七十話
「こんな物が、埋められておったのか」
「いくら表面を浄化しても、これでは……」
出てきた壷は、大きさもさながら、禍々しい気を孕んでおり、近づく事さえ躊躇するものだった。それを凝視しながら、信長と蘭丸が呟き、クラレンス翁も息を呑む。
「随分と、大きいですな。うちの領地でも、これ程の物はなかったかと」
「そうじゃの。前に見た、この大きさの物には、狼のような魔獣の首が入っておった」
「ここは一年程前に、新たに出来た物だ。おそらく中の首は、わしが倒したヤツの物が、使われておるのだろう。胸糞の悪い!」
吐き捨てる様に、信長が言う。
「では、浄化しても?」
「あぁ、頼む」
(さて、どうするかの。この国の兵達も見ているコトじゃし、派手な方が良かろうが、天羽々矢を使うほどではないしの。そうなると、やはりアレじゃな)
「周王。不動明王の真言を用いる」
「畏まり!」
後ろに控えていた周王が姫の横に並び、そのすぐ後には、華王がつく。香菜姫は信長達の方を向くと、
「熱うなるゆえ、皆はもう少し離れよ」
パンッと開手を打つと、全ての魔を焼き払うといわれる、不動明王の真言を唱えた。
「ノウマク サラバタタギャテイビャク サラバボッケイビャク サラバタタラタ」
香菜姫が倡える真言が周王の炎を纏い、壷を覆っていく。それは瞬く間に激しく燃え上がり、黒ずんだ壷の色が徐々に赤みを帯びる。すでにかなり離れた場所に立っていたガレリア達でさえ、その熱さのために、更に数歩後退せざるを得なかった。
「センダマカロシャダ ケンギャキギャキ サラバビギナン ウンタラタ カンマン!」
三度真言を唱え終った時には、壷には多くのヒビが入り、その一部はボロボロと崩れ始めていた。
「後は放おっておいて、かまわぬ。冷める頃には、全て崩れておるじゃろうしの」
「ここまでしなくては、浄化はなりませんか?」
未だに高い熱の為に、近づく事さえ出来ない壷を見ながら問う蘭丸に、香菜姫が涼しい顔で笑う。
「いや。妾がすると、この様になるだけじゃ。中々に、加減が難しゅうての。普通に浄化すれば大丈夫じゃ」
「叩き壊すだけでは、やはり駄目か?」
「呪物ゆえ、浄化せずに置いておくと、どんな弊害があるや、判らぬぞ」
信長の言葉に姫が首を傾げ、クラレンス翁も、
「こちらでも、一つの浄化に数人がかりで当たっております。手間は掛かりますが、根気強くやっていくしか、方法はないかと」
それが正しいのは、信長も判ってはいたが、聖女の派手な浄化を見てしまうと、部下の魔術師達の浄化がまどろっこしいものに思えたのだ。
「蘭ちゃ…」
「私は真言はいくつか知ってますが、あんな浄化なんぞ、出来ませんよ」
信長の言葉に、被せるように言う。
「浄化は、ラウルの領分ですから、そちらに言って下さい」
「無理ですよ。あんなの、誰にも出来っこないです……」
無茶な要求を振られたラウルは、先ずは浄化してまだ間がない魔素溜まりから、取り掛かりましょうと、上役二人を説得するしか無かった。
***
レストウィック王国へ戻る途中、休憩のために川沿いの空き地へと降りた一行は、ラウルが持たせてくれた軽食を、食べることにした。デラノが手際よくお茶を用意してくれる。
「それにしても、ノブナガ殿自慢のヤキミソとやらは、塩っぱい物でしたな」
「それに、独特の香りでしたね。あっ、すいません」
クラレンス翁が苦笑し、デラノも同意を示すが、すぐに香菜姫にとっても、故郷の食べ物だと気づき、謝罪してきた。
「気にせずとも良い。味噌にも色々と種類があっての。信長殿は塩っぱい物が好みのようでな」
昨夜の晩餐に出された味噌は、小さな皿にほんの少量盛られており、香ばしく炙られていたものの、香菜姫の口にも、酷く塩辛い物だった。
