのです」
「しかも、国の混乱時に亡くなった為、既に葬儀は終わっているとの知らせは、当然ながら多くの憶測を生みました。しかし結局は、長期に渡って病に伏せていたのだろうという説が有力となり、皆、それで納得したようです」
そこで少し間が空いた。オルドリッジが机の隅に置かれていた鏡を手に取り、すぐ傍においたからだ。それを暫く眺めた後、再び口を開く。
「私がまだ若い頃、その時代について色々と調べたことが在りまして。先々代の国王陛下に、無礼を承知で質問した事があります。この空白部分では、一体何があったのかと」
「して、答えは得られたのか?」
オルドリッジは、首を横に振った。
「『それを知るべきは、当代の王のみ。王としての覚悟を持った時に、自ずと知ることになる』そう言われました」
おそらく、そう言われた事から、多くの事を悟ったのだろう。オルドリッジの目が、悲しげに伏せられる。
「そして聖女召喚を行う事が決まった日、先王ジェームズ四世に約束させられました。召喚の間で、何が起ころうと、一切言葉は発しないでくれと。それに、何より大事なのは国の行く末。優先順位は王子達、次に妃達にあり、自分は最後だとも」
言葉を切り、顔を上げる。
「どの様な結果になろうとも、この国が残る為には、必要な事だからと言われ。私は聖女様と残った者達に協力し、この国を未来へと進める手助けをするよう、約束させられました」
「聖女様からすれば、意外に思えるかもしれませんが、彼は頑固で、言い出したら譲らない所があったのですよ」
寂しげに笑うオルドリッジを眺めながら、香菜姫は当時の事を思い出していた。
(今思い出しても、ひたすらに、覚悟のない者の姿にしか思えぬ。しかし、その心うちは当人しか判らないのも事実じゃの)
「妾は行った事を、後悔はしておらぬ。それ故、そちやウィリアム、シャイラに恨まれても致し方ないと思うておる」
「いえ。貴女様の置かれた境遇を考えると、お怒りはもっともだと私は思っております。それに是迄して頂いた事を思えば、感謝こそすれ、恨みなど。それは亡くなられた前国王も同じかと」
香菜姫は己の目を見ながら答えるオルドリッジに頷くと、その場を後にした。
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聖女がロウェイ王国から戻って来たと耳にした貴族の一部が直ぐ様、王宮に陳情に押しかけるようになっていた。多忙なオルドリッジに代わり、補佐官達が説明するものの、皆、自分の領地の魔素溜まりを今直ぐ消して欲しいと言うばかりだ。
しかし、何事にも優先順位は存在する。
地理的に、優先すべき場所、数や規模で優先させるべき場所から取り掛かっているのだが、いくら言っても、聞く耳を持たない者も幾人かはいた。
補佐官の一人として、その場に居たデラノ・エジャートンも声をからして、説明していた。
既に小さい物の浄化方法は、周知してある。先ずは出来ることをする様に言うが、それさえも聖女がすれば済む事だと言いはり、なんのために召喚したのか、甘やかしすぎだ、もっと働かすべきだと言う者まで表れた。そんな中、
「今言った者、先ずは自身がすべきことをしてから言え!」
騎士団長、タイラー・ビートンの怒声が響いた。
「忘れたか、聖女様は魔素溜まりの原因を見つけ出し、この国を裏切っていた逆賊を捕らえるのに、尽力してくださった。それが些細な功績だと言うのか!」
途端に、それまで騒いでいた者達が黙り込む。
「しかも先日はロウェイ王国からの食料支援まで取り付けられたのだぞ!感謝すればこそ、まだ働きが足りぬなどと言うならば、その間に、お主等が何を成したか、言ってみよ!」
浄化の出来る魔術師達は、既に多くの領地に派遣されているが、幾つかの領地では、聖女に来て欲しい為か、派遣を断って来た者が居ると聞いたビートンが、この場に乗り込んで来たのだ。
「少なくとも、自領の魔素溜まりを幾つか、既に浄化を済ませたのだろうな?聖女だけに働かせ、自分達は何もせずに済まそうなどという戯けた者は、今直ぐ爵位を返上しろ!其のような者に、我が国の貴族である資格はないわ!」




