六十九話
「殿下、お止め下さい!」
「皿は、飛ばすものではありません!」
「うるさい!そこで騒いでないで、下にいる者達に注意でもしてくるがいい!」
重い扉の向こう側から聞こえる声に、サリア王女はそう返すと、新しい皿に風魔法を纏わせ、明かり取り用の高窓めがけて放り投げた。ティーカップと一枚目の皿は失敗したが、二枚目と三枚目は上手く窓を通りぬけ、目当ての場所に当たったようで、思い描いていた方向から、陶器の砕ける音が聞こえていた。
(見えないから、確かめようがないけれど……)
今年で十八歳になる彼女は、二年前、父である国王の死の数日後には、この『審問の塔』に幽閉されていた。
滅多に顔を合わせず、さして愛情を感じていたわけでは無かったが、そんな父親でも殺されたと聞かされれば、流石に悲しく、そして怒りが湧いた。せめて少しでも。そう思って取った行動の結果なので、仕方ないと思っている。
この塔は元々、貴人用の監獄として造られているため、寝食に関しては不自由ない上に、少ないが仕事も割り当てられ、本も潤沢にある為、退屈する事はない。
だが、囚われの身である事に変わりなく、自死や逃亡ができないよう、多くの規制や規則に縛られた生活は、煩わしい上に、孤独で味気ないものだった。
乳母や侍女達を別にすれば、この二年間、彼女に会いに来る者は、一人も居なかったのだ。
「勇者達を恐れるにも、程があるわ!」
新しい皿を投げながら、叫ぶ。召喚時に起きた惨劇と、その後に起きた軍部の粛清によって、『勇者に逆らう者はことごとく姿を消す』という話が一気に広がり、城の者達どころか、全ての貴族達が勇者たちの機嫌を損ねないよう、気を使うようになった。議会が開かれることも無いという。
しかも、あれほど問題だった多くの魔素溜りが今では全て管理され、それによる魔獣の被害もほとんど無い事から、民からの支持は非常に高いらしい。
その為、既に王家は無くても問題なく、幽閉された王女など、その存在さえ忘れ去られててしまったようだった。
(確かに友人と呼べる者は少なかったけれど、それでも……)
お茶会や、舞踏会のたびに、纏わりつくようにしていた者達の誰一人として、訪ねて来ないという事実は、サリアを落ち込ませ、孤独感を募らせた。
だから、二日前に隣国の聖女訪問の噂話を侍女から聞いた時、名前も憶えていない少女のことを、思い出したのだ。
(もしかしたら、あの娘が同行するかもしれない。少なくとも彼女は、他の者達とは違った)
何年も前に、二度ほど顔を合わせただけの少女。背が高く、ドレス姿なのに帯剣し、颯爽と歩く姿に、眉をしかめる者もいたが、サリアの目には好ましく映った。
(彼女なら、もしかして……儚い望みだということは、十分に判っている。でも、何もしないまま現状を嘆くほど、しおらしい性格ではない)
気を許せる使用人に命じ、密かに運び込ませた陶磁器の山から、また一つ手に取る。塔では食器は軽い金属の物か、木製と決められているので、久しぶりの陶器は些か重く感じられた。
「青の皿の方が、良く飛ぶわね」
(とにかく、あるだけ全部投げて、駄目だったら次を考えればいい)
新たな皿に風を纏わせ、狙いを定めた。
***
建物の外が一気に騒がしくなり、ラウルが困った顔をした。
「なに事じゃ」
香菜姫の問いに、ラウルは信長と蘭丸の方を向き頷くと、説明を始めた。
「おそらく、サリア王女が騒いでおられるのだと。内密にしていたのですが、聖女様達の訪問を知られたのだと思います。ああやって音を立てることで、ご自身の存在を主張されているのでしょう」
説明の間に、落ちてくる破片に気をつけてと叫ぶ声が、聞こえてくる。