「ところで、あの結界術、良いですよね。うちの領地でも、真似出来ないでしょうか。小さな魔素溜まりをあれで囲って、定期的にサイモンを放り込んで、狩らせるんです。いつでも欲しい時に採れるから、良いんじゃないかと思って」
「良いかもの。いろいろと片が付いたら、試してみても良いやもしれぬ」
「兄の扱いが雑過ぎないか、ガレリア。それはそうと、王女との面会はどうだった?かなり長い時間、戻って来なかったけど」
「この二年間、随分孤独だったようで。長年仕えていた乳母と侍女以外は、誰も面会に来なかったらしく、わたしごときの面会を、大層喜ばれていた」
ガレリアは、昨日の面会の様を思い出す。長い螺旋階段を登り切った先にある、特殊な鍵がかけられた扉をラウルが開けて、部屋へと通された途端、満面の笑みの王女に迎えられたのだ。しかも、
「思い出したわ!あなた、ガレリアね!」
言いながら手を握られると、そのまま引っ張られ、椅子に座らされたのだ。その後はお茶が運び込まれ、最近の流行りの衣装を聞かれたり、好みの本の話等、取り留めのない話を二人で話し続けた。気がつけば、かなりの時間が経っており、驚いたほどだ。
「帰り際、とても名残惜しげにされていたので、手紙のやり取りを約束しました。少なくとも、月に二度は書こうと思っています」
「次回の浄化の際も、同行すればよい。どうせ城にも寄るのじゃから、顔を見せるがよい」
「宜しければ、次回は聖女様もご一緒に、いかがですか」
「そうじゃの。考えておこう」
(二年間、限られた者にしか会えずにおった姫か。その孤独や寂しさは、なんとのう、判る気がするの……)
***
帰国した香菜姫達は、早々にウィリアムの執務室へと向かい、オルドリッジも交えて、ロウェイ王国での事を報告した。
「食料の支援はありがたい。これから一層、寒さが増す季節となるのに、今年は春の小麦も、秋の芋や豆も、収穫は少なく、備蓄も既にその多くを供出しており、残りは僅かとなっていたから」
安堵の表情を浮べるウィリアムに、食料が届き次第、再度浄化に向かう事を考慮に入れ、今後の予定を組むよう頼み、香菜姫はその場を辞した。
そのまま自室へと戻るのではなく、少しばかり夜風にあたろうと思った姫は、庭園へと向かった。冷たい空気の中、白狐達と共に、歪んた月の欠けた姿を眺めていると、二つの影が近づいて来た。
「聖女様……」
「トゥルーとムーンではないか。久方ぶりじゃの。どうした、えらく神妙な顔をして。なんぞ困った事でも……」
そこで、相手がこれまでと纏っている気が違う事に気づき、後方に飛び退る。周王と華王も、姫の両脇で毛を逆立てて、トゥルーとムーンを睨みつけている。
「そちは何者じゃ。姿形はトゥルーじゃが、他の者の気配が混ざっておる。どういう事か説明願おうか」
「娘よ、我とトゥルーは…」
「いいよ、ムーン。聖女様、別に中身が変わったとか、そういう事ではなくて、ただ、記憶を取り戻したのです。今はこの様な姿ですが、僕は元神官で、その後、聖人と呼ばれるようになりました。現在は、女神ドラーラから、この地域の魂の管理を任されています」
聖人という言葉に、香菜姫は少し前にアベケット領で聞いた話を思い出しながら、目の前の少年を見る。
「聖人・トゥルーか。ならば、召喚の魔導書を王家に渡したという者じゃな。その話、長うなりそうじゃから、部屋で聞くとしよう。ついて参れ」
香菜姫が先導して部屋へと向うが、周王達は警戒を緩めず、その尾は膨らんだままだ。自室へ招き入れた姫は、トゥルーに腰掛けに座るように言うと、自らも向かい合うように腰掛けた。
「先程もお話しした通り、僕は女神ドラーラに仕えていているのですが、その女神もまた、この世界を構築した創造神のもと、それぞれの受け持つ地域を、進化・発展させる役割を担っているのです。そして、その中には、創造神様が他世界との交流に際して、新たにこちらの世界に来た魂の管理も含まれます」