「この部屋からは見えませんが、『審問の塔』から物を投げ、こちらの建物にぶつけられているようです。あそこの食器は全て木製のはずなんですけどね」
言っている端から、ガシャン、パリーンと音が響く。
「聖女様達の御訪問を知る者を極力少なくする為に、この部屋の周囲は伝令以外は通さないよう人払いをしていたんですが、どうやら誰かが、わざわざ教えに行ったようですね」
「妾は多くの者達に、見られておったからの」
「そもそも、なぜ王女様は幽閉されているのだ?」
肩を落として項垂れるラウルに、クラレンス翁が尋ねる。
「あー、それは……」
「あれは、わしを毒殺しようとしたからだ!」
それまで黙っていた信長が突然、鼻息も荒く、話に交ざってきた。
「毒殺とは、また物騒な話じゃの」
「あれは使用人に命じて、わしの酒に毒を入れたのだ」
「毒って……ノブナガ殿、あれは下剤でしたし、王女は、そんなに酷い方では。確かに、少々やりすぎたとは思いますが」
「アレのせいで、わしは三日もの間、便所から、離れられんかったのだぞ!ここの便所が腰掛け式だったから良かったものの、そうでなければ、とんでもないことになっていたかも知れん!」
信長の剣幕に、吹き出しかけたガレリアが、
「あの王女様なら、やりかねませんね」
口元を押さえながら言う。
「ガレリアは、王女を知っておるのか」
「はい。シャイラ様に付いて、こちらを訪ねた事が二度ほどありまして。公式の場ということもあり、さほど言葉を交わしたわけではありませんが、しおらしい方には見えませんでしたね」
「そうか。じゃが、よく信長殿に、殺されずにすんだの」
「そのことでしたら、この国の仕組が関係していまして。実は王族の血筋でないと、使えない物が、いくつかあるのです。一番顕著な例は魔導書ですが、それ以外にも封蝋や国印などです」
「それらには、王族が生まれた時に、血を登録する事になっておりまして。しかも、王の血を引いてないと、弾かれる為、不義の子や、赤子の入れ替え等を防げます。これらは王族の血筋を残す目的で、例えば帝国に侵略された場合でも、王族の血筋でないと、王になれない様になっています」
その為、他国との交渉や交易を支障なく行うためにも、殺してはならないと説得したという。
「まぁ、今となっては、これで良かったと思っているがな。それに今起きている問題が片付けば、わしらがここにいる必要もなくなる。そうなったら、適当な婿でも探してこの国を任せるつもりだ」
信長の言葉にデリノが頷き、
「しかし、その様な仕組みがなされているとは」
「前回の勇者様が、元の世界に戻られる前に、魔術書以外の全てに術をかけてくれたのです」
「ちょっと待ちや。今、元の世界に戻ったと申さなんだか!?元の世界に戻る方法があるのか?」
香菜姫が目を見開き、凝視してきた。その顔に浮かぶ期待の色を見てしまったラウルは申し訳なさそうに頭を掻きながら、
「あっ、いえ。そうではなくて……前回の勇者様は、実は魂だけの存在だったそうです。そのため、当時の騎士隊長の身体に憑依されて、活動されていたと伝わっています」
「その後、勇者様は、ある日突然現れた魔法陣によって、姿を消されました。召喚の魔法陣とよく似ていたと記述にありますし、帰還の魔法陣が働いたのではと。そして魔法陣が消えた後には、憑依されていた騎士隊長の干からびた亡骸が横たわっていたと、記録にあります。人としての限界を超えて活動していた為だろうというのが、当時の学者達の見解です」
「そんな方法があるのなら、わしらがとっくに試している。今、ここに居るという事は帰れんという事だ」
「そうか。そうじゃの」
一瞬、沸き上がった期待は結構大きかったようで、ラウルと信長の説明にうなずきながらも、香菜姫はひどくがっかりしている自分に気づき、苦笑した。すると、その肩を支えるように、クラレンス翁が手を置いてきた。その温もりが何日も前の、夜の庭での絵話を思い出させる。
(ここで生きると、決めたのじゃ)
翁の手に己の手を重ね、大丈夫だと頷いてみせる。
幾分しんみりとした空気の中、ガレリアが挙手をして、
「今からサリア王女に会いに行きたいのですが、かまわないでしょうか」
「それは、構いませんが…」
「では、案内をお願いします」
ガレリアが、ラウルに案内されて部屋を出ると、香菜姫は信長と蘭丸に向かって、にまりと笑う。
「では、その間に、妾達は交渉に移る事にしようぞ。今回、魔素溜まりの原因が蠱毒だと知らせた対価を貰わねばな。まさかタダだとは思っておるまい?」
「そういう事か。で、何が望みだ?」
「これだけの食料の支援をお願いしたい」
デリノがすかさず書類を差し出すと、それに目を通した蘭丸が眉をしかめながら、信長へと渡す。
「結構な量だな。さすがにちぃと多すぎないか」
「そうじゃの。おまけとして二つほど魔素溜まりを浄化してやるというのは、どうじゃ?」
「この量の小麦と芋だと、せめて五つはしてもらわないと、割が合わない」
「いっそ、一つでも」
「判った。三つ!これ以上は引かんぞ」
「しかたあるまい。三つの魔素溜まりの浄化をつけよう。ただし、一つは明日にでも浄化するが、残り二つは食料が届いた後とするが良いか?」
「構わん。蘭ちゃん、筆とインクを頼む」
エジャートンの出した書類に、横書きで織田 信長と書く。その間に蘭丸は地図を出してきて、浄化の候補地を挙げていた。
「ここは是非ともお願いしたい。後はこちらと、こちらを」
「随分と偏っておるが、良いのか」
「一つは王都に近い物の中で、最も大きな物です。後の二つは、陸路では少々行きづらい場所にあるので、お願いしたく」
「あい分かった。では、明日にでもここを浄化するとしよう。悪いが今日は泊めてもらえるか。ガレリアも、それほど早くには、戻ってこれまい」
「承知した。直ぐに部屋を用意させる」
言いながら立ち上がった信長は、思い出したように、
「あと、晩飯だが、期待していいぞ」
そう付け加えると、笑いながら部屋を後にした。
「味噌でありもすか?」
「そうであろうな」
「ならば、味噌汁か、それとも焼き味噌でありもすな」
「さあの。なんにしても、楽しみじゃな」
***
翌朝
『鬼魔羅封印』と書かれた木杭を押さえながら、ガレリアは立っていた。今から結界を解除するというので、兵達に混ざって体験することにしたのだ。木杭は等間隔に大きな円を描くように埋められており、今は全ての杭に、兵が一人ついている。
「封印解除!」
蘭丸が叫ぶとともに、見えない何が弾け飛び、衝撃で杭が飛びそうになるのを、ガレリアは渾身の力で抑え込む。結界が張られていた中には、それなりの大きさの魔獣が十匹程いたが、次の瞬間、華王に乗った香菜姫がバサバサと札を取り出し、
「急急如律令、 呪符退魔!」
札が姫の手から、魔獣目がけて飛び出し、
パンッパンッパンッパンッ!
あっという間に全ての魔獣が弾け飛んだ。それを見ていた兵達は、言葉を発することさえ出来ず、呆然としていた。
「敵でなくて良かったと、私も思うよ」
腰を抜かしたのか、杭に縋り付いている隣の兵にそう声をかけると、ガレリアは、浄化を見るために、円の真ん中へと向かった。そこでは丁度、蠱毒の壷を取り出すところだった。
「華王、出すだけで良い」
「畏まり!」
華王が前足をくるりと回すと、微かな地鳴りを立てながら、ガレリアの腰の高さ程の壷が迫り出してきた。