「新たに来た?ならば人の魂は、彼方此方を行ったり来たりしておるのか?」
「はい。創造神様は、定期的に他世界の創造神達と、魂の交流を行われるのです」
「それは、大層な話じゃの。じゃが、それは何のために?」
そこでトゥルーは、自分の知る事を全て話して良いものかどうか、暫し考えた。
魂の交流は、神々が自分の造った世界を、文化的に発展させたり、増えすぎた特定の生物を、ある程度減らしたりと、様々な理由で行われるのだが、その事を知った時、トゥルーはあまり良い気はしなかった。だから。
「魂には、前世の記憶が残滓として残っている場合がままあり、それらが、文明を発展させたり、新しい文化を作り上げたりするのを期待して、交流されます」
とだけ、話した。やり過ぎて一気に進ませた挙げ句、崩壊させた話や、また原始からやり直さねばと嘆く神がいた事まで言う必要はない。幸い聖女も、それ以上詳しい事は聞いてこない。
「それはどの程度の数、行なわれるのじゃ」
「一度に数万から数百万まで、色々です」
「万単位とは、かなりの数じゃな」
「そうですね。それぐらいでないと、時代は動かないので。例えば一人の人が新しい技法で絵を書いたとします。でも、それを評価する人が、一定数いないと、その絵が世間で認められません。少なくとも、描いた人の周りに数百人はいないと。だから、似たような感性をもった魂を、五十年から百年程の間で、大量に投入するんです。そうすれば、その絵の評価が、確実なものになりますから」
ただし、【文明が高度に進んだ世界の魂は、何故か脆弱だとか、それらを多くすると、不思議と疫病が流行り、人々は死滅へと向かう】などという事は、話さない。
ましてや、そこに原始に近い世界と交流によって、調整を行ったつもりが、加減を間違えて、人口を爆発的に増やした挙句、戦争が起きて、結局死滅させた神がいた事など、絶対に口には出せなかった。
何より、聖女に伝えなければならない事が、あった。
「でも、【召喚】は、また別の物です。交流とは全く別の方法で、他世界から人一人を呼び寄せるのです。しかも高い能力を持つ人を。だから、対価が必要だというのが、神々の考えです」
「対価というのは、いわゆる生贄とかいうものか?」
「そうです。しかも、その地で最も力を持つ者が、贄とされます。ここでは国王がそれに当たります」
言いながら俯く。
「それに聖女や、勇者として召喚される人は、元々持っている力の強い人が多いんです。例えば、覇気や知力、戦闘能力、神力等が高い人です。そんな人を時空の理を歪めてまで、この世界に呼ぶのですから、向こうの神々は、それなりの対価を払わないと、納得しないのです。しかも、そのような人達は、召喚されたからと言って、『はい、そうですか』とは、ならないので……」
「確かにの。妾も非常に腹が立った」
主の言葉に、白狐達も頷く。
「ですから、その怒りを抑えるためでも、あるのです。激しい怒りを、神に贄を捧げることで収まるよう、召喚の魔法陣が組まれているのです」
そして、一つの魂に一つの贄がいるのだと、説明は続く。今回は香菜姫と周王、崋王に対して三人、必要だったと。
「ただし、妃は王家の血筋ではありませんから、本来なら含まれません。ただし、王子を介すると王族として、扱われます」
香菜姫は、ウィリアムの身代わりを願い出たシャイラではなく、トリシャを選んだ時の事を思い出していた。シャイラの方が有用と判断した結果、そう決めたのだと思っていたが、どうやらそうでは無かったと判り、眉間にシワが寄る。
「妾は無意識に、誘導されていたという事か?!」




